「お金のことを考えることは、仲間のことを考えることだ」。
仲間と映画を撮る以上、聞き捨てなりません。引き続きどうぞ。
三宅 今から少しお金の話をしますか。誤解がないように前提を説明すると、なぜお金の話をするかというと、自分自身にお金がないから大変で……とかそういう理由じゃない。まず、単純に映画は「だれかと一緒につくるもの」であると。つまり、友人とか、役者やスタッフです。お金の話を考えないというのは、かれらのことを考えないということに等しいです。ぼくがそのあたりを考え始めたのは大学を卒業してなお映画を続けようとしていた頃で、いろいろ今後を考えて、一軒家を仲間と4人でシェアして住みはじめました。いつでもいくらでも映画の打ち合わせができるという、夢のようなヴィジョンのもとに(笑)。でもその時期、4年住みましたが、まともに完成した映画は4人あわせてたったの2本。おれたち何やってたんだろう? っていう……。その前後によく、自主的に映画をつくるってどういうことだ? ということを考えました。ちなみに『やくたたず』はその時同居をしていた友人を中心に、ぼく含め6人のスタッフで撮りました。
深田 ああ、かなりミニマム。必要最小限の人数ですよね。
三宅 そうなんです。
深田 それであのクオリティというのはすごい。
三宅 画面の質という意味ならば、北海道の雪の中で撮ると、多少はゲタが履けるんです(笑)。でもそれと引き換えに、冬の北海道は3時半ぐらいにはもうだいぶ暗い。もともとはもっと壮大というか物語色の濃いシナリオを準備していたんだけども、これでは全然撮れないってことがわかって。主にそれはぼくの技術の問題なんですが、でもそもそも、この予算で、たとえ自分の地元とはいえ、北海道で一ヶ月もロケできるはずもない。なんとかやってしまったわけですが。
深田 そういうのって、特に若手映画監督にありがちなことだと思うんです。お金のことがよくわかっていない若手監督とかだと、甘く見積もっちゃうんですよね。だって、映画美学校にいた時は、僕らは5千円ぐらいで作ってたわけじゃないですか。
三宅 5万円になったらもう、「制作費10倍だぜ!」みたいな。
深田 『東京人間喜劇』も青年団から助成金が20万円ぐらい下りたから、知恵と努力でなんとかなるんじゃないかって思ってたら制作さんから「馬鹿言ってんじゃない!」と(笑)。
三宅 CO2から50万の助成金があったわけですが、全員で北海道に行って帰ってくるだけで、どうはじいたって50万かかっちゃうんですよ。そういうことに、やりながら気づきました。後悔はないけど、もうよほどのことがないとやっちゃいけないと思うようにしています。当時それなりに頭つかって、イケると思ってたんですけど。
深田 はい。ほんとにそうですね。
自分の地平を知るということ
三宅 上映にしたって、お客さんがそれなりに入ったとしても、実入りはそうでもないということについてはいかがですか?
深田 それはインディペンデントでの映画作りの、構造的な問題でもあると思います。150万とか300万とかで作られる映画というのはほんとに例外的で、一般的な映画はだいたい数千万。ある程度規模が大きくなれば1億円以上は普通にかかる。こじんまりとしたアート映画でも、それくらいかかっちゃう。それを、いわゆる単館系で回していこうとすると、例えば僕のこれまでの映画なんかは東京からミニシアターの「すごろく」をしていくんですよね。いい評判が広がっていけば、結果的に全国で30〜40館くらいで公開することができる。それでもやっと、例え制作費が極小だったとしても、ぎりぎりトントンになるかどうかっていう世界で。関わっている人間がそれで生活できるレベルにはとてもならない。映画を作るとなれば監督は何だかんだ1年間ぐらい拘束されるし、映画の興行だけでそれを賄えるかっていったら絶対無理なんです。
三宅 もちろん「今頃気づいたのかお前らは」っておっしゃる上の世代の方もおられると思うけど、いやいやじゃあなんであんたたち何もしてないの?とも言えるし、ぼく個人で言えば、自分で撮って公開して、はじめて自分の実感として気づいたことなんですよね。知識では知っていたけど、実際にやってみて、これは具合が悪くなるな!と。
深田 (笑)
三宅 この現状に甘んじずに「闘う」としたって、闘う相手がよくわからないし。どうすりゃいいんだ!と思って、いろいろ考えたり人とあって話したりもしたんですが、ちょっとどうにも気持ちが暗くなるばかりで、正直ぼくは途中で、考えたり悩むことに飽きちゃった(笑)。というか、とりあえずもう新しいのつくろう、そして作り方そのものを変えようと。一言でいうと、もっと小さくやろう、という。
深田 それは全然アリだと思うんですね。自分がどうサバイブしていくかというのは、自立した作家であれば当たり前のように考えなくてはいけない。
僕は比較的、わりとかっちり劇映画を作りたい方で、なおかつ自分の企画で作りたいと思うから、なんとかしてある程度予算が用意できる立場にいかないといかんなあ、という気持ちがやっぱり強いです。だから、自分自身のためにも欧米のような小さな作家性の強い映画と、より大きな大作映画が共存できるようなシステムができないかな、ということを考えます。『東京人間喜劇』と『歓待』を経て、そのへんをいろいろぐちゃぐちゃ考えるようになって、「映画芸術」という雑誌に「映画と労働を考える」という文章を書いたんです。
三宅 当時読んでいました。
深田 それもあって『タリウム少女の毒殺日記』の土屋豊監督から「こういうNPOを作ろうと思ってるんだ」と声をかけていただいて、「独立映画鍋」の立ち上げメンバーに加わったんです。映画作りの互助会みたいなイメージですけど。
三宅 そこでぜひ聞きたいのは、数年間の活動を経ての、成果とか手応えとか、やってみての実感を教えてもらえますか?
深田 まず活動内容として、クラウドファンディングのサポートをしてますね。クラウドファンディングはつまりは個人からの小口の寄付、厳密には寄付とも言い切れないのですが、を集める活動です。これについて説明するには、海外では基本的に映画の資金に対する思想みたいなものが根本的に違う、ということを知っておく必要があります。例えば僕が昨年撮った映画は数千万円かけて今仕上げ中なんですけど、でもそういう話を海外ですると、みんな唖然とするんですね。例えばヨーロッパの、作家性の強い作品ばかりを手がけているプロデューサーに話を聞くと、予算は1億3千万から3億円ぐらいだったりするんですよ。で、ジャンル映画は10億円以上とか。もちろんどちらが正しいかはわからないけど、彼らはまず日本の一部インディペンデントであるような超超低予算で映画を作ることを基本やらないし、なおかつ大小の映画が共存できるようにいろんな制度を作っているんですね。多様な映画を生み出すためには、多様な作り方、多様なお金の集め方が必要なことを知っている。ビジネスとして出資を集めること、行政からの助成金や寄付。これらのパッチワークで映画が作られていく。助成金や寄付を集めれば資金的な製作リスクを減らせるし、何より作家の自由の幅が広がる。寄付は日本では馴染みが薄いけど欧米ではより一般的で、民間から文化芸術に寄付をすると税額控除があるとか、そういった制度を充実させることで文化の多様性が支えられているんですね。日本では、こういった考え方はまだまだ不足しているように思うからこそ、多様性を支えるためのパッチワークの一枚としてクラウドファンディングは重要だろうと思っています。実際、僕は『さようなら』という映画に際して、アメリカと日本でクラウドファンディングをやって、100万円弱集めて、それを企画開発資金にして、国内外のいろんなプロデューサーに持って行ったりして、結果的に数千万円に制作費をふくらませることができたので、とても有効だったと思っています。
三宅 いい使い方ですね。
深田 あとは、月に1回の勉強会ですよね。例えばユニフランスの人に来てもらって、フランスの映画行政はどうなっているのか話してもらうとか。海外の真似すればいいってもんでもないと思うんですけど、それによって自分たちにとっての常識が世界の常識ではないということは知れるわけですよね。自分たちを相対化するいいきっかけになっていると思います。
三宅 なるほど。実は、気になっていたんです。ただ海外の事例を並べられても「知らんがな!」ってずっと思っていたんですけど(笑)。でも確かに、自分たちが今いる環境を、当たり前のものとしてしまうというのは非常に危険だっていうことはすごくわかる。「相対化して自分たちのことを考える」というのは、すごく腑に落ちました。それって例えば……超ちっちゃい話をしてもいいですか。
深田 ええ、全然。
三宅 僕が大学の頃に入ってた映画サークルはとても小さいところで、基本、学内で徒歩移動で撮ってたんですけど、「早稲田の映研じゃハイエース使って移動するらしいぞ!」って聞いた時に「それはすごい!」と思ったんですよ。「負けた!というか勝負になってねえ!」と思って。別にそれで映画が面白いかは別なんですけど。……みたいな話ですかね(笑)。
深田 すごくわかりやすい例をありがとうございます(笑)。つまりそういうことだと思いますよ。知れば知るほど、いろいろと釈然としない気持ちにはなるんですよ。文化庁が毎年、映画のために出している助成金はだいたい20億円ぐらいらしいんですね。そう聞くと「映画なんかのために俺たちの血税を!」って思われる方も当然いるかもしれないんですけど、でもこれが例えば韓国だと、年間400億円。フランスでは800億。なんでこんなに差があるんだ!っていう違いにまず愕然としてしまう。しかも韓国フランスのそれは全部が全部、文化予算というわけではないんですね。文化予算を動かすには国民全体の理解、コンセンサスというのがどうしても必要で大変です。そこに至る前にまず彼らは、映画業界の中でお金を回そうというシステムを作っていて。これはフランスでまず採用されて、そこから学んだ韓国でも取り入れられているシステムなんですけど、「チケット税」というのがある。つまり映画館の劇場収入の一部を一度プールして映画のためだけに使えるお金として必要なところに再分配していくんです。
三宅 ほうほうほう。
深田 それでフランスは800億円、韓国は400億円という、映画のための資金を獲得していて。フランスではチケット収入の約10%がそれに当たるんですけど、これを日本に置き換えてみると、興行収入が年間約2000億円だから、200億円が映画のためだけに使えることになる。これだけでも、できることがいろいろ変わってくるんじゃないかなあと思うんですけど。
三宅 でもそのうちのおそらく百数十億ぐらいは、大きな会社が売り上げてるお金ですよねきっと。となると、嫌がりますよね?
深田 嫌がるかも知れませんね(笑)。でも日本の興行収入って、ざっくり言って大手三社が8割近くを占めているんですよね。しかも一部の会社は映画製作から劇場まで直轄で運営してますから、川上から川下までを押さえられている独占的な状況で。インディペンデントは残り2割の小さいパイを奪い合うしかない。しかもさっき言ったように単館系のすごろくには限界があるから、自分たちの努力ではいかんともし難い、構造的な不平等の中に今僕らは晒されているわけです。でも、文句ばかり言ってても仕方なくて、四の五の言わず頑張っていい映画を作らなきゃいけないんだけど、だからと言ってじゃあ不平等なシステムに合わせて勝ち組になれればそれでいいのか。それじゃあ何も変わらないから、構造そのものをどう変えていくかを考えたいなと思うんです。(つづく)
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