【1】
社会現象、なのだそうだ。聞くところによると、「ミュージシャン」の「伝記映画」が「右肩上がりの興収」を記録していることは「異例」なのだという。じゃあ、その異例に乗っかってしまおう。誰か、『ボヘミアン・ラプソディ』について語りませんか! そう持ちかけたら、千浦僚が、フレディ服で現れた。なるほど。これは、祭りだ。(ネタバレしまくりです!ご注意ください)

QcjrNlkjSwKbNDGFzVlDMg

千浦僚
映写技師。映画記事ライター。1975年生まれ。高校のときALTのインド系アメリカ人のおねえちゃんと仲良くなってニルヴァーナの話をしたりグレッグ・アラキの映画を観にいったりした。そのひとはシーク教徒で教義のため髪を切ったことがないそうで超ロングヘアでニルヴァーナやダイナソーJrが好きだった。

市沢真吾
映画美学校事務局。楽器が弾けないのに高校時代はHR/HM系のコピーバンド(ボーカル)、大学時代はスーサイドみたいな二人組ユニット(サンプラー担当)をやってました。

大畑創
監督作『大拳銃』や『へんげ』など。連ドラ『拝み屋怪談』が最新作。音楽はやる側ではなく聴く側。かつてはライブやクラブやフェスなど行ってた。

内藤瑛亮
映画監督。1982年生まれ。代表作『先生を流産させる会』『ミスミソウ』など。最新作『許された子どもたち』仕上げ中。中高生の頃はマリリン・マンソンとナイン・インチ・ネイルズをよく聴いてました。



内藤 僕は2回観たんですけど、明らかにクイーン世代ではないような、若いお客さんを見かけましたね。

大畑 僕は、立川の極音上映で観たんですけど、ほぼ満席で。上映後には拍手が起きて、すごい盛り上がりでした。

千浦 私は新宿のシネコンの深夜の回に行ったんですけど、夜にしては入ってると思ったし、終わった後、すごく泣いてる人がいたり、熱心に話をしてる三人連れを目撃したり。そのひとたちは二十代半ばくらいで、この映画でクイーンを知った人たちっぽかった。あと、もっと年季の入った、クイーン世代と思われる人たちが、帰りのエスカレーターでめっちゃ歌ってたりとか。

市沢 テレビとかでも、特集してるんでしょう。

——先日は「クローズアップ現代」がクイーン特集でした。

内藤 監督の降板劇とか、よくない噂が出回っていたじゃないですか(※監督をしていたブライアン・シンガーが、秋休みから現場へ戻らず、契約を切られた)。コケるんだろうな!っていう雰囲気があったし、若い人はクイーンを知らないわけだし。なのに、当たった。

市沢 うちの小学2年生の子どもは、ビートルズは知らなかったけど、クイーンっていう名前は知っていたんですよ。

一同 へえーー。

市沢 でも今一番ホットなのはDA PUMPの「U.S.A」ですけどね。

千浦 4歳のうちの子も「U.S.A」のサビを歌い踊るわ……。

+zNd3UnMRXeTIky9jtPgHg


内藤 これからは学校とか保育園の行事で、クイーンの曲、ばんばんかかりそうですね。

市沢 そうだね。そういう場で、レッド・ツェッペリンとか流れないもんね(笑)。

千浦 やっぱり、クイーンの曲はキャッチーなんでしょうね。フレーズが覚えやすい。

内藤 ツェッペリン好きの父親は、クイーンを邪道に感じるらしくて、すごい馬鹿にしてて。母親はクイーンが大好きでした。

千浦 ああ、幼い内藤さんに『チャイルド・プレイ』を見せて育てたというお母さんね。

内藤 そうです(笑)。

市沢 僕は、あの頃の洋楽ロックを聞いていたけど、クイーンは通らなかったですねえ……

内藤 大畑さんは、聞くんですか。

大畑 全然聞かない。もちろんテレビとかで聞く機会はあるから、知ってはいるけど。

内藤 僕は中学の同級生に、クイーンがすごく好きな子がいて。その子が体育祭の演技種目で『We are the Champion』を使ってて、いい曲だなと思って、そこから聞き始めたんです。リアルタイムじゃないけど、中学ぐらいからずっとクイーンが好きでした。だからこの映画が微妙に史実と違うことは、たしかにちょっとだけ気になりましたね。一番最初の、ノイズとして。「あれ、そうだっけ?」みたいな。『We Will Rock You』のとき、髭あったっけ?とか。

市沢 僕が気になったのは、映画のフレディ、ちょっと線が細いなと。銀杏BOYZの峯田和伸みたいだと思った。

内藤 確かに、あの体格で、あの声量が出るのかなって心配になる(笑)。

市沢 ただ、思い返してみたら、彼が暑苦しくなかったから観れたのかも。フレディ・マーキュリーの話なのに、暑苦しくない。

内藤 そもそも「フレディ・マーキュリーは暑苦しい」っていうイメージですか?

市沢 暑苦しいですね。でも映画の方はもっと、はかない感じを受けました。もし峯田さんが筋肉ムキムキにして、いろんなことに強がりながら生きてたら、これは切ないなあ……!って思うよね。

内藤 映画のフレディは弱々しくて、居場所をずっと探し続けているっていう感じでしたもんね。ずっとキョドってた。

——子犬のような目だったです。

内藤 僕は曲だけ聴いてた浅いファンだったから、恥ずかしながらフレディがインド系だったとは知らなくて。言われてみれば、そういう顔立ちをしてたなとは思うんだけど。映画の中でも、法的に改名したって言ってたじゃないですか。それもすごいなと思って。そんなに変わりたかったんだ!と。

千浦 っていうことを僕は、映画を観て初めて知りました。

大畑 僕も、クイーンのことを全然知らないですけど、フレディってああいう「気持ち悪い奴」っていうことでいいんですかね。あの俳優さんの、外見の造形が、ちょっとこう、フリークスっぽいじゃないですか。

O0hLLzexSNeDK8jyZ+AZXg


内藤 ブライアン・シンガーが休暇から戻ってこなかったのは、ラミ・マレックの芝居が気に入らなかったからだ、みたいな説もあって。その気持ち悪さのせいですかね(笑)。本人はそういう演技プランでやってて、ブライアン・シンガーは「なんでそんな気持ち悪い芝居するんだ」って思ってたかもしれない。

大畑 にしても、やりすぎじゃないかなと思った。歯をぺろぺろなめたりとか。

内藤 出っ歯、過剰でしたね(笑)。ただ、その過剰さを通して、彼の「普通の人と違う感じ」が、知らない人にもわかりやすく届いたのかもしれない。

千浦 あの鼻下にヒゲのあるフレディの姿って、ある種パロディみたいに使われたりするじゃないですか。大九明子さんが監督した『勝手にふるえてろ』には、上司がフレディ・マーキュリーに似てるっつって「フレディ」ってあだ名をつけて、松岡茉優が『We will Rock You』のドン、ドン、パンのリズムで机を叩いて同僚とクスクス笑う場面がある。あれは原作にない映画オリジナルのネタで、主人公のセンスを表現した良いシーンだったと思うけど、それくらいフレディは個性的で、滑稽だとも受け取られていたのに『ボヘミアン・ラプソディ』がこんなにヒットして、みんながフレディの内実や悲劇性を知ってしまうと、もうフレディをギャグにできない!っていう現象が起こる気がする。

内藤 マイケル・ジャクソンの『THIS IS IT』もそんな感じじゃないですか。それまで笑いものにしてたけど、すごい人だったってことにみんな気づいたというか、気づけたというか。あと、古澤さんが指摘していたところなんですけど(※この座談会への参加を古澤健に打診したが叶わず、代わりにメールで映画の感想を全員が受け取った)、ライブ・エイドの場面でフレディが投げキッスを2回するんですよね。序盤と終盤に。そのカットバックが、実家でテレビを観ているお母さんなんですよ。お父さんとの切り返しの方が大事じゃないの??って思ったんです。この映画は、僕は全体的にすごく気に入ったんですけど、親子のエピソードだけ、ちょっと引っかかっているんですね。まず父親からの期待を拒絶して「フレディ・マーキュリー」を作り上げ、最後、父と和解して、「家族」のもとに回帰してからライブ・エイドに行くっていう流れなのに。

千浦 しかもアフリカ飢餓救済のライブ・エイドにね。フレディの生まれはアフリカなんだから、すべてがぐるっと、うまいこと回収されたかのよう……。

内藤 そのわりには、お父さんとのエピソードが、記号化しすぎじゃないかなって思うくらい、サラッとしてて。しかも、フレディと家族の切り返しが、お父さんじゃないんだ!っていうのが、僕も気になっていたところで。

千浦 あの、強い投げキッスね。瞳孔が開いた感じの。

dVNFJE6iS76cOfL2xHmMEQ


——ライブ・エイドの朝、実家に新恋人を連れて行って、お茶して帰る玄関先でフレディが「ステージから母さんに投げキッスをおくるからね」的なことを言うんです。

内藤 その前振りの回収なんでしょうけど、投げキッスのところじゃなくても、フレディと父親との切り返しを入れるべきじゃなかったのではないか、と。

千浦 僕は、そこの整合性はあまり気にならなかった。あの映画の構造として、「すごいパフォーマンスしてます!」っていうのを観客に伝えるため、映画として表現するために、彼らの演奏にリアクションしている人たちの画をすごく拾ってるじゃないですか。ライブ・エイドのお客さんもそうだし、メアリーと新恋人のハットン氏を舞台袖に置いて……

内藤 あんなにちょうどいいところに(笑)。

千浦 そう。あと、ブライアンとかロジャーとかジョンの顔をやたら拾ってる。「俺たち、今、一番いいパフォーマンスができてるよ!」っていう感動の顔。それにつられて、映画の観客もみんな感動していくっていう。

大畑 マイクをめっちゃ真剣に必死にフレディに渡す人がいたじゃないですか。たぶん、マイクを渡すためだけの係の人が(笑)。

千浦 高い足場に座ってる人とか、最前列の警備の人も、仕事しながらクイーンのパフォーマンスにニコニコしてる。

内藤 ああいうカットがあると、豊かになりますよね。

千浦 こういうのは、ホラーを撮ってる大畑さん内藤さんにとっても、重要なことなんじゃないですか。

内藤 怖がってる顔が怖い、っていう。『ヘレディタリー』もそれでしたよね。

大畑 あれも顔芸がすごかったね!

lRzVJ1ujReuLL3lToJCBlA


市沢 フレディ・マーキュリーのアクション自体に、リアクションが混ざってるじゃないですか。観客の空気感を感じて、高まってくるものを、フレディは自分のアクションにフィードバックしている。その昔、筒井(武文)さんが言っていた、「アクションの中にリアクションが内包されている」というやつ。

千浦 溝口健二が生きてて『ボヘミアン・ラプソディ』のラミさんを観たら、「うん、反射してますね」って誉めるかもね。

内藤 クイーンの初めてのライブシーンで、マイクスタンドをうまく持ち上げられないのも、すべて、ライブ・エイドに向けてのピース作りのような構造になっていますよね。

——こういう動画を、見つけたんです。(※映画と、本物のライブ・エイドの映像を、並べて見せてる動画。たぶん違法)

大畑 おおお。すごいな。

千浦 これは、練習したと思うよ。完コピじゃないか。……でもやっぱり、身体のボリュームが違いますね。

市沢 僕も、それが気になっちゃった。

大畑 僕、このライブ・エイドに、ポールがいてもいいんじゃないかと思ったんです。ポールがどんな顔をしてこれを観てるか、すごく知りたい。

内藤 テレビで観てても、いいですね。

大畑 俺、結構、ポールが好きだったんですよ。車の中で、ソロ話を持ちかけるときに、「俺知らねー」「何の話?」ってとぼけるじゃないですか。

市沢 そして「俺も孤独だったんだ」って、自分の実感の話をして誤魔化す(笑)。でもなぜ誤魔化せるのかといえば、あれも彼の本心だったからですよね。

千浦 自分はアイルランド人でカトリックなのにゲイで、父親は俺が死んだほうがましだと思っている、とか言う。こいつ、急に自分の説明した!という。

市沢 一番最初にフレディを誘う時の、表情とか台詞回しとか声とかはほんとに、アメリカ映画でよく見るキャラですよね。あの人、いいですよ。

9WUeoLIpT1G%0GsMno7YgQ


内藤 あと、病院で会うエイズ患者もすごくよかった。「エーーオ」って呼びかけて、「エーオ」だけで気持ちを伝え合う。アメリカ映画ってああいう、役名もないような人が、すごく印象に残ることがよくあって。日本映画であれをやろうとすると、ほんと、どうでもいいことになっちゃうじゃないですか。

大畑 ただの、エキストラ的な。

内藤 そう。寄りは撮らなくていいや!ってなっちゃいますよね。

大畑 超選んでるなあ、あれは絶対。

内藤 マイクスタンドをフレディに渡す係の人も、すごいオーディションしてるのかな(笑)。

大畑 「ちょっとこれ、渡してみて」。

千浦 あの格好した人が、ずらーーっと数ブロック並んだはず。

大畑 その中で、一番光る奴を(笑)。

千浦 ライブ・エイドのところに出てくる人たちは、端役に至るまで、YouTubeを擦り切れるまで観て臨んだと思いますよ。……擦り切れないけど。

一同 (笑)

千浦 でも、そこが、落ち着いてみると引っかかるところで。ラミ・マレックさんの動きだけを観てても、本物のフレディが生々しい印象的な動きをしたところが、わかっちゃう。「ああ、これは、本物がした動きなんだろうな」って。その場にしゃがんで、マイクスタンドをこう、股間にあてるところとか。つまり、生々しく見える芝居こそが模倣だという。そこが、再現映画や伝記映画の不自由なところで。見事にできてはいるけど、なぜか不自由。嘘がつけないところというか。

UyA%AH+YRRiuGD86RP1nsQ


内藤 動きを変えたら、濃いファンに叩かれますからね。

大畑 でもそこは、ガンガン嘘ついてもいいのになあと思っちゃいます。

千浦 今日、この座談会で語るにあたって、前情報を入れた方がいいのか、やめたほうがいいのか、悩んだんですよ。でも、予習したところで「にわか」にすぎないから、魂のこもらない勉強はやめようと思ったんですけど、でもやっぱり世の中はどういうふうに言っているのか、気になったのでSNSを覗いたんです。それで、はーー!と思ったのは、超コアなファンで、それこそ、ビデオテープが擦り切れるほどにライブ映像をずっと観てきた人は、「ここは決定的に動きが違う!」みたいなことが気になるらしくて。あと、何回もこの映画を観ているんだけど、「これ以上観ると本物の記憶がこの映画に上書きされてしまう!」と仰ってる方もいて。

内藤 それは、だいぶ重度ですね(笑)。

千浦 その、「このへんでやめとかねばならない感」とかはすごくいいなあって思った。

内藤 よく知ってる分野が描写されていると、フィクション上、仕方ないとは思いつつ、観ながら引っかかっちゃうことってありますよね。僕は教員をやっていたので、学校の場面があると「そこは、ないな!」と思ったりします。

千浦 私にとっては、映画館とか映写機とか映写技師の描写が……。でも専門的な知識を振りかざすのも野暮かなあと思う。全体の流れとして成立してたり、押さえるところを押さえていたら、そこは言うべきではないって思いますよね。

内藤 嫁が、安室ちゃんファンなんですよ。一緒に何度かライブにも行ったし、ラストライブも抽選が当たって、観に行ったんですけど。で、日本版の『SUNNY 強い気持ち・強い愛』を観たんです。90年代のコギャルの映画。でも嫁は、経験からくるノイズが強すぎちゃって。冒頭、『SWEET 19 BLUES』から始まって、コギャルの脚のアップが映るんですけど、でもあの曲は「コギャル的なもの」からの卒業の歌だから、コギャルの脚のアップにあの曲がかかるのはおかしい!って言ってて。

一同 あーーー。

内藤 その後、久保田利伸とかオザケンの曲でコギャルが踊るんですけど、「コギャルはそうじゃない!!」って。

千浦 確かに、オザケンはオリーブ少女かも。

内藤 嫁は他にもだいぶ引っかかってましたね。いつも映画についてあまりどうこう言わない人なんですけど、あの時はいろいろ文句言ってました。「オジサンがイメージするコギャルでしかない!」って。

hJ+M0KXPRM2R9w6uuARzHg


千浦 『ボヘミアン・ラプソディ』について、いろんな言説が盛り上がり、ファンによる賛否両論が戦わされているのは、それに似てますね。作り手とか、日本で宣伝配給している人たちの思惑以上に、みんなガチだったので、いろんなことを思い、それを発言している。……ちなみに、私の話をしてもいいですか。『アンダー・ザ・シルバーレイク』っていう映画を観ましてですね、そしたら、世の多くのポップソングや有名ロック曲をソングライターの化物みたいなジジイが一人で書いててそこには暗号が隠されている、とか、そのジジイがニルヴァーナの『スメルズ・ライク・ティーン・スピリット』も自分がつくった、「ギターの音をひずませてでもおけば若者は喜ぶんだ」的なことを言うシーンがあったんですけど。私はニルヴァーナ直撃世代なので、そのシーンから、あの映画を急に、客観的に観るようになったんです。それまでは普通に暗号解読とか陰謀か妄想かみたいな物語展開とかを「おー、すげえなあー」って観てたんですよ。でも、あのシーンで急に、強烈な反感を覚えて。「ジジイ、ふざけんな!全然ちげーーよ!!」って。

一同 (笑)

千浦 それが、また映画の展開と、ある種、一致していくんですね。アンドリュー・ガーフィールドが、ギターでそのジジイを殴り殺してスカッとしました。

内藤 同じ思いだったんですね(笑)。じゃあ、『ラスト・デイズ』はどうだったんですか。カート・コバーンが出てくる映画。

千浦 あれは……ノイズが多かったですね。心のノイズが。

市沢 直撃世代だとそうだよなあ……。俺も『ボヘミアン・ラプソディ』を観て、クイーンの曲を聞くかなと思いきや、10年ぶりぐらいにニルヴァーナを聞いたんですよ。

千浦 なにそれ(笑)。

内藤 基本に立ち返った(笑)。

市沢 そう。よく考えると、俺が好きだったのはニルヴァーナじゃん!って思い直して。

千浦 関係ないっちゃ関係ない話だけど、『ボヘミアン・ラプソディ(楽曲)』の歌詞がとても難解というかナンセンスだっていうところで思い出したのは『スメルズ・ライク・ティーン・スピリット』です。だってサビのシャウトが「混血児、白子、蚊、俺の性欲~」って曲なのよ。

内藤 ああ。「ティーン・スピリットの匂いがする」って何だろう?という謎がありますよね。

千浦 そこですよ。僕は、もちろんカート・コバーンの伝記『病んだ魂―ニルヴァーナ・ヒストリー』を読んでいるんですね。何日も風呂に入ってないカート・コバーンに向かって、女の友だちが「ティーン・スピリットの匂いがする」って言ったそうですよ。「おお、10代の魂か。いいなあ!」って思って曲のタイトルにしたところ、そういう名前の香水があって彼女はそれを指して言っていたとかいう。先の『アンダー・ザ・シルバーレイク』の怪物ソングライタージジイの場面を観たとき心の中でこの逸話を呟いたよね。で、『アンダー・~』の面白いところは、映画全体が、表現されたものを受け取ったり、それについてみんなが意見を交わしたりすることへの批評になってるってことです。ある作品に、明確なメッセージや正確な答えが用意されてるとしたら、それは、鑑賞する人の自由さの阻害であると。「答えがない」という寛容さとか、正しい答えにはたどり着かないほうがいい、みたいな。正解があるということは、そこからはじき出される人がいっぱいいるということだから。……っていうことを、『アンダー・ザ・シルバーレイク』を観て、僕は勝手に思ったんですよね。

12at+y4oQs6J+CbsNjj1oQ

内藤 『アンダー・ザ・シルバーレイク』の話になっちゃうけど、「答え」を求めることに対して、主人公はそんなに情熱的ではないじゃないですか。あの気怠い感じが、すごく現代的だなと思った。みんな、答えが欲しいとは思うけど、そんなにみんな、頑張れない。だからラストカット、よくわかんないけど、悪い方にワンランク上がったみたいなことになるじゃないですか。

千浦 上がったというか、落ちたというか。その点、『ボヘミアン・ラプソディ』はシンプルだと思う。「フレディ・マーキュリー伝」「クイーン伝」として。マイノリティを生きる人の、戦いの生涯。一度自分を見失うけど、ぐるーっと一周して、再び自分を取り戻す。

内藤 この映画がヒットしたから、ミュージシャンの伝記ものって増えると思うんですよね。今回、うまく行ってるのは、味付けをあまりしなかったからかなと思います。あるものを、素材のまま、出してる感じがして。作り手って、いろんな味付けをしたがるものなんだけど、そうすると、ファンが観たくない味付けがされてしまいがちで。ファンが欲しいものそのままを、この映画は出せてるんだなと思うんです。ただ、映画監督として複雑な思いがあるのは、監督が途中降板してるんですよね。しかも、ヒロイン役のルーシー・ボイントンが、何かのインタビューで「ブライアン・シンガーには(現場で)ほとんど会ってない」ってコメントしているんですよ。

一同 へえーーー。

内藤 編集とか音とか、仕上げはデクスター・フレッチャーがやっているんですよね。映画って、プロデューサーが企画して作り上げるものとも言えるんですけど、今回は特に、プロデューサーのコントロールでうまく行った映画だと思う。それが、映画監督として、喜んでいいのやら、どうやら(笑)。

市沢 そういう意味では……ドラマとして薄かったとも言えるのかな。ライブ・エイドを観る時点で、「あれはどうなったんだっけ?」っていう懸案事項がまるでないじゃないですか。それまでの間に、すべて解決されている。あとは、ライブ・エイドだけ!っていう。

千浦 勝負はもうついてたね。

市沢 ドラマを気にする必要がないから、あとは、ライブ・エイドの観客として楽しめればいい。そこが、多くの観客がコミットできた理由なのかも。

千浦 そこに至るまでのテーマとか、キャラクターの変化については、すごく筋が通ったドラマがあったと思う。中盤、フレディが「観客が歌ってくれたんだよ!」ってメアリーにリオのライヴの映像を見せるところで、彼女に対して性の悩みをカミングアウトするっていう流れになるじゃないですか。あそこは意味合いとして面白いなと思った。フレディが「君への歌を観客が歌ってくれたんだよ!」って言うけど、場面として肝心のおめーが歌ってねーよ!っていう。そこから彼は、自分のアイデンティティに悩んだり、自分が「これだ」と思っていた道のりから離れていくわけですけど。それでどん底から復活して、立ち上がったライブ・エイドのステージで、自分も歌ってるし、みんなも歌ってるし、別れた彼女も、今の恋人もみんないる。人生の完璧な状態を実現する。どん底から、絶頂に上がっていくまでの流れの構造が、音楽を数珠つなぎにしていきながら、うまく組み立てられていたと思います。

内藤 この映画の「フィクション」に対するスタンスが、クイーンやフレディ・マーキュリーの考えと、近かったんじゃないかと僕は思っていて。一番大きく史実と違うのは、エイズの告知のタイミング。本当はフレディがエイズと診断されたのも、メンバーに告白したのも、ライブ・エイドの後なんですよね。その後、クイーンは、フレディの死期を悟りながら、実質的には最後のアルバムとなった『イニュエンドウ』を作っているんです。この映画では、その感じをライブ・エイドにあてはめたんだろうなと思います。フレディの死と向き合いながら、みんなで一緒に作品を作ったことが、あのメンバーにはあったんだという事実。また、エイズに苦しんだフレディの姿を描いていないという批判もあるけど、クイーンの音楽自体が、陰惨な現実を突きつけるような作風ではなく、美しい虚構をみんなと共有するというスタイルだったのだから、そこも筋が通っていると思いますね。映画の終わり方も、そんなに湿っぽくならないじゃないですか。まず『Don’t Stop me Now』で軽やかにエンドクレジットがはじまり、『The Show Must Go On』で幕を閉じる。死期迫るフレディが歌った、『イニュエンドウ』の最後の曲。その、信念みたいなものを、フィクションに落とし込んだんだろうなと思って、そこに僕は、納得したんです。

千浦 ブライアン・メイとロジャー・テイラーが、この映画に深く関わってるんですもんね。公認ですよね。

内藤 そうです。その点においては、文句は言わせない(笑)。

千浦 ひょっとしたら、当事者たちによる、「こうだったらよかったなあ映画」なのかもしれない。だって、全体的に、めっちゃめちゃいい話ですよ!

一同 (笑)

千浦 大ゲンカして、もうこいつらバラバラだな!って思ったら、曲作りしながら熱くユナイトするっていうさ。映画監督なんて、人が悪くてナンボの生き物だから、物足りなかったんじゃないですか、大畑さん。

大畑 僕はもっと、ポールに活躍してほしかったです。

一同 (笑)

【2へ続く】