頬杖ついて鼻と口おおってる人が多いのは何ゆえだろう。
「北野と俺と龍三」座談会第三回です。
三宅 「もう何もない」という自分自身の実感と、観てきた映画のムードが一致しているというのが市沢さんの立ち位置だと思うんですけど、僕は「何もない」というよりは「あ、この場所は知っている」っていう感じなんです。映っている風景が、極めて自分が知っているそれに近いという。
冨永 映画的なロケ地で撮るのではなく、そこらへんで撮ればいいんだ、という。
三宅 そう。日常的によく見てる、そのへんの道端でも映画は作れる。だったら俺もそのへんで映画が撮れるんじゃないか。――僕が極端にアメリカ映画ばかり観て育ったこともあるんでしょうけど。アメリカへ行かないと映画は撮れないって思っていたから(笑)。
千浦 ひとつ、枷をはずされたわけですね。
市沢 つまりそこに「可能性」を見たと。
三宅 そうですね。その感じです。
市沢 初めて作る時に「これって本当に映画になってくれるのか?」という不安はなかったですか?物語なんて全然思い浮かばないし、自分がこれまで映画から得てきた豊かさみたいなものにまで、たどり着けそうな気がまったくしないという。僕が第1期生としてこの学校にいた頃はまだDVカメラが出始めで、見た目的にも「ビデオ映像です!」っていう感じなので、素材を観てても、とても映画になってくれそうな気がしないんですよ。それを映画にするための取っかかりの一つが「暴力」だった。暴力をカッコよく映す好例として、北野さんや黒沢さんの映画があったわけです。こういう欠落感って、今の人たちにはあるのかな、ないのかな。
三宅 それは俺世代も入ってるんですかね。それとも、今の受講生世代? かれらと年齢はあんまり変わんないけど。
市沢 三宅くんが在籍中に出してきたビデオ課題は「すでに作れてる人がいる!」っていう感じだったんですよ。
冨永 物語ができている、という感じではなくてね。
スズキ もっと言えば物語ではなかった。ワンカット・ワンカットの重みというか、明確に定義は出来ないのですが「ショット」の映画というか。サイレントで観ても面白いだろうし。物語に関しては何もわからなかったですから。
冨永 でも、何かを「起こす」ことはできてるって感じはすごくしたんですよね。
市沢 映画がいろんな要素によってできあがっていく中で、僕は「暴力」っていう手立てしか思い浮かばなかったけど、三宅くんのビデオ課題は、総合的にいろんな方向からアプローチして結実させる術をすでに持っているという感じがした。
千浦 昔は機材も限られていたから、映画独特の切り取り方をするしかなかったじゃないですか。芝居の大きさとか癖とか、「これは作り物なんですよ」ということがむき出しになっていながら、ある美学や強さに映画は統一されていた。……ということを僕らは、認識し始める時期があったと思うんですね。漫然とではなく、能動的な意志のもとに映画を観ていくうちに。映画固有の美学、というものによる回路ができていくというか。で、たけしが海外で評価される時に、ゴダールやブレッソンと並べられたりするじゃない。映画の空間やアクションは人工的なものだということを露呈させながら、でもそれがものすごくキマってるという。黒沢さんや万田さんもそうだよね。あの強度というか、テンションというか。それらを僕らは90年代に「映画的」って呼んでたんだと思うんですけど。たけしは当初から、それがやれてる作家だった気がするんですよ。ブレッソンとかを参照することなく、本能的にそれがやれちゃっている感じ。
三宅 話を聞きながらわかってきたんですけど、僕個人にとっては上に「不良」がいなかったんだな、ということに気づきました。校内暴力とかも終わっているから、「不良文化」みたいなものを直接は目にしていないんですね。不良やチンピラやヤクザをはじめてみたのが北野映画だったかもしれない。それで、カッコいいぞこれは、と。「こんなにブチきれている大人がいるんだ!」という。
千浦 確かに北野映画には「テレビの世界やなんかで行けるところまでのぼりつめたはずのたけしが、ものすごく冷めてた」っていう感覚があるね。北野武は小さいころ、周りの大人が普通にヤクザのおじさんだったり、ケンカとかも普通に見てたって言うじゃない。今の人たちはそんなのを目にすることもない、滅菌された社会だからこそ、それをやってくれてる――っていうのは全部無意識的なものだと思うけど――そういう「機能」が北野映画にはあるのかなと。
市沢 『龍三と七人の子分たち』は、誰かが飲み屋とかで語る「ヤベえ奴」「ダメな奴」の話を聞かされてる感じだったんですよ。昼間っからダラダラしてるじーさんたちの話じゃないですか(笑)。ファンタジーではあるんだけど、でもどこかで、そんなに遠くない感じがしたんです。生活圏内にチラッと、視界の隅っこの方にいそうな人たちというか。自分は実際にああいう目に遭ったことはないけれど、実感の伴うファンタジーとして観られる映画だなあと思ったんですよね。
スズキ 皆さんに聞きたいんですけど、『龍三~』という作品を、作品単体で観られますか?
市沢 観ちゃいましたけどね僕は。
三宅 単体で楽しもうと思ってたんだけど、やっぱり途中からとはいえずっとリアルタイムで観て来ている監督だし、やっぱり考えたかな。
千浦 『アウトレイジ』二部作の反動でこういう映画を撮ったんじゃないのかな、みたいなことを想像しなくもなかったけど、でも実際観たらそうでもなかったし、妙に面白かったよね。僕らがあの映画から「北野武」という冠を完全に外すことは難しいけど。今までの、他の作品による貯金も『龍三~』の中に込められているんじゃないかと思うから。……でも、これは僕の友人が聞いた話なんですけど、五反田あたりの二十歳くらいのデリヘル嬢がね、テレビで見るビートたけしのことを面白いと思ったことがないって言ってたんだって。特に面白くもないのにみんなが妙に持ち上げる謎の偉いおじいちゃん、としか思えないんだって。という話を聞いて感慨を覚える時点で、僕らの中には「監督・北野武」と「タレント・ビートたけし」と彼のいろんな逸話とが混ざり合ってるわけだけど。
市沢 しかし、客席はウケてたよね。はっきりとウケてた。全世代に。
冨永 そんなに笑えないところでも、笑いが起きるんですよ。あれは何なんだろう。
千浦 うん、「笑うための準備を整えてここへ来た感」があったよね。でも、そうじゃない僕でも、つい笑ってしまうところが少なくなかったですよ。
(つづく)
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