この顔ぶれで、園子温を語るということ。
そのことの意味をまるで知らずに企画したわけだけれど、
実はすごいことだったんではないかと、終わってみて、もぞもぞしている。
園とは2歳違い、自主映画界の中でも別のフィールドで映画作りに励んでいた高橋洋。
80年代から90年代、園と近しく映画作りに取り組み、『うつしみ』(99年)に主演している鈴木卓爾。
大阪のミニシアターと映画美学校の試写室で、園作品をいくつも映写していた千浦僚。
そして、映画美学校で映画の何たるかを叩きこまれた修了生・石川貴雄と若栗有吾。
それぞれの目で観た、それぞれの園子温と、それぞれの『ラブ&ピース』について、
話したい人が話したいだけ話す3時間のスタートです。
(※ネタバレを含みます。観てからのご一読をおすすめします!)
【高橋洋】
脚本家・映画監督。1959年生まれ。脚本作品は『リング』シリーズ、『おろち』など。監督作品は『ソドムの市』『恐怖』『旧支配者のキャロル』。去年書き上げたオリジナル・ホラー脚本が年内にインできるか…。
【鈴木卓爾】
映画監督・俳優。1967年生まれ。監督作品『私は猫ストーカー』『ゲゲゲの女房』『楽隊のうさぎ』他。映画美学校アクターズコース1期高等科のメンバーと制作した、新作『ジョギング渡り鳥』が、2016年公開待機中。
【千浦僚】
退役映写技師。食い詰め映画ライター。1975年生まれ。初めて観た園子音映画は『部屋 THE ROOM』。『桂子ですけど』『自殺サークル』『奇妙なサーカス』『恋の罪』『男の花道』(の部分)、を映写したことがある。
【石川貴雄】
1977年生まれ。映画美学校フィクション・コース第13期初等科修了生。アクターズコース第2期TA(ティーチング・アシスタント)。自身のテーマソングとなる渾身の一曲を作りたい。
【若栗有吾】
1986年生まれ。映画美学校フィクション・コース第15期高等科修了生。
高等科修了制作品「なんのすべもなく」を監督。現在公開に向けて準備中。最新作は模索中。
鈴木 思い起こせば僕が映画を始めた理由というのが、平野勝之と園子温に浜松で出会ったことからなんです。『愛の街角2丁目3番地』(86年)という作品に、オカマ軍団のひとりとして出演したんですね。
千浦 観ましたよ!映写したことがある。たしか園さんがドブ川で釘を踏み抜いて、そこから夜の病院へ行っていきなりドキュメンタリー・タッチになったりする、出てるキャラがとにかく暴れまくってる映画。
鈴木 いろんな思い出があるから、本当は今日、どうしようか迷ったんです。純粋な作品論を語られるであろう高橋さんと、水と油みたいなことになってしまわないかと思って。というのも僕は『ラブ&ピース』を観て、ちょっと感傷的になっちゃったんですね。この作品の原案みたいなものを僕は、大学時代に園さんから聞いていて。飼い主の成功と共に巨大化するカメの話。人間目線の立ち位置から撮った怪獣映画がやりたいんだよねーって、平成ガメラシリーズより前から言っていて。それを実現したんだな、というのがまずあって、ちょっと涙も出たりして。なんで泣くんだろう、って自分で思って。
高橋 そこ、聞きたいですねえ。
鈴木 当時、園監督が住んでたアパートによく遊びに行ったりしてたんですよ。映画の鈴木が住んでる窓辺や間取り、当時の部屋にそっくりだった。その時の、時間や記憶が押し寄せて来たのかもしれないです。
千浦 劇中で、マンションの部屋の一角に、主人公のアパートの部屋を作ってあったじゃないですか。つまりこの映画全体が、それと同じことをしているわけですよね。
鈴木 昔、園さんの映画の美術をやったりもしてたんですが、かなり園子温色の強い映画だと思いながら観ました。劇中に出てくる「打ち捨てられたもの」たちとか、壁掛け時計とか人形とかトランクとか。寺山修司さんの世界観とも通じる「時間」と「記憶」を感じさせるものがあの地下空間に凝縮していて。それでいて、カメがいかだで流れ着くあたりは『バットマン・リターンズ』を感じさせる。あのカメはなぜ自分で泳がないんだろう、なんて思いつつ。
一同 (笑)
鈴木 今回はジャンルで言うと「ファンタジー映画」なんだろうけど、園さんは自分史と映画を重ねて作ることがあって、それを示すアイテムたち自体は変わってないなあと。でも一方で、あれっ、と思ったところもあるんです。新国立競技場や原発の問題に触れてはいるけど、せっかくならもうちょっと、ヤバいところまで行ってほしかったなあとか。「ピカドン」という歌詞を「ラブ&ピース」にすげ替えられてしまった主人公像が、僕はやはり園さんと重なってしまうんですけど。
千浦 出演されている松田美由紀さんは、ご自身でも反原発を表明されていますが劇中でも、彼女が演じる音楽プロデューサーがそれをちょっと思い起こさせるような感じで「ピカドン」の歌詞に惚れ込んでしまうという一連がある。その、一種の「これで触れましたよ」感、一応触れるけどそれ以上は突っ込んではいかないというスタンスが、近年の園子温作品にはある気が僕はしていて。『ヒミズ』も『希望の国』も(共に12年)、肝心なところは芯を食っていない感じがあるんです。
高橋 カメが記者会見に乗り込んできて、3つめの曲を歌うでしょう。あれは、何だったんだろう。どこにも着地していないよね?
千浦 この映画はそういう「詰め」を放棄した映画なんだなと思いましたけど。
高橋 僕の初見の印象だと、園監督が本当にやりたいのはきっと地下とカメの話で、うわもののように乗っかっている男女の物語には何の興味もないのかな、と思ったんです。でも、そうでもないんだね。監督自身が、かなり自分を投影していると。
鈴木 というふうに重なって見えてしまうのは、僕らが勝手にそう見てしまうだけなのだろうか、と。
高橋 予告編とかチラシを見る限り、この映画を売る側の人たちも、鬱屈した男が成功と憧れの人を手に入れる、というわかりやすい物語の方に重点を置いている。
石川 そう、だから地下世界が現れた時に「思ってたのとは全然違う方向に話が進んでる!」って思いました。
高橋 そう、そっちで映画が暴走してくれたらいいんですよ。今の園さんはそれがやれちゃう立場にいるだろうから。主人公二人はネームバリューのある人を配置しておいて、あとは好きに走ります!っていう映画なのか、それはいいぞ!と思って観てたんだけど……あれ、そっちもやりきれてない。って僕は思って。
石川 黒猫が「俺は海に行ったことがある」って突然言うじゃないですか。だから僕は、あの地下世界から海へ漕ぎだす話だとばかり思ってたんです。
若栗 僕も思いました。海へ行くとばかり。
高橋 僕の心が一番動いたのは、やはり人形のシーンでした。今この時代に、スクリーンでこういう画を観ている!という驚きも含めて。
鈴木 上手なCGにしようと思えばできなくはないけど、そうせずに、人形の足元には確実に操演の人がいる。しかも上から糸を吊っている。そこに、キュンとくるものがあるんですよね。これは「モノ」たちなんだ、という。いい意味で、いびつだなあと思ったのは、その中に生きた猫やうさぎがいたこと。みんながわあわあ叫んでる、あのライブ感は他にないなと。
高橋 そうね。中川翔子、犬山イヌコ、星野源。声の力を感じましたよ。それにしても今これをスクリーンで観てるってすごいな、と改めて思った(笑)。
千浦 カメの声(大谷育江)も素晴らしかったですよ。うちには一歳の娘がいるんですが、まさにあんな感じ。声優さんはポケモンのピカチュウの声のひとだそうですけど、非言語の鳴き声でもさすが一流どころ、あの声が見事に可愛くてカメに魅力を感じました。
石川 カメも人も同じように撮る、あの感じはちょっと面白かったですね。流されたカメが地下世界を発見していく感じも、カメ側に立った視点になっていて。あの瞬間は「こんな映画、他にあったかなあ!」って思いました。
鈴木 うん。途中からネコ目線になったりとか、「みんな目線」だったのが面白かったね。
高橋 『ウルトラQ』の影響も、あったんじゃないかな。ほぼ同世代だから思うんだけど。
鈴木 『育てよ! カメ』ですね。確かに大きいかもしれない。
高橋 物語上の整合性やシナリオ上の出来不出来はどうでもいいんですけど、カメが出てきて巨大化して、ドライブ感がガーッと上がってきたら、それが主人公とどう関わるのかというのが肝じゃないですか。だけどそこがうまく焦点を結ばなかったな。
千浦 それは「飼い主の願いを一身に担ったカメ」っていうことなんじゃないですか。あんなに巨大化するほど、ご主人様の願いが強いのだという。
高橋 そうなんだけど……それの、何が面白いの?
千浦 厳しい!面白いじゃないですか。
高橋 もっと面白くなるんじゃないか、と思った瞬間は、都庁前の巨大スタジアムでコンサートをやっていて、都庁を巨大カメがよじ登っているんだけれど誰もそのことに気づかないという描写。むしろみんな気づいてて、そういう状況だからこそコンサートに余計熱狂する方が面白いし、主人公の立ち位置もグワッと盛り上がると思うんだけど、なぜ園さんはわざわざ「気づいてない」っていう極めて無難な選択をしているんだろう。
鈴木 記者会見で、みんなにカメを見せちゃわない方がよかったんですかね。
高橋 あそこが「再会」じゃないんだもんね。
鈴木 その前に一回、家にまで来てる。
若栗 しかも結構簡単に(笑)。会おうとすればすぐ会えるんじゃん!って思ってしまった。で、あそこで主人公がカメを必死に隠すっていう行為が、僕はどうも腑に落ちなくて。
鈴木 主人公によるカメの扱いと、麻生久美子さん演じる彼女の扱いが、うまく三角形になっていない。
千浦 彼は頑なに抵抗するんですよね。彼女が「可愛い」って言ってるのに。
鈴木 彼女に「実はこいつに作曲してもらってるんだよね」って言えない、っていうのが実はとても大事なところで。
石川 主人公が「才能ない」「売れない」「冴えない」って言われて卑屈になったというよりは、「乗り遅れている」っていう言われ方をしていたじゃないですか。つまり「自分には才能があるんだけれどみんな気づいていない」という。
高橋 そう、一応実力がある人が鬱屈している、という微妙な設定からスタートして、「カメを飼い始めるが流してしまう」「路上ミュージシャンのギターがカメの形をしている」っていう無理くりな展開を見せる(笑)。
千浦 でも、それを言っちゃうといろんなところが無理くりですよ。持ち歌が1曲しかないのにどうやってライブを持たせてるんだろう、とか。
鈴木 海沿いのマンションで、低層階ではあっても、カメはここまでどうやって登ってきたのかな、とか。確かに「それを言っちゃうと……」っていう箇所はいっぱいある。でもそういうことじゃなく、一筆書きみたいにして、勢いでえいやっとやっちゃえ!っていうところが園子温映画にはあると思うんです。筆ムラさえも俺の映画だ!という映画。男たちが荒くれて暴走していく過程に乗っかって、荒くれてる男たちの身体性ばかりがなんかすごい!っていう映画。だからこれも、カメ型のギターを見て「うわああっ!」ってなっちゃう男、という一筆書きなのかなと。
高橋 主人公がバンドの路上ライブに引きずり出されて、社会派の松田美由紀とビジネスライクな渋川清彦が心を動かされている場面は、説得力があると思いました。フィクション内フィクションをやりたがる人って、映画美学校生にもたくさんいるんですよ。劇中で「素晴らしい」と設定されている音楽なり何なりを、じゃあ実際にどう表現するの?っていうところをみんな考えきれていない。でも園さんはさすがにうまいなと思いました。何だかわからないけど耳に残るメロディ。そしてそれが聴衆の心を動かす。渋川清彦のリアクションがいいんだよね。戦い方を知っている人だなと思いましたね。
若栗 僕は、トイレに流されたカメが、それでも主人公のことを大好きでいるっていうのが、なぜだろうなあと思って。
鈴木 絶対的な愛の象徴、なのかな。あるいは、主人公自身の投影なのか。……実際、そう考えていくと、いろんなものが混然としている映画ではあるね。
千浦 いろいろと考えさせる筋道が組まれている。
鈴木 思い出したのは、昔、黒沢清さんがスピルバーグの『フック』(91年)について「シーンごとに言っていることがおかしい」って書かれてたじゃないですか。「一貫性がない」って。それは批判というより褒め言葉に近かった。もはや、1個1個の問題などはどうでもいいのだと。この映画にも、それに通じるものがあるのかなと思ったんですよね。
高橋 でも『フック』はさ……つまんなかったよね。
一同 (笑)
(つづく)
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