5回に渡ってお伝えしてきました「北野と俺と龍三と」座談会。
いよいよ最終回となりました。
やっと語られた『龍三と七人の子分たち 』についての話が、
映画美学校のこれからへと、つながっていきます。

 
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千浦 藤竜也、超よかったよね。

 

一同 よかったー!

 

千浦 香ばしかったね。

 

冨永 色気のある人だなあ!と思いましたね。

 

千浦 マンキュー(萬田久子)に「刺青見せて」ってねだられて脱ぐシーンとか、「そういえばこの人『愛のコリーダ』の人だ!」って思った。

 

市沢 うん。それは頭をかすめましたね。

 

千浦 どんなコミカルなシーンでも、カッコ悪くならないんだよね。近藤正臣も美しかったよ。

 

三宅 僕が、北野映画で毎回必ず光ってるなあー!と思うのは、今回で言うところの下條アトムのポジション。

 

一同 あー!!(納得)

 

三宅 毎回、めちゃくちゃ良い。どこか卑怯で、あっち行ったりこっち行ったり、どうしようもない小悪党。『キッズ・リターン』で言うと、モロ師岡。『アウトレイジ』二部作で言うと、小日向文世。小物なのにめっちゃ悪い奴。

 

千浦 確かに、あのポジションの男が大活躍したことが、『アウトレイジ』の面白さだったかもしれない。第二の主役だよね。最高だった。

 

三宅 今回も下條アトムの出演シーンは、常にグッと来てましたね。頭のパチスロシーンから、最後のバスまでずっと出てくる……なんか俺、今日はこのことが言えたから、あとはもう思い残すことはないというか、これだけ残してもらっていままで喋ったこと全部あとでカットしたい(笑)。この映画が全体として面白いか面白くないかっていうのは、どうでもいいかもな。またああいう人物を観れただけでよし、みたいな。

 

市沢 うん。一作ごとに「ここがこうであそこがああだった」っていうことを言い連ねていくことは、ちょっともう、いいんじゃないかっていう思いは自分にもある。むしろもっと、可能性のほうを見たい、っていうか。

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千浦 そうなの? 映画作りを志す若者の「俺だったらもっと行けますよ!」的な話の展開はないのかな。

 

市沢 そうやって何らかのカウンターをまつりあげて叩いて次へ行く、というようなことに、今はみんなの志向が行かないんじゃないのかなと思っていて。例えば「北野武に打ち勝ってやる!」みたいなモチベーションが、果たして今の若い人たちの中で有効なのかどうか。そういう構造の中で強くのし上がっている作り手が、果たして居るのか居ないのか。それとも単に自分が知らないだけなのか。

 

三宅 たぶん、その人の野心のありかをどこで見るかだと思うんですけど。同じ土俵に乗っちゃ負けっていう言い方もできるし、あとは単純に世代間のことをあまり問題にしていない気がします。なんとなくですけど、いま自分の場合でいうと、たとえば親への反抗とか、上の世代に対してどうのこうのっていうことは、もちろんゼロではないけど、優先順位の一位ではない。同じ土俵に乗りたくないわけじゃないけど、単純に、違う土俵をつくりたいというか。

 

千浦 そういうサイクルなんじゃないですかね。さっき言ったようなデリヘル嬢が、北野武について何も知らないまま『龍三』を観て笑ってる、っていうことが普通に起こりうる時代。

 

三宅 ここ1020年ぐらいの日本映画でいうと、「カッコいい男」を描いた映画がそんなにないんですよ。そのなかで北野映画は常に、“男の子”に極めて近いとはいえ、男たちの映画じゃないですか。“男の子”の要素はずっとある。だからといって、女々しさの方に行かない。内省に走らない。

 

市沢 ああ。女々しさ方向の映画は山のようにあるね。

 

三宅 山のようにあります。

 

市沢 相っ当多いよね。

 

三宅 相っ当多いです。女々しさとか内省とかを排した男の映画はほんとにない。自分の話ですけど、いまあまりつくられていない「男の映画」をつくろうと意識して、それで二本つくって、そこからもっと行って、ヒーロー映画をつくろう!って思ったのが、次の新作『THE COCKPIT』(5/30(土)からユーロスペースで公開)なんですよ。

 

一同 おおー。

 

市沢 でも確かに、男が女々しいことを堂々と語る映画は多い。「童貞映画」みたいなフレーズが普通に出てくるし、それをみんなが共有してる。

 

三宅 「カッコいい」とか「知的」とかの末尾に、今は「(笑)」がついちゃうんですよ。でも、俺はそれをつけたくないし、つけちゃだめだとすら思ってる。

 

千浦 “男”と“男の子”の違いって何なんですかね。

 

冨永 無邪気さ?

 

スズキ 多分多くの女性はそれを「カワイイ」って言いますもんね。

 

三宅 俺の中での勝手な線引きですけど、自分のことはどうでもいいから他人のために頑張るのが“男映画”。

 

千浦 かつ、主人公が経験値も能力も、観客よりも先を行っていて、その後姿を観るような構造になっているのが“男映画”。

 

冨永 男が憧れる男の映画って、確かに今は、ほとんどない気がしますね。

 

三宅 北野映画は常にその機能を担ってきたと思うんですよ。今回も「ああいうおじいちゃんがほしい」「なりたい」っていう観客がきっと少なくない。

 

スズキ 憧れ、っていうワードで今何かがわかりました。孤高の「カッコいい」キャラクターではなく、自分に似たキャラクターがいないと、今の人って、観ないじゃないですか。自分に似ていないとしても「自分が理解出来る範囲のキャラクター性」がないと受け入れられないというか…。それが「共感」とか、「カワイイ」とかなのかもしれない、と考えてしまうのですが。

 

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三宅 え、待ってよ、じゃあ『THE COCKPIT』はヒットしないってこと??

 

スズキ 俺まだ何にも言ってないじゃないですか(笑)!

 

冨永 ものすごく大雑把に言うと、三宅くんの映画って、映画としての魅力の一方で“ストリート感”があるじゃないですか。

 

三宅 どうだろ。

 

冨永 別に意識してない?

 

三宅 あんまり考えてない。

 

冨永 そうなんだ。興味あるものを撮ったら、たまたまそうなっているというのは、すごいバランス感覚ですよね。映画ファンではない人を取り込むためには絶対必要なものだと思う。

 

市沢 自分は仕事の立場上、「今の若い人はどうなんだろうか」っていうことに意識的にならざるを得ないんですね。でもそのことを僕らは本当につかめているのかいないのか、っていうところを、実はこの座談会で確かめたかったんです。僕らが「面白い」と言っているものが、今の若い人にどれだけ必要とされていて、どれだけ伝わっているのか。映画美学校は「面白さ」をずっと追求しているんだけど、その追求している姿は、どこかで「他を寄せ付けない」イメージになっているんじゃないか。自分等はそんなつもりはないのだけど。『龍三〜』を見て、そういった自分の揺れに、逆に気づかされた。

 

スズキ それを考えると北野武は、それとは全く違いますね。観客が困惑するかもしれなくても、振り切って、全然違うことを次々に見せてくる。

 

市沢 時代ごとに、観客の求めるリズムが違っても「その今のリズム、全然乗せられるよ」と言えちゃう強みが、今の北野映画にはある。たまに見当違いだったりもするんだけど(笑)、それでも放ち続ける強みっていうのもあってさ。常にリリースし続けてるところが、北野武はすごいなあと思うんですよね。

2015/05/04 映画美学校にて)