いつもみんながぎゅうぎゅうになって、パソコンに向かう編集部屋に集う。彼らも「修了制作」の時、ここに入り浸ったのだろう。2017年夏、怒涛の1年間を終えた第20期の受講生たち。出自も年齢層もばらばらな5人が、1年間の思い出と実感を語る。

相澤亮太 中2の夏にゾンビ映画を作ったことがあります。

牛島礼音 福岡県出身。大学ではオーケストラでヴァイオリンを弾いていました。

佐藤圭 1985年生まれ。団体職員。もうすぐ一児の父になります。

西本達哉 1994年、兵庫県生まれ。一橋大学社会学部在学中。映創会所属。どういう映画をつくりたいかはまだ全然わからないです。

南香好 大学在学中は銀座の映画館でアルバイトしていました。

星野洋行 フィクション・コース、ティーチングアシスタント。撮影部。映画、ドラマ、CMだけでなく、収録や中継などもやる何でも屋。参加しました『雨にゆれる女』絶賛レンタル中。またTVドラマ「悦ちゃん」(NHK総合)は絶賛放送中。撮影作品は二本待機中。今年中には公開できたらなあと思ってます。

松本大志 フィクション・コース、ティーチングアシスタント。映画監督、現在長編の企画を考えております。最近買った漫画の新刊は「いちげき」2巻、「響〜小説家になる方法〜」7巻、「マロニエ王国の七人の騎士」1巻。

6176683328_IMG_0127


——まだ全員集合していませんが、始めてしまおうと思います。それぞれ、どこでこの学校を知り、なぜここに来ることを選びましたか?


相澤スチール

相澤亮太『ジュヌセクワ』

相澤 僕は普通に、どこか映画の学校に入ろうと思って、いろんなところを探してたんです。その中で映画美学校が、一番安かったというのもあるけど、自分で作ったものをスクリーンで観られることが魅力の一つでしたね。あと、一緒に作ってくれる誰かが欲しくて、ここへ来たというのもあります。


佐藤_スチール
佐藤圭『The Seagull』

佐藤 映画美学校のことは大学生の頃、つまり10年以上前から知っていたんです。映画や周囲の影響で、黒沢清さんとか青山真治さんとか、塩田明彦さんとか万田邦敏さんとか、そういうお名前を知って映画を観るようになって。その人たちが講師をやっている学校、ということでずっと意識していたのと、「映画の授業ム映画美学校の教室から」という本も読んでいました。でも地方の学校で、映研に入ってはいたけど、卒業後はしばらく映画作りからは離れていたんです。だけど社会人になって、異動とかもあって、比較的、時間が自由に使えるようになった。しかも今年は万田さんが講師だということで、これはいい機会だと思って入りました。


南_スチール
南香好『私は家に帰らない』

南 私は以前、大学生の頃に映画館でバイトしてたんですけど、その時、星野さんと一緒に働いてたりして、映画美学校に関係のある方が身の回りにおられたんですね。でもこれといったきっかけがないまま、大学を卒業して何年か経って、ふと「映画作ってみたいな」ってなんとなく思いついて、入ったんです。

——ふと、思いつくものですか?

南 それまでは、観ることは好きだったけど、「作ってみよう」っていう発想にはあまりならなかったんです。でも何だろう……なんとなく、そう思うようになりました(笑)。


牛島_スチール
牛島礼音『REPLAY』

牛島 僕は、映画をきちんと観始めたのは、みんなと比べると遅い方だと思うんですね。大学時代に映研に入っていたり、自主映画を撮ったりっていう経験はなくて。でも去年、おととしぐらいに「映画って絶対、撮る側に回った方が面白い!」って思ったんです。それに、この建物には普通に映画を観に来ていたし、その時にチラシをもらって、この学校のことを知ったんですけど。学生でも社会人でもない、微妙なところに僕は今立っているんですけど(笑)、それでも入りやすい感じがあるし、よく観る映画の監督がここの出身だったりすることが多くて、ここに決めました。

南 映画美学校って、人のつながりが強いですよね。先輩後輩とか、他のコースとか、つきあいが長く続いている方がたくさんいらっしゃるじゃないですか。

牛島 それでいて、みんな全然違う。

南 うん。いろんな人がいる!

佐藤 講師陣について言うと、僕は先にお名前を知っていたので、「この人が筒井(武文)さんか……!」っていう感覚がありました。書かれたものや、発言を通して知っていた人が、目の前で僕らに教えてくださっているという、……

——「本物だ!」感?

佐藤 それです(笑)。そういう驚きが、正直、ありましたね。

6176683328_IMG_0120

——読んでいた頃のイメージと、実際とは、つながりましたか?

佐藤 この学校で強く問われたのは「何を表現したいのか」ということだったんですね。映画美学校ではもっと「映画の文体」みたいなことを言われるのかなと勝手に想像していたんですけど。でも確かにそれが一番の根幹だよなと思って、1年間、それをずっと考えていましたね。

牛島 僕は初めての飲み会で、佐藤さんが「本物の万田邦敏がいる……」って言ってたのを覚えています(笑)。

南 最初、ひととおり自己紹介をし終えた後に、地下のミニスタジオに野放しにされて、みんなで飲んだんですよね。その時、万田さんがひとりでおられたじゃないですか。

牛島 そこへ佐藤さんが、勇気を振りしぼって、話しかけに行っていて。

佐藤 すごく気さくな方でした。

相澤 その後の授業でも、終わった後に飲み会があったんですよね。

佐藤 講師陣が「授業後は必ず飲みに行くから、来たい人は来てください」っていうスタンスなんですよ。

南 最初は「……行ってもいいのかな」って探り探りだったんですけど、だんだんとみんな、普通についていくようになりましたね。それに講師の皆さんは、途中で何度か席を代わって、みんなと話してくださるんですよ。

6176683328_IMG_0124

相澤 そう。気づいたら、隣にいる。

南 その言い方、怖い(笑)。でも確かに、そんな感じ。

相澤 誰とも話さずに帰るっていうことは、なかった気がします。

——講師陣に言われたことで、胸に残っていることはありますか。

佐藤 万田さんから口を酸っぱくして言われていたのは「関係性の変化」ということです。どんな短編でも、とにかくそれを撮ってくるようにと。それを描けるようになりたいと思い続けて、1年が過ぎましたね。

——そのメモは何ですか。 IMG_2021

佐藤 あ、これは1年間のカリキュラム表です。みんなに配られたものです。

——みっちみちですね。

南 ほんとに、カリキュラムはもう、ぎっちぎちでしたね。休む間がなかった。

佐藤 いろんな締切が次々ありましたね。みんなで、それに向けて一生懸命やれるというのは、学生の頃にはできなかったことでした。

南 最初はみんな、すごい人見知りだったんですよ。でも、すぐに強制的に班に分けられて、30秒の短編を撮るっていう実習があった。そしたら「5分の短編もその班で撮ってきてね!」ということになったので、否応なく打ち解けていった感じです。

牛島 人と話さないと映画は撮れない、っていうことにみんな気づき出したので(笑)。自分が何をやりたいかを、人にちゃんと伝えないと何もできない。

佐藤 確かに……真理だね、それ(笑)。スタッフにも役者さんにも説明しなくちゃいけない。

——自分の説明力を、思い知ったりしましたか。

相澤 説明力は確かに……全然伝わってなかったですね(笑)。現場ではあたふたしてるから、なおさら。言いながら、自分でもわけがわからなくなったり(笑)。

6176683328_IMG_0114

佐藤 僕はミニコラボ(※プロの監督の撮影にスタッフとして付いて行う実習)が印象に残っていますね。僕は制作部(※ロケ地探しや撮影の許可撮りなど、撮影までの下準備を行う)だったので、撮影現場を間近で、比較的落ち着いて見ることができたんです。こういう時はこうやって撮るんだ、とか、こういうことはこう伝えればいいんだ、とか。その後、ひそかに真似させていただいたりしました。

相澤 僕は佐藤さんと一緒の制作部だったんですけど、「制作部」っていう仕事自体を知らなかったんですよ。

佐藤 監督やみんなをロケ地につれていくとき、緊張しなかった? 「これでいいって言ってもらえるだろうか」とか。

相澤 しました。だからOKが出たときはうれしかった。

牛島 相澤くんがみんなにロケ地を説明してる姿をすごい覚えてる。「おおーー」って思った(笑)。

——分担するから、起こる喜びですね。

南 そうですね。みんなの仕事が連携していく感じ。

佐藤 大工原(正樹)さんがおっしゃってたんですけど、分担しているからこそ、それぞれのパートの人たちが、それぞれの場所で創造性を発揮できるんだと。創造性を発揮するべきは、監督だけではないんだということが、印象に残っていますね。

牛島 僕は、ミニコラボの時、録音部だったんですけど、事細かに教えたり指示したりするのではなく、「まずやってみる」っていう任せ方をしていただいたんですね。現場の緊張感とか慌ただしさとか、自分は苦手なんだと思っていたんですけど、思いのほか、楽しくて。その感触が残ったことで、その後のカリキュラムも楽しくなった感じです。

相澤 うん。「うっしー、生き生きしてんなー!」って思った(笑)。

星野 現場の仕事って、ちゃんとやってれば、楽しいものなんですよ。ちゃんとやった方が、楽しいんです。

牛島 そうですね。現場であれば何でも楽しいわけではなくて、自分から、自発的に行けば行くほど楽しくなるっていうのを実感しました。みんな自分の班だけじゃなくて、別の班のスタッフやエキストラとして参加するんですよ。自分がスタッフをやる時はいっぱいいっぱいなんですけど、別の班の現場を見ながら「外から見るとこういうふうに見えるんだ」っていうことを発見したりしましたね。

星野 あと、アクターズ・コースの受講生との風通しもよかったよね。

相澤 はい。いつ知り合ったのか思い出せないくらい、すんなり(笑)。気づいたら仲良くなってた気がしますね。



【2】
星野 「ミニコラボ」を終えると、みんなはっきりと変わるんですよ。「映画とは」とか言い出しちゃったりとか。 

一同 (笑)

——そこで萎縮するのではなく、何かが解き放たれるわけですね。

南 そうですね。

相澤 シナリオの書き方もカット割りも、いろんなプロセスを知った上で、修了制作にたどり着く感じですね。

星野 相澤くんは「短編をつくる1」(星野注:入学後、一番最初に出される映像課題。班に分かれて5分程度の短編映画を撮ってくるというもの)の時みたいに、ショッピングモールで無許可でカメラを回すことはもうないよね(笑)。

南 あれは衝撃的だった! ツワモノすぎた(笑)!

相澤 最初、役者に動いてもらって、僕がサッと行ってカメラを回し、店員さんが来たら逃げるっていう(笑)。

星野 しかも役者の何人かは店員役っていうね(笑)。

相澤 館内アナウンスで呼び出されて、カメラを出すと警備員さんが来て。……なんてことは、もう、やらないです。成長しました、ちゃんと。

南 相澤くんの修了制作は、いろんなお店で撮ってたもんね。

佐藤 制作部の経験が生きたね(笑)。

牛島 僕は、もっと人を頼っていいんだというのを知りましたね。というか、人を頼らないと、映画は撮れないっていうことを知った。最初のうちは、人に頼ってたら締切に間に合わないと思って、一人で考えて一人で撮ってたんですけど、人から「こういうのもアリじゃない?」って言ってもらうことで、思ってもみなかった面白さが出るんですよね。だから自分が監督をやる時だけじゃなくて、呼ばれて行くのも楽しかったです。

6176683328_IMG_0111

星野 うっしーは、修了制作は他の子の現場、10本ぐらい行ってたもんね。

南 一番忙しかったよね。

——映画の「観かた」が変わったりはしましたか。

相澤 僕にとっては映画って、現実逃避のために観るものなんですよ。娯楽大作ばかり観て、日本の映画とか全然観なかったですけど、ここへ来て、小津安二郎を観るようになりました。今までだったら絶対観なかったと思うんですけど。

——小津、どうでしたか。

相澤 万田さんが面白いって言われてた『彼岸花』を観たんですけど、面白かったですね。こういうのもあるんだ、と思って。だから、観るものは変わったかもしれないです。自分の撮りたいものに近そうなものを、教えてもらったり、探したり。

星野 撮ることを意識しながら、観るようになったんじゃない?

南 それは牛島くんが顕著でしたね。一緒に映画を観に行くと、延々とカット割りの話をするんですよ(笑)。

牛島 何らかの作品を提出すると、講師陣に言われることって、具体的なところなんですよ。「何を描きたかったか」も問われるけど、「何が映っているか」をひたすら具体的に観るっていう。それを自分でもやってみて、面白くなってきたところではあります。映っているものもそうだし、音を気にして観たりして。

星野 普通に観る時は気にしなかったようなことに、意識的に注目すると、映画の、圧倒的な技術力に気付かされる。録音部は特にそうかもしれないね。

佐藤 僕は今まで、映画を観て、「どれもいい」って言いがちだったんですよね。でも万田さんはことごとく、僕が好きな映画監督を「つまらない」っておっしゃるんですよ(笑)。じゃあ僕が本当に好きな映画って何だろう、自分は何に感動して、何を面白いと思っているんだろうということを考えるようになりました。やたらめったら観てきた映画を、もう一回観直して、自分なりに再構築していかなきゃなあって。

6176683328_IMG_0121

南 私も、映画の観かたは豊かになった気がしています。でもみんなほどには、意識せずに観ちゃってるかも。楽しい映画は、楽しいので(笑)。

佐藤 筒井さんの授業で、「優れた映画には、90分の上映時間の間にロングショットが3回挟まれている」っていう謎の名言があったんですよ。

南 筒井さんの授業、謎の名言、いっぱいありましたよね!

佐藤 根拠は説明されないんです。でもとにかく3回あるんです!ってきっぱり断言(笑)。それを聞いてから、映画を観ながら、どこでロングショットが入ってくるのかを気にするようになりました。

星野 今ってみんな、映画やドラマをスマホで観ることもできるようになってきたじゃない。だからあんまり引き画は撮らないようになってきてるみたいだよ。

牛島 撮影の講師の山田(達也)さんもそうおっしゃってましたね。

南 私たちが作品を作りながら観るのは、モニターだったり、パソコンだったりするじゃないですか。それがスクリーンでかかると、こんなに違うんだ!っていうのが実感としてありましたね。

相澤 自分が撮っている時は、結構引いているつもりなんですよ。でもスクリーンで観たら、案外近く見えたりして。

星野 すべての映画監督がそうだとは言いませんけど、少なくともこの学校で教えている講師陣は、意識して撮ってると思いますよ。

——撮影機材は、どうしていたんですか。

相澤 僕はもともと、一眼レフカメラを持っていたので。いろんな班に貸したりしてました。

牛島 僕は修了制作で、まさに相澤くんのカメラを借りて、今ここに向かっている西本くんにカメラマンを頼んだんですけど、最終日、ラストカットを撮り終わった直後に、三脚にのっけてたカメラが倒れたという。

星野 一番、あってはならないミスです(笑)。

南 疲れ果ててたんですよ。西本くん、そのまま倒れるんじゃないかと思った。

相澤 ほんとにねえ。牛島くんの現場、疲れたねえ(笑)。

牛島 本当に申し訳ない。気づいてました。最後の方、みんな死んでるなーって。

南 希望者は全員、修了作品を1本撮るので、みんな誰かしらの撮影を手伝っているから、後半に撮る人たちは大変なんですよ。みんなボロボロで、カメラもボロボロになって。

星野 で、講師陣からの講評を受けてズタボロになるという(笑)。

南 「あんなに一生懸命やったのにー!」(笑)。

——そうやって生まれる絆もあったりしますか。

相澤 僕は、牛島くんに甘えたおしましたね。何かあるたびに「牛島くん、どう思う??」って(笑)。

牛島 僕も、他の人の現場に行く時は、「こうならないように気をつけよう」って思うんだけど、……

南 そう! 自分が監督だと、冷静になれない!

星野 でも牛島くんは、人止め(※本番に際して通行人を止めること)させるとすごいんでしょう?

南 そうなんです。絶対止めてくれます(笑)。

牛島 僕自身は、すごく穏やかに止めてたつもりだったんですけど、あとで聞いたら「後ろ姿が殺気立ってる」って言われました。

一同 (笑)

相澤 浅草で、外国人の人が見物していたんですけど、牛島くんが近づいていったら、ばーーっといなくなったんだよね。

——言葉じゃない何かを発していたんだね(笑)。

牛島 あるらしいです、何かが(笑)。

——他にも、自分が想定していなかった、自己発見があったりしましたか。

相澤 僕は、録音には全然興味がなかったんです。でもやってみたら、実は一番面白かったかもしれないですね。

6176683328_IMG_0118

牛島 相澤くんは、何も頼んでいないのに、環境音を撮ってくれてたりするんですよ。それは後日、編集の時にわかるんですけど。「相澤くん、こんなの撮っておいてくれてたんだ……!」って。

南 私は、ミニコラボでは演出部だったんですけど、修了制作では録音を任されることが多かったんですね。関わり方によって、現場の景色ってこんなに変わるんだなあと思いました。

佐藤 僕はシナリオを読んで、芝居を作っていくプロセスが楽しかったですね。「このシナリオ、どう読めばいいんだろう?」「前のシーンがこうなのだから、ここではこうなんじゃないか」っていうのを出し合うプロセスが楽しかったです。でも……優柔不断なんですね、僕は。修了制作を撮り終わってから、黒沢清さんが講師にいらして、「少なくとも、撮影初日に撮りこぼしてはいけない」っておっしゃったんですよ。まさに僕は撮りこぼしていたので、胸が痛かったですね(笑)。


【3】
この日、事情により遅れていた西本くんが、終盤、ようやく顔を見せてくれる。シャイガイである。でもシャイガイは得てして、閉めた網戸の向こうから、実は本質を見ていたりする。互いが互いを観察し合って、映画美学校生は育ち合う。初等科の1年間を終えたら、次は高等科の1年間が待っているのだ。 

6176683328_IMG_0152 

 

——ここにいるうちに、鍛えられたものってありますか。まず「体力」? 

一同 (笑) 

南 それは、大事ですね。 

牛島 ここに入ったときは、みんなそんなに体力自慢じゃなかったですよ。でもやっていくうちに、…… 

佐藤 自然とついてきたっていうのはあるね。 

牛島 それも発見でしたね。意外とタフなんだな、っていう感じ。 

南 キツいけど、なんとかなる!っていう感じ(笑)。 

星野 職場とか友だちに「変わったね」って言われる人も、いるみたいですよ。 

佐藤 僕は「少しだけきびきびしてきた」って言われました(笑)。 

6176683328_IMG_0132 

——自分の弱みを知ったりもしますか。 

南 私は、シナリオを書けない問題が根強くて。さっき佐藤さんもおっしゃってましたけど、万田さんに「関係の変化」っていうことを言われ続けたんですね。頭ではわかっているのに、いざ書こうとすると、全然ドラマが書けなくて。それが本当に苦しかったです。 

星野 僕が在籍していた頃は、全部で80人ぐらいいたんですよ。講師は西山(洋市)さん、万田さん、井川(耕一郎)さん、古澤(健)さんで、クラス別の授業だったんです。「短編をつくる」課題の講評も、今は全員、一作品ごとに試写室で行っていますが、当時はクラス別にやっていたんです。で、クラスごとに分かれる前に市沢さん(現事務局長)が講師に「皆さん何かありますか」って話を振ったら、西山さんが「ありません」、万田さんが「全部観ましたが全滅です」、井川さん「なめてるのか」、古澤さん「映画わかってないんじゃないの?」って(笑)。 

南 ひえーー(笑)。 

星野 それでもまるくなった、って言われてましたからね。1期の修了生に話を聞くと。 

——受講生だけでなく、講師陣も変化しているんですね。 

星野 そうですよ。だって高橋(洋)さんとか西山さんとか、大学の同級生たちが全員プロになった上に、映画学校つくって、さらに一緒に教鞭を振るって今に至っているわけでしょう。 

南 人と人のつながりが強い学校だなあとは思っていたけど、そういうところから来てるんですね。 

——20期生のつながりは、どうなりそうですか。 

佐藤 3人は、高等科へ行くんだよね。 

相澤 僕は、高等科へ行くって最初から決めてたんですよ。なんにもわからない状態で入って、1年経ってなんとなくわかるようになってきて、もう1年いればさらに何かがわかるような気がして。 

——「もうお腹いっぱい!」っていうことには? 

相澤 なってないですね。それにたぶん、課題の期限とかがないと、作らなくなっちゃうような気がして……あ。(西本くん到着) 

西本 遅くなりました。 

星野 何やってたの? 

西本 ちょっと……寝坊を。 

南 この時間に!?(※平日の19時です) 

——話を戻しましょうか。高等科の話。 

星野 西本、どうするの? 

西本 僕は、行こうと思ってます。せっかく仲良くなったので、同じ人たちともう1年やりたいっていうのが一番ですね。 

6176683328_IMG_0144 

(松本大志到着) 

松本 今日、祝日って知ってましたか。 

——山の日! 

松本 ……って、誰かの誕生日? 

星野 いや、なんか新しくできたらしいよ。 

——西本くんに質問してもいいですか。映画美学校に入る前と今とで、変わったことがあれば聞きたいです。 

西本 なんすかね……映画の観かたは、みんなめっちゃ変わったと思いますね。TAさんも講師陣も、みんなめっちゃ映画観ていて、しかもよう覚えてらっしゃるんですよ。あんま、のほほん、って観てられへんなあっていう気にはなりました。観てる側がスルーするようなところも、作ってる側は真剣にやってて、ちゃんと考えがあった上でこの映画はできてるんやと思ったら、ちゃんと観ないかんなあって、……言うてましたよね牛島さん。 

西本_スチール 
西本達哉『ナナちゃん、 Oh mein Gottしよ♡』 


牛島 言うてましたね。二人で。 

星野 俺は映画観るとき、なんにも考えないよ。1回めはぼーっと観て、何か引っかかったり面白いなと思ったら、2回観たりDVD観たり。 

松本 どっちもできるようになりますよね。違う観かたができる。基本的には、楽しめればいいんですよ。 

——20期生同士で、お互いの感想を言い合ったりはしないんですか。 

星野 ああ。19期生は、言い合いまくってましたね。今期はどうなんだろう。 

牛島 出来上がりについてというよりは、作ってる最中、すごく話した気がしますね。だから出来上がったものについて、僕は客観的に語れなくて。一緒に作った人間の一人だから、あまり言わないっていうのはある気がします。 

南 そうですね。出来上がったものについて話し合ったり、したことがないですね、そういえば。気を使ってるのかな(笑)。 

佐藤 作るのってめちゃくちゃ大変だし、その苦労を、自分もみんなもしているっていうのをわかっちゃっているからね。 

6176683328_IMG_0150 

星野 西本はさ、絶対「セレクション」に選ばれると思ったでしょ。 

西本 いや、あんまないっす。 

星野 講師陣の講評を受けた時とかは? 

西本 あの時は、思いました(笑)。 

——それはなぜ? 

星野 講師陣全員、大絶賛だったんですよ。その前の短編課題の講評では、緊張しすぎて、口にヘルペスできてたのに。 

西本 よう覚えてますね(笑)。 

——講師陣、怖かったですか。 

西本 講師の方は、ほんまに怖かったですね。初めて話ができるようになるまで、結構時間がかかりました。でも、皆さん、いい人でした。 

星野 入学願書を提出すると同時に、開校前課題があるんですね。「自分の周りの、魅力的な人を撮ってくるように」という。その講評が、すでにガチでしたからね。そりゃ怖いよね(笑)。 

佐藤 出された課題と、返ってくる講評の、温度が違うというか(笑)。僕は選んだ相手と、山奥の温泉に行ってそれに浸かる、っていうのを撮ったんですけど、「見せる工夫が足りない」とか「山を登る車のショットが必要だ」ってフィクションとしての配慮の無さについて散々言われて。何だろう、話が違う。って思いました(笑)。 

一同 (笑) 

佐藤 でも、なんか、みんなの開講前課題、覚えてるよね。 

西本 直接しゃべる前に、まずそれを観ますからね。 

南 あれがお互いの第一印象になるよね。 

——その時と比べて、今は、何を得ているでしょう? 

一同 うーーん……(熟考) 

星野 うっしーは、メガネからコンタクトになったよね。 

南 そういうことか。 

牛島 そういうことなのか? 

一同 (笑) 

6176683328_IMG_0130 
牛島 僕はずっと、講師陣に講評で「わからない」って言われ続けてきたんですね。皆さん、普通に「わからない」っておっしゃるんですよ。僕が客席にいた頃は、わからないのはどちらかといえば観る側が悪いのだから、頑張って理解しようと思っていたんですけど、そうじゃなくて、そもそも「わかる」「伝わる」ようにしなきゃいけないのだ。っていう回路が、僕の中には生まれましたね。 

佐藤 僕は改めて、シナリオを書くなり、映画を撮るなり、し続けていきたいと思っていますね。牛島くんの話にもつながるけど、自分の世界観が「伝わる」作品作りをしたい。「続ける」ことと「伝える」ことが一番、勉強になったなあと思います。 

西本 僕は1年間、この学校に通って「うまくなった」とかはまったくないと思ってるんですよ。早よ、次へ行きたい。1年だけじゃ、何にもわからないですね。ただ、「自分は天才ちゃうかった」とか「才能ないから頑張らなあかん」っていうことだけは、よくわかりました。 

——入る前は「自分は天才かもしれない」と思っていた? 

西本 ……っていう疑惑を自分の中で抱きつつ入りました。 

南 そうなんだ! 

牛島 初めて聞いた。 

西本 「もしかしたら俺、イケるんかもしれん」って思ってたんですけど、それはまったくなかったですね。 

松本 え、みんな、基本、それじゃないの? そう思って入ってきて「んああー!」ってなるんじゃないの。 

南 そうなんですか!? 

星野 大志くんの期は、そんな子しか生き残らなかったからね(笑)。 

——「自分は天才じゃないかもしれない」は、どのへんからわかっていったことですか。 

西本 空気吸った瞬間っていうか……すみません、「天才」とか思ってなかったと思います。強いこと言おうとしすぎました。撤回したいです。 

——わかりました、撤回しましょう。では「初等科に入ろうかなどうしようかな」と思いながらこの記事を読んでいる人に、伝えたいことがあればお願いします。 

相澤 忙しかったけど、シンプルに楽しかったですね。映画作りに必要なことの、全部を体験できたので。僕は映画について何も知らなかったから、入る前は「みんなすごい経験者なのかな」って怖かったんですよ。でも実際に入ってみたら、そういう人もいたけど、気がついたら誰もそこを意識しなくなってた。だから、入ってみれば、どうにかなるよ!っていう感じですかね(笑)。 

南 私も牛島くんと同じで、講評で「意味がわからない」って言われ続けたんですね。「伝わらなくてもいいや」とも思っていたけど、この1年を経て、「どうせなら人に伝わるものを作りたい!」って思うようになりました(笑)。そのために勉強しなきゃいけないことが、これからたくさんあるんだなあと思っていますね。 

牛島 頭と身体を同時に使える場所です、っていうことですかね。映画について考えながら、煮詰まる間もなく、やるべきことが降ってくるので。それをすぐさま実践して、作品ができて、それについて講師陣からリアクションがあり、それについて考える。その繰り返しの中、気がつくとみんなと仲良くなっている。昔は「考える」と「行動に移す」を一人でやっていたけど、それをみんなでやるうちに輪が広がって、人に伝わるものが撮れるかもしれないと思い、早く次を撮りたくなる。……っていう1年間でしたね。 

西本 なんやろ……イデオロギーの強い映画を撮る人がいる傍ら、僕はまったくそういうのないけど、でも撮りたいなあと思っていて。「伝えたいことはないけど、撮りたい」。じゃあ自分は何をもとに映画を作っていけばいいのか、っていうことを1年間、悩んでた感じなんですよね…… 

佐藤 それ、ちょっと、わかる気がする。何かを伝えたいというよりは、どうやったら物語が伝わるのかとか、映画のシステムが知りたい、みたいなこと? 

西本 それ、ちょっとわからないです(笑)。 

佐藤 そっか。じゃあ、いいや(笑)。 

西本 ただ、カリキュラムの最初の方に平田オリザさんの授業があって、「伝えたいことがあるのなんて最初の数作ぐらいで、そこから先はそんなことじゃ立ち行かないからね」みたいな、むっちゃカッコいいことを言っておられたんですよ。それがすごく、印象に残ってますね。 

佐藤 これを読んでいる人に僕が伝えたいのは、社会人をやりながらここに通った経験です。なんとか授業もあまり休まず出られたし、年齢層もすごく広くて、上は60代までおられたんですよね。いろんな受講生の映画のスタッフやキャストになって、「みんなで作る」ことを体験できた。しかも社会人としての地道な経験も、ここでの映画作りに生きたりするんですよ。日々スケジュールを作ったり、許可を取りに行ったり。だから社会人の方も、ぜひ扉を叩いていただきたいなと思いますね。 

——では、最後にTAのおふたり、まとめてください。 

星野 毎年毎年、期によって本当にカラーが違うんですね。日本全国から、特別なふるいにかけられることなく、映画作りを学びたい人が集まってくるわけですけど。だから入る前は不安かもしれないですが、入ってしまえば、みんなやれるので(笑)。ぜひ恐れずに飛び込んでいただけるといいなと思います。また、高等科に進むかどうか迷っている人たちにも伝えたいのは、今は映画美学校内に向けての作品を1本撮り終えたところだと思いますが、高等科ではもう一歩、外の人に伝わる、届く、映画作りの実践の道が始まっていきます。映画は「面白いものを撮る」ことよりも「続けていく」ことの方が難しいです。「続けていきたい」と思う人がいれば、続けていくための胆力が鍛えられると思いますので、どうか楽しみにしていてください。 

松本 僕も、高等科の話をしようかな。初等科とは少し質の違う学びではあるんです。レベルの高い低いではなく、ステージがもっと具体的に、実践的になるというか。プロの監督の現場を体験することで、「自分は向いてないな」って思っちゃう人も、いなくはないと思うんですね。……これは「高等科に来てね♪」っていうコメントではなくなっちゃうところではあるんですけど(笑)。でもね、それはそれでいいと思うんですよ。皆が皆、プロになる必要はないし、初等科的な映画作りがしたい人は、そこへ戻ればいい。 

星野 あと「自分は向いてない」って決めるには、まだ日が浅すぎるよね。今はまだ、好きか嫌いかがわかりかけたところなんじゃないか。「向いてる向いてない」は、ちゃんとその先が見えてから考えてもらいたいなあと思います。そのための土台作りが、この学校ではできると思うので。 

松本 そう! そういうことが言いたかったんです(笑)。(2017/08/11)