「市沢紳介」に「千浦」が入ると、もっとマニアックな映画談義になるんだと思っていた。でも全然違った。3人のおっさんたちは、顔を突き合わせて「今」を考えている。そしてスズキシンスケというひとりの作り手が、今、立っている局面についても。生きていれば、人は、変わりゆく。自分を責めたり、尖ったり。そういう大切な局員の大切な変わり目を、こうして記録できただけでも、「映画B学校」の2017年はいい年だった。来年もよろしくお願いいたします。

IMG_2698


——シンスケくんが持ってきたリストに、千浦さんも観てるのはありますか?

スズキ 『ワイルド・スピード』については映画B学校で取り上げてましたもんね。『ドリーム』観ましたか千浦さん。原題は『Hidden Figures』で、簡潔だし物語とも密接に関わる良いタイトルなのに、なんでこんなカスみたいな邦題にするんだ!って思ったんですけど。観ましたか!?

千浦 観てない!見逃した!(伝え聞いただけの名場面を想像で演じて、どんな場面だったかをスズキ氏に確認)

スズキ 素晴らしいですよ。『ドリーム』、素晴らしいです。(市沢にも)素晴らしいですよ!

市沢 わかりました(笑)。

スズキ これは僕が自発的に観たかったわけじゃなくて、たまたま連れと観たんですけど、でも素晴らしかったです『ドリーム』。ほんとに。

市沢 『ローガン』はどうだったんですか。予告編を観たら、アメコミの皮をかぶったロードムービーなんじゃないかって思ったんですけど。

スズキ そうですそうです。監督はジェームズ・マンゴールドですし、撮りたかったのはバトルではなくロードムービーの部分だと感じました。でもアクションシーン含め、泣きました。太った子供がバトル中に歩いているカットだけで泣きました。

千浦 人生下り坂の皮をかぶった狼男による、アメコミの皮をかぶったニューシネマ、みたいな。そして介護の苦労と、『シェーン』。

スズキ それを平然と、この規模でやるっていうことには、リスペクトしかないんですけれども。『ブレードランナー2049』は?

千浦 観ました観ました。

スズキ 市沢さんは?

市沢 あれでしょ、最後、馬がばーーっと走るやつでしょ。ディレクターズ・カット版。

千浦 その前は?

市沢 その前はあれでしょ、ディレクターズ・カット版より良かったやつでしょ。

千浦 おいおい、テキトーか!今回『〜2049』は、ディレクターズ・カット版が、なかったことになってるなあと思った。『〜2049』を観たら、ハリソン・フォードが人間であることは疑いないじゃん。そしたら我々が90年代に見せられた、ユニコーンが走ってるのとか、なかったことになってるじゃん!って。どうせ何言っても既出でしょうが、子ども時代に隠したおもちゃを出してくるところはニコラス・レイ、ロバート・ミッチャムの『ラスティ・メン 死のロデオ』に似て美しいなと思いましたが。まあ、やや壮大で深遠さもある題材を、すっきりしたSFミステリーの語り口でやってて面白かった。

市沢 あと、『あゝ、荒野』はよかったですよ。

千浦 菅田将暉って初期主演作の一本が『共喰い』(2013)だし、『ディストラクション・ベイビーズ』(2016)ではっきりしたけど、悪い役とか荒れることを喜んでやる人なんだね。

市沢 ああ。喜々としてやってる感じはすごくする。

千浦 菅田将暉を目当てに、若い子が『あゝ、荒野』を観に行ってると思うと、ありがたいなあって思いますよね。日本映画界のために。ちゃんと乳首出ますし。

市沢 ちゃんとね。わりとがっつり。

市沢1
——『火花』を観た人はいますか。

一同 ……。

千浦 まだ観てない(この翌日観ました)……あれですよね、菅田将暉と、桐谷健太ですよね。桐谷さんは入江悠監督の『ビジランテ』も非常に良かったですよ。あの作品は、入江氏の映画で一番良かったと思う。

——他に、何か語っておきたいトピックはありますか。

千浦 なんかね、「言いたい人」っているじゃないですか。そういうふうに、何かに便乗したい人と、「私の大好きなあれをクサすなんて許さない!」みたいな人ばかりが、SNS上で際立って見えるんですよね。

——この間「FNS歌謡祭」を観たら、あるアイドルさんの出演中の態度についてTwitterが炎上していて。「アイドルとしてなってない!」とか「大好きな○○ちゃんを責めないで!」とか。

千浦 だからさー、消費者として完成しすぎなんだって! 一億総仕上がりすぎ!

スズキ ああ、いい言葉ですね。「消費者として完成しすぎ」。

千浦 「今日は○○フェスに参加してきました」、「握手会に参加してきました」。参加っつったって、おめーはただの客だよ、っていう。

一同 ああーーー!

スズキ わかる。すごくわかります。いいじゃないですかね、「ただの客」という立場だけじゃ何か不満なのかなぁ。出演者や裏方だけがエラいわけでもないのに。

千浦 平然と享受すればいいのに、なんだろう、ネットで何かすることと差別化したいのか、主体性は盛る時代になった。お互い、サービスが飽和状態なんです。する側も、受ける側も。もちろん自分も含めて、そういうところに小銭使うしか、生きてく楽しみがないのは事実なんだけど。映画っていうのは安上がりだし、相手がまずは生身じゃないのがものすごくいいんだけど。

市沢 何だろう、娯楽の幅が狭まってるんですかね。「楽しみ方」が窮屈になってるのか。これ、20年ぐらい経ったらどうなるんだろう。

千浦 数ヶ月まえに長年使ってたガラケーがぶっ壊れて、やっとこさスマホにしてそこで痛感したのが、世の中のすべてのことが、モノを売りつけられるためのツールと、金を搾り取るシステムにすぎない、ってすごく感じる。SNSを見てても、勝手に上がってくる広告がいっぱいあるじゃないですか。その中から、自分が欲しい情報を選択していくわけだから、どんどん視野が狭くなるというか。ジョージ・オーウェルの『1984年』のビッグ・ブラザーみたいな、圧倒的な支配者がいるわけじゃないんですよ。なんとなく、そういうことになっていく。そして、どんどん、みんな、御しやすいというか御されやすい人間になっていってるなと思って。

一同 うーーん。

IMG_0373
千浦 年配の人を老害と呼んだり、団塊の世代ディスみたいなものも普通に横行してますけど、そこに非難がましくなることによって、自分たち個々人の意志を出さないようになってるじゃないですか。「空気を読む」っていうのも最近の流行でしょ。空気読んでたら、映画なんて作れないし、何にも言えないですよね。

スズキ みんなTwitterを、簡単に相手に話しかけられるメアドみたいに思ってますよね。

千浦 テレビ観ながら「んなわけねーよ!」ってツッコミを入れる場所みたいになってる。その向こう側に人がいるとか、あんまり考えてない感じ。僕は、生活者としての自分自身とは切り離してTwitterをしているので、わりと自由な物言いをしてるんだけど、逆にこっちから「いいね」や「リツイート」をしたら、相手をびっくりさせそうだからしないほうがいいな、みたいな気遣いが生まれますよね。

——昔はどうしていたんでしょう。何か言いたい、人にツッコミを入れたい人たちは。

千浦 文学。

市沢 日記?(笑)

スズキ 交換日記。

市沢 でも基本的には、自分の中で思ってるだけじゃなかったですか。てことは、今の人たちは、溜め込んでないってことなのかな。ルサンチマンを。

千浦 それもつまんねーなー!

市沢 溜めに溜めた結果、すごい形にひんまがって、何か面白いものが生まれたりしていたでしょう。

——最近の受講生はどうなんですか。

スズキ ここに集まってくる人たちは、ある種、特殊階級ですからね(笑)。別にこの学校がナンバー1だなんて思ったことは一度もないですけど、場や環境を選ぶ意志という点で、言い方があれですけど、映画美学校を選べる時点で、なかなかだな!って思う。

市沢 ただ、今年は「人生、このままでいいのかなと思って入りました」っていう人が何人かいたのが印象的だった。

スズキ 悲壮な決意なんですか。それとも、もっとライトな?

市沢 ライトな人ももちろんいます。でもそういう人の言葉って、自分としては気になるじゃないですか。だからつい目が行っちゃうんですけど。

2人2
スズキ いろんな人がいますよね。映画しかない!っていう人だけじゃなくて、どんな理由やきっかけであれ、ここにやって来た人たちというのは、みんな何か持っているんじゃないかとすら思いますもん。むしろそういう人たちの方が大成したりするし。修了制作が選考制だった頃も、選考されなかった人たちが今、活躍されてたりするじゃないですか。

市沢 富田克也監督(フィクション・コース初等科第1期生)も、深田晃司監督(フィクション・コース初等科・高等科第3期生)も、当時の修了制作監督には選ばれていないです。富田さんには聞いていないですが、おそらくそこで溜め込んだ思いというものがあって、『雲の上』『国道20号線』と繋がっていったんじゃないかと思う。深田くんは選ばれなかったことが原動力になって今に至るって公言していますね。

千浦 「映画芸術」で、高橋洋さんの2016年の邦画ベスト2が『シン・ゴジラ』と『淵に立つ』でしたよ。

市沢 それ、めっちゃくちゃうれしかったと思う。めっっっちゃくちゃうれしかったと思いますよ!

千浦 なんか、あれだね。グラフ化するといいかもね。修了制作に選ばれた人と、そうでなかった人のその後を。

市沢 僕は子どもが育ったら言ってやりたいんです。「続ける」ことが一番必要な才能だって。どんな天才でも、続けることができなかったらそれで終わりだと思うんです。「こいつ、才能あるな!」って人は山ほどいましたけど、続けることができてる人はそんなに多くない。お前が言うなという話かもしれないけどね。もちろん、それだけでなんとかなる世界じゃないけど、でも「続ける」ってことができるかどうかは一番重要なんじゃないかと、今は思うんですよね。

スズキ 僕は今年、事務局を半年以上離れて、ある超売れっ子脚本家のアシスタントについてたんですね。ただのアシスタントの状態であれば、バイトの延長みたいな気楽さがあったんですが、色々とタイミングも重なって、賞を取った自分の脚本を読みたいという流れになって「メジャーの世界で売れて下さい」と言われ、ある作品ではアシスタントを超えて共同脚本にまで引き上げてもらったんです。その時、改めて「やっぱりこの方の下につくということはバイトなんかではなくて「売れ線」になるということだ」という覚悟のもとに踏み出したんです。その方は、技術もすごいし、しゃべりも上手いし、売れて当然だなと思いました。本当に優しい方で、それが高じてか「着る服を変えた方がいい」「ストイックさも必要だから運動したら」とかアドバイスもくれて、「下についているんだから洗脳されなきゃダメなんだ」と全部従いました。でも決定的だったのは、その人と共同で作っている「商業作品」への愛を、僕は持てなかったんです。自分はそれを面白いとは思えなかったので「お金を稼ぐためのお仕事だとしても、これを世に出して俺は恥ずかしくないのか?」と。そんな想いの中、面白いと思えないものを書いて、監督やプロデューサーとホン打ちをして、直しの指示をもらってまた書いてを繰り返す、さらにお金のために別の仕事もするという3時間睡眠の生活をしてて、ある日、何を書くべきか、どこをどう直すべきか、セリフまで頭では具体的に思いついてるのに、朝8時に喫茶店に来て、PCの前で指が動かないまま、ひと文字も書けず9時間も経った日があったんです(笑)。まぁ駆け出しの脚本家によくある話ですが、体が拒否してたんですよ。さすがにヤバいと思って病院に行ったらドクターストップの診断書が出て(笑)、書いている作品からも降板させてほしい、そんな状態でアシスタントだけを続けるのも申し訳ないから辞めさせてほしいと一方的に伝え、それっきりです。不義理を重ねて飛んだも同然です。だから、こんな俺が、メジャーの世界で売れるわけがない、もう脚本は続けられないなと思いましたよ。

市沢 メジャーのエンターテイメントをやってやるぜ!みたいな気概はあったの? つまり、そういう気概を持って飛び込んだものの、創作とは別のところで疲弊してしまった作り手を、何人か知っているので。今ここでみんなが問題視しているこのハードルって、もの作りに必要なことではないだろ??っていうさ。そこについて鈍感だったりタフだったりする人が、生き残っていくのかなあ。

3人1
スズキ 昔の作り手は、もっとやくざなしがらみがあったと思うんですよ。だから自分はそれを言い訳にしていいのか?っていうところですごく悩みました。昔の人はもっと辛かったはずだ、今の時代だって、自分の大切な友人にも監督や脚本家、技術スタッフとして心を病みながら活動を続けている人がいるし、先輩たちも本当に冗談じゃなく身も心も削りながらメジャーの世界で闘いを続けている、とか。ハリウッドにだって規制はあるんだし、とか。しかしですね、芸能界の都合で執筆のスケジュールが大変更させられたり、「共同脚本」としてクレジットされる予定だったものが事務所の意向で「脚本協力」にまで降格させられることになり、最終的には部分的に一切クレジットすらされなかったのを知った時に、将来自分の好きな物が書けるようになるまで雌伏する、カネや地位や名誉を得るために耐える、こうした機会を設けてくれた大センセイのために義理を果たす、というような想いは消えて、「テメーら全員ぶっつぶす!」っていう反骨心よりも先に、ここにいるくらいならリアルに自分が死んだ方が楽になると思いました。もっとゲスに「すげー! 俺、有名人の仕事できてるー!」「俺、みなさんご存知のあの作品の脚本書いたんですよ!」みたいなミーハーさがもっとあればよかった……って、やっぱり言い訳なんですけど。

千浦 僕はね、ある政治団体の会報を作っていた時期があるんだけど、やっぱり、手が動かない感じがありましたよ。でも、アメリカのエンターテイメント小説で成功している作家の回顧とかを読むと、「ものを書いてお金をもらえる仕事なんてそうそうないから、これは本当の自分じゃない、などと贅沢は言わずに辛抱しろ」っていうのはよく書いてあるのね。幾人ものひとが同じようなことを言ってる。でもこれは、人によるし、場合にもよる。そこで頑張り続けることで、決定的な何かを失う人もいるかもしれない。

市沢 うーん。

千浦 一方で、創作活動とはまるで直結していないこととの関わりをこなしていくことで、器を広げていく人もいるんだよね。深田さんとか、富田さんとか、いろんな人と出会っていく中で、どんな人を相手にしても座持ちがする男に成長していて。小林勇貴さんも、まさに今、器を広げつつあるんだろうなと思うんです。本人のノリと成長が合致している感じがする。いいサイクルに入ると、やることが全部自分のやりたいことのための力に結びついてくる。まったく同じ動き方ではないけど、そういう意志と機会のまわりかたは、映画つくって伸していくひとたちを見ていてよく目撃した。

市沢 たしかに、みんなに通用するノウハウとかじゃなくて、その人の縁とタイミングで広がっていく人たちを、何人も見てきた気がしますね。

IMG_0361
スズキ 自分にも社会的に決定的な縁とタイミングは、これまでいくつかあったと思います。その度に、自分からその縁を切ってきたというか、嫌気がさして何度も逃げてきましたし、今回の縁とタイミングが「多分ラストチャンスだな」と連れにも話していましたが、また同じことを繰り返しました(笑)。その程度の器だったし、広げられませんでした。同時に、その程度の縁だったのかなぁとも思います。間章が言うところの「会うべきものはいずれ会う」の「会うべきもの」に合致しなかっただけかなぁと都合良く解釈しています。だって俺には無理なんですもん(笑)。あんなムダな不条理、耐えられないし、そもそも耐える必要がないとしか思えない。不条理を耐えた先にある世界に行くことより、自分の想いを大切にしたくなりましたし。だから、悲壮なる決意を持ってJポップの世界に行って、ボロボロになって、またこうやってフラフラと出戻っているってことは、やっぱり市沢さんや千浦さんのような人が、自分にとっての「あうべきもの」だったってことなんですかね。自分が心から好きだと思えないもの、良いと思えないものとは、どんなニンジンが目の前にぶら下がってても、僕は関係を続けられないんです。それによって生じる様々な不利益や不遇からは決して逃げられないと肝に銘じて、これからも生きていくしかないですね。「それは言い訳や強がりじゃないのか?」という心の声はもう聞こえてこないですし、もし本当に自分とJポップの世界に縁があったとすれば、またいつか引き戻されるんじゃないんですかねぇ。
(2017/12/23)