そしていよいよ最終回。こうだったら面白いよね、が次々と出てくるのです。(小川志津子)

<参加者>
・高橋洋:映画監督・脚本家(『リング』シリーズ脚本、『恐怖』『旧支配者のキャロル』監督)
・大工原正樹:映画監督(『姉ちゃん、ホトホトさまの蠱を使う』『坂本君は見た目だけが真面目』)
・古澤健:映画監督(『今日、恋をはじめます』『ルームメイト』『クローバー』)
・松井周:演出家・劇作家(劇団サンプル主宰)(『自慢の息子』『ファーム』作・演出、『蒲団と達磨』演出)

ショボさがいいんです!

 

 

古澤 一方で、本広さんは強いなと感服してしまいます。自分をコントロールできるというか。どんな対象物と出会っても、プロとしての自分が持っている技を、捨てずに駆使できる強靭さというか。ただ、本広さんのそういうプロ意識と、本広さんが今持っている危機意識、つまり「演劇面白い!」「すごいものに出会ってしまった!」という意識とが、この映画ではちょっと乖離しちゃっているのかなと。

 

高橋 商業映画の監督として十分やっていける人が、悩んで青年団の門を叩いたというのは、そこなんじゃないかな。自分のことをそれなりにコントロールできてしまって、それなりにヒット作が作れちゃうけど、果たしてこれでいいのかな、っていう。

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松井 だとしたらすごい媒介になってる気がしますけどね。演劇の面白さや麻薬的なすごさを伝えきれる映画が、もし発明されたら面白いかもしれないけど、でもそういう映画って一般の人にとっては、どこか取っ付きづらいと思うんです。それよりは、映画が最初のステップになって、次の機会に生で演劇を観てもらうことの方が有効だと思うので。だから僕は、演劇の危険さを知ってしまった本広さんが映画でその狂気を表現したかった、ということではないような気がするんですよね。

 

古澤 なるほど。

 

松井 それより僕は、夜の駅で女の子ふたりがしゃべってるシーンが好きで。あの何というか……びんぼうさっていうか(笑)。映画だったらもうちょっと違うことするんじゃないかなって思うくらいの、あのショボさがいい。周りの大人はみんな優しいし、自分は本当にどうしたらいいのかがよくわからない子たちの、あの、ぽつんとした感じが、今回のテーマなんじゃないかなという気がしたんです。

 

大工原 その不安や貧しさが浮き上がるという意味で、あのシーンは僕も一番、映画らしい豊かさを感じましたね。いい照明が当たってたせいもあると思うんですけど。

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高橋 僕は序盤の、冬の夕暮れのシーンが好きでしたね。さおりとユッコが自転車で校門を出て、ユッコのお父さんが迎えに来て、軽トラに自転車を乗せて帰っていく。まことに素晴らしいと思いました。撮ったのは夏でしょうけど、冬というより晩秋なのかな、寒さが惻々と迫ってくるんだけどどこか懐かしい空気が映っていて。この感じで行ってくれれば、最後まで観れる!と思いました。

 

古澤 僕はあの駅のシーンを観ながら、竹中直人監督の『無能の人』を思い出しました。「まるでこの宇宙で、私たち家族だけみたい」っていうせりふがあるんですよ。そっちは本当に、そのせりふの通りに、本当にこの宇宙にはこの家族しかいない、猛烈な孤独感が伝わってくるんです。でも可愛い女の子ふたりにそんなこと言われても「……お前らの人生十分充実してんじゃねーか!!!」ってやっかんじゃうんですよ(笑)。

 

松井 ……そうか、僕は、この映画に重ねてる人物像が皆さんとは違うのかもしれない。僕は、僕が知ってる地味ーな人たちを彼女たちに重ねて観ていたんですね。あんなことに感動してるよ……っていうのが、僕の中ではすごくショボくて好きなんです(笑)。

 

高橋 メイキングによれば、あそこも力の入ったシーンらしいですよ。何テイクも粘って撮って、本広さんがやっぱり3テイク目を使うと言ったら、彼女たちが「えーー、5テイク目の方がいい!」って(笑)。それが、本広さんにとってはうれしい瞬間だったみたい。俳優の方から何かを提示されるってことが。

 

古澤 僕も最近、現場で以前よりもテイクを重ねるようになったんですけど、それは単純に、現場の熱気を信じちゃいけないっていうことを学んだんですね。現場が大盛り上がりで「OK!!」ってなろうが、撮影が押そうが、自分は今、編集室にいるんだと。クランクアップしたらみんな解散するかもしれないけど、俺はこの映画に最後まで付き合うんだと。あと映画の特性として、現場で芝居を観ていた時には見えなかったものが、スクリーンには見えてしまうっていうことがあるんですね。人物も背景も平等に目に飛び込んでくるから。IMG_1138

 

高橋 昔、三島由紀夫と勝新太郎が共演して、会心の演技をしたんだけど、マイクばれで「もう一回お願いします」っていうことになって、どうも咬み合わない芝居になったんだけど、監督はOKを出したんだよね。その後ラッシュを観た三島が「自分が会心だと思っていた演技と、あまり気持ちが乗らなかった演技を比べたら、明らかに後者の方が良かった」と書き残しているんですよ。ひょっとしたら、マイクばれっていうのも、実は、嘘だったんじゃないのかな……って思ったりする。

 

大工原 俳優が気持ちよく演技をしている時はダメなことが多いってよく言われますが、それは演劇でも起こることですか。

 

松井 ダメな時も、いい時もあります。演劇の場合は、お客さんもそこまでのプロセスをリアルタイムで観ているので。ただ、そのことと、相手を無視してノリすぎちゃうっていうこととは、違うような気もしますね。

 

古澤 そこは難しいですよね。この間『藪原検校』という舞台(作:井上ひさし、演出:栗山民也)を観に行ったんですけど、主演の野村萬斎がまあーノリノリなんですよ。どっかんどっかんウケている。でも、僕の気持ちはどんどん離れていくんです。

 

一同 ああーー。

 

古澤 藪原検校をやっている野村萬斎が、物まねタレントのまねをするんですよ。どんどん調子に乗って、「コロッケがやってる誰かのまね」のまねをするんですよ。ものすごく気持ちよさそうなんです。でも、それは、僕にはダメだった。

 

松井 演劇は、観客の反応ひとつでものすごく変わってしまいますからね。あと、お客さんの反応によって、自分が演じてるキャラクターの輪郭がわかったりすることもあるので。

 

古澤 去年、ナカゴーという劇団に役者として出演して、鎌田順也さんという方に演出していただいた時に、個人的に面白いことがあったんですけど。登場人物たちの正体がみんな動物であることがわかって、全員がそれぞれの動物の動きをするというシーンがあったんですね。僕の正体は鳥だったので、一生懸命そういう動きをしていたら「そんなに本気でやらないでください」って言われて。なぜかというと、「自分を鳥だと思い込もうとしてる変な人」に見えちゃうから。だからそこは段取りっぽく、ただ手をぱたぱたさせて、自分は鳥だと言い張ってください、と。

 

大工原 へええ。

 

古澤 他にも、僕の奥さんが死んで泣く場面があったんですけど、稽古中に「涙、出ませんか?」って聞かれて、「出ません」って言ったら、泣く芝居自体がカットになった。何かの「ふり」をすることを、徹底的に嫌う演出家だったんですね。演劇も映画と同じように、リアルな芝居を追い求めはするけど、ある程度声を張らないと客席には届かないから、「熱演するのではなく、声を張ってください」っていう指示があったりして。僕ら映画人が抱く演劇への先入観って、あるじゃないですか。みんな熱演して、わーわー叫んで。でも、そうじゃない演劇もたくさんあるんだなあと思って。

 

松井 でも何でしょうね、演劇の、敷居の高さというのは確かにあると思いますね。映画を観る時は、作品に対して自分一人で向き合って、自分の存在とか他者の存在とかをちょっと忘れてる状態になるけど、演劇の場合は、舞台も客席も全部一緒というか。自分の反応ひとつで、劇世界全体に影響を及ぼしてしまうという感覚がある。

 

古澤 映画館で一番前の席に座っても、何にも感じないですけど、演劇を観に行って一番前の席だと、恐怖感がありますよね。「もし目が合ったらどうしよう!」とか。

 

松井 俳優の方は、それを力にできちゃったりするんですけど、でもお客さんにとっては確かに恐怖かもしれない。「熱演してるかしてないか」ということ以外の、何らかの敷居の高さというのが、演劇にはあるのかもしれないですね。

 

古澤 ……でも昔はそんなことはまるで考えてなかったな。吉岡先生の手紙を顧問の先生が読みあげて、「解散!」って言われてもさおりは動けずにいるじゃないですか。その後ろの方で、バスケ部だかバレー部だかが、部活の準備を始めるでしょう。あの人たちは絶対「演劇部、邪魔だよ! 時間終わっただろ、どいてろ!」って思ってますよね(笑)。国語の先生が授業中、演劇部の公演を褒めるところもそう。僕なんかは帰宅部だったから、「うさんくさい発声練習とかしやがって、しかも先生に認められるようなものをやってんのかよ!」って拗ねてたと思う(笑)。

 

大工原 そうか、そういう人の目線が、そういえばこの映画にはないね。

 

古澤 メジャー映画の作法って、そういうことじゃないですか。この映画では公演のシーンで、客席で家族や友人たちしか捉えないけど、ずっと「けっ、演劇部が!」って言ってたような帰宅部の奴がひとりでおずおずと観に来て、思わず拍手しちゃってる、みたいな画がひとつあったら、また全然違った感触の映画になったかもしれないと思いますね。(2015/03/25 映画美学校にて)