こういう席ではわりと珍しいことに、
すんなりと手が挙がった質疑応答の模様をお送りします。
——三宅監督が最初におっしゃった、映画を作るにあたって「人に会わなきゃいけない」という点についてもう少し詳しく知りたいです。それは、大切なことですか?
三宅 今僕が一緒にやっている仲間は、もともとの友人というのではなくて、映画をつくっていく間につながっていって、それを公私ともに続けているという関係なんですね。もしあの時あの人と出会ってなかったら、この映画はこの形じゃなかっただろうな、と思うことばかりです。映画美学校に在籍していた時、ぼくはあまりお酒は飲めないけれどもなるべくそういう席に参加して「そろそろ帰りたいかも……」って思いながらでも話を聞いてると、ある日「ひま?」って誘われて、現場を手伝いに行ったりする中で、今一緒にやっているスタッフ——映画美学校の先輩ですけど——と出会っていったりしました。もちろん、もしかしたら人によっては「別に俺は誰とでも仕事できるよ」「どんな人とでも映画作れるよ」っていう人もいるかもしれないけど。でも俺はそれが苦手だっていうことがわかったんですよ。ちゃんと自分がリスペクトできて、むこうにも同じリスペクトを受けないことには、けっこうキツイ。まあ、甘えん坊といえばそうなんです(笑)。でもほんとに、いい関係性が築けないとぼくは仕事ができない。監督が俳優に惚れるっていう話をよく聞くけど、俺はスタッフに対してもそうなんですよね。リスペクトしたい、惚れたい、そして甘えたい。
自分の映画は自分で全部決めながら作るのだと思っている人もいるかもしれないけど、実は全然そうじゃないんです。決めるときは決めなきゃいけないけど、だれかが決めてくれたり相談にのってくれるほうが映画は面白くなるし。尊敬できる好きな人が「これで行けるよ!」って言ってくれたら、安心してドン!と任せられる局面っていうのがある。それがすごく気持ちいいので、ぼくは自分の映画を「自分たちの映画」というようにしています。……やばい、綺麗事を言っちゃいました(笑)。
——先ほど「インディペンデント映画は50面」という話がありましたけど、これからの映画はそれを確保する方向に向かった方がいいのか、もっと何百ものスクリーンを勝ち取る方向に向かって行ったらいいのか知りたいです。
深田 これはあくまで僕の個人的な考えになるんですけど、結局その両方だと僕は思っていて。日本の映画業界は独占禁止法すれすれの状態にあるけど、もっと大手映画会社と独立系が互いに手を組んでフランスのCNCや韓国のKOFICのような大きな組織を作った方が日本映画にとって絶対プラスだと思うし、何よりそれは映画ファンにとってこそメリットになるはずなんですよね。より多様な映画に触れられる環境を作るということなので。多くの映画が「ミニシアターすごろく」で30〜50館でしか上映できないというのは、僕たちだけじゃなく、全国にいる映画ファンにとっても不利益なことです。多くの地域では、ほとんどシネコン系の大作しか見れないし、それさえ見れない地域がたくさん見れないわけで。だからシネコンに限らず、地方の公共ホールの活用とか、あるいは地域の自主上映団体への積極的なサポートとか、そういうこともみんなで考えなきゃいけないと思います。
僕は勝手に「あと15年」って思ってます。15年後には良い状況になっている、というのを目標にして……って5年前から15年って言ってるんですけど(笑)、馬鹿のひとつ覚えみたいに言い続けていれば、いつか叶うんじゃないかと思っています。
とはいえ、すでに映画を撮ってしまったのであれば、ミニシアターにちゃんと営業をして上映館を増やしていく努力は、ごく基本的なこととして映画作家にはちゃんとやってほしいですね。やらないより、やった方がいいです。一方で衝動にかられて低予算で作り逃げするだけじゃなくて、予算をふくらますためにはどうしたらいいのかとか、制作リスクを下げるためにはどうしたらいいんだろうとか、ちゃんと試行錯誤し続けてほしいなと思います。
——ということは、東宝のシネコンでミニシアター系の作品がかかるようにすればいいのか、あるいはインディペンデントの作家が東宝に企画を持ち込むみたいなことをすればいいということですか?
深田 それもひとつの手だと思います。それに、実際にあるんですよね。「スクリーンが余ってるからいいよー」っていうようなことが。お客さんのためにもそれはいいことだと思うんだけど、でもちょっと心がモヤモヤしてしまうのは、なんかそれってすごく「上から目線」じゃないですか(笑)。問題は、独禁法すれすれの不平等な構造に蓋をしたまま、なし崩し的に大手とインディペンデントという本来ないはずのヒエラルキーが成立してしまっていることだと思います。こっちが頭を下げて「上映させてもらう」んじゃなくて、むしろ「上映させてあげるよ」ぐらいの対等な関係で、その枠を獲得しなきゃいけないと思っています。
三宅 質問です! ぼくは5年前ぐらいからたまに言われていて、いまでも「まだそんなダサい言葉使ってるんだ……」となるフレーズがあるんです。それは「三宅くんって商業映画とか興味ないの?」という言葉。深田さんは言われますか? この「商業」という言葉はいったいなんなんでしょうか。
深田 僕も言われます。しかも好意で。だから無下には否定しないんですけど「次は深田くんももうちょっと大作とか商業ぽいの撮れるようにならないとね!」って。とてもありがたいんですけど、でももしそこで使われている「大作」や「商業」っていうのがインディペンデント映画作家の上がりみたいな感じなんだとすると、すごい違和感を覚えますね。あと「商業映画」っていう言い方自体が僕は、……
三宅 そう!「その言い方、もういい加減やめない?」と思っています。
深田 ですよね。やめたほうがいいと僕も思っていて。海外にもそんな言い方は例がないんですよ。どんな映画でも、お客さんにお金を払わせている以上「商業映画」じゃないですか。
三宅 実際、ぼくも友人と自主配給をしてるけど、それははっきり言って商売だし、「さあ、いくら儲けようか!ビル建てるぞ!」ぐらいの思いでやってますよ。80年代に自主映画が生まれて、その人たちが「すごろく」とか「階段」の構造を勝手に想定して「向こうは商業映画、こっちは自主映画」って自分でラベリングしちゃったんだと思うんです。そんなものは、もはや外したほうがいい。
深田 同感です。
三宅 せめて「メジャーか/非メジャーか」ですよ。音楽ならそうですよね。「メジャーに興味ないの?」ときかれるならば、「あるに決まってるじゃん!」と素直に答えられます。ぼく自身は基本的になにも断るつもりはないし、「おっきい映画やりたいんだ!」って結構いろんなとこで言ってるんですよ。
深田 『ミッション・インポッシブル』を撮りたいんですよね。
三宅 はい。「9」ぐらいを僕が撮ります。『ダイ・ハード』の「6」ぐらいも撮る。
深田 (笑)
三宅 でも、よく受講生に聞かれるんですよ。「三宅さんハリウッド映画とか観るんすか!」「えっ三宅さんシネコンとか行くんだ!」って。いやいや、この学校、むしろアメリカ映画を主に観る人ばかりだぞ、という。
深田 「えっ深田さん『マッドマックス』とか観るんだ!」って言われます(笑)。
三宅 何なんだろう、この誤解は。
深田 別に映画全体に適応すべき基準だとは思わないですけど、例えば欧米だと作家性の強い「アート映画」と「ジャンル映画」っていうくくりなんですよ。だから、インディペンデントだから芸術だから商売をしない、なんてことはありえないんです。言うのも馬鹿らしいんだけど。
三宅 馬鹿らしいんだよなあ!
深田 「インディペンデント映画」だから「バイトして貧乏して苦労して撮るべき」なんじゃなくて、大事なのはちゃんと作家やプロデューサーが、主体的にお金集めして作ってるかどうかなんですよね。できるなら、自分の撮りたい映画を曲げずに、観てくれる人を増やしていく、お客さんを育てていくっていうことを、できたらいいなあと思いますね。(2015/07/05)
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