そして、話はまるで想定していなかった方向へと向かうのだ。それはもう、聞き手が仕切ることを放棄せざるを得ないほどに。濃密で、近しい、同志たちの議論。孤軍奮闘しているすべての俳優たちに伝えたい。映画美学校アクターズ・コースでは、こんな仲間ができるのだと。
登壇:市川真也 大石恵美 大園亜香里 大谷ひかる 鬼松功
佐藤陽音 しらみず圭 津和孝行 長田修一 横田僚平(金子紗里 欠席)
(以上アクターズ・コース第4期)
市川 今はとにかく、たくさん経験したいんですよ。どうやったら芝居ができるのか、芝居ができる場に出られるのか。わからないじゃないですか。どこに、その入口があるのか。
――映画美学校の中に、作っている人はいっぱいいますよね。自分で作ってみる、っていうのもありですし。
大谷 しらみずさんと大石さんは、それを目指しているんですよね。この1年間と本番を通して、何かヒントは見つかりましたか。
しらみず 「自分には見えていなかった世界があるな」ということはわかった。だから「見えていない」ことへの恐怖感、みたいなものが芽生えてきてますね。でも、そこが面白いのだということもわかったんですよ。それと、どう付き合っていこうかなあという感じです。
大石 さっき、大園さんのスーツケースの話があったじゃないですか。私が今まで撮ってきたものは、何らかの動きを俳優さんが意識していようがいまいが、どうでもよかったんですね。その人が意図的に創作したものじゃなくても、全然よかったんですけど。でもそれって、人の無意識を「盗ってる」ような気がしてきて。俳優がそれを提出してるわけじゃないのに、こっちが勝手に面白がってるだけじゃないかと。そういうことをやってしまう、面白がってしまう自分が嫌だな、と思ったんです。そもそも、俳優はどうして俳優をやっているのか皆目わからなかったし、もう全然違う人種だっていうくらい、断絶を感じていて。何が楽しいと思ってやってるのかな、というのを知りたくて、アクターズ・コースに入ったんですよね。
――知れましたか。
大石 ……わか……んなかったなあ……(笑)。
横田 でもさっき「晒されてる」って言ってたじゃない。俳優は、実はあんまり、そうは思ってない気がする。
大石 そうなの?
横田 だってカメラがそれを撮っちゃったんだから、しょうがないんじゃない。
大石 でも、それを編集して使うのは私じゃないですか。
大谷 それは、監督にゆだねようっていう俳優の意志があるから。
大石 そこがわからないんですよね。なぜ、ゆだねるのか。私の中で、「無意識的」なのか「意識的」なのかっていうのはすごく大きいんですよ。その人が作ったものなのか、そうじゃないのか。だって、怖くないですか。自分の無意識を、人に勝手に面白がられてるなんて。
大谷 自分の無意識を面白がられることが俳優の仕事なのだとしたら、それは怖いことだと私も思います。
しらみず でも、それを撮り手に見つけてもらわないと、俳優としては困りませんか。自分のどこが、商品になりうるかを。その信頼関係があるから、身をゆだねるんじゃないかな。
大石 なんか、人の無意識を面白がるのって、「一緒に作ってる」感じがしないんですよ。私の中では。松井さんがやっていた演出は、俳優と一緒に作っている、という感じがした。すごく紳士的だったと思うんです。
横田 でも、撮れた無意識がとても美しかったら、それでいいんじゃないのかな。
大石 もし俳優の美しい無意識を捉えることができたとしたら、「自分にはこんな一面があったんだ」みたいな発見にはなるかもしれないけど、私にとって重要なのはその結果じゃなくてやっぱり過程なんです。その芝居を、自分も一緒に作ったかどうか。俳優も、これは美しいものになるのだということをわかっていたかどうか。そこが私にとっては大事なんだと思います。
横田 それは、無意識を撮られた――と思われる――俳優の中に、十分あると思うよ。それを、ないと思ってる方がおかしい。
大石 傲慢かな。
横田 うん。だって、なぜ「ない」って言い切れるのかわからなくない?
鬼松 たとえ無意識でも、それを撮られて「ここが良かったです」って言われたら、俳優はうれしいよ。
横田 そうだよ。だって、俺がやったことだし!
大石 ……って、なる?
鬼松 なる。俺は、自分では普通にしてるつもりでも、人から見たらどうもおかしいらしいのね(笑)。でも「俺そんなつもりじゃないし!」とは思わない。むしろ、そこがいいってくれたらうれしいし、全然納得できるな。
大谷 でも、映像と舞台とは違うかもしれない。映像は、一度それを捉えてしまえば、それを選んで使えるじゃないですか。でも舞台は俳優が何度でも再現しなきゃいけない。昨日出た無意識を、今日も出せないとダメなんですよ。だから舞台の俳優はやっぱり、そこについては意識的じゃないと、自立できないんだと思います。
市川 さっき「できた」感はわからんけど「できなかった」感はわかるっていう話をしたやんか。せりふを言ってる時はわからないけど、言い終わった時に「あー今の失敗や!」って思う。それを、「できた」時にも認識できるように訓練したいなとは思うよね。言い終わって「あー今のよかったやん!」っていうことを、気づいて蓄積できるようでありたい。
長田 俳優が、その能力をつければいいんだよね。松井さんが言うように、普段から自分の行動を意識するってことがすごく大事。
横田 無意識に出ちゃうようなことでさえ、意識化でコントロールできる俳優。
長田 そうそう。
しらみず 僕はドキュメンタリーも撮りたいって思ってるんだけど、ドキュメンタリーにおける被写体とカメラの関係って、やっぱり被写体を傷つけうるなあと思うんですね。絶対的に、暴力的だと思う。で、これは自己満足なんですけど、僕は被写体の人以上に、撮り手として傷ついていたいなと思うんです。
市川 それは、監督や演出家と俳優の間でも言えることだと思う。形式的に見れば暴力的かもしれないけど、たとえばそういうことが生じた時に、「ほほーう、面白いこと言うやんけ」「やったろやないけ!」って言える俳優でありたい。それって健全なことやと思うけどね。
大石 ……なんか、私の言ってたことは、偽善なのかも。私が、寂しかっただけかも。
横田 信頼できてないんじゃないかな、俳優のことを。
大石 んー、別に疑ってかかってるわけじゃなくて。ただ、「あー今の無意識でやってるなー」ってわかるんですよ。
横田 それはなぜ?
大石 ……確かに。決めつけてるかも。
横田 絶対、理由はあるんだよ。その動きが出た理由が。
市川 でも例えば、すべてを意識化でコントロールできる俳優がいたとして、その人の無意識を撮りたい、って撮り手は思うんじゃないかな。俳優という職業人としては、すべてをコントロールできる状態であるというのは当然のことだけど、その上で、「不意に出る無意識」の余地とか余白を残しておいた方がたぶん面白いことになるし、自分でも楽しいと思う。
横田 ちゃんと制御された上で出た無意識だからこそ、美しいんだろうね。
長田 でもそれむっちゃ難しくないですか。
市川 いや、でも、余白は、残るよどうしても。台本読んでても、「これは相手役がせりふ言ってくれなわからんな!」っていうのがあるじゃない。山内さんから「問いを立てる」ってことをずっと教わってきたけど、これは何だろう何だろうって考えながら生きているからこそ、「ああっ!!」っていう瞬間が唐突に訪れたり、きっとするんじゃないかと思う。今はまだ、わからないけどね。でもそこが、俳優という仕事のたまらなく面白いところなのだという予感がするな。
(2015/04/16 映画美学校にて)
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