4月29日(水)から開講される短期講座「Acting in Cinema 映画の演技を学ぶワークショップ」の講師である万田邦敏監督と西山洋市監督のガイダンスでの対談が映画美学校のfacebookhttp://t.co/dWsZU64qxZにアップされているのですが、お二人が映画を演出るするときの「核」にちょっとだけ触れていて、あまり面白いのでこちらにも転載させてもらいました。
映画の芝居とは何なのか、俳優だけではなく映画の演出を志す人にとっても、濃密な体験が出来る講座になりそうです。
この講座は開講当日まで追加募集中だそうです。
http://www.eigabigakkou.com/extension/4400/
興味のある方は、ぜひ参加してみてはいかがでしょう。
万田邦敏(映画監督/『Unloved』『接吻』『イヌミチ』)
西山洋市(映画監督/『運命人間』『kasanegafuti』)
西山洋市:
僕は普段映画美学校フィクション・コースで主に演出を教えているのですが、演出をするということは、出演者がいて、演技をどう組み立てるかというところから始まります。
一般的には映画監督というのは絵コンテを考えるとか、カメラワークや編集を考える人と思われているかもしれないですが、実はその前に、出演者の演技を考えて、どう組み立てようかというところから出発するのですね。
セリフをどういう言い方で言ってもらったらいいだろうか、とか、どう動いてもらったらいいだろうか、ということを基準にして撮り方を考える。演技者が単独で演技を考えて、それを見た演出家が撮り方を考えるということではなくて、現場では共同作業で、場合によっては監督以外のスタッフとの関わりなども含めて、現場、映画が成立していく。
皆さんには映画の演技の基礎を学んでいただく過程で、実際の現場で行われていることをベースにして実践的に行うつもりでおりますので、映画の現場はどういうふうになっているのか、映画自体どういう風に作られているのかということも含めて、まずは学んでいただきたいと思います。
それは実際のいろいろな映画製作の現場に出たとき、直接役に立つものだと思います。
映画の演技が舞台の演技と違うのは、そこにカメラがあってマイクがあるということです。
演技によって撮り方も変わる、つまり、演技によって映画の核心部分がかなり決定されるということなんです。
一般的に「映画言語」といわれているような、映画の具体的な内容がどういう要素から作られていて、その物語がどう語られているのか、その文法と呼ばれるものの中心部分にあるものは、実は出演者の演技なんだという考え方をしています。
カメラポジションが芝居によって変わるということもあるんですけれども、俳優はあるシナリオの内容や人物の思考や感情を表現すると同時に、シナリオに書かれている物語を演技によって語っている。
カメラワークやカットをどのように繋ぐのかという編集なども大きな要素ではあるのですが、その前の段階として画面に映っている出演者の演技がお客さんに向かって物語を語っているんですね。
僕と万田さんの共通認識だと思うんですけど、演技で感情を表現するときに、その感情が止まった状態ではダメだと万田さんはおっしゃっています。
静止した状態で現在進行形の動的な物語をいきいきと語りかけることはできないわけで、出演者の感情は常に動いている。
その場合問題なのは演技の速度であるとか間の取り方であるとかの具体的な演技の技術になるわけですけれども、あるいは人物間の距離や位置関係の処理だったりとか、そういう出演者の演技が物語を語っているという部分がとても大きいんです。
演技によって物語自体が変わってしまうことさえありうる。
ですからシナリオの内容をどう演じるかという表現の問題と同じぐらいの比重で、映画の物語を演技によってどれだけうまく語れるのかが重要な課題になります。
半分演出の領域に入ってくるんですが、さきほど言ったように映画の文法という意味では、演技と演出の領域がかなりオーバーラップしているのですね。
それぐらい出演者の演技、映画の演技というのは重要という認識を我々は持っています。
そのことを共同作業を通じて、できる限り映画の仕組みそのもの、そしてそれに対する考え方から伝えていきたいと思っています。
基礎編でやるのは、まずは基本的なシナリオの読み方。
シナリオは誰でも読むことはできるのですが、映画の内容を的確に掴み、複雑な多面性を持って演技したり演出したりするにはどのような読み方をすればいいのかということですね。
漠然と、例えば小説や物語などの読み物を読むように読んでいるだけでは、演出や演技はできないんです。シナリオをどういう方法で読めば具体的な映画の表現や創造につながるのか、その部分からまず始めたいと思います。
例えば、ある人物や人物関係をどういうふうに把握して、どういう風に演じていけばいいのか、セリフの言い方はどういうふうにすればいいのか、その時、目線はどうすればいいのか、体の向きはどうすればいいのか、どのくらいの距離で立っていればいいのか、そんなことを具体的に考えながら演じることで、表現するべき本質的なものが、演出家との共同作業で、方法として掴めるような形のワークショップにしていきたいと思います。
実践的なリハーサルや撮影を通して映画の演技の基本的な方法や考え方を学んでいただくと同時に、知っていればいろいろな映画の撮影現場で役にたつ映画の原理や仕組み、さらに、これからの映画で出演者にはどういうことが可能なのか、新しい映画を創造するのに出演者はどういうことを考えて行けばいいのか、具体的な指針になるような考え方などにも触れるような講義的なことも含めて進めていこうかと思っています。
講義内容として大きな柱で5つの項目を挙げていますが、ここからもうすこし具体的に、セリフの言い方が身体性、動きにつながって、それが人物像の発見と造形に繋がること。
ある役を演じる時の方法として、ひとつには人物の内面を考えるというアプローチ(たとえば心理であるとか感情であるとかですが)があって、それとは全く逆に、そういうことを全く考えずに動きであるとかセリフの言い方のスピードや間の取り方などの完全に外形的な部分からのアプローチで逆に内面を作り出すという方法と二つあり、どちらにも良さと欠点がある。その方法を実際にやりながらどういうところが良くてどういうところが悪いのか、それが具体的にどういう表現になるのかを知ることで、現場で有効に使えるようにしてもらう。
それから演技の現在進行形と過去形、具体的にどういう演技を行うことで、現在進行形のスリリングな演技ができるのか。
また、映画のフレームの中で人物の位置関係が変わることで、演技によって表現されるものがどう変わるのか。
動きや位置の変化によってセリフ自体のニュアンスが変わり、映画が、シナリオに書かれている言葉のレベル以上に演技によって大きく変化することを、見て知っていただくと同時に体感してもらう。
そして、それらを実際に撮影することの緊張感を少しでも体験してもらいつつ、撮ったものを見直すことで、自分たちがやった演技の何が良くて何が良くなかったのか、何をどうすればいいのか、客観的に分かるようにしてゆきたいと思っています。
万田邦敏:
映画の物語は役者の芝居が語っているんだという指摘は、あんまり他には言われていないですよね。
そういうふうに言われてみれば確かにそうだよねと納得するわけですが、きちんと言葉にしている人は多分西山君が最初で、僕自身西山君が言い出したときにはかなり驚きました。
この人は相変わらずすごい発見をするんだなと思いましたね。
僕が、映画の物語は、何がどのように語っているんだろうかと考え出したのは、27〜8の頃です。
その一つの回答を、やっと今になって西山くんから学びました。芝居が、つまり役者の身体運動が、映画を見る人に物語を伝えているということですね。
今回のワークショップは映画の芝居にこだわったわけですが、僕自身は舞台と映画の芝居の大きな違いは、映画の芝居はそれを見る方向と見るサイズが決まっているということですね。
舞台で上演される芝居の見え方は、それぞれのお客さんの座る位置によって全部違うわけですよね。
ところが映画の場合は芝居の一部をカメラで切り取って、お客さんにはそこを見せる、編集をして次の芝居を見せる、それを重ねていく。
つまり、すべての客は同じ役者の顔、姿勢、動きを見る。それは見え方の違いだけではなく、見え方の違いが芝居そのものの違いにも大きく関係している。
そのことが映画の芝居と演劇の芝居の最も大きな違いだろうなと僕は思っています。
ですので、この授業では最初はカメラを考えないで芝居を組み立てる。
次にその芝居をカメラで撮影する、つまり切り取る、その切り取った画面をみんなで見る、検証する。
それから編集をして、切り取ったものがつながるとどう見えるのか、切り取らずに、カメラで撮る前の芝居とつないだ後の見え方とどういうふうに差があるんだろうかということも検証していきたい。
カメラを考えないで組み立てた芝居をカメラで撮っていくときに、今度は画面が要請する芝居というものが要求される場合が多々あります。
つまり、カメラを導入することで、芝居を変化させなきゃいけなくなる。
一番よくあるのが「かぶり」ということなんですが、カメラの方向によって人物同士が重なってしまって見えなくなるというやつです。
映画の撮影ではこういうことが絶対に起こります。
舞台ではこういうことはほぼないと思うんですけれども。
なので、映画の場合はカメラを入れた後にもう一度芝居を組み立てなおさなければならない。
そのときに奇妙な飛躍のようなものが生じることが多々あるんです。
カメラを入れる前には気づけなかった芝居が、カメラを入れて初めてわかる、といった飛躍です。
それは映画の現場ならではのものだと思います。
基礎編と応用編と分けましたが、必ずしも前半で基礎を、後半で応用をというわけではなく、演出する人によって芝居のつけかたは変わるので、西山君の演出と僕の演出というふうに認識してもらえたらと思います。考えていることはほとんど一緒なんですが、役者さんに芝居をつけていく方法は、僕と西山君とはかなり違うと思います。
西山:
僕と万田さん以外にも、いろんなやり方をする演出家がいると思うんですけど、二人がやっていることを経験してもらえばだいたいわかると思います。
万田:
授業は、お配りしたレジュメに書いてある「柱」を中心に展開していくつもりです。
まず、シナリオを読み込んで、各シーンの芝居の落としどころを探る。その落としどころに向かって芝居を組み立てる。
それから僕は「感情が動くと体が動く、体が動いているときは感情が動いてる」
というのを基本に芝居を考えています。例えば人が何かをしゃべり出すとき、それは感情の動きがあってしゃべり出すわけですから、そのとき体も動くはずだ、だからそれを芝居として表現する、というふうに考えています。その動きは日常的にはおそらく無意識で動いていると思うのですが、それをまずは意識化する、ということです。
次ぎに、意識化した身体の動き、つまり芝居を、今度は無意識の動きとして演じる、ということなんですが、これはすごく難しいことですよね。
そういう芝居作りの試行錯誤を受講生の皆さんと一緒にやっていきたいと思っています。
最後に書かれてある柱は、最初に言ったことですね。
カメラフレームがないと映画の芝居は成立しないということです。フレームをつねに意識した芝居を作り出していこうということです。
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一般的には映画監督というのは絵コンテを考えるとか、
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映画の演技が舞台の演技と違うのは、そこにカメラがあっ
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一般的に「映画言語」といわ
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僕と万田さんの共通認識
静止した状態で現在進行形の動的な物語をいきい
その場合問題なのは演技の速度であるとか
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半分演出の領域に入ってくるんです
それぐらい出演者の演技、映画の演技というのは重要と
そのことを共同作業を通
基礎編でやるのは、まずは基本的なシナリオの読み方。
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漠然と、例えば小説や物語などの読み物を読むよう
例えば、ある人物や人物関係をどういうふうに把握して、
実践的なリハーサルや撮影を通して映画の演技の基本的な
講義内容として大きな柱で5つの項目を挙げていますが、
ある役を演じる時の方法として、ひとつには人物の内
それから演技の現在進行形と過去形、具体的にどういう演
また、映画のフレームの中で人物の位置関係が変わること
動き
そして、それらを実際に撮影するこ
万田邦敏:
映画の物語は役者の芝居が語っているんだという指摘は、
そういうふうに
この人は
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その一つの回答を、
今回のワークショップは映画の芝居にこだわったわけです
舞台で上演される芝居の見え方は、それぞれの
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つまり、すべての客は同じ役者の顔、姿
ですので、この授業では最初は
次にその芝居をカ
それから編集をして、切り取っ
カメラを考えないで組み立てた芝居をカメラで撮っていく
つまり、カメラを導入することで
一番よくあるのが
映画の撮影ではこういうことが絶対に起こります。
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そのときに奇妙な飛躍のよ
カメラを入れる
それは映画の現場ならではのもの
基礎編と応用編と分けましたが、必ずしも前半で基礎を、
西山:
僕と万田さん以外にも、いろんなやり方をする演出家がい
万田:
授業は、お配りしたレジュメに書いてある「柱」を中心に
まず、シナリオを読み込んで、各シーンの芝居の落としど
それから僕は「感情が動くと体が動く、体が動いていると
というのを基本に芝居を考えています。例えば人が何かを
次ぎに、
そういう芝居作りの試行錯誤を受講生
最後に書かれてある柱は、最初に言ったことですね。
カメ
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