「映画B学校」は映画についてのブログである。そして2015年は、かのシリーズ超大作の新作映画が封切られたお祭りイヤーである。祭りには、乗っとけ。オビ=ワンのささやきが聞こえた気がして、招集をかけたのがこの4名。最後に現れた千浦僚がおもむろにジャケットを脱ぎ、『スター・ウォーズ』Tシャツがババン!とお披露目されたあたりから、レコーダーは回り出す。安心しちゃダメです、ネタバレ全開ですよ!
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保坂大輔 1977年生まれ。脚本家。作品に『ラビット・ホラー』、『貞子3D2』など。『スター・ウォーズ』にはハマらなかったが、『ハリー・ポッター』にはハマり、グッズもかなり集めた。
千浦僚 1975年生まれ。准無職の映画感想家。「映画芸術」「キネマ旬報」などに寄稿。基本的に『スター・ウォーズ』という映画は1977年から1983年に世に現れた三本のシリーズしかない、という姿勢でしたが、2015年のこれは四本目だと認識してます。
内藤瑛亮 1982年生まれ。映画監督。作品に『先生を流産させる会』『ライチ☆光クラブ』『ドロメ』など。『SW』過去作を1本も観ずに、「エピソード7」を鑑賞。
冨永圭祐 1983年生まれ。『ライチ☆光クラブ』で間もなく脚本家デビュー。幼少の頃、『スター・ウォーズ』のライトセーバーはビームサーベルのパクリだと信じてやまなかったが、『機動戦士ガンダム』の方が後発だと知った時、大人の階段を上り始めた。
千浦 えっと……あれ。皆さんあんまり興味ないですか。
一同 ……(笑)。
千浦 僕も『スター・ウォーズ』ファンから見れば、そんなに熱くない方だと思ってるんですけど……あとこれ、セブン-イレブンで前売り券を買ったらついてきたスター・ウォーズ新聞。
一同 へえ……
内藤 「ミレニアム・ファルコン号」、実物大のセットを作ったらしいですね。
保坂 「ミレニアム・ファルコン号」という名前を、僕は今日知りました。
千浦 それは、いいっすね。うらやましいな。何を観ても新鮮ですよね。
保坂 僕は「エピソード2」と「3」を観ていないんです。ただ、ガキの頃、正月に親戚が集まると、大人が麻雀している間、子どもはなんとなくビデオを観させられてたんですよ。その時に「4」から「6」が流れてた記憶が。
千浦 ああ、それありますね。僕も子どもの頃、『スター・ウォーズ』が放送される日だけはテレビの洋画劇場を終わりまで観ていいというお達しがありました。親の世代の、これは見せるべきもの、みたいな意識があったのでしょう。
保坂 それで今回、『スター・ウォーズ』を初めて観た時のファースト・インプレッションを急に思い出したんですけど、「なんかゴリラが活躍する映画だなー」っていう。ゴリラがすごい人間扱いされてて、大観衆の前で拍手喝采を受けるでしょう。
千浦 「6」のラストかもしれない。「ジェダイの帰還」。正しくは「ジェダイの復讐」って言いますけど。あれは「チューバッカ」っていいます。ああいう宇宙人ですね。だからといってゴリラが褒められる映画シリーズだというのは完全な誤解です。
冨永 僕らが中学生ぐらいの時に、各キャラクターのフィギュアがブリスターパックになったやつを集めるのが流行ったんです。ちょっとそれがおしゃれみたいな文化があった。若い世代で『スター・ウォーズ』が好きな人は、そういう入り口もあったんじゃないかと思います。映画の面白さというより、グッズとしての魅力というか。
内藤 僕は「1」から「6」まで全く観ていないんです。親がホラー映画好きで、僕はデヴィッド・クローネンバーグとかブライアン・デ・パルマから映画を知っていったんですけど、「スター・ウォーズとゴダールとジブリは観なくて良し」と言われて育ったんです。
一同 (笑)
千浦 でもさ、「フォース」って、『スキャナーズ』っぽいでしょ。この「7」、「フォースの覚醒」において一番表現されてたカイロ・レンによるレイの尋問というか責めプレイというか。
保坂 え、あれ、「フォース」なの!?
千浦 あれが、「フォース」だよ!!
保坂 おおお。そうなのか。そもそも「ジェダイ」って何なのか、よくわからずに「7」を観たんです。で、正直、まだよくわからないところもいっぱいあって。
千浦 うわあ、それは素晴らしいよ……!
保坂 それで観終わった後、1時間半ぐらい、『スター・ウォーズ』が好きな人間からLINEでレクチャーを受けたんですけど。彼いわく、「ジェダイ」とは「私利私欲を捨てた童貞」だと。
一同 (爆笑)
千浦 まあ、修道僧みたいなところがあるからね。
保坂 で、童貞を捨てると、暗黒面に落ちるのだと。
千浦 いや……いや、そこには異を唱えたい!
内藤 でも確かに、はっきりとはわからなかったですね。「ジェダイ」って「何となく偉いものなんだろうな……」とは思いましたけど。過去作を未見だと、難しい専門用語がいっぱいで、大変でした。
冨永 「フォース」についてもそう。「何でもできる!」っていうことでいいんですかね。
内藤 『アベンジャーズ』のソーみたいなことしてましたね(笑)。
千浦 念じるとライトセーバーが手元に飛んで来る、というとこね。あれはこの「フォースの覚醒」においてカイロ・レンとレイの力比べみたいな表現になってましたけど、過去作の「帝国の逆襲」で、ルークが危機的な状況のときにちょっと離れたとこに落ちてるライトセーバーをフォースの念動力で引き寄せて危機を脱する、という場面を踏まえてますね。落ちたライトセーバーが雪に刺さってるというのが一緒。「帝国の逆襲」のその一幕は、単に精神的な姿勢とか、心眼みたいなものというイメージだった「フォース」が念動力でもあることを示した大事な場面だったんです。本作の作り手はそういうファンサービスみたいなものの混ぜ込み方がほんとうまいなあ、と思う。
保坂 今回、友人の一人が「エヴァンゲリオンみたいだった」って言ってたんですよ。どういうことだろうと思って観たんだけど、確かにハン・ソロの息子の、父親に対するコンプレックスみたいなことが軸になっていたでしょう。
千浦 うーん、「父親へのコンプレックス」っていうことではないと僕は思います。断言はできないけど。でも、うらやましいな。みんなの反応がすごい新鮮。僕は「7」を観てめちゃめちゃ感動したんだけど、その感動が今観てる映画に対するものなのか、これまで重ね描かれてきた蓄積によるものなのか、判別できないところがあるんですね。もちろん、もっとマニアな人はたくさんいますよ。でも「普通のファン」程度の目線でいた僕でも、グッとくるところが随所にあった。僕は「帝国の逆襲」が一番好きなんですけど、全員ダース・ベイダーと帝国側にぼろっかすに負けるんですよ。そこで、ぶつっ、と終わる。今回、ハン・ソロの最期も、そのときの一場面へのオマージュを強く感じたんです。
保坂 あそこが一番の盛り上がりどころなんだろうな、というのは僕にもわかりました。
千浦 こんなことを逐一並べるのは無粋だなあと思うんだけど、あのシーンでハン・ソロが、息子を「ベン!」って呼ぶじゃない。あれって、オビ=ワン・ケノービが隠棲してた時の名前でね、……
内藤 ……「オビ=ワン・ケノービ」って何でしたっけ。
千浦 この人(新聞を指差す)。
内藤 ああ、はい。
千浦 ユアン・マクレガーは若い時のオビ=ワンね。僕らが最初に出会ったオビ=ワンはアレック・ギネスなんです。もう年老いて、引退してて。しかしレイア姫に乞われて戦線に復帰していく中でルークに初めて「フォース」とか「ジェダイ」の存在を教える人。でもその頃に一緒に冒険を始めるハン・ソロはそれに対してとても懐疑的だった。にも関わらず、この「フォースの覚醒」で、ソロはあの時のまったく正確なひっくり返しのように、レイとフィンに「フォース」や「ジェダイ」のことを説き、精神的にではなく具体的に、ある場所に連れて行く、人に会わせるということをして彼らを導く。そしてあの始まりから、その何十年か後に、自分の息子を「ベン」と名付けたんだ……という紆余曲折と観てる側の感慨があって。
一同 ああー。
冨永 僕はそういう紆余曲折を知らずに観たから、父と息子のシーンとしては、なんかまだぬるっとしてるなと思ったんですよ。
内藤 俺もちょっと思った。
冨永 あそこが一番の盛り上がりなのに、何だったらあの二人が対峙するタイミングはあそこじゃなかったんじゃないの、と思っちゃったんですよ。もっと他に盛り上がりどころがあるはずだと。
内藤 その前に、息子がぴーぴー泣くじゃないですか。反抗期の子どもか、と。
冨永 そう、意外とショボい奴なんですよね。物語としては、圧倒的に強い敵でいてほしかったのに。
保坂 僕個人の理解としては、まずハン・ソロは「ジェダイ」じゃないわけです。でも息子はレイア姫の血を引いているから、その潜在能力を持っている。だから息子は、人間である父親に対して、どこか見下しているというか、抵抗感があったんじゃないかと。そしてハン・ソロもそういう息子に対して、アンビバレントな感情を抱いて、子育てを放棄してルークにまかせてしまったのではないかと。ああ、そりゃあグレちゃうよな!って思ったんだよね。
千浦 すげえ。僕が観たのと別の映画の話みたいだ! でも正しいよ。それはあるわ。
保坂 それでもハン・ソロは、レイア姫に「あなたはジェダイじゃないけど父親なのよ」って言われて、意を決して息子と対峙する。立ち話をするうちに、ちょっと、イケそうな気配もあった。ここに至るまでには、きっと『美味しんぼ』ばりの、父と息子のドラマがあったんだろうなと。
内藤 ええと、「6」の時点では、ルークとかレイア姫側が勝利を収めてるわけですよね。でもその割に共和国軍は、すごく弱そうな印象を受けたんですけど。
冨永 ジェダイであるルークが姿を消したからじゃないですかね。それで帝国軍が息を吹き返した。「ガンダム」と一緒で、何回倒してもジオン軍の残党は残っているわけですよ。
千浦 今回登場したかつてのヒーローたちの姿に、今までどれだけ同じことが繰り返されてきたのかっていうことを感じましたね。みんな挫折した活動家みたいだった。体制側とそうでない側の対決というのは歴史上何度も繰り返されているけど、結局、国とか政府とか大企業とか、そういうものたちは倒れないじゃないですか。でも、それでも個人から奪えないものはあるのだ、ということを、今回のヒロインである「レイ」が示していたなと思うんですよね。(続く)
<その2>
「これほどまでの話題作を映画人が観ないって一体どういうことなのか」。当初はそれを問うてみようと思っていた。でも、そういう問題でもないみたいだ。彼らは、観ていようがいまいが、同じしなやかさで映画にかじりつく。話は、シリーズ作品であることの宿命について。
保坂 今までの話を聞いていて思ったんですけど、この映画って、そういう伏線とか人間関係とかを知らずに観て、果たして面白いのかな。
内藤 僕は、知らない人の結婚式に行ったような感覚でした。
一同 (爆笑)
内藤 挨拶してる人って、出席者たちの人気者なのかな? 新郎か新婦の親族かな? お約束のやりとりなのかな? 意外な発言なのかな? こいつ、サプライズゲスト?? みたいな。でも、背景や関係性を知らない僕はどこが盛り上がりポイントなのか分からず、ポカーンで。ただ、新郎新婦はイイ感じの人たちだったな、愛のあるいい式だったなぁって、悪い気はしないんですけど。
冨永 千浦さんの話を聞いてると、僕が過去のシリーズを忘れたまま「7」だけを単体で観て「何か物足りない」って思ったところは、全部過去の伏線によるところが大きかったのかもしれないですね。
千浦 それは本当に、そうかもしれなくて。僕は「ミレニアム・ファルコン号」が映った瞬間に「あっ!」って声が出たし、そういうお客さんは他にも結構いたんです。あの、見事にタメをつくらない見せ方、サプライズはうまかった。そこはJ・J・エイブラムスの器用さというか、「過去作を踏まえた何か」の見せ方として考え抜かれて発揮されていた配慮とワザなんですよ。
内藤 すごく優秀なファンが作った映画ですね。
冨永 僕が観た時は、文字がぶわあっと流れるあのオープニングで、客席からちょっと笑いが起きたんです。たぶん若い人だと思うんですけど。
千浦 わかる。もはやギャグにしか見えないっていうね。
冨永 そう。何の前置きも、理論的な根拠もないまま、あの世界が壮大すぎる音楽にのせてバーン!と提示される。つい「嘘つけー」ってツッコんじゃったんですよね。
保坂 さっき結婚式って話が出たけど、要はこれって、あの一家の物語なんだね。
内藤 スケールでかいけど、狭いお話ですよね。結構はた迷惑な家族の物語(笑)。
保坂 俺にLINEでレクチャーしてくれた友人が、この物語を『北の国から』になぞらえてくれた瞬間から一気に話がわかるようになった。純がルークで、蛍がレイア姫。正吉くんがハン・ソロなんだと。
千浦 何か、血縁とか家族の因縁を描く物語の、フォーマットがあるのかもしれないですね。僕が聞いたのは、ハリー・ポッターの物語は固有名詞を入れ替えれば、全部ルーク・スカイウォーカーの物語として説明がつくって。
冨永 僕は今回、主人公はレイじゃなくてフィンだと思っていたんですよ。予告編を観て、黒人のストーム・トルーパーが寝返って、そいつが実は強大なフォースの持ち主て覚醒する話だって勝手に思ってて、めちゃくちゃ盛り上がったんです。血筋とかじゃなく、全然違うところから、本当に強いフォースを持った人物が現れるんだと思ってたので、『NARUTO』でがっかりしたのと一緒のことが起きたなと思って。
内藤 でもレイとフィンは、すごく魅力的なキャラクターだし、役者の演技も良かった。平凡な日常から脱することを願っていたレイが冒険に胸を躍らせる。ワクワクした感じが良かったですね。あと歯を食いしばった表情が可愛かったです。フィンのダメっぷりも可愛かった。確かに、フィンがフォースを持つ展開は僕も期待していました。気になったのはカイロ・レンのマスク。微妙でしたよね。ダース・ベイダーって一見しただけ「こいつ、悪い!」ってわかるじゃないですか。それって造形において大事なことだと思うんです。でもレンのマスクは単純にインパクトが弱いですよね。
千浦 そして、あっさり取るよね。
内藤 2回も。しかも面長で、性欲の抜けた馬みたい。
冨永 一目見ただけで「こいつメンタル弱い!」って分かる顔でした。だから「これ、ひょっとして勝てるんじゃないか?」って思っちゃうんです。
千浦 暗黒面にいながら、光の誘惑に揺れてしまうという、アナキンの逆バージョン。
内藤 ちょっと可愛いとも思いましたけど、活劇として敵が今ひとつハジけなかったですね。
千浦 でも、改めて考えると、そうだね。やはり一作だけでは伝えきれないというのが、『スター・ウォーズ』の魅力であり弱点でもあるんでしょうね。今回、フィンとポーが結ぶ友情も、かつてルークとハン・ソロが結んでいたものと重なって見えるし。
保坂 こだわるようですけど、ジェダイが童貞だっていうのは嘘なんですか。
千浦 いや、それも、説としてはあるでしょう。でもそれって現代日本のメタ視点が入ってる気がするなあ。確かにジェダイは恋人を持ってはいけないという戒律はあるみたい。ダース・ベイダーはそれを持ったがゆえに、暗黒面に落ちていった人なんですよね。普通の人間と同じように、嫉妬心を持ってたり、奥さんを心配したり、平常心を保てなかった人。僕は「1」から「3」の存在自体を認めないんですけど、でもその中で言うならば「3」が一番好きで。主人公のアナキンがダース・ベイダーになる過程で、めっちゃくちゃ人を殺すんですよ。あと、終盤、溶岩流がだらっだら流れてるところでオビ=ワンと対決するんだけど、それが感動的。
冨永 師匠が、弟子を倒すんですよね。
千浦 そうそう。そしてオビ=ワンが嘆くんです。「お前は選ばれた者だったのに!」と。
冨永 あー……童貞説は、正しい気がしてきました。ジェダイが増えないのも、彼らが子どもを作らなかったからですよね。子どもを作ったら作ったで、ダークサイドに落ちてしまう。そうしてジェダイが減っていく中でからくも産まれた子どもが、ルークとレイア姫。……という公式に当てはめて考えると、もしレイがルークの娘だとしたら、ルークもダークサイドに落ちちゃいますよね。
保坂 僕もそう思って観てた。
千浦 「1」から「3」はそういう、「4」から「6」で描かれなかったものの補完をしようと作られたんだけど、おかしなことになっちゃったんだよね。いくら目算があっても、シリーズものがたくさん続くというのは結局、辻褄合わせの連続になっていくから。伏線や辻褄が合っていることの快感で押しきれていたのは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズじゃないかしら。余談ですが、近年、辻褄を合わせながらやってて現在進行形の勢いとキャラの成長感があったのは『ワイルド・スピード』シリーズ。で、『スター・ウォーズ』世界に話を戻すと、ダース・ベイダーは、彼の出自を説明しない方が、デカい存在でいられたんじゃないかと思う。でもプリクエルを作る時点できっと「来歴と内面を見せる」「人間味を持たせる」っていう方向にシフトしたんだよね。
冨永 ルーカスが「最初から9部作で考えていたけど、冒険物語として一番優れていたのが「4」だったから「4」から作り始めた」って言ってるのをどこかで読んだ気がするんですけど。
内藤 ほんとかなあー(笑)。でも商売人としてすごくうまい言い方だと思います。新作じゃなくて、「エピソード1」と言っちゃうって。新しい世代の観客はきっと「まず「1」から観なきゃ」って思うもんね。レンタルビデオの回転率はプリクエルの方がいいって聞きました。で、みんな「3」であきらめちゃうのかもしれないですね(笑)。(続く)
<その3>
この映画を、あるいは映画界を、もっと言えば世界全体を俯瞰すると、ひとつのことが見えてくる。すべては連鎖している。人は繰り返しの歴史の中を生きていくほかない。でも、それでも自分は動くのだと、決めた者にこそ光は当たるのだ。
保坂 次、どういう話になるかなって考えるとね。たぶんハン・ソロの息子が、どんどんモンスター化していくと思うんですよ。で、それを止めるべきは、やっぱりルークですよね。
千浦 ああ。また繰り返しですね。
保坂 で、ルークがやられる。それによって、レイがジェダイとして立ち上がる——っていうプロットを、もし「次はお前が書け」って言われたら書くと思います(笑)。
冨永 レイはまだ修行してないですもんね。でも今回、フィンがライトセーバーを出せたじゃないですか。フォース持ってるってことですかね?
千浦 いや、あれは、誰でもスイッチ押せば出ます。「帝国の逆襲」でハン・ソロが、乗ってたラクダ的な動物のお腹をライトセーバーで切るシーンがありますよ。もう単に鉈とかと同じ扱い。
冨永 え……それはなんかショックだなあ(笑)。じゃあ、ライトセーバーの光の強さみたいなものが、フォースによってカサ増しするとかですか?
千浦 そういうことでもないかなあ……
冨永 え、じゃあ、なんであんな聖なる武器みたいな扱いになってるんだろう。
内藤 ごめんなさい、結局、フォースって何ですか?
冨永 「ニュータイプ」みたいなものですかね。
保坂 ああ、「ニュータイプ」。
冨永 僕は子どもの頃から「ガンダム」が好きなんですが、『スター・ウォーズ』を初めて観た時に、「わー、人間がビームサーベルで戦ってる!」って思いました。
内藤 今回、ソードアクションとして「新しい」と感じるところがなかったですね。『マッドマックス 怒りのデスロード』や『ミッション・インポッシブル:ローグネイション』、『ジョン・ウィック』等、昨今のアクション映画って新しい表現を見せてくれたので、物足りなかったです。J・J・エイブラムス監督的にも、リブート版『スタートレック』のほうがアクションに新鮮さはあったと感じました。フォースを使う場面も、もっと面白いことをして欲しかったですね。序盤のビームをフォースで止めるところは、はっとしたんですけど、止めるだけで終わっちゃうし。「投げ返さないんだ……」ってがっかりしちゃって。マシュー・ヴォーンの『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』にもフォース的な描写ありますよね。でっかいものを動かすと人は感動するんだなと思った。あれで結構、泣けた記憶があるんですよね。
千浦 そうそう、パラボラアンテナを動かすところね。マイケル・ファスベンダーの「マグニートー」のトレーニングを「プロフェッサーX」が補助するときに「子どもの頃のいい思い出を……」って相手をリラックスさせて、最大限の力を発揮させるじゃないですか。あれって、ヨーダがルークを訓練してるシーンとそっくりだと思う。ヨーダが宇宙戦闘機Xファイターを一機まるまる空中に浮かすところ。
内藤 そうか、だからマシュー・ヴォーンは『キングスマン』でマーク・ハミルを出したのか!
冨永 日本でもこの後、メタル・ヒーローものの中で、オマージュみたいな描写が結構ありましたよね。『特警ウインスペクター』っていう作品に、C-3POに動きが似てるロボットが出てきます。
千浦 そしてそのメタル・ヒーローものから『ロボコップ』が生まれ、『ロボコップ2』を撮ったのが「帝国の逆襲」の監督です。
冨永 あ、そうなんですか!
千浦 「5」の監督はアーヴィン・カーシュナー、「6」はリチャード・マーカンドという人ですけど、どちらもハリウッドのウェルメイド畑の作り手ではないんですよ。そしてこれはトリビア的な話ではなく、アメリカ映画界、映画史の話として言いますけど、ルーカスやスピルバーグ、それからコッポラもそこに加えるとすると、あの人たちって「映画界の父」がいない世代なんです。映画学校で培ってきた技術そのままで商業映画に打って出て、当てちゃった人たちなんですね。彼らより上の世代はみな、赤狩りで弱り切っていたから。で、その、「父親がいない」っていうことが、この映画にも色濃く反映されているようにも見える。父親や指導者にあたる人は皆、挫折して隠れ住んでたりする。ちなみに、ルーカス、スピルバーグ、コッポラがある意味呼び出してきて担いだのは黒澤明だったと思いますが。あとコッポラはロジャー・コーマンという、例えて言うならハン・ソロ的なアウトロー密輸業者風映画人という、特殊なパイセンを持っていますけど。
内藤 確かにその世代の監督が描く物語って、「父の不在」ってモチーフが共鳴してますね。
千浦 だから今回、一番最後にリアルに老けたマーク・ハミル演ずるルーク・スカイウォーカーが出てきた時に、すごく不思議な気持ちになりました。過去作を踏まえての小ワザうんぬんっていう小さいところじゃなくて、もっとデカい次元ですべてがループし、オーバーラップしている。これは「1」で若き日のオビ=ワンをユアン・マクレガーがやっているのを観た時には感じなかったものでした。あれはいわば、まず我々が何か屈託のある老人を知っていて、彼の過去に何があったのかということを知ったわけだけど。今回は本当に年を取って、いろいろあって、それを経て出てきているという、時の重みというかを感じた。
内藤 僕は年末に『クリード チャンプを継ぐ男』を観たんです。特に『ロッキー』に思い入れがあるわけじゃなくて、観たのは「1」と「6」だけなんですけど。でも、めちゃくちゃ良かったんです。震えるくらい泣いてしまった。『フォースの覚醒』と同じように、有名なメインテーマのある人気シリーズの第7作。「フォースの覚醒」は過去作を踏まえてないと楽しめない作品でしたけど、『クリード〜』は過去作を知らなくても問答無用で引き込むパワーがありました。父親であるアポロの試合映像を、主人公がYouTubeで何度も観てるっていうシーンがあって。その映像をバックに、シャドウ・ボクシングするんですよ。
保坂 ああ、あそこは良かった!
内藤 で、主人公は、これまでのシリーズとは違って、裕福なんですよね。でも何らかの虚無感を抱えていて、どうしても血が騒いでしまう。これって、今の世代の人たちの気持ちと似てるなと思って。スポーツするにも、何かを作るにも、あらゆるものはすでに出尽くしてしまっている。上を見れば「すごい父親」がいっぱいいる。今更新しいものなんていらないんじゃないの? 凄いものは既にネット上にアーカイヴされているじゃん、みたいな虚無感が前に立ちはだかっている。でも何かやりたい! 僕だって生み出したい、挑戦したいっていう気持ちが溢れ出しているというのが、あの描写に集約されていたし、そこにすごく乗れたんですよね。メインテーマの使い方も素晴らしかった。監督のライアン・クーグラーはまだ新人で、自分でスタローンに企画を売り込んだらしくて。
千浦 スタローンだって、そもそも自分で『ロッキー』の脚本を書いたわけだからね。
保坂 もし『クリード2』があるとしたら、たぶんアポロの息子がやられるんですよ。で、ロッキーが復活する話にしましょう(笑)。(続く)
<その4>
最後に愚問をぶつけてみる。さっき保坂さんからもありましたけど、「8」を書け、って誰かに言われたら、皆さんどうされますか?
内藤 どうだろうなあ……
冨永 「9」まである、っていうことが前提ですからね。ある程度そこまで組み立ててから、映画は始動しているんだろうし。
保坂 なんか、フォースって、優性遺伝みたいな描かれ方をしているじゃないですか。『ドラゴンボール』のサイヤ人もそうだったでしょう。で、最後の最後で、何の血縁もない少年を連れて来て、そいつに希望を託すっていう。僕はそういう、今までの流れとは別の人間が立ち上がる、っていうのが観たいかなあと思いますね。そいつがものすごいフォースを持ってる!っていう展開が観てみたい。
冨永 そうですね。フィンに覚醒してほしいです。
内藤 黒人であることも新しいし。子どもの時にさらわれて、少年兵として訓練されたっていう設定は現代性を感じますね。僕も血縁関係を越えた継承のほうが格好いいって思います。『キングスマン』がやっていましたけど。
千浦 ルーカスがこの物語世界を最初に立ち上げた時にはなかったカルチャーのひとつが、ヒップホップだと思うんですよ。その気配を、ちょっと予感させる存在ですよね。「遠い昔、はるか彼方の銀河系」では、黒人文化ってどうなってるんだろうなって思ったりしました。
冨永 男がヒーローじゃない、っていうのも現代的だなと思いました。男は口ばっかりで意外と何もできない。引っ張ってくれるのはいつもレイだし、レイが捕まってハン・ソロとフィンが助けに行くと、彼女は自力で脱出してるんですよね。
千浦 いや、それはもはや、ポリティカル・コレクトネス的配慮なんじゃないですか。女の人に「助けに来てくれてありがとう」とでも言わせようものなら、うるさい手合がいるんじゃないか。 むしろ現代的なのは、レイがハン・ソロに「一緒に来いや」って誘われながらも「家に帰らないと」って断るところ。昔だったら、故郷を出て立身出世する物語が良しとされてたけど、今は全世界的な不況とかもあって、地元を出ない人が多いでしょう。
保坂 うん。福岡の女の子、って感じがする。
千浦 あるいは、北関東の女の子。
——最後に改めてお聞きしますが、千浦さん以外のお三方はなぜ、旧作を観なかったのでしょう?
保坂 僕の場合はたぶん、ストーリー・テリングの妙で見せる映画じゃないからでしょうね。……って「2」と「3」を観ていないので断言はできないんですけど、子どもの時のうっすらした記憶の中でも「タルい映画だなあ……」っていう印象が残っているので。今回だって構造としては「スカイウォーカーの地図を取り合う」だけのお話ですよね。今どき、こんなにシンプルなプロットの映画はないと思うんですよ。っていう印象が、今回「7」を観てもあまり変わらなかったので、次も観るかどうかわからないなあと。
冨永 同期の映画美学校生同士で、たまに会うと「最近何観た?」っていう話に必ずなるんですけど、そこに『スター・ウォーズ』の名前がのぼったことがないんです。「これはぜひ観て語らねば!」っていう感じにならない。
千浦 なんでだろう。『スター・ウォーズ』Tシャツ、着ないもんね?
冨永 そうですね。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』Tシャツは着るんですけど。ユニクロのやつ。
内藤 『バック・トゥ・ザ・フューチャー』はやっぱり、話が面白いからね。ストーリー・テリングを分析したい思いに駆られる。
千浦 いや、でもね、なんか……せせこましくない?
一同 (笑)
千浦 『スター・ウォーズ』は、ざっくりとしてるけど、デカいじゃない。……って言いながら家族のお話なんですけどね。全世界を見渡してみても、昔から、神話とか叙事詩というのは血縁止まりの話なんですけど。
内藤 原作ものじゃなくて、映画監督が生み出した世界観のグッズ商品がこんなに売れるって他にないと思うんです。そこは羨ましいです。
冨永 僕は、ポップ・カルチャーとしておしゃれにフィギュアを買い集めるのとかが大っ嫌いだったんです。ガンプラみたいに、自分が心からカッコいいと思うものを、自分で作ってがちゃがちゃ遊ぶのが好きだった。おもちゃって、それで遊びたいから買うものじゃないですか。映画やアニメに出てくるものを、立体物として自分の手の中に入れて、自分のものにしたい。だからブリスターパックで買ってきたものを、遊ばずにそのまま並べておくなんて、本当に『スター・ウォーズ』が好きなわけじゃないんだろうなと。っていうのを思春期に味わってしまったから、『スター・ウォーズ』自体がダセー!って偏見を持っちゃって。
内藤 ひねくれ者が多いんですかね、この学校は(笑)。でも、僕らの世代でも、ハマってる人はハマってるしなあ。「7」で人物紹介は終わったから、「8」は面白くなるんじゃないかなって期待しています。
冨永 少なくとも、今日の座談会を文字起こししたら、千浦さんだけが熱狂的なマニアだとしか読めないですよね(笑)。
千浦 うん、僕はそっち側の人間じゃないと思っていたし、さっきも言ったように「1」から「3」に関しては存在自体を認めてはいないけど、そのこだわり自体がそこそこのファンである証明なのかもしれないし、でも今思えば、俺「ファントム・メナス」(エピソード1)もグッズ持ってるわ。
一同 (笑)
千浦 むしろ、僕が危惧するのは皆さんのことです。世の『スター・ウォーズ』マニアから、3人が総攻撃を受けるんじゃないかと、心配でならないですよ。(2016/01/12)
映画美学校HP
保坂大輔 1977年生まれ。脚本家。作品に『ラビット・ホラー』、『貞子3D2』など。『スター・ウォーズ』にはハマらなかったが、『ハリー・ポッター』にはハマり、グッズもかなり集めた。
千浦僚 1975年生まれ。准無職の映画感想家。「映画芸術」「キネマ旬報」などに寄稿。基本的に『スター・ウォーズ』という映画は1977年から1983年に世に現れた三本のシリーズしかない、という姿勢でしたが、2015年のこれは四本目だと認識してます。
内藤瑛亮 1982年生まれ。映画監督。作品に『先生を流産させる会』『ライチ☆光クラブ』『ドロメ』など。『SW』過去作を1本も観ずに、「エピソード7」を鑑賞。
冨永圭祐 1983年生まれ。『ライチ☆光クラブ』で間もなく脚本家デビュー。幼少の頃、『スター・ウォーズ』のライトセーバーはビームサーベルのパクリだと信じてやまなかったが、『機動戦士ガンダム』の方が後発だと知った時、大人の階段を上り始めた。
千浦 えっと……あれ。皆さんあんまり興味ないですか。
一同 ……(笑)。
千浦 僕も『スター・ウォーズ』ファンから見れば、そんなに熱くない方だと思ってるんですけど……あとこれ、セブン-イレブンで前売り券を買ったらついてきたスター・ウォーズ新聞。
一同 へえ……
内藤 「ミレニアム・ファルコン号」、実物大のセットを作ったらしいですね。
保坂 「ミレニアム・ファルコン号」という名前を、僕は今日知りました。
千浦 それは、いいっすね。うらやましいな。何を観ても新鮮ですよね。
保坂 僕は「エピソード2」と「3」を観ていないんです。ただ、ガキの頃、正月に親戚が集まると、大人が麻雀している間、子どもはなんとなくビデオを観させられてたんですよ。その時に「4」から「6」が流れてた記憶が。
千浦 ああ、それありますね。僕も子どもの頃、『スター・ウォーズ』が放送される日だけはテレビの洋画劇場を終わりまで観ていいというお達しがありました。親の世代の、これは見せるべきもの、みたいな意識があったのでしょう。
保坂 それで今回、『スター・ウォーズ』を初めて観た時のファースト・インプレッションを急に思い出したんですけど、「なんかゴリラが活躍する映画だなー」っていう。ゴリラがすごい人間扱いされてて、大観衆の前で拍手喝采を受けるでしょう。
千浦 「6」のラストかもしれない。「ジェダイの帰還」。正しくは「ジェダイの復讐」って言いますけど。あれは「チューバッカ」っていいます。ああいう宇宙人ですね。だからといってゴリラが褒められる映画シリーズだというのは完全な誤解です。
冨永 僕らが中学生ぐらいの時に、各キャラクターのフィギュアがブリスターパックになったやつを集めるのが流行ったんです。ちょっとそれがおしゃれみたいな文化があった。若い世代で『スター・ウォーズ』が好きな人は、そういう入り口もあったんじゃないかと思います。映画の面白さというより、グッズとしての魅力というか。
内藤 僕は「1」から「6」まで全く観ていないんです。親がホラー映画好きで、僕はデヴィッド・クローネンバーグとかブライアン・デ・パルマから映画を知っていったんですけど、「スター・ウォーズとゴダールとジブリは観なくて良し」と言われて育ったんです。
一同 (笑)
千浦 でもさ、「フォース」って、『スキャナーズ』っぽいでしょ。この「7」、「フォースの覚醒」において一番表現されてたカイロ・レンによるレイの尋問というか責めプレイというか。
保坂 え、あれ、「フォース」なの!?
千浦 あれが、「フォース」だよ!!
保坂 おおお。そうなのか。そもそも「ジェダイ」って何なのか、よくわからずに「7」を観たんです。で、正直、まだよくわからないところもいっぱいあって。
千浦 うわあ、それは素晴らしいよ……!
保坂 それで観終わった後、1時間半ぐらい、『スター・ウォーズ』が好きな人間からLINEでレクチャーを受けたんですけど。彼いわく、「ジェダイ」とは「私利私欲を捨てた童貞」だと。
一同 (爆笑)
千浦 まあ、修道僧みたいなところがあるからね。
保坂 で、童貞を捨てると、暗黒面に落ちるのだと。
千浦 いや……いや、そこには異を唱えたい!
内藤 でも確かに、はっきりとはわからなかったですね。「ジェダイ」って「何となく偉いものなんだろうな……」とは思いましたけど。過去作を未見だと、難しい専門用語がいっぱいで、大変でした。
冨永 「フォース」についてもそう。「何でもできる!」っていうことでいいんですかね。
内藤 『アベンジャーズ』のソーみたいなことしてましたね(笑)。
千浦 念じるとライトセーバーが手元に飛んで来る、というとこね。あれはこの「フォースの覚醒」においてカイロ・レンとレイの力比べみたいな表現になってましたけど、過去作の「帝国の逆襲」で、ルークが危機的な状況のときにちょっと離れたとこに落ちてるライトセーバーをフォースの念動力で引き寄せて危機を脱する、という場面を踏まえてますね。落ちたライトセーバーが雪に刺さってるというのが一緒。「帝国の逆襲」のその一幕は、単に精神的な姿勢とか、心眼みたいなものというイメージだった「フォース」が念動力でもあることを示した大事な場面だったんです。本作の作り手はそういうファンサービスみたいなものの混ぜ込み方がほんとうまいなあ、と思う。
保坂 今回、友人の一人が「エヴァンゲリオンみたいだった」って言ってたんですよ。どういうことだろうと思って観たんだけど、確かにハン・ソロの息子の、父親に対するコンプレックスみたいなことが軸になっていたでしょう。
千浦 うーん、「父親へのコンプレックス」っていうことではないと僕は思います。断言はできないけど。でも、うらやましいな。みんなの反応がすごい新鮮。僕は「7」を観てめちゃめちゃ感動したんだけど、その感動が今観てる映画に対するものなのか、これまで重ね描かれてきた蓄積によるものなのか、判別できないところがあるんですね。もちろん、もっとマニアな人はたくさんいますよ。でも「普通のファン」程度の目線でいた僕でも、グッとくるところが随所にあった。僕は「帝国の逆襲」が一番好きなんですけど、全員ダース・ベイダーと帝国側にぼろっかすに負けるんですよ。そこで、ぶつっ、と終わる。今回、ハン・ソロの最期も、そのときの一場面へのオマージュを強く感じたんです。
保坂 あそこが一番の盛り上がりどころなんだろうな、というのは僕にもわかりました。
千浦 こんなことを逐一並べるのは無粋だなあと思うんだけど、あのシーンでハン・ソロが、息子を「ベン!」って呼ぶじゃない。あれって、オビ=ワン・ケノービが隠棲してた時の名前でね、……
内藤 ……「オビ=ワン・ケノービ」って何でしたっけ。
千浦 この人(新聞を指差す)。
内藤 ああ、はい。
千浦 ユアン・マクレガーは若い時のオビ=ワンね。僕らが最初に出会ったオビ=ワンはアレック・ギネスなんです。もう年老いて、引退してて。しかしレイア姫に乞われて戦線に復帰していく中でルークに初めて「フォース」とか「ジェダイ」の存在を教える人。でもその頃に一緒に冒険を始めるハン・ソロはそれに対してとても懐疑的だった。にも関わらず、この「フォースの覚醒」で、ソロはあの時のまったく正確なひっくり返しのように、レイとフィンに「フォース」や「ジェダイ」のことを説き、精神的にではなく具体的に、ある場所に連れて行く、人に会わせるということをして彼らを導く。そしてあの始まりから、その何十年か後に、自分の息子を「ベン」と名付けたんだ……という紆余曲折と観てる側の感慨があって。
一同 ああー。
冨永 僕はそういう紆余曲折を知らずに観たから、父と息子のシーンとしては、なんかまだぬるっとしてるなと思ったんですよ。
内藤 俺もちょっと思った。
冨永 あそこが一番の盛り上がりなのに、何だったらあの二人が対峙するタイミングはあそこじゃなかったんじゃないの、と思っちゃったんですよ。もっと他に盛り上がりどころがあるはずだと。
内藤 その前に、息子がぴーぴー泣くじゃないですか。反抗期の子どもか、と。
冨永 そう、意外とショボい奴なんですよね。物語としては、圧倒的に強い敵でいてほしかったのに。
保坂 僕個人の理解としては、まずハン・ソロは「ジェダイ」じゃないわけです。でも息子はレイア姫の血を引いているから、その潜在能力を持っている。だから息子は、人間である父親に対して、どこか見下しているというか、抵抗感があったんじゃないかと。そしてハン・ソロもそういう息子に対して、アンビバレントな感情を抱いて、子育てを放棄してルークにまかせてしまったのではないかと。ああ、そりゃあグレちゃうよな!って思ったんだよね。
千浦 すげえ。僕が観たのと別の映画の話みたいだ! でも正しいよ。それはあるわ。
保坂 それでもハン・ソロは、レイア姫に「あなたはジェダイじゃないけど父親なのよ」って言われて、意を決して息子と対峙する。立ち話をするうちに、ちょっと、イケそうな気配もあった。ここに至るまでには、きっと『美味しんぼ』ばりの、父と息子のドラマがあったんだろうなと。
内藤 ええと、「6」の時点では、ルークとかレイア姫側が勝利を収めてるわけですよね。でもその割に共和国軍は、すごく弱そうな印象を受けたんですけど。
冨永 ジェダイであるルークが姿を消したからじゃないですかね。それで帝国軍が息を吹き返した。「ガンダム」と一緒で、何回倒してもジオン軍の残党は残っているわけですよ。
千浦 今回登場したかつてのヒーローたちの姿に、今までどれだけ同じことが繰り返されてきたのかっていうことを感じましたね。みんな挫折した活動家みたいだった。体制側とそうでない側の対決というのは歴史上何度も繰り返されているけど、結局、国とか政府とか大企業とか、そういうものたちは倒れないじゃないですか。でも、それでも個人から奪えないものはあるのだ、ということを、今回のヒロインである「レイ」が示していたなと思うんですよね。(続く)
<その2>
「これほどまでの話題作を映画人が観ないって一体どういうことなのか」。当初はそれを問うてみようと思っていた。でも、そういう問題でもないみたいだ。彼らは、観ていようがいまいが、同じしなやかさで映画にかじりつく。話は、シリーズ作品であることの宿命について。
保坂 今までの話を聞いていて思ったんですけど、この映画って、そういう伏線とか人間関係とかを知らずに観て、果たして面白いのかな。
内藤 僕は、知らない人の結婚式に行ったような感覚でした。
一同 (爆笑)
内藤 挨拶してる人って、出席者たちの人気者なのかな? 新郎か新婦の親族かな? お約束のやりとりなのかな? 意外な発言なのかな? こいつ、サプライズゲスト?? みたいな。でも、背景や関係性を知らない僕はどこが盛り上がりポイントなのか分からず、ポカーンで。ただ、新郎新婦はイイ感じの人たちだったな、愛のあるいい式だったなぁって、悪い気はしないんですけど。
冨永 千浦さんの話を聞いてると、僕が過去のシリーズを忘れたまま「7」だけを単体で観て「何か物足りない」って思ったところは、全部過去の伏線によるところが大きかったのかもしれないですね。
千浦 それは本当に、そうかもしれなくて。僕は「ミレニアム・ファルコン号」が映った瞬間に「あっ!」って声が出たし、そういうお客さんは他にも結構いたんです。あの、見事にタメをつくらない見せ方、サプライズはうまかった。そこはJ・J・エイブラムスの器用さというか、「過去作を踏まえた何か」の見せ方として考え抜かれて発揮されていた配慮とワザなんですよ。
内藤 すごく優秀なファンが作った映画ですね。
冨永 僕が観た時は、文字がぶわあっと流れるあのオープニングで、客席からちょっと笑いが起きたんです。たぶん若い人だと思うんですけど。
千浦 わかる。もはやギャグにしか見えないっていうね。
冨永 そう。何の前置きも、理論的な根拠もないまま、あの世界が壮大すぎる音楽にのせてバーン!と提示される。つい「嘘つけー」ってツッコんじゃったんですよね。
保坂 さっき結婚式って話が出たけど、要はこれって、あの一家の物語なんだね。
内藤 スケールでかいけど、狭いお話ですよね。結構はた迷惑な家族の物語(笑)。
保坂 俺にLINEでレクチャーしてくれた友人が、この物語を『北の国から』になぞらえてくれた瞬間から一気に話がわかるようになった。純がルークで、蛍がレイア姫。正吉くんがハン・ソロなんだと。
千浦 何か、血縁とか家族の因縁を描く物語の、フォーマットがあるのかもしれないですね。僕が聞いたのは、ハリー・ポッターの物語は固有名詞を入れ替えれば、全部ルーク・スカイウォーカーの物語として説明がつくって。
冨永 僕は今回、主人公はレイじゃなくてフィンだと思っていたんですよ。予告編を観て、黒人のストーム・トルーパーが寝返って、そいつが実は強大なフォースの持ち主て覚醒する話だって勝手に思ってて、めちゃくちゃ盛り上がったんです。血筋とかじゃなく、全然違うところから、本当に強いフォースを持った人物が現れるんだと思ってたので、『NARUTO』でがっかりしたのと一緒のことが起きたなと思って。
内藤 でもレイとフィンは、すごく魅力的なキャラクターだし、役者の演技も良かった。平凡な日常から脱することを願っていたレイが冒険に胸を躍らせる。ワクワクした感じが良かったですね。あと歯を食いしばった表情が可愛かったです。フィンのダメっぷりも可愛かった。確かに、フィンがフォースを持つ展開は僕も期待していました。気になったのはカイロ・レンのマスク。微妙でしたよね。ダース・ベイダーって一見しただけ「こいつ、悪い!」ってわかるじゃないですか。それって造形において大事なことだと思うんです。でもレンのマスクは単純にインパクトが弱いですよね。
千浦 そして、あっさり取るよね。
内藤 2回も。しかも面長で、性欲の抜けた馬みたい。
冨永 一目見ただけで「こいつメンタル弱い!」って分かる顔でした。だから「これ、ひょっとして勝てるんじゃないか?」って思っちゃうんです。
千浦 暗黒面にいながら、光の誘惑に揺れてしまうという、アナキンの逆バージョン。
内藤 ちょっと可愛いとも思いましたけど、活劇として敵が今ひとつハジけなかったですね。
千浦 でも、改めて考えると、そうだね。やはり一作だけでは伝えきれないというのが、『スター・ウォーズ』の魅力であり弱点でもあるんでしょうね。今回、フィンとポーが結ぶ友情も、かつてルークとハン・ソロが結んでいたものと重なって見えるし。
保坂 こだわるようですけど、ジェダイが童貞だっていうのは嘘なんですか。
千浦 いや、それも、説としてはあるでしょう。でもそれって現代日本のメタ視点が入ってる気がするなあ。確かにジェダイは恋人を持ってはいけないという戒律はあるみたい。ダース・ベイダーはそれを持ったがゆえに、暗黒面に落ちていった人なんですよね。普通の人間と同じように、嫉妬心を持ってたり、奥さんを心配したり、平常心を保てなかった人。僕は「1」から「3」の存在自体を認めないんですけど、でもその中で言うならば「3」が一番好きで。主人公のアナキンがダース・ベイダーになる過程で、めっちゃくちゃ人を殺すんですよ。あと、終盤、溶岩流がだらっだら流れてるところでオビ=ワンと対決するんだけど、それが感動的。
冨永 師匠が、弟子を倒すんですよね。
千浦 そうそう。そしてオビ=ワンが嘆くんです。「お前は選ばれた者だったのに!」と。
冨永 あー……童貞説は、正しい気がしてきました。ジェダイが増えないのも、彼らが子どもを作らなかったからですよね。子どもを作ったら作ったで、ダークサイドに落ちてしまう。そうしてジェダイが減っていく中でからくも産まれた子どもが、ルークとレイア姫。……という公式に当てはめて考えると、もしレイがルークの娘だとしたら、ルークもダークサイドに落ちちゃいますよね。
保坂 僕もそう思って観てた。
千浦 「1」から「3」はそういう、「4」から「6」で描かれなかったものの補完をしようと作られたんだけど、おかしなことになっちゃったんだよね。いくら目算があっても、シリーズものがたくさん続くというのは結局、辻褄合わせの連続になっていくから。伏線や辻褄が合っていることの快感で押しきれていたのは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズじゃないかしら。余談ですが、近年、辻褄を合わせながらやってて現在進行形の勢いとキャラの成長感があったのは『ワイルド・スピード』シリーズ。で、『スター・ウォーズ』世界に話を戻すと、ダース・ベイダーは、彼の出自を説明しない方が、デカい存在でいられたんじゃないかと思う。でもプリクエルを作る時点できっと「来歴と内面を見せる」「人間味を持たせる」っていう方向にシフトしたんだよね。
冨永 ルーカスが「最初から9部作で考えていたけど、冒険物語として一番優れていたのが「4」だったから「4」から作り始めた」って言ってるのをどこかで読んだ気がするんですけど。
内藤 ほんとかなあー(笑)。でも商売人としてすごくうまい言い方だと思います。新作じゃなくて、「エピソード1」と言っちゃうって。新しい世代の観客はきっと「まず「1」から観なきゃ」って思うもんね。レンタルビデオの回転率はプリクエルの方がいいって聞きました。で、みんな「3」であきらめちゃうのかもしれないですね(笑)。(続く)
<その3>
この映画を、あるいは映画界を、もっと言えば世界全体を俯瞰すると、ひとつのことが見えてくる。すべては連鎖している。人は繰り返しの歴史の中を生きていくほかない。でも、それでも自分は動くのだと、決めた者にこそ光は当たるのだ。
保坂 次、どういう話になるかなって考えるとね。たぶんハン・ソロの息子が、どんどんモンスター化していくと思うんですよ。で、それを止めるべきは、やっぱりルークですよね。
千浦 ああ。また繰り返しですね。
保坂 で、ルークがやられる。それによって、レイがジェダイとして立ち上がる——っていうプロットを、もし「次はお前が書け」って言われたら書くと思います(笑)。
冨永 レイはまだ修行してないですもんね。でも今回、フィンがライトセーバーを出せたじゃないですか。フォース持ってるってことですかね?
千浦 いや、あれは、誰でもスイッチ押せば出ます。「帝国の逆襲」でハン・ソロが、乗ってたラクダ的な動物のお腹をライトセーバーで切るシーンがありますよ。もう単に鉈とかと同じ扱い。
冨永 え……それはなんかショックだなあ(笑)。じゃあ、ライトセーバーの光の強さみたいなものが、フォースによってカサ増しするとかですか?
千浦 そういうことでもないかなあ……
冨永 え、じゃあ、なんであんな聖なる武器みたいな扱いになってるんだろう。
内藤 ごめんなさい、結局、フォースって何ですか?
冨永 「ニュータイプ」みたいなものですかね。
保坂 ああ、「ニュータイプ」。
冨永 僕は子どもの頃から「ガンダム」が好きなんですが、『スター・ウォーズ』を初めて観た時に、「わー、人間がビームサーベルで戦ってる!」って思いました。
内藤 今回、ソードアクションとして「新しい」と感じるところがなかったですね。『マッドマックス 怒りのデスロード』や『ミッション・インポッシブル:ローグネイション』、『ジョン・ウィック』等、昨今のアクション映画って新しい表現を見せてくれたので、物足りなかったです。J・J・エイブラムス監督的にも、リブート版『スタートレック』のほうがアクションに新鮮さはあったと感じました。フォースを使う場面も、もっと面白いことをして欲しかったですね。序盤のビームをフォースで止めるところは、はっとしたんですけど、止めるだけで終わっちゃうし。「投げ返さないんだ……」ってがっかりしちゃって。マシュー・ヴォーンの『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』にもフォース的な描写ありますよね。でっかいものを動かすと人は感動するんだなと思った。あれで結構、泣けた記憶があるんですよね。
千浦 そうそう、パラボラアンテナを動かすところね。マイケル・ファスベンダーの「マグニートー」のトレーニングを「プロフェッサーX」が補助するときに「子どもの頃のいい思い出を……」って相手をリラックスさせて、最大限の力を発揮させるじゃないですか。あれって、ヨーダがルークを訓練してるシーンとそっくりだと思う。ヨーダが宇宙戦闘機Xファイターを一機まるまる空中に浮かすところ。
内藤 そうか、だからマシュー・ヴォーンは『キングスマン』でマーク・ハミルを出したのか!
冨永 日本でもこの後、メタル・ヒーローものの中で、オマージュみたいな描写が結構ありましたよね。『特警ウインスペクター』っていう作品に、C-3POに動きが似てるロボットが出てきます。
千浦 そしてそのメタル・ヒーローものから『ロボコップ』が生まれ、『ロボコップ2』を撮ったのが「帝国の逆襲」の監督です。
冨永 あ、そうなんですか!
千浦 「5」の監督はアーヴィン・カーシュナー、「6」はリチャード・マーカンドという人ですけど、どちらもハリウッドのウェルメイド畑の作り手ではないんですよ。そしてこれはトリビア的な話ではなく、アメリカ映画界、映画史の話として言いますけど、ルーカスやスピルバーグ、それからコッポラもそこに加えるとすると、あの人たちって「映画界の父」がいない世代なんです。映画学校で培ってきた技術そのままで商業映画に打って出て、当てちゃった人たちなんですね。彼らより上の世代はみな、赤狩りで弱り切っていたから。で、その、「父親がいない」っていうことが、この映画にも色濃く反映されているようにも見える。父親や指導者にあたる人は皆、挫折して隠れ住んでたりする。ちなみに、ルーカス、スピルバーグ、コッポラがある意味呼び出してきて担いだのは黒澤明だったと思いますが。あとコッポラはロジャー・コーマンという、例えて言うならハン・ソロ的なアウトロー密輸業者風映画人という、特殊なパイセンを持っていますけど。
内藤 確かにその世代の監督が描く物語って、「父の不在」ってモチーフが共鳴してますね。
千浦 だから今回、一番最後にリアルに老けたマーク・ハミル演ずるルーク・スカイウォーカーが出てきた時に、すごく不思議な気持ちになりました。過去作を踏まえての小ワザうんぬんっていう小さいところじゃなくて、もっとデカい次元ですべてがループし、オーバーラップしている。これは「1」で若き日のオビ=ワンをユアン・マクレガーがやっているのを観た時には感じなかったものでした。あれはいわば、まず我々が何か屈託のある老人を知っていて、彼の過去に何があったのかということを知ったわけだけど。今回は本当に年を取って、いろいろあって、それを経て出てきているという、時の重みというかを感じた。
内藤 僕は年末に『クリード チャンプを継ぐ男』を観たんです。特に『ロッキー』に思い入れがあるわけじゃなくて、観たのは「1」と「6」だけなんですけど。でも、めちゃくちゃ良かったんです。震えるくらい泣いてしまった。『フォースの覚醒』と同じように、有名なメインテーマのある人気シリーズの第7作。「フォースの覚醒」は過去作を踏まえてないと楽しめない作品でしたけど、『クリード〜』は過去作を知らなくても問答無用で引き込むパワーがありました。父親であるアポロの試合映像を、主人公がYouTubeで何度も観てるっていうシーンがあって。その映像をバックに、シャドウ・ボクシングするんですよ。
保坂 ああ、あそこは良かった!
内藤 で、主人公は、これまでのシリーズとは違って、裕福なんですよね。でも何らかの虚無感を抱えていて、どうしても血が騒いでしまう。これって、今の世代の人たちの気持ちと似てるなと思って。スポーツするにも、何かを作るにも、あらゆるものはすでに出尽くしてしまっている。上を見れば「すごい父親」がいっぱいいる。今更新しいものなんていらないんじゃないの? 凄いものは既にネット上にアーカイヴされているじゃん、みたいな虚無感が前に立ちはだかっている。でも何かやりたい! 僕だって生み出したい、挑戦したいっていう気持ちが溢れ出しているというのが、あの描写に集約されていたし、そこにすごく乗れたんですよね。メインテーマの使い方も素晴らしかった。監督のライアン・クーグラーはまだ新人で、自分でスタローンに企画を売り込んだらしくて。
千浦 スタローンだって、そもそも自分で『ロッキー』の脚本を書いたわけだからね。
保坂 もし『クリード2』があるとしたら、たぶんアポロの息子がやられるんですよ。で、ロッキーが復活する話にしましょう(笑)。(続く)
<その4>
最後に愚問をぶつけてみる。さっき保坂さんからもありましたけど、「8」を書け、って誰かに言われたら、皆さんどうされますか?
内藤 どうだろうなあ……
冨永 「9」まである、っていうことが前提ですからね。ある程度そこまで組み立ててから、映画は始動しているんだろうし。
保坂 なんか、フォースって、優性遺伝みたいな描かれ方をしているじゃないですか。『ドラゴンボール』のサイヤ人もそうだったでしょう。で、最後の最後で、何の血縁もない少年を連れて来て、そいつに希望を託すっていう。僕はそういう、今までの流れとは別の人間が立ち上がる、っていうのが観たいかなあと思いますね。そいつがものすごいフォースを持ってる!っていう展開が観てみたい。
冨永 そうですね。フィンに覚醒してほしいです。
内藤 黒人であることも新しいし。子どもの時にさらわれて、少年兵として訓練されたっていう設定は現代性を感じますね。僕も血縁関係を越えた継承のほうが格好いいって思います。『キングスマン』がやっていましたけど。
千浦 ルーカスがこの物語世界を最初に立ち上げた時にはなかったカルチャーのひとつが、ヒップホップだと思うんですよ。その気配を、ちょっと予感させる存在ですよね。「遠い昔、はるか彼方の銀河系」では、黒人文化ってどうなってるんだろうなって思ったりしました。
冨永 男がヒーローじゃない、っていうのも現代的だなと思いました。男は口ばっかりで意外と何もできない。引っ張ってくれるのはいつもレイだし、レイが捕まってハン・ソロとフィンが助けに行くと、彼女は自力で脱出してるんですよね。
千浦 いや、それはもはや、ポリティカル・コレクトネス的配慮なんじゃないですか。女の人に「助けに来てくれてありがとう」とでも言わせようものなら、うるさい手合がいるんじゃないか。 むしろ現代的なのは、レイがハン・ソロに「一緒に来いや」って誘われながらも「家に帰らないと」って断るところ。昔だったら、故郷を出て立身出世する物語が良しとされてたけど、今は全世界的な不況とかもあって、地元を出ない人が多いでしょう。
保坂 うん。福岡の女の子、って感じがする。
千浦 あるいは、北関東の女の子。
——最後に改めてお聞きしますが、千浦さん以外のお三方はなぜ、旧作を観なかったのでしょう?
保坂 僕の場合はたぶん、ストーリー・テリングの妙で見せる映画じゃないからでしょうね。……って「2」と「3」を観ていないので断言はできないんですけど、子どもの時のうっすらした記憶の中でも「タルい映画だなあ……」っていう印象が残っているので。今回だって構造としては「スカイウォーカーの地図を取り合う」だけのお話ですよね。今どき、こんなにシンプルなプロットの映画はないと思うんですよ。っていう印象が、今回「7」を観てもあまり変わらなかったので、次も観るかどうかわからないなあと。
冨永 同期の映画美学校生同士で、たまに会うと「最近何観た?」っていう話に必ずなるんですけど、そこに『スター・ウォーズ』の名前がのぼったことがないんです。「これはぜひ観て語らねば!」っていう感じにならない。
千浦 なんでだろう。『スター・ウォーズ』Tシャツ、着ないもんね?
冨永 そうですね。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』Tシャツは着るんですけど。ユニクロのやつ。
内藤 『バック・トゥ・ザ・フューチャー』はやっぱり、話が面白いからね。ストーリー・テリングを分析したい思いに駆られる。
千浦 いや、でもね、なんか……せせこましくない?
一同 (笑)
千浦 『スター・ウォーズ』は、ざっくりとしてるけど、デカいじゃない。……って言いながら家族のお話なんですけどね。全世界を見渡してみても、昔から、神話とか叙事詩というのは血縁止まりの話なんですけど。
内藤 原作ものじゃなくて、映画監督が生み出した世界観のグッズ商品がこんなに売れるって他にないと思うんです。そこは羨ましいです。
冨永 僕は、ポップ・カルチャーとしておしゃれにフィギュアを買い集めるのとかが大っ嫌いだったんです。ガンプラみたいに、自分が心からカッコいいと思うものを、自分で作ってがちゃがちゃ遊ぶのが好きだった。おもちゃって、それで遊びたいから買うものじゃないですか。映画やアニメに出てくるものを、立体物として自分の手の中に入れて、自分のものにしたい。だからブリスターパックで買ってきたものを、遊ばずにそのまま並べておくなんて、本当に『スター・ウォーズ』が好きなわけじゃないんだろうなと。っていうのを思春期に味わってしまったから、『スター・ウォーズ』自体がダセー!って偏見を持っちゃって。
内藤 ひねくれ者が多いんですかね、この学校は(笑)。でも、僕らの世代でも、ハマってる人はハマってるしなあ。「7」で人物紹介は終わったから、「8」は面白くなるんじゃないかなって期待しています。
冨永 少なくとも、今日の座談会を文字起こししたら、千浦さんだけが熱狂的なマニアだとしか読めないですよね(笑)。
千浦 うん、僕はそっち側の人間じゃないと思っていたし、さっきも言ったように「1」から「3」に関しては存在自体を認めてはいないけど、そのこだわり自体がそこそこのファンである証明なのかもしれないし、でも今思えば、俺「ファントム・メナス」(エピソード1)もグッズ持ってるわ。
一同 (笑)
千浦 むしろ、僕が危惧するのは皆さんのことです。世の『スター・ウォーズ』マニアから、3人が総攻撃を受けるんじゃないかと、心配でならないですよ。(2016/01/12)
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