【2】
大畑創は、マスクを取らない。風邪なのだろうか。けれど誰も「風邪?」とは聞かない。大畑創も「風邪なんですよー」とは言わない。言わずに、ただ、映画の話をしている。彼らは映画で結ばれている。あの4人組が音楽で結ばれていたように。(もりもりとネタバレいたします。ご注意ください!)


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千浦 この映画で描かれているのは、多くの人にとって同性愛のカミングアウトが一般的ではなかった時代ですよね。でも今はみんな「カミングアウトしよう!」って言うでしょ。それも余計なお世話で、するかしないかは、本人の問題だけど。でね、その、いまよりももっと暴露っぽい感じで「言っちゃえよ!」ってされる物言いが嫌よね、っていうシーンが劇中にあったじゃないですか。ニューアルバムの記者会見。

内藤 古澤さんもメールに書いていましたね。「女性記者の腹の座り方に感心した」と。

千浦 あの記者は、ある種の脅威として描かれていたでしょう。

内藤 男性記者の方が下世話な質問をしていて、女性記者は芯を食った質問を投げかけている。顔のアップが何回も入ってきますよね。

市沢 ブライアン・メイが「誰かアルバムの話をしませんか……」って言うの、ミュージシャンはみんなそう思うんだろうな!って思った。

一同 (笑)

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市沢 あと、「曲ができるまで感」がちゃんとあったよね。ああ、今、ここで曲ができている!っていう。それを観客も共有しているから、後でその曲が流れた時に、「あの時の曲がここへ来た!」って思う。曲自体が伏線。曲のカタルシスを増幅させてる。

内藤 『ベスト・キッド』の練習シーンと一緒ですよね(笑)。農場のスタジオで『ボヘミアン・ラプソディ(楽曲)』を作ってるところも面白かった。

大畑 ああいうことって、映画美学校のそこらへんでみんなやってそうな光景ですよね。

一同 あーーー(笑)。

市沢 スタジオ付きのエンジニアが、「もう変なこと思いつくのやめてくれよ!」っていう顔をするじゃない。あれがもう、ほんとに気持ちがわかる。「そういうの、別んとこでやってくんねーかな!」みたいな顔を、すげーしてるじゃないですか。

内藤 それは、市沢さんの思いじゃないですか(笑)。

大畑 「初等科の奴ら……!」って(笑)。

市沢 どこの国でも、クリエイティブなことをやっている人たちのそばで、完全に官僚的な仕事を、黙々とこなしている人間がいるんだなと思った。ライブエイドでジム・ビーチが、音響卓の音量のレベルを上げるのとか、事務方の人間からすると「ほんっっとやめてくれよ!!」って思う。

一同 (笑)

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大畑 MAXまで行っちゃってましたからね。

市沢 MAXまで行って、さらにその下にテープを貼って、音量が下げられないようにしてるんだよ。それでスピーカーが飛んだらどうするんだよ! その後のライブができなくなるんだぞ! それを処理するのは俺たちなんだぞ!!

一同 (爆笑)

千浦 でもさ、若い人は、この映画の最初のスタジオ録音みたいな、ああいうことしないとダメだよね。ちゃんと考えたうえで常識的なことを超えようとすることを……

市沢 そう。そうだな!って思った。だから僕はライブよりも録音シーンが印象に残ったんですよね。

——あのエンジニアに感情移入する人は珍しいと思うんですが、皆さんは他に感情移入した登場人物はいましたか。

内藤 フレディには普通に感情移入をして観てました。メンバーにエイズを告白するところと、ライブのシーンは普通にちょっと泣いちゃいました。やっぱり、好きだったんで。

市沢 あと、ジム・ビーチが、一線引いて俯瞰しているように見えて、実は一番親身になっている感じがよかった。分をわきまえた理解者というか。

内藤 そうですね。すぐ消えそうな雰囲気だったのに。

市沢 最後、あいつしか残っていないっていうね。

千浦 もちろんフレディ・マーキュリーが主役なんだけど、映画のフレディには、余白というか空白感というか空虚さみたいなものがあって。大勢の観客を集めて相手にできるパフォーマー特有の、人間じゃない感じっていうか。

内藤 メアリーへの思いの複雑さみたいなものが、すごくよかったですよね。隣の家に住んで、電気をつけたり消したりするところ、彼女が上の階なんですよね。フレディがメアリーを見上げる関係性。それに、ふたりの視線は合わない画面構成になってる。「乾杯をしよう」ってことになって、メアリーが飲み物を持っていないのに持っているふりをして「乾杯」って言うじゃないですか。あそこが、悲しかった。

千浦 ああいう描写って、「どのへんで止めておくか問題」があるじゃないですか。メアリーは他に男を作って、赤ちゃんを産んでいるわけだから、それはもういろんなことがあっただろうに、うまいこと省略している。

内藤 フレディの男性関係の描き方も、うまいことボカされていますよね。ツアー中に、男子トイレに入った男のことを、フレディがメアリーに電話しながら、目で追っているっていう。

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千浦 あれ、すごかったよ。 舌なめずり感。これぞ、ゲイ映画だって思った。私が大阪で映写技師をしていた頃、ポルノ館の映写もしてて、ゲイポルノ館もかけてたんですよね。で、女の人って、ヤオイとかゲイものが好きじゃないですか。それって、セクシャルなことへの積極性が自分に向いていないことに安心するとか、女性性を持っている男をいいと思ってくれるんだろうけど、でもいわゆるハッテン場と言われるところで生きる人たちの様子を見ていると、女の人たちが好むゲイの姿とは、根本的に違うで!とも思った。精液とそれをこすり取るための消毒液が混ざりあった匂いのする空間で、積極的な性が刹那的に、暴力的にぶつかりあい求め合う感じ。その感じが、このメジャーな規模の映画の中で、結構描かれていた。ゲイ映画的に感心しました。うまい具合に音楽にのせて、さりげなく、薄味に見せてるけど、これすごくね?って思った。

市沢 フレディは、自分で自分の性に気づいていったってことだよね。

千浦 「僕はバイセクシャルだと思……」「あなたはゲイ!」っていう。

市沢 食い気味にね(笑)。

内藤 バイセクシャルだと言うことで、メアリーのことも愛しているってフォローしたかったのに(笑)。

——露骨な性描写を入れなかったのは、ブライアン・メイとロジャー・テイラーの強いこだわりだったとどこかで読みました。この映画を、できるだけ幅広い観客に見せたいと。

千浦 そう考えると、今、出るべくして出た映画ですね。5年も前だったら、タッチが全然違ってたと思う。

市沢 あの、ジム・ハットンっていう人との出逢い方がよかったですね。「おめーマジでぶん殴るぞ!」っていうセリフ。

千浦 あそこはすごく大事な、いい話をしていると思います。ゲイなんだけど、彼のプライドの問題なんだよね。

市沢 そうそう。プライドを傷つけられたかどうかっていうことが、ジムには大切だったんだなって。一晩中話し込んで、リスペクトできる間柄になれたんだなと。

大畑 僕は、序盤の、ブライアンとロジャーにフレディが自分を売り込みに行くところが好きです。「あ、こいつ本物だ」って2人の顔つきが変わって、

内藤 一緒に歌い出す。

大畑 そう。ミュージシャンを主人公にした映画の、いいところだなあって思って観てました。

千浦 ちょっと前に、『音量を上げろタコ! 何歌ってんのか全然わかんねぇんだよ!』を観たんですよ。

大畑 あれは、クドカンですか?

——脚本監督、三木聡さんです。

千浦 阿部サダヲはね、やりきっているんですよ。「無茶なステージをする伝説のパンク歌手」をちゃんと成立させてる。で、そのパンク歌手に影響されて成長していく女の子の物語なんだけど、成長しないんだよね。最後まで声が出てないふうにしか見えない。

内藤 大問題だ(笑)

千浦 でも映画としては、声が上がってるふりをし続けるのよ。キツい。

内藤 歌ものは、難しいですよね。最後はどうしたって「歌がすごい!」ってことにならないといけないじゃないですか。万人が観てそう思う歌って、まず難しい。

千浦 でも、万人が観て「すげえ!」って思うことを、アメリカの大作映画はやりよるんですよ。「え! ヒュー・ジャックマン、歌えるの!!?」っていう。で、そうじゃないひとの吹き替えも突き詰められてる。

内藤 うちの母親が、僕の『ミスミソウ』よりも『グレイテスト・ショーマン』を優先させたんです。「『ミスミソウ』、映画館で観られなかった、ごめん!『グレイテスト・ショーマン』は良かったよ」ってメールがきました。

一同 (笑)

——『グレイテスト・ショーマン』も『ボヘミアン・ラプソディ』も、実在の人の一部分を使って、作りたい物語を作った映画だという気がします。

千浦 あ、話、そこへ行っちゃう? 実在の人物問題。それで言うなら『シンドラーのリスト』でしょう。『ハクソー・リッジ』もそうだよね。アメリカンなスナイパーも、ジャージーなボーイズもいた。

内藤 実在の人物の脚色ってことで言うと『ソーシャル・ネットワーク』がすごい好きで。あれは、マーク・ザッカーバーグというFacebookの創設者をモデルにしているけど、キャラクター造形はかなり脚色しているんですよね。冒頭で失恋する場面があって、それが後々、彼の心にずっと引っかかっている問題として描かれ続けているんですけど。劇中では、彼が別の女性と恋愛しているという描写が省かれているんです。

千浦 そして、最後……

内藤 Facebook申請を彼女に送るっていう。

千浦 「勝った!」っていうね。

内藤 ちょっと、むなしい勝利なんですけどね。実際のマーク・ザッカーバーグは、普通に彼女がいたし、結婚もしているんですけど、あの脚色によって、Facebookをする現代人の心理みたいなものが明確に描かれているから、あの脚色は、いいなと思ったんですよね。

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大畑 ついこの間、『15時17分、パリ行き』をようやく観たんですけど。あれは、実在の人物がほんとに「出ちゃってる」映画ですよね。

内藤 究極ですよね。誰も怒らない。

千浦 「そっくりだな……本人か」っていうパターン。

大畑 最後、実際の映像にも、もちろん同じ人が出てくる。すげーなこれ!って思って。

千浦 その「すげー」は肯定的? それとも、あきれた?

大畑 どっちもです。

内藤 俺が一番感動したのは「背徳のナイト・トリップ」に女性から誘われる場面で、女性の腿からパンアップしていくエロいショット(笑)。この年でもこんなスケベショット撮るのか、って思ったのと、背徳のナイト・トリップを再現する必要はあるのかな?っていうこと。

千浦 あれ、列車に乗ってる他の人もそうなんだよね。もう、何なんですかね、あれは。

大畑 僕は結構感動したんですよ。素直に。たぶん、何もやらせていないからだと思う。

内藤 フィクション的な変更を、加えなかった。

大畑 だから感動したんですかね。

内藤 『ストレイト・アウタ・コンプトン』はどうですか。

千浦 そうだ。『ボヘミアン・ラプソディ』の話をするなら、この映画の話は欠かせない。

市沢 俺、観れてないんですよね……

千浦 あなたが観とくべき映画でしょう?(※市沢は20代の頃ヒップホップを愛聴)

市沢 そうですよね……

千浦 『ストレイト・アウタ・コンプトン』全体のモードというか発想としては、N.W.AのPVを、ドラマとして再現するっていう。

内藤 『ファック・ザ・ポリス』を作る前に、警官に不当逮捕される(笑)。出所した直後に「くそー、ムカつく、作るぜ!」って言って、作るっていう(笑)。

千浦 バンドもの特有の、出来事を曲作りシーンに落とし込んでいく手口ですよね。

内藤 あれは、アイス・キューブの息子が演じているんですよね。

市沢 アイス・キューブの息子が、アイス・キューブなんですか。

内藤 そうなんです(笑)。

千浦 「そっくりだな……息子か」っていうパターン。

一同 (笑)

千浦 私がその手のもので一番好きなのは『24アワー・パーティー・ピープル』です。ジョイ・ディヴィジョン、ニュー・オーダー好きなもんで。『コントロール』っていう、ジョイ・ディヴィジョン、イアン・カーティスの伝記映画があるんだけど、『コントロール』のほうはあんまり面白くない。一応好きだけど。で、『24アワー・パーティー・ピープル』は、テキトーなところがいいんです。ひとつのバンドではなく、カルチャーを描いている拡がりもある。マンチェスターでセックス・ピストルズがライブして、それを観に行った人たちが、後々ジョイ・ディヴィジョンやバズコックスになりましたっていう話をやる時に、フロアにいる彼らから切り返すと、セックス・ピストルズの本物のライブフィルムが映るみたいな、そういう雑多な感じが面白い。生きている人も、死んだ人もいて、でも意志的に悲劇的にはしてない映画。

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内藤 メンバーは、その映画に関わっているんですか。

千浦 ファクトリーのプロデューサーだったアンソニー・ウィルソンが、小説として回顧録を出して、それを映画にしている。当事者本人から見た当時のシーンの再現だから文句は言わせない系。でもまた、映画のつくりがまたその本の逐語訳じゃない。原作に書かれているネタを全部洗い出して、すごい遊んでる。60年代に作られた、ジョン・フォードの『リバティ・バランスを射った男』っていうのが、まさに「伝説と事実」についての映画なんですけど、『24アワー・パーティー・ピープル』では、その映画について、というか、これに関するジョン・フォードの有名なポリシーの「伝説と事実とどちらかを選べと言われたら私は伝説を選ぶ」について言及していて。本当の話か嘘の話かわからないことがたくさん出てくるけど、そのへんを掃除していたおじさんがいきなりこっち向いてこれを言うんです。

内藤 『アイ,トーニャ』もそういう映画でしたね。夫に向かって銃を撃つんですけど、急にカメラの方を向いて「これは夫の証言に基づいています」って。まだあやふやな部分を、フィクションとして描いていますというエクスキューズがある。

千浦 でもそれをやる映画は、興収数百億円規模まではいかないかも。批評的な眼差しや遊びに、腰を折られると感じる人たちもいる。

大畑 次、タランティーノがシャロン・テート事件を撮るじゃないですか。

一同 あーーー。

大畑 かなりナイーブな題材ですよね。

——皆さんは、実在する人物を題材にした映画に、あってほしいものはありますか。

内藤 僕は『先生を流産させる会』という映画で、実在の事件に基づく映画を撮ったんですよ。

千浦 ほんとだ。やってるじゃん。

内藤 そこで、脚色をしたんです。それに関して、大きなバッシングを受けました。

——というと?

内藤 実際は男の子が起こした事件なんですけど、映画では女の子にしたんですね。それについて、「男の罪を女に着せている」とか「ミソジニスト(女性嫌悪者)だ」とか。僕にはそういう発想自体がなかったから、びっくりしたんです。そんな見方があるのかと。でも、ものを作るにあたっては、作り手の無意識な認識が、多少なりとも漏れ出ると思うんですね。そこを指摘されたなと思ったんです。だからその批判を僕は甘んじて受けて、ちゃんと考えなくてはと思いました。僕は女性嫌悪なんてしていないと思っていたけど、女性に対する歪んだ認識が自分の中にあって、そこと向き合わなければいけないと考えるようになりました。それはその後の作品づくりに反映されてますね。作り手の無意識って、美しいものが出る場合もあれば、醜いものが出ちゃう場合もあるじゃないですか。それが倫理的に正しいかどうかというのを、考え続けなきゃいけないなと思いました。

市沢 史実をもとにした、っていうときの反応が、昔よりも過敏なのかもしれないですね。「間違っていること」を指摘するのって、一番指摘しやすいじゃないですか。指摘しがいがあるっていうか。「それ間違ってます!」って言うのは、批評じゃなくて指摘だから。指摘する人が、何かを言えた気分になれるんだろうな。

千浦 今って、情報にアクセスするのが容易になったから、みんな、いろんなことに、容易く詳しくなれるんだよね。そこをすごく指摘する人を勝手に「エビデンサー」って呼んでるんですけど。「エビデンサー」、いますよね。

大畑 劇場の帰り道から、もう調べちゃう人、いますもんね。

市沢 横の監視なんですよね。上から監視されるのではなく。

千浦 絶対的な主体がいるんじゃなく、相互に監視し合ってるんだよね。

【3へ続く】