これを収録したのは去年末である。前回掲載した座談会には日程が合わず、けれど彼の中には『ジョギング渡り鳥』にまつわる言葉がどうやら溢れかえっており、それを存分に吐き出していただくべく、映画美学校近くのガストで落ち合ったのだ。そこにあったのは、観客としてだけでなく、同じ「映画の作り手」としての熱い眼差しなのだった。
――まずは率直に、ご感想からおうかがいしてもよろしいですか。
なんてざっくりとした質問(笑)。僕は完成までいくつかのバージョンを観てきているんですが、観るたびに様相が違うんですね。成長する映画、という感じがする。もちろん、今度の完成版は編集も整音もきっちりされているだけれど、僕にとっての『ジョギング渡り鳥』は、最初に「映画美学校映画祭」(2013年)で観た時の印象がいちばん強いんですよ。ちっとも長さを感じなかったし、何かが生まれてくる場所に立ち会った気がしました。なにひとつ手助けはできなかったですが、ただドキドキしながら見守りました。役立たずの産婆さんみたいな感じ?(笑)。映画は当然編集を終えて、整音したら完成なんだけど、この映画はそういったものを拒絶する――拒絶っていう言葉も何か違うな。『ジョギング渡り鳥』には「拒絶」も「完成」もそぐわない。すべてを「受容」した上で、永遠に「未完成」というか。5年前、アクターズ・コースが始まって初めての受講生として映画美学校に入ってきたみんながいて、俳優としても監督としても信頼度の高い鈴木卓爾という人がいて、その上でこの映画は誕生している。その誕生に立ち会ったという印象がとてもあります。
――アクターズ・コース以外でも、これまで受講生たちの作品の「誕生」にも数多く立ち会われてきたと思うのですが、それらの印象とは違いましたか。
違いましたね。受講生の作品に対峙する時は、最初の観客でありたいと思いつつ、どこかで、どこをどうしたら良くなるかという「講評」の眼差しで観てしまうことを否めない。でも今回は、『ジョギング渡り鳥』っていうタイトルと、「どうも映画を作る話らしい」っていうことぐらいしか知らなかった。だから余計楽しかったんです。……これはもう言ってもいいと思うんですけど、古澤(健)くんの役、最初は僕にお話をいただいてたんですよ。
――え!
僕がやんなくて、ほんっとーに良かった! あれ、僕にはできないですよ。殺し屋みたいな役だって言われてね。でも自分も当時映画美学校フィクションコースの14期高等科生たちとのコラボで『あれから』(2012年)の準備がいろいろとあって。現場見たいなーと後ろ髪ひかれながらも本当に申し訳ないけどお断りをしました。でもそこで、古澤くんに代わったから、ああいう役にふくらんでいったんだと思うんです。出来上がりを観て「古澤くんでよかったなー」って心から思った(笑)。撮影に参加して、事情をいろいろと詳しく知ってしまっていたら、こういうふうには見られなかったでしょうね。
――篠崎さんはアクターズ1期生の授業をたびたび見学されていましたね。
はい。兵藤さん、山内さん、近藤さん、古館さんのワークショップにもお邪魔しました。卒業公演の松井さんの稽古にも何度か。いやあ、面白かったですねー。その場にいるだけで楽しかった。こういうこと、映画でもやりたいなぁと。
『ジョギング渡り鳥』の撮影には立ち会えなかったけど、でも熱気だけはしっかり伝わってきていたんですよ。どうやら合宿して撮っているらしいとか、アクターズコース2期生の修了公演を一期生が観に来て「これから追撮があるので現場に戻ります……」なんて、みんなもうボロッボロになってやってたわけです(笑)。以前、高橋洋さんが『ソドムの市』という映画を撮った時、それはそれは大変な現場だったそうなんですね。みんな立ってるのもやっとで、死んでる設定の役者がそのまま爆睡してたりしたらしい(笑)。でもそこに関わった人たちは、「あんなに過酷な現場はない!」「あの現場が乗り越えられたんだから、もう怖いものはない!」ということを、みんな、すごくうれしそうに眼をキラッキラッさせて語るわけ。
――事務局の市沢さんが転んで歯を折った映画ですね。本当にうれしそうに語られます。
そうでしょう。徹夜で撮影して、外へ出たら夜が明けていて、誰かが「ああ、映画の夜明けだ!」って言い出したらしくて(笑)。でも素直にそう思えるような充実感があったんでしょう。それに近いものを、『ジョギング渡り鳥』撮影当時のアクターズ1期生にも感じたんですよ。そしてもう一つ素晴らしいと思ったのは、カメラの前と後ろの垣根をなくしたってこと。そもそも映画美学校って、そういう場所ですよね。いろんな人たちが入り混じって何かをやっている。裏方だって出ていいし、表方がカメラを回したっていい。僕ら自身もかつて、中学高校時代に撮った自主映画はそうやって撮っていたわけです。もっと遡れば、無声映画の時代なんかも役者が機材担いだり、手伝ったりしたって聞いたことありますよ。それが経験を積んで大人になるにつれて「プロのやり方はこうじゃないらしい」っていうことがわかってきて、やがて一般的な映画の作り方に慣れてしまう。だから僕なんかはプロの現場を踏むたびに「いやあ、やっぱりプロとの仕事はいいなー」ってのと「待て、待て。ホントにこれでいいのかなあ……」って思うのと両方あるんです。『ジョギング渡り鳥』はそのことに、スタッフ・キャストの全員が…全員といっても心をひとつにしてとか、一丸となってとかじゃなくって、それぞれがそれぞれのまんまで、鈴木卓爾となんかやろうって集まってる感じ。寄り添ってるけど、決してもたれかからないでね。あくまで個は個で、その上でワイワイやってる感じがしたのかな。でもって鈴木卓爾も全員ひとりひとりの見せ場、個性、それぞれが一番活き活きとするには何をどうすればいいんだって!と考えてる一方で、自分はどんな映画がつくりたいんだろうってのも当然あったと思うんです。で、その上で全員に寄り添おうとしてるんだよね。いやあ、無茶ですよ。それやったら死にますよw 少なくとも絶対何千個か卓ちゃんの細胞死んでると思う(笑)。アクターズのみんなも正直やってる最中は相当しんどかったし、辛かったと思うんですよ、正直現場では。寒かったし、あまり眠れなかったみたいだし。ただねー、鈴木卓爾の役者に対する愛情をすんっんごく強く感じました。彼らにしかできない、一人ひとりの潜在能力を目一杯広げるような演技をさせている。みんな、その役柄であると同時に、彼ら自身でもあるような役を演じているでしょう。
――それは、卓爾さんが俳優だから、でしょうか?
それだけではないでしょう。「彼が鈴木卓爾だから」だと思います。「鈴木卓爾」という人の中に「演じる」ということと「監督をする」ということがいつも分けてだてなく共存しているんでしょうね、きっと。そして同時に、これが大事なんだけど、『ジョギング渡り鳥』は彼個人の個性だけに従属している映画じゃない。鈴木卓爾だからできた映画だけど、鈴木卓爾一人では絶対に出来なかった映画。当たり前といえば、当たり前なかも知れないけど、いまその当たり前のことがなかなかできにくくなってるんです。そういう意味で、すごく真っ当だし、希有な映画だと思うんですよね。うん。幸せな映画です。(続く)
<その2>
この日、ドリンクバーのコーヒーをすすりながらまず行き着いたのは、この映画はたやすく要約できない映画なのだということ。「観ればわかること」でできている映画なのだということ。でもこの記事は、まだ観ていない人にこそ読ませたいのだということ。……うーん。と唸って沈黙が流れ、その間もレコーダーは回っていた。
――今までの鈴木卓爾作品と、何か違う感じはありましたか。
うーん、それも簡単には言い切れないところだけど……でも、つながっていると思います。まず『ポッポー町の人々』と『ジョギング渡り鳥』はつながっていると思うし、商業映画の中でも彼が、その枠に負けないようにして踏ん張っていることと『ジョギング渡り鳥』もつながっていると思う。誰が主役ということではなく、たえず複数の人が画面の中でうごめいているというのが、たぶんここ数年、鈴木卓爾という人の頭の中に渦巻いていることなんじゃないかなあ。誰か一人を観ていれば物語がわかるというものではない。つまり世界は誰かひとりのためにあるんじゃないってことです。でも、決して難解ではない。そこが、肝なんですよ。とてもシンプルに、一つ一つのシーンを観ていけば、面白いんです。でも要約しようとしたり、「物語とは何だ?」というような観方をしてしまうと、大事なものが抜け落ちてしまう気がするんです。
僕はどうも最近、頭のいい人が、自分の知性を理知的に張りめぐらせて作ったものに、あまり心惹かれないんですね。それだと、せいぜいがその作家の内面世界に付き合わされる感じがして。その点『ジョギング渡り鳥』は、最後まで、どう終わるかわからないまま作られた映画なんですよね。ただ単に「完成度を高くしたい」とか「物語の通りを良くしたい」とか「枝葉を切ってわかりやすくしたい」ではなくて、始終何かを探っている。盆栽で言ったら、どんどん接ぎ木を重ねて、いろんな枝葉が伸びに伸びて、ついには庭まで作って、ま、その時点でもはや盆栽じゃないんですけど(笑)。うん、盆栽つくってたはずなのに、気がついたら森になってたみたいな(笑)何か一つでもピースを外したら成立しないような完成された美しい工芸品のような映画ではないけど、絶妙なバランスと強さを持った作品なんですよ。そういうものに、僕は憧れるんですよね。
――ご自身の作品も、そうではないですか?
そうありたいと思います。一つ一つのショットをちゃんと作りこみたいと思う自分と、綺麗にまとまりすぎると壊したくなる自分がいますね。端正に作りこまれた作品を撮ると、もっと躍動感のあるものが撮りたくなる。そうやってスクラップ・アンド・ビルドを繰り返していくっていうことなんでしょうね。まあ、砂場の泥遊びですね。大きな城つくっちゃ、踏みつぶしたり、バケツで水流してぐちゃぐちゃにする(笑)
――作り手にとっては、何を作るにも「その時点でのベスト」だから、例えば5年後に見返したら「ああもう……」ってなったりはしませんか。
え、5年後? いやいや、そりゃ出来たそばから「ああもう……!」ってなりますよ(笑)。でもそれよりも、「これやると絶対現場大変になるよなあ。言うのやめとくか」って日和ってしまったこと、諦めてしまったことの方が恥ずかしいかな。自分の青臭いところは、むしろ笑える。「馬っ鹿だったなあ!」って思うけど、それがその時点での自分が出し切ったものならば大丈夫。出し切れずにエクスキューズしているように見えるものの方が恥ずかしいですね。
――卓爾さんと、そういう話をされたりしますか。
作風は全然違うんですけど、何かを共有している感じはとてもありますね。こまめに話し合ってるわけじゃないけど、どうも同じようなことを考えているような気がする。今の世の中を見ていて「嫌だな」と思うこととか、不自由に感じることとか。僕はそういうことを何となく適当にごまかしちゃうところがあるんだけど、鈴木卓爾という人はそこをごまかさずにもっと真摯にあがいているんだろうなあ。諦めない人だなあーこの人は!って思いますよ。「観やすくする」とか「売りやすくする」とかじゃなくて、どうやったら映っている人たちが輝いて見えるかということを、ギリギリまで悩み抜いているでしょう。
プロの現場では「事前にどう撮るかを決めておくのは当然だ」って言われるんです。だって、百数十人のスタッフが関わっているわけですからね。いかに効率よく、短い時間で取り切るかが問われますから。どっちが正しい、とかではないんですよ。違うやり方がある、っていうだけの話なんですけど。 その点、『ジョギング渡り鳥』みたいな映画は、アクターズ生たちにとっても、もう二度とないと思うんですよ……って言い切っちゃうのは悲しいかもしれないけど、こんな感じで「一緒に作る」映画って、商業映画では200パーセントありえないかもしれない。心身共にキツかったと思うけど、同時にたとえようもなく贅沢な現場だったんだと思うんですよね。そういう、映画のために費やした時間が見える映画。そしてアクターズの彼らが映画美学校で過ごした2年間が映っている映画。それ抜きにこの映画を語ることは、僕にはできないなあ。さっき役立たずの産婆さんって言ったけど、産婆さんじゃなくって、親戚のお兄さんみたいな気持ちですね。あ、お兄さんは図々しいか、親戚のおせっかいなオッチャン(笑)。
――この映画に、アクターズ1期生たちの成長をどうご覧になりましたか。
それを語るのも難しいんですよね。成長かぁ…。ううん、成長とか成熟とかってことじゃない言葉で語りたいかな。上手くなった、というのも…。いや、確実に彼ら向上してるのはたしかですよ。この映画の前に、松井周さんが演出した公演見た時に、最初に映画美学校で会った時とは別人みたいだったもの。感動しましたよ。たった1年でこうなるんだ、って。それからさらに1年たってからこの映画でしょ? で、ここに写っているのは、「こういうことをこういうふうに重ねてきたからこういう成長をしました」ということではない気がするんです。もっとむき出しの……。間違いなく彼らはしゃかりきに研鑽を積んできたけど、舞台ならそれが確実に生きてくると思うのですが、映画ってことに関していうと、必ずしも積み重ねてきたものだけで勝負できない時があって。演技の巧い下手よりも、その人自身がもってるものが残酷なまでにさらけ出されてしまうんですよね。カメラの前でその瞬間ごとに起きた化学反応が映ってしまう。だから、出ている人たちの成長を個別に語ることはできないんですよ。そうやって分析するべき映画じゃない。「ここがこうだからいいのだ」って言いたくないんですよね。もちろん、語れば語れるんですよ、「あのシーンの表情がいいよね」とか「あそこの音楽がかかる瞬間、いいよね」とか。でもこの映画はそういうことじゃない。何というか、もっとずっと「カタマリ」なんですよね。(続く)
<その3>
例えば、得体の知れない巨大な鳥が飛んできたら。人はまず「あの右側の翼の羽根の広げ方の角度がいいよね」とは言わないでしょうと彼は言う。「だって、そういう時って、ただ見上げて茫然と見送るしかないでしょ? その巨大な鳥の全貌を、無理やり言葉にしようとしてもねえ。それより「いやあ……なんかわかんないけど今の凄かった!マジ、ヤバい」って、中学生みたいに興奮するのが正しいんじゃないですかね。いや、「正しい」は違うな。楽しいんなんじゃないかな」。映画の、楽しい、幸せな観かた。眉間にシワよせて食らいつくんではなく、おおらかに、雄大な、空を受け止めるみたいな観かた。それを重ねたい、と私も思う。
――それはとてもよくわかります。
話は少し飛ぶんですけど、僕は安保法案を巡って国会議事堂前のデモに何回か行ったんですね。今の政府のやり方見ていたらそれで法案が廃案になるとは到底思えなかったけど、それでも行きたくなったんですね。Twitter上で「馬鹿だよねー、デモなんて行っても無駄じゃん」なんてつぶやいてる人に対して、腹は立つんですよ。立つんだけど、その一方で「デモに来ない表現者など一切信じない!」みたいな言い方をする人にも、同じくらい違和を覚えたんです。それも大きなお世話ですよ。行こうと行くまいと自由。友人の中にも現政府のやり方は許せんけど、デモに参加するのは嫌だ、生理的にデモは苦手っていう人もいる。そういう人に、それをお前、それは違うよ、とは言えない。ただ、行かないと見えないこと、わかんないこともあったよ、とは言います。強制はしないですよ。みんなそれぞれ都合があるし、デモに行くことだけが闘い方じゃないでしょ? でもデモに参加するなんて馬鹿だという人たちとデモに参加しない人を責める人たちはコインの裏表っていうか、両者とも、すごく不寛容ですよね。昔、『イントレランス』(=不寛容の意)ってサイレント映画があったんですが、まさにあれです。ちょっとでも自分と違うものがあれば、排斥したり、揶揄したり。
僕がデモに行って「いいなあ」と思ったのは、シュプレヒコールに参加するでもなく、どこか孤独にその場に身を置いている人たちでした。ある日、壇上で政治家が「これからの時代は若い人に頑張ってほしいんです!」なんてスピーチをしてると、僕の隣に立ってたおじいさんが誰に聞かせるでもなく「若いも年寄りも関係ないんだよ」ってつぶやいていてね。他方を見れば若い女の子が何度も腕時計を確認していて、おそらく終電を気にしながら、でもぎりぎりまでそこに居ようとしていたんでしょうね。そういう姿にすごくシンパシーを感じるんですよ。何者にも強制されず、それぞれが、それぞれの在り方で、やむにやまれずそこにいる。年輩の方々もかなり多くいらしててね。別に運動系の人たちでも宗教団体の人たちでもない方々が、個人で大勢来ていました。ある時、僕、石垣の上に立っていたんですが、年輩の方が何人も近道して、その石垣をあがって公園に抜けようとされていたので、引っ張りあげたり、落っこちそうになるのを支えたりしていたんですね。そしたら、足をトントンと叩かれて、「あ、また石垣にあがりたいのかな?」と思って見たら、ひとりのおばあさんがニコッって笑いながら僕に飴をくれたんです。成人してから知らない人に飴貰ったのは初めてでした(笑)ああ、こういう人たちがいっぱい集まってるんだ、いろんな人たちが来ているんだなって実感したんです。
デモに来ていない人たちにだって、それぞれの理由があるわけですよ。仕事で来られない人だっているだろうし、体の具合が悪くて来られない人たちもいるでしょうし。そういう事情を斟酌せずに来なかった人を責めるのも、デモに来てる人たちをいっしょくたにして一方的に中傷するのもどっちも違う気がするんですよね。
――わかります、彼らは自分の立脚点を、……
「絶対」だと思っているんだよね! 少しも疑ってない。もちろん、みんな、居場所は欲しいわけです。誰かに必要とされたいし。家庭だったり仕事場だったり。友だちだったり恋人だったり。でもそれは、ずっと続くものではない。たえず向き合って、更新し続けなきゃいけないわけです。だから「絶対」なんていうものは、ありえないんですよ。『ジョギング渡り鳥』に好感を持ったのは、そういう態度を感じたからかもしれません。「これこそが映画なのだ」「これが正しい映画なのだ」という立場には立たず、常に迷いながら作られた映画。え、「誰々が散髪しちゃった!? ふざけんなよ、つながんないじゃん!」じゃなくって、「映画なんて、もともと繋がってないものを繋げてるだけだしなー。だったら、こんなのもありなんじゃない?」「ありあり」って。どうしたらより楽しく、より自由に生きていけるか、カメラの前と後ろで同じくらい自由でいられるかということについて、試行錯誤の果てに生まれた映画なんじゃないかな。
――そうですね。何せ「渡り鳥」ですから。
渡り鳥って、群れで動くじゃないですか。そして一か所にはとどまらない。どこまで卓ちゃんが「渡り鳥」という単語を意図的に使っているのかわからないけど、言い得て妙だなあと思うんですよ。
――私が掴まれたのもそこでした。たまたま出会った相手と、自分の意志で、今のところは共に飛んでいる鳥たちの物語。
そうだよね。そうそう、まさにそこなんですよ…。イデオロギーや理念で未来永劫結ばれようとしてるわけじゃない。手をつなぎ合っているわけではないし、個と個が群れをなしているけど、決して馴れ合っているわけじゃない。一丸となったり、合体したりはしない。映画作りって、そういうものですよ。作ってる最中は強く強く結集するけど、終わったら散り散りになっていくでしょう。それでいいじゃないですか。
あのね、加藤泰監督の『真田風雲録』って真田十勇士の映画がありまして。昭和38年、僕が生まれた年に作られた映画なんですが、もう僕この映画がほんっとーに好きで好きで大好きで(笑)。自分の監督デビュー作の『おかえり』の撮影を手がけてくださった古谷伸さんがキャメラマンなんです。 登場人物たちがひと癖もふた癖もあるやるヤツラばっかで、でも意気投合するとすぐに「おう、列を組もうぜ」って言うんですね。その「列を組む」って言い方なんか渡り鳥っぽくないですか?(笑)その映画、シリアスな展開の中に、急にミュージカルみたいなシーンやギャグも差し挟まれて、笑いもありつつ、寂しさを内包している映画で、最後にみんな散り散りになっていくんですね。で、中村錦之助が「また、あいつらと会える気がするなあ。会えたらいいなあ」って荒野のど真ん中を、ひとりずんずん歩いていくのがラストシーンなんです。で、歌いだすんですね。「ひとりでいるから一緒になれる。一緒にいるからひとりになれる」って。もう思い出すだけで泣きそうになるんだけど(笑)それともちょっと重なるかも知れない。きっと『ジョギング渡り鳥』に加わった人たちは、これからも、ゆるやかにつながっていくんじゃないかな。何だかそんな気がします。(2015/12/20)
なんてざっくりとした質問(笑)。僕は完成までいくつかのバージョンを観てきているんですが、観るたびに様相が違うんですね。成長する映画、という感じがする。もちろん、今度の完成版は編集も整音もきっちりされているだけれど、僕にとっての『ジョギング渡り鳥』は、最初に「映画美学校映画祭」(2013年)で観た時の印象がいちばん強いんですよ。ちっとも長さを感じなかったし、何かが生まれてくる場所に立ち会った気がしました。なにひとつ手助けはできなかったですが、ただドキドキしながら見守りました。役立たずの産婆さんみたいな感じ?(笑)。映画は当然編集を終えて、整音したら完成なんだけど、この映画はそういったものを拒絶する――拒絶っていう言葉も何か違うな。『ジョギング渡り鳥』には「拒絶」も「完成」もそぐわない。すべてを「受容」した上で、永遠に「未完成」というか。5年前、アクターズ・コースが始まって初めての受講生として映画美学校に入ってきたみんながいて、俳優としても監督としても信頼度の高い鈴木卓爾という人がいて、その上でこの映画は誕生している。その誕生に立ち会ったという印象がとてもあります。
――アクターズ・コース以外でも、これまで受講生たちの作品の「誕生」にも数多く立ち会われてきたと思うのですが、それらの印象とは違いましたか。
違いましたね。受講生の作品に対峙する時は、最初の観客でありたいと思いつつ、どこかで、どこをどうしたら良くなるかという「講評」の眼差しで観てしまうことを否めない。でも今回は、『ジョギング渡り鳥』っていうタイトルと、「どうも映画を作る話らしい」っていうことぐらいしか知らなかった。だから余計楽しかったんです。……これはもう言ってもいいと思うんですけど、古澤(健)くんの役、最初は僕にお話をいただいてたんですよ。
――え!
僕がやんなくて、ほんっとーに良かった! あれ、僕にはできないですよ。殺し屋みたいな役だって言われてね。でも自分も当時映画美学校フィクションコースの14期高等科生たちとのコラボで『あれから』(2012年)の準備がいろいろとあって。現場見たいなーと後ろ髪ひかれながらも本当に申し訳ないけどお断りをしました。でもそこで、古澤くんに代わったから、ああいう役にふくらんでいったんだと思うんです。出来上がりを観て「古澤くんでよかったなー」って心から思った(笑)。撮影に参加して、事情をいろいろと詳しく知ってしまっていたら、こういうふうには見られなかったでしょうね。
――篠崎さんはアクターズ1期生の授業をたびたび見学されていましたね。
はい。兵藤さん、山内さん、近藤さん、古館さんのワークショップにもお邪魔しました。卒業公演の松井さんの稽古にも何度か。いやあ、面白かったですねー。その場にいるだけで楽しかった。こういうこと、映画でもやりたいなぁと。
『ジョギング渡り鳥』の撮影には立ち会えなかったけど、でも熱気だけはしっかり伝わってきていたんですよ。どうやら合宿して撮っているらしいとか、アクターズコース2期生の修了公演を一期生が観に来て「これから追撮があるので現場に戻ります……」なんて、みんなもうボロッボロになってやってたわけです(笑)。以前、高橋洋さんが『ソドムの市』という映画を撮った時、それはそれは大変な現場だったそうなんですね。みんな立ってるのもやっとで、死んでる設定の役者がそのまま爆睡してたりしたらしい(笑)。でもそこに関わった人たちは、「あんなに過酷な現場はない!」「あの現場が乗り越えられたんだから、もう怖いものはない!」ということを、みんな、すごくうれしそうに眼をキラッキラッさせて語るわけ。
――事務局の市沢さんが転んで歯を折った映画ですね。本当にうれしそうに語られます。
そうでしょう。徹夜で撮影して、外へ出たら夜が明けていて、誰かが「ああ、映画の夜明けだ!」って言い出したらしくて(笑)。でも素直にそう思えるような充実感があったんでしょう。それに近いものを、『ジョギング渡り鳥』撮影当時のアクターズ1期生にも感じたんですよ。そしてもう一つ素晴らしいと思ったのは、カメラの前と後ろの垣根をなくしたってこと。そもそも映画美学校って、そういう場所ですよね。いろんな人たちが入り混じって何かをやっている。裏方だって出ていいし、表方がカメラを回したっていい。僕ら自身もかつて、中学高校時代に撮った自主映画はそうやって撮っていたわけです。もっと遡れば、無声映画の時代なんかも役者が機材担いだり、手伝ったりしたって聞いたことありますよ。それが経験を積んで大人になるにつれて「プロのやり方はこうじゃないらしい」っていうことがわかってきて、やがて一般的な映画の作り方に慣れてしまう。だから僕なんかはプロの現場を踏むたびに「いやあ、やっぱりプロとの仕事はいいなー」ってのと「待て、待て。ホントにこれでいいのかなあ……」って思うのと両方あるんです。『ジョギング渡り鳥』はそのことに、スタッフ・キャストの全員が…全員といっても心をひとつにしてとか、一丸となってとかじゃなくって、それぞれがそれぞれのまんまで、鈴木卓爾となんかやろうって集まってる感じ。寄り添ってるけど、決してもたれかからないでね。あくまで個は個で、その上でワイワイやってる感じがしたのかな。でもって鈴木卓爾も全員ひとりひとりの見せ場、個性、それぞれが一番活き活きとするには何をどうすればいいんだって!と考えてる一方で、自分はどんな映画がつくりたいんだろうってのも当然あったと思うんです。で、その上で全員に寄り添おうとしてるんだよね。いやあ、無茶ですよ。それやったら死にますよw 少なくとも絶対何千個か卓ちゃんの細胞死んでると思う(笑)。アクターズのみんなも正直やってる最中は相当しんどかったし、辛かったと思うんですよ、正直現場では。寒かったし、あまり眠れなかったみたいだし。ただねー、鈴木卓爾の役者に対する愛情をすんっんごく強く感じました。彼らにしかできない、一人ひとりの潜在能力を目一杯広げるような演技をさせている。みんな、その役柄であると同時に、彼ら自身でもあるような役を演じているでしょう。
――それは、卓爾さんが俳優だから、でしょうか?
それだけではないでしょう。「彼が鈴木卓爾だから」だと思います。「鈴木卓爾」という人の中に「演じる」ということと「監督をする」ということがいつも分けてだてなく共存しているんでしょうね、きっと。そして同時に、これが大事なんだけど、『ジョギング渡り鳥』は彼個人の個性だけに従属している映画じゃない。鈴木卓爾だからできた映画だけど、鈴木卓爾一人では絶対に出来なかった映画。当たり前といえば、当たり前なかも知れないけど、いまその当たり前のことがなかなかできにくくなってるんです。そういう意味で、すごく真っ当だし、希有な映画だと思うんですよね。うん。幸せな映画です。(続く)
<その2>
この日、ドリンクバーのコーヒーをすすりながらまず行き着いたのは、この映画はたやすく要約できない映画なのだということ。「観ればわかること」でできている映画なのだということ。でもこの記事は、まだ観ていない人にこそ読ませたいのだということ。……うーん。と唸って沈黙が流れ、その間もレコーダーは回っていた。
――今までの鈴木卓爾作品と、何か違う感じはありましたか。
うーん、それも簡単には言い切れないところだけど……でも、つながっていると思います。まず『ポッポー町の人々』と『ジョギング渡り鳥』はつながっていると思うし、商業映画の中でも彼が、その枠に負けないようにして踏ん張っていることと『ジョギング渡り鳥』もつながっていると思う。誰が主役ということではなく、たえず複数の人が画面の中でうごめいているというのが、たぶんここ数年、鈴木卓爾という人の頭の中に渦巻いていることなんじゃないかなあ。誰か一人を観ていれば物語がわかるというものではない。つまり世界は誰かひとりのためにあるんじゃないってことです。でも、決して難解ではない。そこが、肝なんですよ。とてもシンプルに、一つ一つのシーンを観ていけば、面白いんです。でも要約しようとしたり、「物語とは何だ?」というような観方をしてしまうと、大事なものが抜け落ちてしまう気がするんです。
僕はどうも最近、頭のいい人が、自分の知性を理知的に張りめぐらせて作ったものに、あまり心惹かれないんですね。それだと、せいぜいがその作家の内面世界に付き合わされる感じがして。その点『ジョギング渡り鳥』は、最後まで、どう終わるかわからないまま作られた映画なんですよね。ただ単に「完成度を高くしたい」とか「物語の通りを良くしたい」とか「枝葉を切ってわかりやすくしたい」ではなくて、始終何かを探っている。盆栽で言ったら、どんどん接ぎ木を重ねて、いろんな枝葉が伸びに伸びて、ついには庭まで作って、ま、その時点でもはや盆栽じゃないんですけど(笑)。うん、盆栽つくってたはずなのに、気がついたら森になってたみたいな(笑)何か一つでもピースを外したら成立しないような完成された美しい工芸品のような映画ではないけど、絶妙なバランスと強さを持った作品なんですよ。そういうものに、僕は憧れるんですよね。
――ご自身の作品も、そうではないですか?
そうありたいと思います。一つ一つのショットをちゃんと作りこみたいと思う自分と、綺麗にまとまりすぎると壊したくなる自分がいますね。端正に作りこまれた作品を撮ると、もっと躍動感のあるものが撮りたくなる。そうやってスクラップ・アンド・ビルドを繰り返していくっていうことなんでしょうね。まあ、砂場の泥遊びですね。大きな城つくっちゃ、踏みつぶしたり、バケツで水流してぐちゃぐちゃにする(笑)
――作り手にとっては、何を作るにも「その時点でのベスト」だから、例えば5年後に見返したら「ああもう……」ってなったりはしませんか。
え、5年後? いやいや、そりゃ出来たそばから「ああもう……!」ってなりますよ(笑)。でもそれよりも、「これやると絶対現場大変になるよなあ。言うのやめとくか」って日和ってしまったこと、諦めてしまったことの方が恥ずかしいかな。自分の青臭いところは、むしろ笑える。「馬っ鹿だったなあ!」って思うけど、それがその時点での自分が出し切ったものならば大丈夫。出し切れずにエクスキューズしているように見えるものの方が恥ずかしいですね。
――卓爾さんと、そういう話をされたりしますか。
作風は全然違うんですけど、何かを共有している感じはとてもありますね。こまめに話し合ってるわけじゃないけど、どうも同じようなことを考えているような気がする。今の世の中を見ていて「嫌だな」と思うこととか、不自由に感じることとか。僕はそういうことを何となく適当にごまかしちゃうところがあるんだけど、鈴木卓爾という人はそこをごまかさずにもっと真摯にあがいているんだろうなあ。諦めない人だなあーこの人は!って思いますよ。「観やすくする」とか「売りやすくする」とかじゃなくて、どうやったら映っている人たちが輝いて見えるかということを、ギリギリまで悩み抜いているでしょう。
プロの現場では「事前にどう撮るかを決めておくのは当然だ」って言われるんです。だって、百数十人のスタッフが関わっているわけですからね。いかに効率よく、短い時間で取り切るかが問われますから。どっちが正しい、とかではないんですよ。違うやり方がある、っていうだけの話なんですけど。 その点、『ジョギング渡り鳥』みたいな映画は、アクターズ生たちにとっても、もう二度とないと思うんですよ……って言い切っちゃうのは悲しいかもしれないけど、こんな感じで「一緒に作る」映画って、商業映画では200パーセントありえないかもしれない。心身共にキツかったと思うけど、同時にたとえようもなく贅沢な現場だったんだと思うんですよね。そういう、映画のために費やした時間が見える映画。そしてアクターズの彼らが映画美学校で過ごした2年間が映っている映画。それ抜きにこの映画を語ることは、僕にはできないなあ。さっき役立たずの産婆さんって言ったけど、産婆さんじゃなくって、親戚のお兄さんみたいな気持ちですね。あ、お兄さんは図々しいか、親戚のおせっかいなオッチャン(笑)。
――この映画に、アクターズ1期生たちの成長をどうご覧になりましたか。
それを語るのも難しいんですよね。成長かぁ…。ううん、成長とか成熟とかってことじゃない言葉で語りたいかな。上手くなった、というのも…。いや、確実に彼ら向上してるのはたしかですよ。この映画の前に、松井周さんが演出した公演見た時に、最初に映画美学校で会った時とは別人みたいだったもの。感動しましたよ。たった1年でこうなるんだ、って。それからさらに1年たってからこの映画でしょ? で、ここに写っているのは、「こういうことをこういうふうに重ねてきたからこういう成長をしました」ということではない気がするんです。もっとむき出しの……。間違いなく彼らはしゃかりきに研鑽を積んできたけど、舞台ならそれが確実に生きてくると思うのですが、映画ってことに関していうと、必ずしも積み重ねてきたものだけで勝負できない時があって。演技の巧い下手よりも、その人自身がもってるものが残酷なまでにさらけ出されてしまうんですよね。カメラの前でその瞬間ごとに起きた化学反応が映ってしまう。だから、出ている人たちの成長を個別に語ることはできないんですよ。そうやって分析するべき映画じゃない。「ここがこうだからいいのだ」って言いたくないんですよね。もちろん、語れば語れるんですよ、「あのシーンの表情がいいよね」とか「あそこの音楽がかかる瞬間、いいよね」とか。でもこの映画はそういうことじゃない。何というか、もっとずっと「カタマリ」なんですよね。(続く)
<その3>
例えば、得体の知れない巨大な鳥が飛んできたら。人はまず「あの右側の翼の羽根の広げ方の角度がいいよね」とは言わないでしょうと彼は言う。「だって、そういう時って、ただ見上げて茫然と見送るしかないでしょ? その巨大な鳥の全貌を、無理やり言葉にしようとしてもねえ。それより「いやあ……なんかわかんないけど今の凄かった!マジ、ヤバい」って、中学生みたいに興奮するのが正しいんじゃないですかね。いや、「正しい」は違うな。楽しいんなんじゃないかな」。映画の、楽しい、幸せな観かた。眉間にシワよせて食らいつくんではなく、おおらかに、雄大な、空を受け止めるみたいな観かた。それを重ねたい、と私も思う。
――それはとてもよくわかります。
話は少し飛ぶんですけど、僕は安保法案を巡って国会議事堂前のデモに何回か行ったんですね。今の政府のやり方見ていたらそれで法案が廃案になるとは到底思えなかったけど、それでも行きたくなったんですね。Twitter上で「馬鹿だよねー、デモなんて行っても無駄じゃん」なんてつぶやいてる人に対して、腹は立つんですよ。立つんだけど、その一方で「デモに来ない表現者など一切信じない!」みたいな言い方をする人にも、同じくらい違和を覚えたんです。それも大きなお世話ですよ。行こうと行くまいと自由。友人の中にも現政府のやり方は許せんけど、デモに参加するのは嫌だ、生理的にデモは苦手っていう人もいる。そういう人に、それをお前、それは違うよ、とは言えない。ただ、行かないと見えないこと、わかんないこともあったよ、とは言います。強制はしないですよ。みんなそれぞれ都合があるし、デモに行くことだけが闘い方じゃないでしょ? でもデモに参加するなんて馬鹿だという人たちとデモに参加しない人を責める人たちはコインの裏表っていうか、両者とも、すごく不寛容ですよね。昔、『イントレランス』(=不寛容の意)ってサイレント映画があったんですが、まさにあれです。ちょっとでも自分と違うものがあれば、排斥したり、揶揄したり。
僕がデモに行って「いいなあ」と思ったのは、シュプレヒコールに参加するでもなく、どこか孤独にその場に身を置いている人たちでした。ある日、壇上で政治家が「これからの時代は若い人に頑張ってほしいんです!」なんてスピーチをしてると、僕の隣に立ってたおじいさんが誰に聞かせるでもなく「若いも年寄りも関係ないんだよ」ってつぶやいていてね。他方を見れば若い女の子が何度も腕時計を確認していて、おそらく終電を気にしながら、でもぎりぎりまでそこに居ようとしていたんでしょうね。そういう姿にすごくシンパシーを感じるんですよ。何者にも強制されず、それぞれが、それぞれの在り方で、やむにやまれずそこにいる。年輩の方々もかなり多くいらしててね。別に運動系の人たちでも宗教団体の人たちでもない方々が、個人で大勢来ていました。ある時、僕、石垣の上に立っていたんですが、年輩の方が何人も近道して、その石垣をあがって公園に抜けようとされていたので、引っ張りあげたり、落っこちそうになるのを支えたりしていたんですね。そしたら、足をトントンと叩かれて、「あ、また石垣にあがりたいのかな?」と思って見たら、ひとりのおばあさんがニコッって笑いながら僕に飴をくれたんです。成人してから知らない人に飴貰ったのは初めてでした(笑)ああ、こういう人たちがいっぱい集まってるんだ、いろんな人たちが来ているんだなって実感したんです。
デモに来ていない人たちにだって、それぞれの理由があるわけですよ。仕事で来られない人だっているだろうし、体の具合が悪くて来られない人たちもいるでしょうし。そういう事情を斟酌せずに来なかった人を責めるのも、デモに来てる人たちをいっしょくたにして一方的に中傷するのもどっちも違う気がするんですよね。
――わかります、彼らは自分の立脚点を、……
「絶対」だと思っているんだよね! 少しも疑ってない。もちろん、みんな、居場所は欲しいわけです。誰かに必要とされたいし。家庭だったり仕事場だったり。友だちだったり恋人だったり。でもそれは、ずっと続くものではない。たえず向き合って、更新し続けなきゃいけないわけです。だから「絶対」なんていうものは、ありえないんですよ。『ジョギング渡り鳥』に好感を持ったのは、そういう態度を感じたからかもしれません。「これこそが映画なのだ」「これが正しい映画なのだ」という立場には立たず、常に迷いながら作られた映画。え、「誰々が散髪しちゃった!? ふざけんなよ、つながんないじゃん!」じゃなくって、「映画なんて、もともと繋がってないものを繋げてるだけだしなー。だったら、こんなのもありなんじゃない?」「ありあり」って。どうしたらより楽しく、より自由に生きていけるか、カメラの前と後ろで同じくらい自由でいられるかということについて、試行錯誤の果てに生まれた映画なんじゃないかな。
――そうですね。何せ「渡り鳥」ですから。
渡り鳥って、群れで動くじゃないですか。そして一か所にはとどまらない。どこまで卓ちゃんが「渡り鳥」という単語を意図的に使っているのかわからないけど、言い得て妙だなあと思うんですよ。
――私が掴まれたのもそこでした。たまたま出会った相手と、自分の意志で、今のところは共に飛んでいる鳥たちの物語。
そうだよね。そうそう、まさにそこなんですよ…。イデオロギーや理念で未来永劫結ばれようとしてるわけじゃない。手をつなぎ合っているわけではないし、個と個が群れをなしているけど、決して馴れ合っているわけじゃない。一丸となったり、合体したりはしない。映画作りって、そういうものですよ。作ってる最中は強く強く結集するけど、終わったら散り散りになっていくでしょう。それでいいじゃないですか。
あのね、加藤泰監督の『真田風雲録』って真田十勇士の映画がありまして。昭和38年、僕が生まれた年に作られた映画なんですが、もう僕この映画がほんっとーに好きで好きで大好きで(笑)。自分の監督デビュー作の『おかえり』の撮影を手がけてくださった古谷伸さんがキャメラマンなんです。 登場人物たちがひと癖もふた癖もあるやるヤツラばっかで、でも意気投合するとすぐに「おう、列を組もうぜ」って言うんですね。その「列を組む」って言い方なんか渡り鳥っぽくないですか?(笑)その映画、シリアスな展開の中に、急にミュージカルみたいなシーンやギャグも差し挟まれて、笑いもありつつ、寂しさを内包している映画で、最後にみんな散り散りになっていくんですね。で、中村錦之助が「また、あいつらと会える気がするなあ。会えたらいいなあ」って荒野のど真ん中を、ひとりずんずん歩いていくのがラストシーンなんです。で、歌いだすんですね。「ひとりでいるから一緒になれる。一緒にいるからひとりになれる」って。もう思い出すだけで泣きそうになるんだけど(笑)それともちょっと重なるかも知れない。きっと『ジョギング渡り鳥』に加わった人たちは、これからも、ゆるやかにつながっていくんじゃないかな。何だかそんな気がします。(2015/12/20)
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