年の瀬の映画B学校は、この人たちに任せることにしている。事務局のミスター映画美学校、市沢真吾。事務局にいたりいなかったり、脚本書いて賞を取ってみたり、神出鬼没のスズキシンスケ。今回はそこに、B学校座談会企画常連、映画をコトバで解体する男・千浦僚を交えてみた。よくある「2017年の振り返り」とかには、何だか全然ならなかった。でもとっても大事な話をしてる気がした。それぞれの場所で、それぞれの事情で揺れてるおっさんたちによる「駄話」。正月休みの退屈しのぎに、もしよかったら。

【市沢真吾】
YouTubeというのは自分の見た動画の傾向から勝手におすすめを放り込んでくる機能がある。私は今まで矢沢永吉という人に全く興味がなかったはずなのだが、ある日突然「暴徒化する観客にアドリブで説教する矢沢永吉」という動画がおすすめに入ってきた。それからというもの、ちょっとだけこの人のことが気になり始めている。映画美学校事務局。フィクション・コース第1期修了生。

【千浦僚】
1975年生まれ。映画感想家。「映画芸術」「キネマ旬報」に寄稿。90年代半ばより大阪のPLANET studyo plus oneやシネ・ヌーヴォのスタッフ、2011年から2014年までオーディトリウム渋谷スタッフ。2017年洋画ベストは『エンドレス・ポエトリー』。邦画ベストは『エルネスト』。2002年から2010年まで映画美学校試写室上映担当。

【スズキシンスケ】
売文・日英/英日翻訳のフリーランサー。まだギリギリ20代。年上と交流する方が気楽なのだが、そろそろ年下も増えて来たので、対策を練りたい(性的な意味ではない)。フィクション・コース第12期初等科修了生。

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スズキ 僕は、今年観た映画をリストにしてきたんですけど、びっくりしました。まあ少ない! 試写を含め、これで全部です。旧作と短編・中編の一般公開前の映画を除いて、観たのはたったの18本だけでした。今年は7月まで、ひょんなことからとある脚本の大センセイの下について、仕事で脚本を書いていたので、観たくなかったんですよね。特に邦画を。

市沢 書いてる時は、観たくない?

スズキ 人によると思うんですけど。参考にするためにガンガン観る人もいると思うんですけど、僕は洋画を観てました。『羊たちの沈黙』とか。でも昔自分が好きだった邦画を観てしまうと、現在進行形で自分が書いてるものと、何も知らない頃に好きだったものの乖離を感じてしまって危険だ!と思って。それで、「もう俺、これ以上既存のJポップの世界と関わってたらマジでイカレるな」って思い詰めてしまって、比喩じゃなく本当にドクターストップがかかり(笑)、大脱走を果たした後、一番最初に観たのが『夏の娘たち ひめごと』。これ、仕事の脚本を書いてる最中に観てたら僕は、心が完全に壊れちゃったと思います。

市沢 なんで?

スズキ 素晴らしかったんです。非常に。どちらかというと、エンタメとかテレビにかかるような映画ではない——っていう表現が正しいのかわからないですけど、そういう作品だったのですが、この作品を観た時に「そうだ、映画って、これでいいんだ!」って思い出して。一般的な完成度とはかけ離れたところで、作品としての強さがとてもあったので。

市沢 その、シンスケくんの「乖離」が気になるなあ。作ってる時は観たくない、っていう心境が。

スズキ 例えば、千浦さんはこの前(イエジー・)スコリモフスキにインタビューしましたよね。

千浦 したした。こないだ、ポーランド映画祭と年明けの『早春』リバイバルの宣伝のため来日してたスコリモフスキ監督に、『早春』の記事をつくるために。胡乱な聞き手でしたが。

スズキ もちろん、千浦さんであれば過去作もほとんど全て観たでしょう。

千浦 いや、フィルモグラフィー中で短編と長編映画を6本観てない。まあ、話題になるかな、というもので、観ることの出来るものは観直して臨みました。全然そのことは活かされなかったけど!

スズキ 僕も、ある作品について書く時や、監督や俳優にインタビューする際は当然過去作の復習はするんですよ。『ブレードランナー2049』を観る時には、旧作の『ブレードランナー』を観ましたし。でも自分が新たに、仕事で、Jポップなものを作ろうとしている時に、ハードなもの・お金じゃなくて人生をかけて映画と対峙しているものを観てしまうと、よけいなことをしたくなっちゃう。

市沢 引き裂かれちゃうってことか。

スズキ そうなんですよね、自分の中で。心の中で、器用に整理がつかなかったり。どっちかがどっちかに、よけいな信号を出すんじゃないかっていうのが怖くて。

——千浦さんは、観る映画はどうやって選んでいますか。

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千浦 あまり選んでない。某映画雑誌から「これを観ろ」って、月に8本指定されるので(※キネマ旬報の「星取りREVIEW欄」担当)それだけで新作邦画を年にだいたい100本近く観るし、それプラス数十本は間口を広げるために観るし、そもそも何でも観たい。あとは、時間があるか、あうかどうかだけ。それでも見逃しばっかり。洋画や特集上映、映画祭もかなり見逃してる。

スズキ 好みとかは、反映されずに?

千浦 その欄に関しては全然こっちの意向は関係ないし、出し抜けに、数カ月先までのラインナップと試写状が届いて、2週間ごとに来る締切に対象作品4本ずつの短評書く。ここ6年くらいやってる。

市沢 千浦さんは映写技師でもあるから、もともと「定期的に観る」星のもとに生まれてますよね。

千浦 ここ2年はシネマヴェーラ渋谷で映写のバイトもしてるんで、邦画の旧作特集で、ブツとしてのフィルムの状態によっては、例えば、すごい傷んでるやつとかは、全部つきっきりで観てることもありますね。あと、邦画でも洋画でも、レアだったり、存在の見当すらつかなかったような旧作に沢山遭遇するんで、「新作」「旧作」っていう区別が、あんまり僕の中にはなくて。

市沢 ほお。

千浦 ただ、新作の方が話がしやすいっていうのはありますね。まだ評価が定まってないから、健全に意見を交わせる。でも旧作って、時代に淘汰されていくじゃないですか。だから「旧作を観ておけば安心」っていうファン層もいるでしょう。まあ、「駄作にあたるほど深掘りする旧作ディガー」という尊敬すべきガチ勢の方もいますけど。本当だったら、その人が初めて観る映画なら、新作も旧作も一緒のはずなんですけどね。その年のベストテンを決めるっていうのも、映画好きがあえてやってる、恣意的な行事じゃないですか。「その年の」っていう制限を加えて、話しやすくしているんだよね。

市沢 千浦さんは、「話しやすくしている」ことに対する、何か、違和感があったりするんですか。

スズキ ぶっこむなー!(笑)

市沢 だってそもそも「年間ベスト」って、「最近映画観てないなあー、チウラくん、何かいいのない?」っていう、私のような人のためのものじゃないですか。

千浦 そういうの、あるね。あるある。でも私に聞かれても有益な答えはない!偏ってるから。まあ、何にせよ語り合う機会ができるのはいいことだと思いますが。

市沢 「面白かった」「面白くなかった」みたいなことって、本当はもっと、日々更新されたり、波のように連なっていて、「トシとかで区切るもんじゃねーよ!」っていう思いがあるのかなと思って。

千浦 かつて、井川(耕一郎)さんや高橋(洋)さんが、「映画芸術」あたりでベストテンの場を借りてかなりの「蛮行」をはたらいていたじゃないですか。

スズキ (笑)

市沢 「その映画をいったい誰が観てるというのか!」っていうラインナップね。

千浦 そうそう。誰が観てるんだろうという、上映機会の少ない自主映画が、ベストテンに平然と並ぶとか、映画でもない出来事とか時事がその年の映画ベストテン欄に挙げられるという。ああ、それでいいんだ!って思って。よくないのかもしれないけど(笑)。それを目にして、未知の作品を知ったり、何か意見の表明をされるというのはよかったような気が。

市沢 (笑)

千浦 ちなみに、それにならうならば、僕の2017年のワーストは、『童貞をプロデュース。』主演の加賀賢三さんに対する、松江哲明さんと直井卓俊さんの対応です。作品じゃなくて。

市沢 それは、ネット上でお二人がアップした文章についてですか。

千浦 そう。連名の声明。当事者じゃない人間にはわからないこともあるんでしょうけど、あれは「謝ったら死んじゃう病」みたいな感じだったじゃないですか。あと、加賀さんがアダルトビデオの現場に連れていかれてうんぬん、みたいなことばかりが突出してるようだけど、本質はそれだけじゃない気もする。本当は彼らみんなで一緒に作った作品であるはずなのに、松江さんの中で「俺が作った」っていう認識が強すぎるのかもしれない。こちらは『童貞をプロデュース。』がバージョンが変わっていくのを観てたし、上映もしてた。楽しんで観てたし、いい映画だと思ってた。加賀さんにここまでのしんどさがあるとはわかってなかった。観られ続けてほしい映画だと思ってたけど、主人公のひとりで共作者の加賀さんがイヤならこのままでは上映できないのは道理。私は松江さん直井さんとは仕事上のつきあいのある知人で、いい仕事をしてシーンのなかで伸していった彼らを偉いと思ってるけど、この件に関しては振る舞いがよくないんで困惑してます。私自身はこれの加害被害でいえば外野だけど加害側にいる気がするんで苦いしやりきれん。

市沢 昔、こういうことってあったかなあ。カメラの前で公然と対立が繰り広げられるっていう。僕の中では野坂昭如が大島渚をぶん殴ったあれを思い出しましたけど。

一同 (笑)

市沢 かつてあった関係性が終わった瞬間みたいなものを、映像として観るってことは、あまりないなあと思って。

千浦 逆に言うと、僕らがそれを知る手段は、映像しかないんだなって思いますね。映像で見る彼らや出来事がこちらが抱くイメージのほとんどだという。あと、僕らは映画が好きだから、世の中の文化や情勢の変化を、映画を通して知るみたいなところがある。もはや映像すらもない状態で、映画に関係してることとして、映画というもののイメージにキズや曇りを生じさせたハーヴェイ・ワインスタインの性犯罪と、そのほかの俳優や監督のセクハラも今年のすごい問題。映画界で顕著だしわかりやすいから表面化したことなんだろうけど、あれは、世の中全体のことだとも思うんですね。

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スズキ Twitterで「#MeToo」っていうハッシュタグが広がったじゃないですか。そんな感じで、数年前から既存のマスメディアに載らなくても、色々なことが告発できるようになりましたよね。だから、もう色々な建前やウソが、それを「フィクション」と言い換えてもいいのですが、可視化されるようになったと。一方で、「コンプライアンス」っていう言葉がお笑い番組の中で平気で使われて、作り手も視聴者もそれを承知で成り立つ笑いが蔓延している。つまり「これは作りものですよ」「嘘ですよ」「フィクションなんです」っていうことをテレビは公言している。僕はプロレスも相撲も大好きで、だからこそそれで例えますが、ガチンコもあるけどプロレスの勝敗は決まってるんですよ、相撲には八百長があるんですよ、相撲協会的には「無気力相撲」という言葉ですが!って言い切ってもなお、興行が続いている感じ。で、ネットにこそリアルがあるみたいな風潮もあるでしょう。でも当然、単純にそういうわけでもなくて、ネットも玉石混淆ですよね。だから『童貞をプロデュース。』事件も、まずTwitterで情報が流れてきてそれを知って、YouTubeに動画が上がってるって言われた時に、「なぜYouTubeに映像が上がってるんだ?」って思ったんですね。誰が撮ったの? 誰が上げたの? って。これ、プロモーションの一環なんじゃないか、つまりこれもプロレス的な「フィクション」なのでは?とさえ最初は思ってしまった。炎上商法的な何かなのかなと。

千浦 ガチだったんだよね。立場が強くないほうが有効な道具として映像を使ったのは"あり"だと思うし、もはやこれは全部ひっくるめて《『童貞をプロデュース。』事件》だと思うけど。すごいダサい、大きなくくりで言うと、SNSは数年の内にどんどん変容してて、それに引き摺られて僕らの意識も変わりましたよね。行動様式というか、フィクションとかリアルとかに対する視点とか姿勢とか思想とかが、どんどん変わっている。昔は、テレビが普及したら映画の観客が減るんじゃないかとか、ラジオのリスナーが減るんじゃないかっていう考え方だったけど、ネットやスマホで提供される情報って、すごい細切れの時間でも使えるもんだから、人間の有限な意識とか関心とか集中力の持続が、それにどんどん持っていかれてると思うんです。だからそういう日常を送る人たちが、映画にどれだけ時間を割くかって考えたら、どんどん後退していそうな気がするんですよね。

スズキ 現代人は、文字を、8秒ぐらいしか読まないそうですよ。「読む」という行為は8秒しか持続しないから、5秒ぐらいの広告動画が増えてるって。

千浦 そうそう。あるいは、それくらいキャッチーでわかりやすくないものは、広まりづらいという。

市沢 これは年齢のせいかもしれないんですけど、僕がYouTubeを観るのって、「新しい何か」を求めてのことではないんです。過去のものだったり、今まで経験してきた感情を、今の人たちが再現してくれているのを喜んで観てる。まったく知らないものに触れるための場所ではない気がして。

スズキ 市沢さんはYouTubeでどんな動画を観るんですか。

市沢 80年代の衝撃映像。

千浦 (笑)

市沢 サラ金会社の社長が「世の中、カネなんだー!!」って万札をばらまいてる映像とか。岡田有希子が自殺した直後に現場に踏み込んでいく梨元勝とか。

千浦 そんなのばっか観てるの? 僕は『タモリ倶楽部』ばっか観てる。

市沢2
市沢 あと、キャロルが解散する時の特別番組で、まずバイクと車でキャロルの面々がばーーーっと走ってて、そこに矢沢永吉のインタビュー音声がかぶさるんですよ。てっきり、音だけ別撮りなのかと思ったんだけど、実際にその場でしゃべってるんだよね。車に乗りながら。それを遠くから映してて、面白いなーって思って。

スズキ ははははは。

市沢 結局、70年代とか80年代の映像に行っちゃうんですよね。僕も『タモリ倶楽部』を観ますけど、あれも、何らかの追体験みたいな気がする。

千浦 「空耳アワード」や空耳アワーのベストがすぐ「おすすめ」に出てくんだよね。何度も観ちゃってるから。

一同 (笑) 

千浦 20歳ぐらいの頃、自分の好きなものについて、必死で情報収集してたじゃないですか。それが、今はめちゃめちゃ簡単にできる。すごく加速してるなあと思う一方、集中力は下がってる。

スズキ 千浦さんでもそう感じます?

千浦 感じますね。

市沢 それは、相当ですね。

スズキ だって千浦さんの集中力、日本のアベレージの何倍なんだ!?って僕らは思ってますよ。

千浦 そんなことない。ザルです、ザル。

スズキ でも、昔、梨元勝とかがやっていたことって、今「ニコニコ生放送」とか「ツイキャス」「ふわっち」とかで行われてることとそんなに変わらないかもしれない。「リア突」って言って、何かにアポなしで突撃していって警察沙汰になるみたいな生配信が、ガンガン上がってるし。かつてテレビは無茶苦茶してたけど、今はコンプライアンスでガチガチになってるから、場所がネットに移ってるだけで。初めて触れる人にとっては「新しい」んだろうけど、そうでない人には「新しい」わけではない気がします。

市沢 自分が若い頃に「新しい!」って思ったものって、実はそうだったのかなあ。

千浦 今の20代が40代になったら、今の僕らみたいに「ああ、それって昔のYouTubeみたいなもんだよね」っていう話をするんじゃないですか。

市沢 「新しいことを求めている」ということを、若い頃はあんまり言葉に出さなかった気がして。若い頃はむしろ、同時代を否定して、古いものに走ってた。平然と、何の躊躇もなく。

千浦 アテネとか法政で字幕のない16ミリフィルムの上映で『大砂塵』(1954)とか観てたんだ。

市沢 亀有名画座に曾根中生の特集を観に行ったりしてました。

スズキ それって僕とあんまり変わらないじゃないですか(笑)。僕も映画美学校の受講生だった頃、法政に行って、ジャン=クロード・ルソーの上映とか観てたし。当時のハリウッド映画は観てなかったですか。

市沢 あまのじゃくで、人が観てないものを観たいっていう人間だったので……

千浦 出た!サブカルクソ野郎! いや、もっと宮崎勤に近い感じか? あと、「おたく、最近何観た?」みたいな会話ばっかりする人!

スズキ 多分20代前半の子は何のことだかわからないですよ(笑)。

千浦 ひとつのことにハマってる奴はやばい、っていう認識がかつてあったんですよ。そういう人は犯罪でもするんじゃないかって思われてた時代があったんです。

市沢 昔持っててもよかったものが、今は持ってると逮捕されますからね。自分の中で一番大きかったのは、スコーピオンズの『ヴァージン・キラー』っていうアルバムですよ。ジャケット上に女の子の裸が描かれてて、今はもう画像加工をしないとネット上にすら出せないんですよね。


【2】
千浦 自分は70年代の半ば生まれで、80年代の記憶がふんだんにあるから、平成生まれとかほざいてる奴らに対して「俺らはほんとにワイルドな時代を生きてきたんだぜ」って言いたい。志村けんのバカ殿とかで、腰元役の女の人たちがおっぱいバンバン出してて、それが普通にテレビに流れてたんだから。

スズキ (笑)

市沢 80年代って、70年代と比べても野蛮だったじゃないですか。

千浦 浮かれてたね。

市沢 僕がよく見る80年代の衝撃映像は、パート1から4まであるんですけど。

スズキ (爆笑)

市沢 さっきの梨元勝とか、豊田商事事件とかを観てると、80年代の芸能リポーターの野蛮さが半端ないんですよ。人権とか、ないんだな!って思う。

スズキ YouTubeで映画を探ることはしないんですか。

市沢 しますよ。映画、どんどん上がるよね。

千浦 いろいろ観れるね。

スズキ スペイン語字幕がついた小津安二郎とか、平気で出てくる。北野武もほぼ上がってますよね。あと、今、YouTubeやVimeoでのオンライン試写とかあるじゃないですか。

千浦 ある。サンプルDVDを送るのが手間だったり、そのほうが費用がかかるからか、配給会社が限定公開のURLを、メールに貼り付けてくる。ここ2年くらいでVimeoとかむっちゃ観てる。

市沢 へええーー。

千浦 昔このビル(映画美学校のある渋谷円山町のキノハウス)の1階のカフェで僕がパソコンでDVDを観終えたところで、当時講師だった三宅隆太さんがいて、「千浦くん、今、『映画スタンド』使って観てた?」みたいなことを言うんですよ。『ジョジョの奇妙な冒険』における「スタンド」ね。いや、「スタンド」って言ったわけではないですけど、小さな画面で観た映画を、脳内でアンプリファイして大スクリーンに映し直して観る能力。「そうなんですよ、それ使わなきゃいけないんですよねー」「やっぱり、その能力持ってるんだ」みたいな話になりました。

一同 (笑)

千浦 妄想でそれぐらい没入して観るっていうことだけど、サイズ感に関しては訓練もある。映画館で働いていた時は、評を書く予定の映画のサンプルDVDを一度、誰もいない時に導入部だけスクリーンに映して観てましたね。人の顔がフルサイズで映った時とか、ロングで引いた時の映りやスケール感を、作り手はだいたい気にしていると思うけど、それを一応、正確に把握したいなと思ってるから。これは20年くらいやってる。

スズキ ホントに素晴らしい。こういう人だからこそ、映画を語った時に耳を傾けたいと思うんですよ。倍速とかで観ちゃダメですよ、市沢さん。

市沢 でもさ、倍速で観た方が面白い映画もあるじゃない(笑)。

スズキ それで言えば、黒沢清さんの『贖罪』を僕はWOWOWで観て、正直、あんまり乗れなかったんですよ。何に乗れなかったのか考えて、1.5倍速にして、音を消して、もう一度観たんです。そしたらすごく面白かった。

一同 へえー。

スズキ ひたすら画面構成と「動き=運動」を追っていたら、とてもいいサイレント映画だと思えたんですよ。加えて最近、間合いの長い芝居に耐えられなくなっていて。時代なのか、自分がせっかちになってるのか。YouTuberたちが作る、セリフ尻を細かくカットして喋る間を詰めまくった動画とか、Twitterの短い文章に触れる機会が多くなっているからか……逆に、デジタルになって誰でも簡単にムダに長回しも出来るようになったから、長尺のリズムもつかめなくなってきたのかなと思って、ちょっと不安で。間の善し悪しの把握がどうも……

千浦 わかるわかる。僕はこの間、今話題になっている、某『全員死刑』という映画を観に行ったんですけど。すごい、小ネタ大会でね。不良の実態とか、悪ぶった感じが楽しいんだけど、間が悪くて。それでなんか、痛感した。若い奴って、間が悪い。映画学校の学生が卒業制作の映画をなかなか切りたがらないみたいな。もしかしたらこっちがスレてきて、もっとしゃきしゃきした進行を求めすぎてるのかもしれないですけど。でもたぶん、小林勇貴監督にとっては、その間がすごく大事なんですよ。

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スズキ 小林監督のツイートが、リツイートだったり他の人のお気に入りになったりとかで、よく僕のタイムラインに出てくるんですけど、すごく聡明で頭のいい、戦略的に言葉を選んでる人だなって印象を受けます。不良っぽい、野卑なパワーだけで押し切るぜみたいなことは、全然感じないです。それでいて、もっとレベルの高い肝っ玉が座ってる感じもするし。人としての器が大きそうで凄いですよね。

千浦 いやあ、一度、講義に来てほしいですね。「不良映画術」。彼自身、地元の不良たちと映画を作るっていうところからスタートしている人だから、『全員死刑』に出てくる人たちってほんとにリアルで、いいんですよ。肉体労働の現場で、どんなに暑くても決して長袖を脱がない人とかほんとにいる。そういう知り合いがいない観客にとっては、すごく目新しい映画なんだと思う。小林さんの地元での産物を、都市部に輸出してきた感じの映画。

スズキ ああ、じゃあ、世に出始めた頃の「空族」の雰囲気に近いところがあるのか。

千浦 そうそう、富田克也さんとか相澤虎之助さんにも、そういう部分はあったと思う。でもね、あの2人の映画の間は、悪くないんですよ。富田氏はロマンとエモ、相澤氏は情報で、間が埋まってる。

スズキ 『全員死刑』は、実録映画なんですよね。

千浦 そうね。実際に起きた映画を元にしてる。

スズキ 芝居の間は? ナチュラルなんですか?

千浦 いや、ものすごくフィクショナル。戯画的に作ってある。

市沢 小林監督は、内藤(瑛亮)くんをリスペクトしているって聞いたんですけど。それまでの日本映画にあったのとは違うリズムでやっているのかもしれないですね。

千浦 話がずれるようで、つながってるとも思うんですけど、最近Twitterでよく見かける「古典知っとけよ問題」ってあるじゃないですか。

市沢 あー。「BRUTUS」でもこの間、特集してましたね。「今さら観てないなんて言えない映画」みたいな。

千浦 映画美学校では、古い映画は観ておけっていうスタンスがあるじゃないですか。でも忘れてはいけないのは、観たからといって、面白い映画が作れるようになるわけではない。……っていうことをね、ここで言っておきたい。

スズキ そうじゃなかったらこの学校、名監督しか輩出しないですよ(笑)。

市沢 たまに古典映画を観て、講師陣に語ってもらう機会があるんですけど、「ここはすごいけど、ここは古いよね」みたいなことを、高橋洋さんは普通に言うんですよ。「観た時は『すごい!』って思ったけど、今観ると、そうでもないね!」っていうことをちゃんと言う。名作と言われているものでも、古びていくものもあるんだなあと。

スズキ ちなみに今年、映画館で新作を観たんですか? 

市沢 観ましたよー。『ナミヤ雑貨店の奇蹟』。

千浦 見逃した……

——なぜ観たんですか。

市沢 廣木隆一さんが講義にいらしたので。

スズキ それ1本ですか。

千浦 それがそれだっていうのもすごいよねえ!

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市沢 ああ、あと、『風に濡れた女』も観た。年明けに。

千浦 去年12月封切りの作品じゃないですか(笑)。もうさ、次のステージに上がった方がいいよ。仕事上の要請で観るくらいだったらもうその映画を劇場で観たとか観てないとかを超越して「いつも見ていますよ!」「あなたのことを、トータルに!」って監督に言えばいい。蓮實重彦さんと松本正道さんがこういう感じなんじゃないかと思うんだけど。

スズキ 「トータルに」ってすげえな(笑)。

千浦 僕はね、試写を観終わったときに感想とか、なるべく軽率に、軽挙妄動で言っちゃいたいんだよね。Twitterとかでね。それが関係者の人に「いいね」されたりすると、それで僕の自己顕示欲は満たされるので、そこからまたさらに書く機会があるなら単品の文章として何か意味のあることや、もっと何かを書きたい。あとは、話とびますけど、世のアニメ原理主義者に毒を吐きながら生きていきたいですね。

スズキ (爆笑)

市沢 千浦さんはやっぱり、アニメってダメなんですか。

千浦 ダメですねえ。

スズキ 何が、ダメなんですか。

千浦 わからない。画面の情報量が少ないからか、目がデカイとか手足がバカ長いみたいなあるモードで描かれてる登場人物が人間に見えないからか……まあ、アニメが好きな人がダメなのかな。アニメだけが好きな人が、ダメ。実際に撮影してるだけという程度の生々しさにも耐えられない繊細な、偏向した実写嫌いの方が苦手。

市沢 昔よりも、嫌い度は高まってる?

千浦 高まってます。そういう方に「クズ!」って言われたりする機会も増えてますから。

市沢 なんか、そういうことを書き込む人って、どこにいるんですかね。リアルに会ったことがない。

千浦 B’zファンと同じだね。すごいヒットしてるけど、どこにいるんだ!っていう。

市沢 松尾スズキさんが言ってましたね。「B’zのCDを持ってる奴に会ったことがない」と。

千浦 でもそういうツッコミにさえ、いろんな矢が飛んでくる世の中ですから。

市沢 監視社会が完成されてきたよね。昔のSFに描かれてたみたいな、上から押さえつけられてる監視社会じゃなくて、みんなが互いを監視しあってるっていう。

千浦 SNSって、他人にツッコミを入れやすいじゃないですか。警告的な何かを表明する人に対して、それをみんなで叩いて押さえ込むみたいな。「まだ何事も起きていない、これでいいんだ」っていうところに、前もってみんなが従おうとしているっていうさ。

スズキ もろ、そうですね。脚本を書く時もそうです。「どうせ通らないよ」ってなったら、所詮お仕事なのでムダな労力を掛けたくないからと、どんなに面白いネタだと思ってもそもそも書かなくなるみたいなんです。前もって危険回避するようになる。その極めつけが、コンプライアンスとスポンサー様とのお付き合い。某局のTVドラマでは、歩きながら携帯で話す、歩きスマホをする、っていう描写すらできないそうで。別の某局の事件モノのドラマでは、スポンサーに自動車会社が入っているから、交通事故やひき逃げ事件などは原則扱えないと教えを受けました。

千浦 アルトマンの『ロング・グッドバイ』で、エリオット・グールドが警察に捕まって、留置所に入ったら、二段ベッドの下にデビッド・キャラダインがいるのね。「なんで捕まった?」とかどうでもいい会話をするんだけど、キャラダインが「もう今は何を持ってても捕まる。そのうち、鼻を持ってるだけで捕まるよ」って言ってて。

一同 (笑)

千浦 それと同じようなことが起きてるね。なんでそこで、携帯の会社と車の会社は、歩きスマホしてる奴らがバンバン車にはねられるっていうドラマを製作して警鐘を鳴らさないのか!

市沢 それってさ、映画史的な話でいうと、ヘイズ・コード(※1934年から実施された、アメリカ映画の検閲制度)ってあったじゃないですか。「同じベッドに入っちゃダメ」とか「キスシーンはどこまで」とか。あれって完全に自主規制ですよね。映画界でやばいことが続けて起きたから、社会から映画界を守るために、自分たちでコードを決めた。

千浦 そこでよく言われるのは、そのコードをかいくぐるために、洗練された描写のラブ・ロマンスやスクリューボール・コメディが生まれたっていうことですよね。

市沢 そういうことに、今のドラマや映画界は、ならないんでしょうか。

スズキ あまりにも馬鹿げてるじゃないですか。子供に悪影響がある!とクレームが来るかもしれない、それを回避したいから「歩きスマホ」を画面に映せないなんて。その中で作り手の皆さんは試行錯誤しておられるんだと思うんですけど、そんなくだらないゴミみたいなことにあなたたちの才能や能力を使わなくていいです!って言いたい。

市沢 ああーー。逆に言うと、どんどん規制されていくと、それをやっただけで「表現」として見られるってことですかね。歩きスマホを映しただけで、……

千浦 「おい……歩きスマホしてるよ!ヤベぇ!」とか、「乳首も見せて全裸でラブシーンしてる!こんなの観ただけで妊娠しちゃうよ!」とか。

一同 (笑)

千浦 逆に、歩きスマホしようとするたびに必ず邪魔が入り続けるというギャグだけを延々とやるとか。

一同 (爆笑)
(続く)


【3】
——シンスケくんが持ってきたリストに、千浦さんも観てるのはありますか?

スズキ 『ワイルド・スピード』については映画B学校で取り上げてましたもんね。『ドリーム』観ましたか千浦さん。原題は『Hidden Figures』で、簡潔だし物語とも密接に関わる良いタイトルなのに、なんでこんなカスみたいな邦題にするんだ!って思ったんですけど。観ましたか!?

千浦 観てない!見逃した!(伝え聞いただけの名場面を想像で演じて、どんな場面だったかをスズキ氏に確認)

スズキ 素晴らしいですよ。『ドリーム』、素晴らしいです。(市沢にも)素晴らしいですよ!

市沢 わかりました(笑)。

スズキ これは僕が自発的に観たかったわけじゃなくて、たまたま連れと観たんですけど、でも素晴らしかったです『ドリーム』。ほんとに。

市沢 『ローガン』はどうだったんですか。予告編を観たら、アメコミの皮をかぶったロードムービーなんじゃないかって思ったんですけど。

スズキ そうですそうです。監督はジェームズ・マンゴールドですし、撮りたかったのはバトルではなくロードムービーの部分だと感じました。でもアクションシーン含め、泣きました。太った子供がバトル中に歩いているカットだけで泣きました。

千浦 人生下り坂の皮をかぶった狼男による、アメコミの皮をかぶったニューシネマ、みたいな。そして介護の苦労と、『シェーン』。

スズキ それを平然と、この規模でやるっていうことには、リスペクトしかないんですけれども。『ブレードランナー2049』は?

千浦 観ました観ました。

スズキ 市沢さんは?

市沢 あれでしょ、最後、馬がばーーっと走るやつでしょ。ディレクターズ・カット版。

千浦 その前は?

市沢 その前はあれでしょ、ディレクターズ・カット版より良かったやつでしょ。

千浦 おいおい、テキトーか!今回『〜2049』は、ディレクターズ・カット版が、なかったことになってるなあと思った。『〜2049』を観たら、ハリソン・フォードが人間であることは疑いないじゃん。そしたら我々が90年代に見せられた、ユニコーンが走ってるのとか、なかったことになってるじゃん!って。どうせ何言っても既出でしょうが、子ども時代に隠したおもちゃを出してくるところはニコラス・レイ、ロバート・ミッチャムの『ラスティ・メン 死のロデオ』に似て美しいなと思いましたが。まあ、やや壮大で深遠さもある題材を、すっきりしたSFミステリーの語り口でやってて面白かった。

市沢 あと、『あゝ、荒野』はよかったですよ。

千浦 菅田将暉って初期主演作の一本が『共喰い』(2013)だし、『ディストラクション・ベイビーズ』(2016)ではっきりしたけど、悪い役とか荒れることを喜んでやる人なんだね。

市沢 ああ。喜々としてやってる感じはすごくする。

千浦 菅田将暉を目当てに、若い子が『あゝ、荒野』を観に行ってると思うと、ありがたいなあって思いますよね。日本映画界のために。ちゃんと乳首出ますし。

市沢 ちゃんとね。わりとがっつり。

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——『火花』を観た人はいますか。

一同 ……。

千浦 まだ観てない(この翌日観ました)……あれですよね、菅田将暉と、桐谷健太ですよね。桐谷さんは入江悠監督の『ビジランテ』も非常に良かったですよ。あの作品は、入江氏の映画で一番良かったと思う。

——他に、何か語っておきたいトピックはありますか。

千浦 なんかね、「言いたい人」っているじゃないですか。そういうふうに、何かに便乗したい人と、「私の大好きなあれをクサすなんて許さない!」みたいな人ばかりが、SNS上で際立って見えるんですよね。

——この間「FNS歌謡祭」を観たら、あるアイドルさんの出演中の態度についてTwitterが炎上していて。「アイドルとしてなってない!」とか「大好きな○○ちゃんを責めないで!」とか。

千浦 だからさー、消費者として完成しすぎなんだって! 一億総仕上がりすぎ!

スズキ ああ、いい言葉ですね。「消費者として完成しすぎ」。

千浦 「今日は○○フェスに参加してきました」、「握手会に参加してきました」。参加っつったって、おめーはただの客だよ、っていう。

一同 ああーーー!

スズキ わかる。すごくわかります。いいじゃないですかね、「ただの客」という立場だけじゃ何か不満なのかなぁ。出演者や裏方だけがエラいわけでもないのに。

千浦 平然と享受すればいいのに、なんだろう、ネットで何かすることと差別化したいのか、主体性は盛る時代になった。お互い、サービスが飽和状態なんです。する側も、受ける側も。もちろん自分も含めて、そういうところに小銭使うしか、生きてく楽しみがないのは事実なんだけど。映画っていうのは安上がりだし、相手がまずは生身じゃないのがものすごくいいんだけど。

市沢 何だろう、娯楽の幅が狭まってるんですかね。「楽しみ方」が窮屈になってるのか。これ、20年ぐらい経ったらどうなるんだろう。

千浦 数ヶ月まえに長年使ってたガラケーがぶっ壊れて、やっとこさスマホにしてそこで痛感したのが、世の中のすべてのことが、モノを売りつけられるためのツールと、金を搾り取るシステムにすぎない、ってすごく感じる。SNSを見てても、勝手に上がってくる広告がいっぱいあるじゃないですか。その中から、自分が欲しい情報を選択していくわけだから、どんどん視野が狭くなるというか。ジョージ・オーウェルの『1984年』のビッグ・ブラザーみたいな、圧倒的な支配者がいるわけじゃないんですよ。なんとなく、そういうことになっていく。そして、どんどん、みんな、御しやすいというか御されやすい人間になっていってるなと思って。

一同 うーーん。

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千浦 年配の人を老害と呼んだり、団塊の世代ディスみたいなものも普通に横行してますけど、そこに非難がましくなることによって、自分たち個々人の意志を出さないようになってるじゃないですか。「空気を読む」っていうのも最近の流行でしょ。空気読んでたら、映画なんて作れないし、何にも言えないですよね。

スズキ みんなTwitterを、簡単に相手に話しかけられるメアドみたいに思ってますよね。

千浦 テレビ観ながら「んなわけねーよ!」ってツッコミを入れる場所みたいになってる。その向こう側に人がいるとか、あんまり考えてない感じ。僕は、生活者としての自分自身とは切り離してTwitterをしているので、わりと自由な物言いをしてるんだけど、逆にこっちから「いいね」や「リツイート」をしたら、相手をびっくりさせそうだからしないほうがいいな、みたいな気遣いが生まれますよね。

——昔はどうしていたんでしょう。何か言いたい、人にツッコミを入れたい人たちは。

千浦 文学。

市沢 日記?(笑)

スズキ 交換日記。

市沢 でも基本的には、自分の中で思ってるだけじゃなかったですか。てことは、今の人たちは、溜め込んでないってことなのかな。ルサンチマンを。

千浦 それもつまんねーなー!

市沢 溜めに溜めた結果、すごい形にひんまがって、何か面白いものが生まれたりしていたでしょう。

——最近の受講生はどうなんですか。

スズキ ここに集まってくる人たちは、ある種、特殊階級ですからね(笑)。別にこの学校がナンバー1だなんて思ったことは一度もないですけど、場や環境を選ぶ意志という点で、言い方があれですけど、映画美学校を選べる時点で、なかなかだな!って思う。

市沢 ただ、今年は「人生、このままでいいのかなと思って入りました」っていう人が何人かいたのが印象的だった。

スズキ 悲壮な決意なんですか。それとも、もっとライトな?

市沢 ライトな人ももちろんいます。でもそういう人の言葉って、自分としては気になるじゃないですか。だからつい目が行っちゃうんですけど。

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スズキ いろんな人がいますよね。映画しかない!っていう人だけじゃなくて、どんな理由やきっかけであれ、ここにやって来た人たちというのは、みんな何か持っているんじゃないかとすら思いますもん。むしろそういう人たちの方が大成したりするし。修了制作が選考制だった頃も、選考されなかった人たちが今、活躍されてたりするじゃないですか。

市沢 富田克也監督(フィクション・コース初等科第1期生)も、深田晃司監督(フィクション・コース初等科・高等科第3期生)も、当時の修了制作監督には選ばれていないです。富田さんには聞いていないですが、おそらくそこで溜め込んだ思いというものがあって、『雲の上』『国道20号線』と繋がっていったんじゃないかと思う。深田くんは選ばれなかったことが原動力になって今に至るって公言していますね。

千浦 「映画芸術」で、高橋洋さんの2016年の邦画ベスト2が『シン・ゴジラ』と『淵に立つ』でしたよ。

市沢 それ、めっちゃくちゃうれしかったと思う。めっっっちゃくちゃうれしかったと思いますよ!

千浦 なんか、あれだね。グラフ化するといいかもね。修了制作に選ばれた人と、そうでなかった人のその後を。

市沢 僕は子どもが育ったら言ってやりたいんです。「続ける」ことが一番必要な才能だって。どんな天才でも、続けることができなかったらそれで終わりだと思うんです。「こいつ、才能あるな!」って人は山ほどいましたけど、続けることができてる人はそんなに多くない。お前が言うなという話かもしれないけどね。もちろん、それだけでなんとかなる世界じゃないけど、でも「続ける」ってことができるかどうかは一番重要なんじゃないかと、今は思うんですよね。

スズキ 僕は今年、事務局を半年以上離れて、ある超売れっ子脚本家のアシスタントについてたんですね。ただのアシスタントの状態であれば、バイトの延長みたいな気楽さがあったんですが、色々とタイミングも重なって、賞を取った自分の脚本を読みたいという流れになって「メジャーの世界で売れて下さい」と言われ、ある作品ではアシスタントを超えて共同脚本にまで引き上げてもらったんです。その時、改めて「やっぱりこの方の下につくということはバイトなんかではなくて「売れ線」になるということだ」という覚悟のもとに踏み出したんです。その方は、技術もすごいし、しゃべりも上手いし、売れて当然だなと思いました。本当に優しい方で、それが高じてか「着る服を変えた方がいい」「ストイックさも必要だから運動したら」とかアドバイスもくれて、「下についているんだから洗脳されなきゃダメなんだ」と全部従いました。でも決定的だったのは、その人と共同で作っている「商業作品」への愛を、僕は持てなかったんです。自分はそれを面白いとは思えなかったので「お金を稼ぐためのお仕事だとしても、これを世に出して俺は恥ずかしくないのか?」と。そんな想いの中、面白いと思えないものを書いて、監督やプロデューサーとホン打ちをして、直しの指示をもらってまた書いてを繰り返す、さらにお金のために別の仕事もするという3時間睡眠の生活をしてて、ある日、何を書くべきか、どこをどう直すべきか、セリフまで頭では具体的に思いついてるのに、朝8時に喫茶店に来て、PCの前で指が動かないまま、ひと文字も書けず9時間も経った日があったんです(笑)。まぁ駆け出しの脚本家によくある話ですが、体が拒否してたんですよ。さすがにヤバいと思って病院に行ったらドクターストップの診断書が出て(笑)、書いている作品からも降板させてほしい、そんな状態でアシスタントだけを続けるのも申し訳ないから辞めさせてほしいと一方的に伝え、それっきりです。不義理を重ねて飛んだも同然です。だから、こんな俺が、メジャーの世界で売れるわけがない、もう脚本は続けられないなと思いましたよ。

市沢 メジャーのエンターテイメントをやってやるぜ!みたいな気概はあったの? つまり、そういう気概を持って飛び込んだものの、創作とは別のところで疲弊してしまった作り手を、何人か知っているので。今ここでみんなが問題視しているこのハードルって、もの作りに必要なことではないだろ??っていうさ。そこについて鈍感だったりタフだったりする人が、生き残っていくのかなあ。

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スズキ 昔の作り手は、もっとやくざなしがらみがあったと思うんですよ。だから自分はそれを言い訳にしていいのか?っていうところですごく悩みました。昔の人はもっと辛かったはずだ、今の時代だって、自分の大切な友人にも監督や脚本家、技術スタッフとして心を病みながら活動を続けている人がいるし、先輩たちも本当に冗談じゃなく身も心も削りながらメジャーの世界で闘いを続けている、とか。ハリウッドにだって規制はあるんだし、とか。しかしですね、芸能界の都合で執筆のスケジュールが大変更させられたり、「共同脚本」としてクレジットされる予定だったものが事務所の意向で「脚本協力」にまで降格させられることになり、最終的には部分的に一切クレジットすらされなかったのを知った時に、将来自分の好きな物が書けるようになるまで雌伏する、カネや地位や名誉を得るために耐える、こうした機会を設けてくれた大センセイのために義理を果たす、というような想いは消えて、「テメーら全員ぶっつぶす!」っていう反骨心よりも先に、ここにいるくらいならリアルに自分が死んだ方が楽になると思いました。もっとゲスに「すげー! 俺、有名人の仕事できてるー!」「俺、みなさんご存知のあの作品の脚本書いたんですよ!」みたいなミーハーさがもっとあればよかった……って、やっぱり言い訳なんですけど。

千浦 僕はね、ある政治団体の会報を作っていた時期があるんだけど、やっぱり、手が動かない感じがありましたよ。でも、アメリカのエンターテイメント小説で成功している作家の回顧とかを読むと、「ものを書いてお金をもらえる仕事なんてそうそうないから、これは本当の自分じゃない、などと贅沢は言わずに辛抱しろ」っていうのはよく書いてあるのね。幾人ものひとが同じようなことを言ってる。でもこれは、人によるし、場合にもよる。そこで頑張り続けることで、決定的な何かを失う人もいるかもしれない。

市沢 うーん。

千浦 一方で、創作活動とはまるで直結していないこととの関わりをこなしていくことで、器を広げていく人もいるんだよね。深田さんとか、富田さんとか、いろんな人と出会っていく中で、どんな人を相手にしても座持ちがする男に成長していて。小林勇貴さんも、まさに今、器を広げつつあるんだろうなと思うんです。本人のノリと成長が合致している感じがする。いいサイクルに入ると、やることが全部自分のやりたいことのための力に結びついてくる。まったく同じ動き方ではないけど、そういう意志と機会のまわりかたは、映画つくって伸していくひとたちを見ていてよく目撃した。

市沢 たしかに、みんなに通用するノウハウとかじゃなくて、その人の縁とタイミングで広がっていく人たちを、何人も見てきた気がしますね。

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スズキ 自分にも社会的に決定的な縁とタイミングは、これまでいくつかあったと思います。その度に、自分からその縁を切ってきたというか、嫌気がさして何度も逃げてきましたし、今回の縁とタイミングが「多分ラストチャンスだな」と連れにも話していましたが、また同じことを繰り返しました(笑)。その程度の器だったし、広げられませんでした。同時に、その程度の縁だったのかなぁとも思います。間章が言うところの「会うべきものはいずれ会う」の「会うべきもの」に合致しなかっただけかなぁと都合良く解釈しています。だって俺には無理なんですもん(笑)。あんなムダな不条理、耐えられないし、そもそも耐える必要がないとしか思えない。不条理を耐えた先にある世界に行くことより、自分の想いを大切にしたくなりましたし。だから、悲壮なる決意を持ってJポップの世界に行って、ボロボロになって、またこうやってフラフラと出戻っているってことは、やっぱり市沢さんや千浦さんのような人が、自分にとっての「あうべきもの」だったってことなんですかね。自分が心から好きだと思えないもの、良いと思えないものとは、どんなニンジンが目の前にぶら下がってても、僕は関係を続けられないんです。それによって生じる様々な不利益や不遇からは決して逃げられないと肝に銘じて、これからも生きていくしかないですね。「それは言い訳や強がりじゃないのか?」という心の声はもう聞こえてこないですし、もし本当に自分とJポップの世界に縁があったとすれば、またいつか引き戻されるんじゃないんですかねぇ。
(2017/12/23)