「作りたいから作る!」だけじゃ、いけないんじゃないか。
 先人を見て、後輩のことを考えて、
今を生きる映画人たちは自問します。


 

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映画人自身がやるべきだったこと



三宅 深田さん個人の仕事の仕方についてお聞きしたいです。まず、1日って、ひとりあたり24時間ですよね。


深田 はい。


三宅 自分の映画を作りつつ、NPOなどの活動も両輪でやっていくのって、どういう脳みその使い方をしているのかなと素朴に疑問だったんです。ええと、ちゃんと寝てますか?


深田 寝てますよ。やまほど寝てから、「うわ、寝ちゃった!」って後悔してばかりですよね。


三宅 それって、でも、寝る直前までちゃんと仕事してるパターンですよ。


深田 僕はほんとに意志が弱くて、居心地のいい寝床に入るといつまでも寝てしまうので、よくやるのは、ファミレスで寝るっていう。


三宅 (笑)


深田 ファミレスで仕事して、そのまま寝て、そうするとなんとなく朝が来て、目が覚めれば仕事用のパソコンが目の前にある。……すみません、ちょっと引いてませんか、皆さん(笑)。でも全然、事務能力も高くないし、というかむしろかなり低いので、はっきり言って、いっぱいいっぱいで。いろんな人に迷惑かけて、いろんな人に甘やかしてもらって、今もなんとかなってるっていう感じです。


三宅 とはいえ、本人が動かないと周りも動かないと思うんです。


深田 よく言われるんですよ。「映画監督なんだから映画作るのが仕事でしょ」って。


三宅 必ず言われますね。そして、複雑な気持ちになります。


深田 それはもちろん正論だけど、残念ながらそれだけでは今は難しい。かつて日本映画には黄金時代があって、撮影所というものが機能していて、監督から役者まで全員映画会社の社員、みたいな幸福な時代があったんですよね。お金も回っていて、プロデューサーが次から次へと企画を立てて監督に振っていた。そういう時代であれば、映画監督は作品のことだけ考えていられたかもしれないけど、僕はそういう時代は、永遠に終わってしまったと思うんです。


三宅 そうですよね。問題は、にもかかわらず、なぜか「監督像」は昔のまま、というあたりでしょうか。もちろん、当時の映画は最高なので、かれらのような職人への憧れもあるけど、それはあくまで映画の中身の話にとどめたほうがいい。とにかく、いまの時代にはいまの時代に合った「監督像」というか、仕事のやり方があると思います。まあでも、最近だと、ぼくらみたいな作り手が増えたせいで逆になんでもかんでも監督にやらせる、という都合いい人たちも一部にいるようで、それはそれで断固拒否しますが……。まあ、とにかく旧来のイメージにとらわれずに、という。


深田 と思いますね。今、日本の映画行政の助成金制度って、すごく使いづらいんですよね。例えば5千万円の映画に対して1千万円の助成金が下りる文化庁の制度があるんですけど、それは9月過ぎに結果が出て、完成までの期限は翌年の3月。CO2もそうですけど、つまり半年後の年度末には行政相手に完成披露試写をしなきゃいけないんですよ。映画って、作るとなったらすごく時間がかかるものなのだというリアルが、全く行政に伝わっていない。かといって、じゃあただ単に行政が悪いのかといえば、そんなことはないと思っていて。映画人自身が彼らに対して、映画作りのリアルをちゃんと伝えてこれなかったことにこそ問題があると思うんです。自分は映画監督なんだから面倒なことはプロデューサーとか役人とか別の誰かがなんとかしてくれる、なんていう時代はとっくに終わっている。こういうことを、僕みたいな無名の監督じゃなくて、もっと発言力のある人たちが言っていってくれたいいのにな、という気持ちは正直ちょっとありますね(笑)。


三宅 ちょっと聞いてみたいんですけど、映画を観るお客さん自体が減っていったりという今の時代のことを考えている間に、「もしかして、別に映画なんて作る意味ないのかも……?」みたいな気持ちに陥ることはありますか?


深田 僕個人のモチベーションの中では、ないです。僕が映画を撮りたいという動機は結構シンプルで、「思いついたから撮りたい」っていうだけなんで。でもフッと一歩引いて、日本映画の状況を見ると、気分が落ち込むことはかなりあります。映画を観る人の数がこれだけ減ってきているという現実があるにも関わらず、劇場公開本数が、去年とうとう、日本映画全盛期を超えちゃったんです。すごく不思議な状況ですよね。たぶんデジタル化によって映画作りが手軽になったことと、いわゆるミニシアターが低予算の自主映画もプログラムに組み込むようになったという、2つの流れが重なったためだと思うんですけど。でもそう考えると、僕の『東京人間喜劇』みたいに「作りたいから作る!」っていう衝動だけで映画を作ってしまうのは果たして正しかったんだろうか、っていうことを思いますね。2年や3年かかっても、ちゃんと資金的にも作れる体制を整えてから作るべきだったんじゃないかと。そういう自分の首を絞めるようなことも今後は考えていかなきゃならないんだろうなと思います。


三宅 普段、作り手として何か思いつくことがあってもまず「……これは別にいいか」みたいなフィルターにかけますよね。企画の段階でもそうだし、ぼくの場合は、最近は特に、いろんなことを調べてからシナリオを書きたいタイプなんですね。そういう精査の段階、企画の準備段階に少しでもお金もしくは時間が伴えば、映画はもっと良くなるのになあと思ったりしますね。みんな「シナリオが一番大事、企画が一番大事」っていうくせに!(つづく)