ぐんぐんペースが上がってきた『ラブ&ピース』座談会。
今回は、5人ががっつり「園子温について語ります。
(※ネタバレを含みます。観てからのご一読をおすすめします!)
石川 あのカメ、がんがん歩くなあ!と思ったんですよ。僕は昔カメの映画を撮ったことがあるんですけど、なかなか歩いてくれなくて。こいつ結構頑張るなあ、と思って観てたんですけど。
一同 (笑)
鈴木 カメはすごくよく撮れてると思いましたね。あっちを向いたりこっちを向いたりするのも、たくさん撮ってそれをつなげてるんだろうなと思うんですけど。
千浦 素晴らしかったですよ。ベスト・オブ・カメ映画です。「ミュータント・タートルズ」の亀実写パート以上です。
石川 カメ舐めの世界とか、人形舐めの風景っていうアングルが多かったので、園さんはそこへの興味が強いんだなあと思いましたね。
高橋 園監督の世界観って、一見、ルサンチマンや怨念が強そうなイメージがあって。地下世界があって、『バットマン・リターンズ』みたいにカメが流されていって、でもあのペンギンのように地上に復讐するのかと思ったら、このカメは誰のことも殺さないんだよね。何かが報復されたわけでも、救済されたわけでもない。あの感じって、今の映画として「今さら報復も救済も違うよね」っていう感覚なんですかね。
千浦 でも僕は、西田敏行が最後、出発する直前に「どうせまた戻ってくるんだろ」って黒猫に言われる、あそこがとても陰惨に見えました。自身の善行の無意味さに気づいている聖者、という。あそこがとてもよかった。
高橋 だから「今さら報復も救済もない」ってことなのかなと。
若栗 僕が観た回は、みんな異様に感動してたんですよ。隣の席のおばちゃんとか号泣してました。「あ、感動するんだこの映画!」って僕は思って。こういう映画に感動しなきゃいけないのかな、僕がズレてるのかな、って。
鈴木 僕は涙もろいので、人形が雪の中を、ショーウィンドウの光を浴びながら歩いているだけで、やばかったです。「感動」とは違うのかもしれないけど、映画ってこうやって、映像と音楽で「持ってかれる」んだなと思った。あの『スローバラード』も抵抗感があるんだけど、でもやっぱり引っぱられるところがあって、たまらない気持ちになる。じゃあ自分がやってる映画は何なんだろうな、なんてことを思いましたね。あとはやっぱり、園さんという人を知っているから、それを重ねてしまっての涙なのかな、とも。
千浦 園さんという人を知らない僕らも、ある程度は、これは部分的に園さんなのだろうなと思いながら観ましたよ。「こういうふうに成功するんだ俺は!」という思いを捨てた後に成功がやってきた、みたいなあたりとか。そういうふうに読み取らせる仕掛けもしてあったと思うんです。そしてあれだけいろいろあったのに、何事もなかったみたいにアパートに現れるカメとか、麻生久美子とか。『ラスト・エンペラー』の最後に出てきた、主人公が子供の頃に遊んでたコオロギみたいに、結局すごく個人的なことだけが残るというような感覚。
高橋 園子温が経てきた変貌、といったあたりはどうなんですかね。僕は園さんの自主映画は観ていないんですが、いつもアヴァンギャルドなことを仕掛けようとしているということは伝わってきていたんです。で、『自殺サークル』(01年)とか『エクステ』(07年)は観ているんですよ。自主映画を撮っていた人間が、エンターテイメント映画で勝負に出ようとしているということにおいて、シンパシーがあった。ただ『自殺サークル』も『エクステ』も、やりたいことはわかるんだけど、突き抜けきれてないなという感じがあって。それが『愛のむきだし』(08年)で「ああ、この人、ついに突き抜けた!」と思ったんです。で、僕は今、名古屋の大学で教えてるんですけど、学生たちがまず第一に名前を挙げる監督が「園子温」なんですね。作品名を問えば『愛のむきだし』だと。今の学生って、そもそも映画館に行かない、ミニシアターなんてなお行かない人たちなんですよ。でも、この映画には乗っている。「やっぱ園子温ですよね!」って言うわけです。
確かに僕は『愛のむきだし』で、何かひとつ、革新的なことが起きたと思いました。「お話を、説明していいんだ!」と。当然、尺はかかるけど、でも全部説明していいのだと。今の若い観客は、説明されることが苦じゃないんですね。いろいろ全部説明された上で、やっとテンションが上がってくる。当時、僕と同世代の映画人が「あれを認めると、これまで僕らが培ってきた映画の価値観を全部捨てることになる」と言っていたのをよく覚えているんですけど。
それから『冷たい熱帯魚』(11年)が来て、実録犯罪ものとしては納得のいかないことは多々あるんだけれども、「これは、やり抜いた!」と思いました。世の中全体に通用する、騙し抜ける映画をついに撮ったと。本当に勝負に出ている作り手の強さというものを感じた。そしてこの時に得た信用で、今、ばんばん仕事が来ているわけでしょう。だけどその後の作品からは、『冷たい熱帯魚』を覆っていた、すみずみまで必死な感じがなくなってしまったように思うんです。『自殺サークル』『エクステ』の模索感に戻ってしまったんじゃないかと。
高橋 『冷たい熱帯魚』は、もし同じ時間と予算を与えられて「これ撮れ」って言われても、自分には撮れないなと思ったんです。でもその「撮れないな」っていうところで妥協してしまうのが日本映画の弱さだし、そこを越えようとするのが日本映画には無くて韓国映画にはあるパワーだと思うんですね。園さんはきっと韓国映画を意識していて「絶対にこのレベルのものを撮らなきゃダメだ!」って、力尽くであの映画を撮ったんだと思うんです。でも、それ以降の映画は、ああ日本映画に戻っちゃったな……という印象。『ラブ&ピース』も正直、そういう感想なんですよ。
千浦 厳しいですね。
高橋 実録犯罪ものとしてどうかというのは、たとえば「犯罪イコール解放」みたいな図式って、安易な発想だなあとは思うんです。でも『冷たい熱帯魚』は、「引き画の芝居の力で押す」なんていう日本の映画人がつい頼りがちな価値観を一切信じてなかった。必要なものを撮って、編集して見せきる、という覚悟ですよね。
千浦 映画監督に仕事を振る立場の人たちは、そこまで明確に読み解いているでしょうか?
高橋 もちろん“安牌”だからという側面もあるでしょう。それでも例えば三池崇史さんは、当てるときもはずすときも、一定のクオリティのものを撮ってくる。園さんもそうなっていけばいいなと思うんだけれど、『ラブ&ピース』を観たら、ちょっと心配になって。たくさん撮れる状況にあるから、好きなものを一回撮って、派手に失敗してもいいよね!っていう道もあるけど、これはそれほど面白い失敗でもない。そこがちょっと残念だったなと思いました。
若栗 僕は高校生の頃に『自殺サークル』を観たんですね。友だちと「あの映画、観た?」「観た観た!」みたいな盛り上がりが、確かにありました。やっぱり、インパクトがあったので。ホームにずらっと並んだ女子高生たちが一斉に線路に飛び込むという。
鈴木 前に、若栗組『なんのすべもなく』の撮影現場で、共演した女子高生の子に「『うつしみ』観ました!園子温大好きなんですよ!」って言われて、そんなところまで追いかけてるんだ!と思ったな。15年も前の、カルトというかアングラな感じの映画なので。園子温は今の若い世代のオピニオンリーダーなのかもしれない、と感じました。今日本で起きてることを切り取った『希望の国』があり、若い人がのしのし出てきてラップしたりケンカしたりする『TOKYO TRIBE』(14年)があり、『みんな! エスパーだよ!』(15年)みたいなコメディ路線もある。かといって、どんな作品でもできる職人系監督なのかというと、そうではなくて。全部が「園子温作品」になっていくんですよね。時には園さん自身の観念みたいなことが、物語上では消化しきれないところもあるんだけれど、でも園さんが見つけてくるネタには確かに説得力があって。『ラブ&ピース』にも新国立競技場の問題が出てくるけど、何を撮っても「園子温の映画」であり続けているなあと思うんです。
高橋 園さんには、劇中にあったみたいな人生設計があったのかな。ライブハウスから武道館を経て「日本スタジアム」を目指す!みたいなモチベーション。
鈴木 映画監督としてのプロ意識というか、劇場用映画をどうしたらつかめるのか、なおかつそれを自由に作れるのか、っていうことは気にしていたと思います。だから『ラブ&ピース』がそのまま園さんの自己投影なのかと言われたら、そうとも言い切れないと思いますね。
高橋 ああいうふうに、すごろく型で人生を通観できる人たちというのは、自分が「表現をどう高めていくか」と「どれだけマスに広めていくか」が一致しているわけでしょう。「表現」と「マーケット」がとても健全にシンクロしている。
鈴木 でも『ラブ&ピース』は、そういうことよりもまず「人とうまく向き合えない」っていうことに悩みがある気がしましたね。
若栗 電車でお腹がぎゅるぎゅるになって、みんながそれを見て笑ってるシーンにはとても共感しました(笑)。
石川 「俺と世界」っていう意識がすごく強い人なのかなと思いました。『新宿スワン』(15年)にも、歌舞伎町のみんなが主人公に語りかけているという妄想っぽい描写があって。
千浦 「罪」と「罰」と「救済」というのが、園さんの映画には色濃くありますよね。ある種の宗教観というか。『ラブ&ピース』の主人公も、カメを流してしまったことへの罪悪感と、カメからインスピレーションを受けているという恥部を抱え込んで生きている。そしてヒロインは「救済」の象徴なんですよね。だから今回はとても園子温的な映画だなあと僕は思って。
鈴木 そして男も女も、外の世界とあまりうまく向き合えないんですよね。
若栗 僕らの世代は、そこに共感があったかもしれないです。代弁とまではいかないけど、「これ、自分じゃん」というか。「わかってくれてる」みたいなことを、確かに感じていたかも。
千浦 僕は園子温作品が好きな知人のことを思い出したんですけど。劇中で描かれる「罪」とか「罰」とかスプラッタ・シーンとかを、半ば自傷行為のように観て、カタルシスやシンパシーを感じていた女の子がいました。どんなに血がほとばしっていても、それを内向きに、自分向きに受け止めるというか。
鈴木 僕は、オピニオンリーダーたる映画作家って、いつの世にも二人はいてほしいなと思うんですね。今、わりとみんなが「園子温」を知った上で観に行くというのはそれに近いというか、大島渚さんや北野武さん以来という気がしていて。自分の顔が出ることも、それが社会現象になることも拒まない。そういうことに意識的なんだろうなあと思います。
高橋 僕は実は藤原章監督の『ヒミコさん』(07年)で共演しているんですよ。同じシーンではなかったので、面識はないんだけど。だからその時、スクリーンを通して園さんに対面したわけです。「うわっ、この人、苦労してる!」と。「かましてナンボ!」っていう感じでやってきた人が受けやすい反発というのがきっとあるから、大変なんだろうなあと思っていたんだけど、でもそこへ『愛のむきだし』『冷たい熱帯魚』が来たから、その時受けた印象はさっき言った通りなんですね。ただ、物事の捉え方がまじめすぎるな、と思ったんですよ。「罪」とか「罰」とか「解放」とか文学的なことは考えずに、もっと面白い映画にしようよ!って、ほんとは言いたい。
千浦 もう言ってるじゃないですか(笑)。
高橋 あのまじめさが、心配なんですよ。三池さんみたいに多作な監督になっていく上でね。人間の倫理の問題をめぐって悩んでる感じが。
千浦 それを気にするあまりに、ワルぶってるような気もする。
鈴木 それは一昔前の無頼な感じにふるまってた園さんそのものですよ。喧嘩っぱやくて女好きで。でも、まじめ。そこはちょっと寅さん的というか。曖昧に収まっているものを「はっきりしないと嫌だ!」って荒らしまわって去っていく感じがあった。
石川 でも「まじめ」って、僕らがフィクション・コースにいた頃に、高橋さんからさんざん言われたことですよね。残虐なことをやろうとすればするほど、まじめさが露呈してしまう。
千浦 僕はつい昨日くらいにテレビで園さんと永井豪さんの対談番組を観たんですけど、園さんが「子供の頃に『ハレンチ学園』を読んで解放された」「こんなふうでいいんだ、っていう自由を感じた」みたいなことを言っていて。その番組としてはその流れの先に『リアル鬼ごっこ』や『みんな!
エスパーだよ!』があるのだ、っていうようなまとめ方でしたけど。
高橋 うーん、やっぱり解放なのか。
(つづく)
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