ちょっと思い切った試みだった。イケメン主演の青春映画を、わりと辛口な映画美学校講師陣に見せる。しかしこの取り合わせが、意外とうまくハマったことが座談会開始5分にして知れてびっくり。1023日に開講を迎える脚本コース初等科の講師陣が、『バクマン。』を徹底解剖します。ネタバレ全開です。ご注意ください。

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高橋洋

脚本家・映画監督。昨年の『映画の生体解剖ビヨンド』に続き、今年もカナザワ映画祭用に『ビヨンド2』作りました。一種のフッテージ・モンタージュ。映画の編集をやるたびに、動体視力が上がって大概の映画がタルく見えて困る。

 

村井さだゆき
脚本家。『パーフェクトブルー』『千年女優』。シリーズ構成作品に『シドニアの騎士』他。高校時代は、高橋さんと同じように、夏休みずっと映研で自主制作の映画作ってました。
 

田中幸子

今年度から講師を務めさせていただいておりますが、時々映画美学校に入学したような気分になってしまいます。先輩講師陣の迫力に、ふと、背筋が凍ることも。とはいえ、少しづつリラックスできるようになりました。


3人談笑

田中 上映時間中はとても楽しめました。漫画を描く人たちのバトルを描くという点において、CGと生身の人間を駆使して表現してみせる!という意気込みが伝わってきて、素直に楽しかった。ただひとつだけびっくりしたのは、「親」の存在がまったく出てこなかったということ。ここまで徹底して親を出さないというのはどういうことだろう、というのは感じましたね。

 

村井 僕はもう、全肯定に近いくらい楽しめましたね。漫画を題材にした映画となると、どうしても漫画の歴史を俯瞰したメタ的な視点が不可欠で、それと「青春映画」との両立が難しいところだったと思うんですけど、冒頭でいきなり「少年ジャンプ」の歴史から入るじゃないですか。あれが導入として、非常に生きていたと思います。これは手塚治虫からの流れを汲む大きな漫画史の話なのではなく、あくまで「少年ジャンプ」の世界という、漫画史の中のある特殊な状況を生きる主人公たちの苦闘なのだという。

 

高橋 僕も村井さんに近い感想を持ちましたね。作った人たちをちゃんとリスペクトできる映画に、久しぶりに出会った感じです。大事なところで手を抜かない、そここそが勝負どころだと見据えている緊張感がずっと続いて。そういう丁寧な仕事が商業作品として成功していて、痛快でした。

 

村井 ええ。当たり!っていう感じがしましたね。思い出したのは『パシフィック・リム』の冒頭のシークエンスです。怪獣が現れて、現時点ではこうなっている、という前史をまず見せるんですよね。『バクマン。』の冒頭もそれと同じように、少年ジャンプは「友情、努力、勝利」という謳い文句で天下を取った時代があったのだ、ということをまず観客に共有させる。そのことで、主人公たちが遭遇していく状況の理不尽さが伝わってくるんです。集英社のビルが少年ジャンプの表紙に包まれていくことで、先人へのリスペクトと共にそれが伝わってくるという、好感が持てる入り口だったなと思いますね。

 

高橋 僕は少年ジャンプの黄金期をリアルタイムで経験している世代です。80年代から90年代にかけて、発行部数が600万部に達した時代。印刷所で少年ジャンプを刷っていることがお札を刷っているのに等しかった時代(笑)。それが90年代後半に失速していくわけだけど、僕ら自身も世代的に漫画を読まなくなっていった時期と重なっているんですよね。世の中で騒がれていて、僕ら自身も読んで面白いと思ったのは、『寄生獣』とか『ナニワ金融道』とか『沈黙の艦隊』あたりが最後かな。

 
村井高橋2
 

村井 原作は『DEATH NOTE』を描いた2人の作家によるものですね。大場つぐみさんという本当に巧いストーリーテラーと、すごい画力を持つ小畑健さん。これは本当かどうか知りませんが、大場つぐみの正体は、『とっても!ラッキーマン』のガモウひろしさんだという説がある。だから『バクマン。』に出てくるおじさん(宮藤官九郎)が描いてる『バックマン』が、僕には『ラッキーマン』に見えて仕方がなかった。もし大場つぐみが本当にガモウひろしなら、原作は実はきわめてアンビバレントな思いがこもった作品なのかも知れないんですね。『バクマン。』は少年ジャンプが掲げる「友情、努力、勝利」を標榜しているけど、『ラッキーマン』は「友情」や「努力」や「勝利」に対して主人公が「幸運」だけで勝ち進んでいくお話でした。それが人気が出て連載が終われなくなり、内容もジャンプお得意のバトルものに取り込まれていく。作り手としては辛かったと思いますよ。だから僕は、そういう裏読みを払拭できないままこの映画を観てしまったんですね。

 

高橋 実際にもの作りに携わっている僕らが観ても、ものを作ったことのある人のリアリティがちゃんと描かれていましたよね。必ずくぐり抜けなきゃいけないことが、ちゃんと入ってる。僕はそれこそ高校時代、夏休みにほぼ合宿に近い状態で映画を作っていたけど、まさにあんな感じでした。出てくる人たちも、全員とても真剣でしょう。「そうそう、この真剣さだよね!」と思いました。ひとりも、悪人がいない世界。それでいて、ヤバい領域にも踏み込んでいる。一種の“芸道もの”ですよね。ひとりひとりが“芸”に対して真剣であるゆえに踏み込んでしまう世界が描かれている。そこが見事だなと思いました。少年ジャンプの価値観に沿ってはいるけど、もの作りの基本はこういうことだよね、というのが全部詰まってた。ものを作る人はみんな観ればいいんじゃないかと思いましたね。例えば、手塚賞授賞式の後、主人公の仕事場でみんなで飲むじゃないですか。あそこで、山田孝之が演じる編集者が立ち上がって、もの作りの基本を言う。少年ジャンプで勝負したいのなら、ヒットしなきゃダメなんだと。……はい。その通りです。って思いました(笑)。

 

田中 本当にその通りです。お客さんに読んでもらって初めて漫画は漫画になるのだと。

 

村井 あと、「売れる漫画は僕らにもわからない」と。でもあがいていかなきゃいけないというのは、日本中の編集者と漫画家が、今も常に抱えている問題だと思うんですよ。

 

高橋1


高橋 僕は80年代、大学生の時に少年ジャンプを読んでいて、荒木飛呂彦が連載を始めては打ち切られるという様を見ているんです。打ち切られたけどどれも面白かった。この人はすごいぞ、と思っていたら、突如『ジョジョの奇妙な冒険』で大ブレイクを果たしたんですよ。

 

村井 『魔少年ビーティー』ですよね。あれはありか無しか僕らの間でも話題になりました。でも無しだと思った(笑)。ただ、荒木さんのセンスは、あの作品から溢れ出ていましたよね。僕らの中では『バオー来訪者』でブレイクした感じでした。あれも2巻で終わりましたが。

 

高橋 この人は本当に面白いなって思いつつ、でも続けていくのは大変だなとも思っていた(笑)。

 

村井 週刊誌の漫画家って、日本で最も過酷な職業のひとつですよね。この映画の中からもそれがにじみ出ていた。

 

田中 だから私は、無粋なことを思ってしまったんです。主人公が血尿を出して倒れてもなお、親の影がまったくない。もちろん、このファンタジーにそのリアリティは要らないのだという判断によるものかもしれないですけど。

 
高橋田中3
 

高橋 そこは大胆に端折りましたよね。大人の意見はリリー・フランキーに集約させてた。本当だったらリリーさんと山田孝之は、親の前で土下座ですよね(笑)。でもそれをやっちゃったら、病院を抜けだして巻頭カラーの原稿を間に合わせるという展開には持っていけない。彼らのやろうとしていることが、ただの「常識」の枠の中に押し込められてしまうから。

 

田中 そうですかねえ……親も理解できない領域に、あのふたりが到達するっていう展開もあるのではないかなと思ったんですけど。

 

高橋 高校生活も影が薄いんですよね。青春のほぼすべてを創作に費やして、高校ではほとんど寝てるだけっていう(笑)。

 

村井 学園生活から突然、業界の理屈に飲み込まれたふたりなんですよね。俯瞰して観ると。

 

高橋 冒頭、ジャンプの編集部に彼らが乗り込む姿が描かれて、そこに学校でコンビを組むまでのエピソードが挟まれて、また編集部のシーンに戻るじゃないですか。自分だったらそこをどう構成するか、考えながら観たんですよ。僕はもっと早くふたりが編集者(山田孝之)のもとに行ってほしいと思いました。編集者がすごいスピードでパパパパパッと読み進めていって、「もう一回読みますね」「はい」っていう緊張感。あそこがもっと早く観たいと思った。彼らがコンビになるのはわかってるんだし。で、「ちなみにこれは何作目?」「初めてです」……えっ、て編集者も驚いたところで回想に入るとか。

 

田中 私は、そこまでの過程が丁寧であればあるほど、「パパパパパ」が生きるんじゃないかと思ったんですけどね。

 

高橋 ああ、なるほど。あれだけ苦労して描いたものが、あっという間に裁かれていくという。 

 
村井1
 

村井 僕は、ペン先の描写が素晴らしいと思いました。映画を作っている人が、あそこを拾った功績は大きいと思った。主人公が「Gペン難しい!」って言ってたけど、まさにそうなんですよ。僕も使ったことがあるんだけど。線ひとつ描くにも修練が要る、ということから入っている。この映画って、「天才」表現がひとつの肝だと思うんですけど、天才芸術家が出てくる話って、難しいじゃないですか。

 

高橋 いわゆる「フィクション内フィクション」問題ですよね。映画美学校生が何かと書きたがる(笑)。

 

村井 そこがこの映画は秀逸だったと思うんです。まず主人公が、好きな女の子の似顔絵を鉛筆で描くところで「絵は巧い」というのを先に見せておき、そこに神木隆之介くんのストーリーが加わるんだけど、それにはネームが必要だ、と。漫画っていうのはただ絵が巧い話が面白いだけじゃダメだというのを見せた上で、描き上げたものがすでにかなり素晴らしい。それに対して編集者が実に的確にダメ出しをするでしょう。その説得力がすごかったですよね。パッと見は巧いけれど、冒頭はモノローグ全開だったり、駒割りも拙い箇所がある。それをアドバイスを受けて書き直してみたら、確実に進歩しているのが見てわかる。そしてライバルである新妻エイジ(染谷将太)の作品は、レベルが格段に上だということも。

 

高橋 フィクション内フィクションの正しいやり方を観たな、という思いがありましたね。そして原作者が『DEATH NOTE』を作った人たちだということを僕は知らずに観ましたが、「新妻エイジ」ははっきりと「L」ですよね。つまり、わかりやすいライバル像というのを周到に置いているし、それを染谷くんが演じるとあれだけの説得力が出せるということ。

 

村井 巧かったですねえ!「こんな若い漫画家さん、いる!」って思いました。

 

田中 描きながら、新妻エイジは自分の口で「シュッ、シュッ」って言ってますよね。あれも新鮮でした。こんな人物描写があったんだ、と。

 

高橋 ペン先が紙にこすれる音をちゃんと拾っていたのも、この映画のとても重要なポイントだと思います。主人公が病院を抜けだして原稿を描き始めるんだけど、いよいよ肉体的に限界が来て、ペンを入れる音が少し変わるんだよね。その瞬間、手伝ってる人たちがみんな「えっ」という感じで顔を上げる。僕が一番感動したのは、そこでした。線が引けなくなる。晩年の手塚治虫って持ち味の丸っこい線が引けなくなるんですよね。そういう過酷さを音で表している。そこに染谷くんが現れて、元気を盛り返して残りの3ページを描き上げるわけだけど、あそこはもうひと押しあってもいいなと思いました。おいおい、今、もっと大変なことが起きてるんじゃないの??ってどうしても思ってしまう。(続く)


<その2>
 
 ネタバレ全開ですみません。今日も行きます『バクマン。』座談会第2回。続いては、脚本コース講師陣が「天才表現」について考えます。読む人は、どうか頼むから、必ず観てから、読んで下さい。


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村井 新妻エイジとのバトルが「人気投票」のみに収れんしていく感じが、僕としてはちょっと残念でした。少年ジャンプの世界においてはそうかもしれないけど、僕たちの目から見ると「天才ってそういうことではないんじゃないの?」って思えてしまう。例えば荒木飛呂彦さんは、登場した時からはっきりと、ヤバさがわかったじゃないですか。「新妻エイジ」もああいう敵役だったら、人気投票うんぬんじゃなくてもう圧倒的に勝てない、という描写が可能だったと思うんですね。それが観たかったという気持ちと、いやでもこれジャンプだしなあ……っていう気持ちの揺れが、僕の中ではありましたね。システムに飲み込まれてしまった上で「友情、努力、勝利」へ持っていくというのは、面白かったけど、ちょっと疑問符付きで観たところはあります。これは、作り手としての視点なんでしょうけど。

 

高橋 主人公が倒れて、山田孝之とリリー・フランキーが駆けつけてくるじゃない。あそこで「悪かった、休載にしよう」じゃなくて、「描け」って言ってくれた方が、もっとすごい世界に行けたとは思うんですよ。ああ、この世界は本当に狂った人たちの世界なのだ。漫画というのは狂気の淵で作られてるのだと。

 

村井 それは『まんが道』の世界ですよね(笑)。

 

高橋 実際、僕は40歳で倒れて入院したんですけど、そこへプロデューサーがやってきて「書け」って言われました。で、点滴打たれながら必死で書いた(笑)。

 

村井 ああ。言うでしょうね。彼らが心配なのは高橋さんじゃなくて脚本ですから(笑)。でもこれは2000年代の作品だから、さすがに描かせないだろうなと思いました。

 

高橋 「都合により休載します」が当たり前の時代ですもんね。かつてはそんなの、ありえなかった。

 
高橋田中2

 

田中 恐ろしい時代ですね(笑)。私は、他の漫画家のキャラ分けが巧いなと思いました。みんな熾烈なバトルを繰り広げているんだけど、新井浩文さんみたいにちょっと抜け感のある漫画家さんがいたり、苦節何十年の漫画家さんがいたり。ただのファンタジーに陥ってしまう危険性があるのに、そういう細かいところでリアリティをキープしていた感じがします。

 

高橋 あの、みんながペン入れを手伝うというのは、トキワ荘の再現ですよね。昔の『おばけのQ太郎』を読むと、明らかに石ノ森章太郎が描いたであろうコマがあったりするんですよ。あれを、彼らはこれからやろうとしているんだ!という期待感がある。それって「展開が読めている」とも言えるんだけど、「読めてるけどそうなってほしい!」と思って観ちゃうんですよね。「展開が読めるからダメ」と、「展開が読めるのに面白い!」の違いは何なのか、いつも考えるんですけど。どうして山田孝之以外の人まであの場に駆けつけてるのかよく判らないけど(笑)、期待が高まるからアリになる。

 

田中 そしてその後、染谷さんが入ってくるでしょう。あれは、得も言われぬ緊張感がありましたね。彼はどっちに振るんだろう、と。応援するのか、攻撃してくるのか。

 

村井 あの瞬間は盛り上がりましたね。でもあの後の、染谷将太と佐藤健のやりとりを、どう解釈したらいいのか悩みました。

 

高橋 何かの結論が出ているわけではないですよね。よく判らない(笑)。いつもの線が引けなくなっていることを染谷に指摘されて、「僕ならこう描きますよ」って手を加えられちゃう。そのまま染谷も一緒に手伝うのだという展開に持っていくのかと思いきや、その原稿は頑として取り返して、何だかわからないけど描き上げる(笑)。

 

田中 自分が生み出したキャラクターは、自分にしか書けないのだと。

 

村井 そこで意地は張らなくていいよ、って大人は思っちゃうんだけど(笑)。

 

高橋 でも、佐藤健は、あそこで一番いい顔してた。

 

田中 そうですね。とてもよかった。 

 

村井 脚本コースの受講生の作品にもよく、何らかの天才や、劇中では素晴らしいとされる何らかの表現というのが出てくるじゃないですか。それを説得力のある画として見せられるかどうかというのを、今回改めて感じさせられましたね。直すたびにはっきりと進化していく原稿とか、主人公の画に染谷くんが手を入れると明らかに眼力が宿ったりとか。主人公のふたりは「努力」の人だという描かれ方をしているけど、僕らから見たら十分天才なんですよ。感心したのは、神木隆之介くんが新しい物語を思いつく瞬間の描写。思いついた物語が天才的である、っていう描写って、実際に語り聞かせなきゃわからないじゃないですか。でもこの映画は「思いつくさま」を見せた。しかもその内容が、「もしかしたら少年ジャンプでならアリかもしれない」と思わせるんですよね。抜群に巧い天才表現だったと思います。

 

高橋 あと、初めてふたりの原稿を読んだ編集者が「これ、何作目なの?」「初めてです」「……えっ」ってなる、あの瞬間だよね。プロが気がついた瞬間。そしてそのレベルの人たちが有象無象いる世界で、新妻エイジという漫画家が不動の地位を築いているのだという設定。その、段階の付け方がとても巧い。

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田中 そう考えると、天才表現って、周りのリアクションにかかっている気がしますね。話が飛ぶかもしれないんですけど、盲目のピアニストとして知られる辻井伸行さんは、小さい頃にピアノのおもちゃを与えたら、教えてもいないのに弾き始めたそうです。それを映像化するとなったら、まずそれを聞いているお母さんのリアクションありきだなと。

 

高橋 田中さんが関わられた『トウキョウソナタ』にも天才少年が出てきますよね。彼がピアノを弾いているシーンはラストまでなくて、井川遥が演じるピアノの先生のリアクションだけでその素晴らしさが知れる。プロがジャッジを下した瞬間ですね。まだ誰も気づいていないことに気づく。

 

村井 そうですね。あそこで期待感がグッと高まりました。これは受講生が書いてくる脚本もそうなんですけど、書き手が自分で考え抜いていて、書き手以外の誰も考えつかないようなものが書かれているとハッとします。「この人すごい!」って思うものって、「自力でそこにたどり着いている」感がすごいじゃないですか。鳥山明さんや荒木飛呂彦さんは、まるで突然変異のようにあの絵を生み出している。

 

高橋 受講生の作品を読んでいて、「この人は書けるぞ」って思う瞬間が、確かにあるんですよ。キャラクターが、バックストーリーがどうとかに関係なく、いきなりバッと立ち上がってきたり。この物語は絶対に伸びるぞ、と確信させるワンシーンが書けていたり。

 

田中 そうですね。私も、読んでいて映像がパッと浮かぶシナリオに惹かれます。もちろん、ストーリーも伴ってこそのシナリオですが、多少バランスが悪くても、映像がきっちり浮かんでいれば「いいかも」って思いますよね。

 

高橋 でもそれを「教える」となると難しいんですよね。「バッと人物を立たせなさい」って言われても、できないじゃないですか。「もっと人物のバックストーリーを考えよう」とか「物語の構造をきっちり立てよう」っていう、努力のしかたを教えるしかない。あと、この映画にも出てきたけど、長編を描ききることの難しさもありますよね。漫画でいうと連載だけど、2時間なら2時間、飛び続けるための起爆力と持久力。それをどうすれば伝えられるのかを、いつも考えさせられますね。(続く)


<その3> 
 
 表現は、必ずしも天才にのみ許された営みではない。わかっているけど、でもどうしたって考えてしまう。才能って何だろう。売れるって何だろう。評価されるって何だろう。たぶん、ものを作る人のほとんどが直面するであろうその問題を、脚本コース講師陣が『バクマン。』を通して考えます。ネタバレ全開。観てから読むべし!


 みんなでパンフ

村井 本編で山田孝之が漫画家たちに言うのと同じように、脚本家にも「売れる」と「売れない」問題はありますよ。でもそれって、状況とタイミングによるものなので。同じ作品でも、それらが合えば売れるけど、合わなかったら売れない。そこを、脚本コースの講師としては、今考えても仕方がないと思うんです。僕らにできるのは、クライアントからの要求に、ある程度のレベルで応えられる人材を送り出すこと。僕はそこを意識して、いつも教えていますね。

 

高橋 映画業界にも中井(皆川猿時)のようにアシスタントで下積み何年という人もいれば、主人公の佐藤健のようにいきなり一定レベルのことが出来てしまってデビューという人もいる。業界の現実を熟知している手堅い人と、何も信じずに一から創りだそうとする人。前者はしばしば業界的な「かくあるべし」にアイデンティファイし過ぎたために、限界にぶつかってしまったりもする。そういう残酷さもキッチリ描かれてましたね。

 

村井 つまり、自分で考えて到達していない、ということですよね。シナリオでいうと、ドラマで聞いたせりふを雰囲気だけで真似ちゃダメだよということ。刑事ドラマでよく聞くせりふ、医療ドラマでよく聞くせりふ。どこかで聞いたものをそのまま出してる感というのは、読んでてやっぱりわかっちゃうんですよ。

 

田中 脚本コースにはたまに「どうしてもこれを書きたい!」という題材をすでに持っている方が来られるんですね。それは、決して万人受けするものではないかもしれないんだけど、でも、これを書かなきゃ一歩も前に進めないっていう時期が、たぶん誰にでもあると思うんですよ。私にも、そういう時期がありましたし。で、脚本を仕事にしていけるかどうかは、そういうものを全部書き切って、通り越して、その先にもなお書きたい脚本があるかどうか、だと思うんです。それは原作ものであれ、オリジナルであれ。
 

 田中2

高橋 (パンフレットを読みながら)ああ、スタッフ・キャスト全員が漫画の「思い出の一冊」を挙げてるんですね。おふたりは、何かありますか。

 

田中 2冊あるんですけど(笑)。『AKIRA』と『アドルフに告ぐ』です。これは漫画なのに、紙の上で既に映画だ。って思いました。

 

村井 『アドルフ』が凄いのは、手塚治虫がすでに「御大」で、もう最前線で新しいものを期待されてもいない時期にポンと出してきた作品だってことですよね。

 

田中 凄すぎますよね。

 

村井 僕も複数あるんですけど(笑)、でも特に諸星大二郎の『生物都市』には圧倒されました。

 

高橋 ああ、僕は『生物都市』で「手塚賞」の存在を知りましたね。そうか手塚賞というのはこんなに凄い作品を書かないと取れないんだ……!という衝撃を受けた(笑)。

 

村井 ヤバかったですよね。

 

高橋 ヤバすぎた。あれも、完全にオリジナルですよね。諸星大二郎にしか書けない一作。僕は手塚治虫の『ノーマン』が圧倒的に「思い出の一冊」です。

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――ちなみに、同業者に対して「ヤバい」「こいつ天才」「敵わない」と感じることはありますか。

 

高橋 僕は先輩になっちゃうんだけど、大和屋竺さんはすごいなと思いますよ。その人が手をかざせば、その人にしか作れない世界が生まれるっていう。たぶん書き手は、そのことしか考えてないと思うんです。自分にしか作れない世界を作りたい。決して、脚本ひとつで世界が作れるわけではないんですけどね。いろんな人と出会って、その人たちの手を通って、自分が考えている以上のものが出来上がることが映画の面白さなんだけど。でも、このシナリオはちゃんと自分の世界になっているかどうかということは、常に考えますね。

 

村井 『バクマン。』の登場人物たちは、順位の勝ち負けに打ち込んでいくじゃないですか。僕はそこに、あんまり共感できなくて。だって、それこそ『生物都市』みたいに、ひと目見て「敵わない!」って思わされる作品があるんですから。そこにこそ到達したいという思いが、僕には、たえずあるんです。このベクトルの違いを、作り手は皆わきまえておいた方がいい。目指すべきは人気投票1位を獲得することではなく、見た瞬間に震えが来るくらい圧倒的な力を持つこと。「売れる」「売れない」とは違う凄さがあるのだということを、知っておかなきゃいけないと思うんです。

 

田中 私はあんまり「天才」っていう言葉自体がピンと来ないんですね。「天才と呼ばれる人」はいるけど、「本当の天才」はいないと思っていて。特に、映画は総合芸術だし集団創作なので、いろんなプラスとマイナスが混沌として最終的な作品になるから、天才が存在するには難しい環境だと思います。そういう中で、脚本の仕事はフリーランスだから、辞めようと思えばいつでも辞められるんですよ。でも、辞めない。そうすると経験値が蓄積されていき、脚本に技が自然に入って来る。天才とかじゃないけれど、そういう経験から培われた感覚は、こりゃ適わない!と思うことはあります。

 

高橋 そうですね。「天才」っていう言葉って、実際はあまり使わない。さっきと矛盾したことを言うようだけど、若い頃は「ジョン・フォードって天才なんだろうな」って素朴に思っていたけど、映画の現場の実態を知ると「天才かどうか」っていう尺度で人のことを見なくなったんですよね。もちろん「優秀な人」や「革新的な人」はたくさんいるんだけど、その人たちを「天才」とは呼ばない気がする。少なくとも、僕が何らかの創作物に触れて「天才」って言葉が思い浮かぶのは、音楽だけです。僕には想像しようもないことをやってのけてる人たち。映画はね、だいたい、想像がつくんですよ。「たぶんここはこんなこと考えてこうやったんだろうなー」って。

 

村井 それは、高橋さんがあまりにも、作り手の舞台裏を知りすぎてしまったからじゃないかと思いますよ(笑)。(2015/10/09