「史実と違う」という物言いは、この映画だけでなく、あらゆる伝記映画で語られてきた。「史実と違うから良くない」場合があれば、「史実と違うけどこれは許す」とされてきた映画も複数ある。いったい何が違うんだろう。そこを、この面々に掘っていただいた。(言うまでもなくネタバレしております、ご注意を!)

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千浦 タランティーノで思い出したのは、『イングロリアス・バスターズ』でヒトラーを殺したでしょう。これは全然アリだ!と思いました。

大畑 僕も思いました。

千浦 それをやったことによって、ある種、違うジャンルになったとも言えるし、「映画はこういうことしていい」ってすごく思ったんです。

内藤 フィクションの力を信じたがゆえの、「フィクションにはここまでできる!!」っていう。

千浦 ヒトラーの少年時代に彼が後にそうなることを知っていたら、彼を殺すか?っていう問いがあるじゃないですか。これはもうホロコーストに対する悔いが現実の時間や歴史のなかで解消不可能だからで、スティーブン・キングの「デッドゾーン」にもある問いだし、ソ連映画の「炎628」のラストカットの意味するところだと思うけど、『イングロリアス・バスターズ』は結構おちゃらけつつ、その域にまで迫ってた。

大畑 感動しました。ほんと燃える。

内藤 その路線で作ったのが『ジャンゴ』だと思うんです。でもハーヴェイ・ワインスタイン事件があったから、あれくらい開き直ったフィクションの勝利を、もう、うたえないんじゃないかと思って。次のシャロン・テート事件の映画、チャールズ・マンソンをシャロン・テートが蹴り殺す、って展開になるだろうと予想していたんですけど、ワインスタイン事件を機に、脚本も変わってるんじゃないかっていう気もしてて。

千浦 シャロン・テートが救い出されるんじゃないのかな。

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——そこ、もう一段、言葉になりませんか。何があれば、「この改変、アリ!」って思いますか?

市沢 存在のデカさとかかな。ヒトラーまで行くと、実在の人物なんだけど、悪役中の悪役ですから。

大畑 「死んでいい!」って誰もが思いますよね。

内藤 ナチスが何度も悪役として、映画の中で描かれ続けているし、ヒトラーの暗殺を企てる話もいっぱいあるけど、史実に則って、必ず敗北するじゃないですか。観ていてモヤモヤしちゃうのが、溜まってたっていうのもあるかなと。

市沢 そのOKが、どのタイミングで出たのか、気になるね。どの会議で「……いいんじゃないすか、殺しちゃって!」ってなったのか。

内藤 『君の名は。』の隕石落下は、3.11を象徴してると思うんですけど、防いじゃうじゃないですか。「なかったこと」にしちゃってる。僕は結構びっくりしたんです。「災害が起きなくてよかった世界」なんだけど、それはそれで、いいのかな?って気もしたんですよね。

千浦 アメリカ映画だと9.11で、日本だと3.11。それらを象徴した描写が映画にはたくさんあるじゃないですか。大都市が外敵に襲われるのは、『トランスフォーマー』でも「アベンジャーズ」でも何でも、何本ものアメリカ映画で繰り返されてますし、『シン・ゴジラ』だって、そういうふうにしか見えないところもあったし。でも『君の名は。』の、「そもそも起きなかった」っていうのは、だいぶ大きい飛躍だよね。

内藤 すごいことしたな!と思いました。

千浦 「なかった」まで行っちゃうと、どうなのかな……

大畑 だからヒットしたんでしょうね。

千浦 そうか。まあ、観客側の無意識的な願望の成就ではあったのか。だって、みんな、それに対して戦えなかったもんね。呆然と敗れていった。何かしたかった、戦いたかったって思ったんだ。

大畑 『ボヘミアン・ラプソディ』の、エイズをメンバーに告白するシーンも、フレディに「君は伝説だ」って、本当は言ってあげたかったから、映画で言ったっていうことですよね。

内藤 だからエイズ差別の陰惨な部分は、あえて描かない。

大畑 そういう改変は、観てるこちらもOKになりますよね。ヒトラーが死ぬのと同じように。

——大畑くんは「OK」でしたか。

大畑 人の死をそこまで、展開を変えちゃっていいのかとは思うけど、クライマックスをライブ・エイドにしたいっていう気持ちもめちゃわかるし、死を実感しながらあの歌を歌わせたいというのもわかるから、否定はできないです。

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内藤 そう、『Hammer To Fall』の歌詞が、死期を知りながらライブをするっていうことと、すごくリンクしていたじゃないですか。僕はあの曲をそんなに好きじゃなかったんですけど、楽曲の素晴らしさをドラマによって気づかされました。まるで、みんなフレディがエイズと知ってて、あのライブに臨んだとしか思えないような選曲だったんですよね。

千浦 『ボヘミアン・ラプソディ』のピアノパートも、そう聞こえますよね。

内藤 『We are the Champion』も、「悪いことをしていないのに罰を受けた」っていうフレーズがあるんですよね。素晴らしい表現者ゆえの、自分の未来を予言したかのような曲。

千浦 ロック・ミュージシャンって、早く死ぬひといるじゃないですか。それについて、一般的な浅い見解ですけど……、普通の人間のコミュニケーションをはるかに超えた、一度に何万人もの人を、自分の表現力で掌握するようなことを繰り返しているような人は、絶対どこかおかしいと思う。それって、普通の人間の了見を超えてる。そういうこといつもしてると、だいたい若死にすると思う。

内藤 あーー。

千浦 あと、自分が歌うこと、詞に描くこと、つまり自分がイメージできることの高みに実生活の自分がついていけないから、そこに乖離を起こす、悩む、で、酒を飲む、ドラッグをやる、っていうのが、ロック・ミュージシャンに限らないけど、ある種のアーティストに起こる現象だと思う。それも『ボヘミアン・ラプソディ』は描いていたと思うんですよ。

市沢 うんうん。

千浦 普通の人間の愛情って、たぶんそのへんにいる人との関係性ぐらいで完結してて、そこで軽いやりとりをしながら生きていくのが普通の人生だけど、ものを作る人って、それを超えちゃってるところがあるから。あと、もともとの歪みが、パワーになって、すごいことをしてしまえるけど、歪みは変質しながら残り続けて原動力になり続けるとか。そういう表現者ものの王道パターンをこの映画はやっているなあと思いました。

内藤 『ラッシュ/プライドと友情』の、イケメンの方もそういう生き方ですよね。

千浦 ジェームス・ハントだっけ。クリス・ヘムズワースが演じた。

内藤 あれにも記者会見の場面がありますね。あそこ、好きです。

千浦 いいですね。友情を感じさせる。犬猿の仲であるニキ・ラウダの顔の火傷痕を彼の奥さんのことまで含めて揶揄した記者を、かげでボコる。

内藤 あれもフィクションっぽいけど、グッと来ます。お互いの生き方を馬鹿にしてるけど、最終的には敬意があって。観終わった後に若い観客が「要はジェームス・ハントってしょーもない奴だったってこと?」って言ってた。なんも伝わってない(笑)。

一同 (笑)

千浦 それは、人による見方なんだろうな。その子の中では、ニキ・ラウダが勝利したんだよ。……伝記映画、多いね。結構ある。

内藤 日本だと伝記映画って、「負」の部分を描きづらいように思うんですね。遺族の希望とかもあるから。それで、無駄に綺麗な話になっちゃって、映画としてつまらなくなるみたいなことが、あるかなあと思います。

千浦 あ、そうだ。私が今年すごく良かった映画は、『菊とギロチン』と『止められるか、俺たちを』です。大正のアナーキストと1970年ごろの若松プロ群像。特に『止められるか〜』は非常に若々しくてですね。「ストレイト・アウタ・ピンク映画」。切なさもあったし。

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内藤 ああ。なるほど。

千浦 そして、『止められるか〜』は当事者が生きてるからね。生きてる人たちが総掛かりで、文句言う言う。それもおもしろい。

一同 へえー!

内藤 あと、犯罪とか死んだ人を扱う時って、その瞬間を映像化、再現していいのかっていうのも、倫理的に問われるところで。僕は『先生流産〜』も、今作っている『許された子どもたち』も、少年事件を元にしているので、それを「演じる」って大丈夫なの?という心配を、結構耳にするんですね。特に『許された〜』は素人の子どもたちが出ていて、殺す子と殺される子を演じるので、「演じる」ということ自体が、とてもまがまがしいものになっていく感覚がある。で、Netflixに「ジョンベネちゃん殺害事件」のドキュメンタリーがあるんですよ。あの事件の再現ドラマを作る、というドキュメンタリーが。あの事件は犯人が見つかっていなくて、お父さん説とかお母さん説とか弟説があって。その、記者会見での、お父さんやお母さんの映像を、いろんな役者さんに再現させながら、演じた後で「どんなことを思った?」って聞くんですね。「私はお母さんが犯人だと思う」とか、「いや、お父さんだと思う」とか。弟説に関しては、小さい子どもに、鈍器で頭を殴り殺せるのかを検証するんです。スイカを用意して、いろんな子どもに、スイカを殴らせるんですよ。そしたら、割れるんですよね。なんて禍々しい行為だろうって感じて。僕の映画も、みんなが心配してくれてたのは、こういう気持ちだったんだろうなと思いながら観てました。ただ、演じたことによって、見えてくるものがあるんですよね。つまり、演じることの禍々しさと、演じたからこそ発見できるもの。両方あるなって思いました。

——ラミ・マレックがフレディを演じたことにも、そのまがまがしさは作用しているでしょうか。

千浦 頑張ってたよねえ!

市沢 フレディの魂を乗り移らせようとしている人の頑張りと悲しさが見えてるっていう感じかなあ。

内藤 先ほどの超コアなファンの「映画によってクイーンの記憶が上書きされてしまう」って不安は、死者を演じることの禍々しさが作用しているように感じます。史実と異なるところはあるし、ラミ・マレックの体格はフレディ・マーキュリーと明らかに違うけど、ラミ・マレック自身の、フレディを演じるのだ!というエモーションには感動を覚えます。それでいいんじゃないかなって思いますね。

市沢 ライブ・エイドも、ラミ・マレックの「俺、今、乗り移ってる!!!」っていう高揚も込みで観てる感じがある(笑)。

内藤 YouTubeの「やってみた」動画を観てるような感覚もありましたね。ここまで究極に再現すると、結構感動するんだなっていう。

市沢 ああ。そうね。確かに。

内藤 あの人たちがあそこまで再現できたのは、本物の動画がデジタル化されて、YouTubeで何度も観ることができたからでもあるでしょう。

市沢 僕は、途中途中に、乗ってるお客さんのカットがあるじゃないですか。ああいうのが苦手で……

千浦 いやいやいや。あれを撮ったり準備しておけるというのが、アメリカ映画の基礎体力ですよ。

内藤 日本映画だと、ボランティアで来ていただいたエキストラに、演出部とかが「もっと盛り上がってー!!」って叫ぶでしょうね。でも、「もっと盛り上がってー!!」って言われても、盛り上がれないじゃないですか。だいたい、残念なことになるんですけど。ただ、三宅唱監督の『きみの鳥はうたえる』のクラブシーンはすごくうまかったなと思ったら、実際にDJがプレイをして、エキストラが盛り上がっているところを撮ったらしくて。

千浦 撮影の四宮くんも、実際に踊ってから撮ったらしいね。すげえ幸せな、いい話。

——皆さんは、どんなライブを観て育ったのですか?

市沢 えーと、私は、ライブを、してました。

大畑 え!

内藤 その話、知らないです。

千浦 『ボヘミアン・ラプソディ』の序盤、クイーン以前の彼らの初めてのライブで、フレディが「ちゃんと歌詞覚えろよ!」って怒られてたじゃないですか。市沢さんは高校の文化祭で、メタリカのコピーをやって……

市沢 テキトーな歌詞で歌ってたら、クビになったんです。

一同 (笑)

市沢 そしてクビになった翌年の文化祭で、そのバンドが新しいボーカルと一緒にライブをやっていて、それがめっちゃ盛り上がってたんです。

一同 (爆笑)

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市沢 だから、劇中で「SMILE」から辞めていったボーカルがいたじゃん。そいつが、クイーンのライブを、客席から観てる感じ。

千浦 今回、古澤さんが来れたらどんなによかったか、って思うんですよ。クイーンって、個々の戦闘力が高いじゃん。みんな等分にヒット曲を作ってる。それって頭が悪くない人たちが論理的に手を尽くして音楽をやっている感じ。それと同じものを、古澤さんの創作活動にも感じるんです。「コンセプチュアル癖」のある古澤さんに、今回ぜひ来ていただきたかった。

市沢 クイーンってさ、批評家に採り上げられてるイメージがあまりないんですよ。自分が読んでた音楽誌の範囲内ですけど、デヴィッド・ボウイだったり、ルー・リードだったりが必ず採り上げられるんだけど、クイーンってあまり採り上げられてない。だから俺も聞いてないんだろうなっていう。

千浦 でも、常にうっすらとかかってるというか、必ず再ブームが起きるじゃないですか。

内藤 大衆向けには劇的にヒットしているんだけど、批評の場で評価されることは少ないですよね。

市沢 当時、「ロック・スタンダード」っていうカタログがあってですね。

内藤 あ。それ、父親が買って読んでたかもしれない。

市沢 あらゆるミュージシャンのアルバムの情報が片っ端から載っていて、「これが『クロスビー、スティルス&ナッシュ』か……」とかね。そういう中に、もちろんクイーンも載ってたんだろうけど、覚えてないなあ。

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千浦 あ、ほら、そういう話をするときにね、本を開くようなジェスチャーをするでしょう。これからはそれ、滅亡する仕草だから。気をつけよう。

内藤 『許された〜』でみんなに「レンタルビデオ屋を使う?」って聞いたら「使い方を知らない」って言うんですよ。レンタルの仕方がそもそもわからない。「カードを作る」っていう発想がないって言われて。

——そんな中、そろそろお時間です。まとめ的な何かはありますか。

千浦 あ! 私がひとつ、素直に『ボヘミアン・ラプソディ』を観て感心したのは、「We」ということです。「We will Rock You」って歌うじゃないですか。「We are the Champion」とか。もちろん、クイーンっていうバンドが「We」って言ってるんだけど、ライブで客席も一緒に歌うと、観客も「We」になっちゃうっていうこと。コール・アンド・レスポンスによって、観客をどんどん巻き込むというテクニックを、ガンガンに活用した人たちの強さですよね。そして、そういうことを描くのに、映画という手法がとても適していたと思うし、映画が自然とそれを追ったと思う。いまは映画を観ている俺たちも「We」の一員ってこと。ラストで観客のリアクションを地道に拾うという撮り方も、その一環だったのではないかと。

大畑 そしてスクリーンの中の観客たちも、だんだん泣いてきてるんですよね。

千浦 「We are the Champion」で、老人と肩組んで泣いてる人が映ったじゃないですか。その人たちの状況はまったくわからないけど、「うんうん」って思わされる何かでしたよね。あと、フレディのパフォーマンスがキレッキレで盛り上がっているのを見つめるメアリーのニンマリと笑顔になる表情、あれって、映画館の客席にいる私たちの表情と、たぶん同じというか、そうさせようとしているというか。

大畑 だからほんと、監督交代とか、いろんな困難があったかもしれないけど、「クイーンを題材にして撮ったら、そりゃヒットするに決まってる!」ってことかもしれないですね。

千浦 基本的に、コンセプトの勝利なんだろうね。勝ち逃げ感があった。……あと、もうひとついいですか。オープニング、「Somebody to Love」で、朝起きて、猫にエサやって、車に乗って、会場に行って、出番が来てステージ上へ上がっていく、あの時は「独り」に見えるんだけど、本編終盤でもう一度それを繰り返す時には、それが仲間たちの目線だったことがわかる。

内藤 そう! あそこ、よかったですよね。まさに「We」になったんだなあと思いました。
(2018/12/10)