ずいぶんと前から、知っていたはずの映画でした。
ですが3月末、改めて試写を観たところ、
なんだろう、ちょっと説明のつかない感情になりました。
ためしに、書いてみます。(局長オガワ)
ですが3月末、改めて試写を観たところ、
なんだろう、ちょっと説明のつかない感情になりました。
ためしに、書いてみます。(局長オガワ)
いつもよくしていただいている、篠崎誠監督の
(http://www.ai-ni-iku.com/ai-ni-iku/ep04/ep04_01.html)、
最新作『SHARING』の試写を観てきました。
3.11以降の、まぎれもない私たちについての映画です。
「SHARING」。
本編でも語られる、深く静かな願いのキーワード。
それが胸に迫るどころか、胸ぐらつかまれて揺さぶられ通しでした。
私たちはあの日のことを、「なかったこと」にしようとしてはいないか。
まだ5年、ほんの5年なのに。
あの日、私は映画美学校の事務局にいました。
今の地下フロアではなく、1階に受付とロビーと教室と、
あの懐かしい「カフェテオ」があった頃。
私は「昼番」のシフトで事務局入りしており、
特にすることもなくネットとかを見てたら、ぐらりと揺れて、
しかもどんどん長く大きくなってゆき、あわてて外へ出ると、
他のビルからも、たくさんの人があふれ出ていました。
何が起きたんだかまるでわからず、ただ、
携帯電話のアンテナ表示が、見たことのない紫色をしています。
ちょうどこちらへ向かっている最中だった上司が、
生まれて間もない赤子を抱っこして現れました。
彼の奥さんもビガッコーで働いているので、
いつもは夫婦がビガッコー近辺で落ち合い、赤子を受け渡して、
奥さんは子連れで帰宅し、上司は出勤するのです。
親たちが外でこれからの何らかについて打ち合わせしている間、
なぜか私が、赤子番となりました。
気がついたらビガッコーのえらい人たちもそこここにいて、
おじさまたちは皆、見たことがないくらい柔らかい顔をして、
ぐるりと赤子を取り囲んで、顔をのぞき込んだのを覚えています。
普段あんまり言葉を交わすことのなかった、別の上司のひとりが言います。
「これくらいの頃は、まだあんまり周りが見えてないと思うよ」。
彼の家にも、幼いちびっ子がいるのでした。
赤子って最強。
一気に弛緩ムード。
そこから先はあっという間でした。
夜が来て、「帰宅難民」の皆さんが明かりを求めて押し寄せてきました。
赤ちゃんをおぶったおかあさん二人組がやってきました。
お乳をあげておむつを替えたい。そうおっしゃるので、
人目のつかないところへご案内しました。
少し経ってからそちらを見ると、
おかあさんが、床に横になっておられました。
私はあわててしまって。具合でも悪いんじゃないかと思って。
上司にそのことを告げると「あの姿勢が一番やりやすかったりもするのだ」と、
子育て豆知識を私にくれて、忙しげに去っていかれました。
上司たちは、倉庫でホコリかぶってたアナログテレビを引っぱり出し、
椅子をたくさん並べたロビーの中央に、どん、と据えました。
私が座っていた受付席の、ちょうど真ん前、真正面でした。
同じ映像が、何回も何回も流れていました。
真っ黒い波しぶきが緑の田畑をじわじわと飲み込んでいく様。
炎を上げたままの家屋が濁流に押し流されている様。
波がそこまで迫っているのに、身動き取れずに渋滞している車の列。
出てくる順番を、覚えてしまいそうなくらいでした。
興味深いことに、NHKのアナウンサーは、
VTRの途中であれ何であれ、1時間かっきりで交代していくのでした。
その理由を私は後で、身を持って知るわけですが、
私の中でそれが起きたのは、夜を徹した明け方でした。
私の、ドキュメンタリー科在籍時の恩師がたまたまビガッコーで夜を過ごし、
帰り際、声をかけてくれたのです。
「オガワさん、そろそろ行くね」。
はあい、と顔を上げて彼女の顔を見た瞬間、
涙が、ぼろぼろぼろっ!と落ちました。
何が起きたんだかよくわかりませんでした。
こんなところで泣いちゃうほどの何かを、
私はまるで、まるでひとかけらも被ってはいないのです。
なのに涙が止まらない。いや、むしろしゃくりあげている。
そこから先の記憶は、どうも、飛び飛びです。
朝が来て、電車も動き出し、
誰もいなくなったロビーでお疲れ様をして、
職員一同は解散しました。
帰りの井の頭線からの景色を、私はたぶん忘れないと思います。
抜けるような青空。みんな誰かのもとへ帰っていく。
でも私はそうじゃない。自室で一人で、また一日中、あの映像を見るのでしょう。
感受性を、閉じてしまった方が楽だと、その時、思ってしまいました。
『SHARING』に登場するのは、あの日以降、
感受性を閉じずに生きてきた人たちです。
すべてのアンテナを閉じて、目をそらして生きていくほうがずっと楽なのに、
それを選び取らなかった人たちの物語です。
彼ら彼女らは「分け合う」ことを試みます。
自分が見た景色を、心を、誰かと共にしようとします。
拒まれます。スルーされます。衝突もします。
決してうまくはいかない。だけど、
それでも彼ら彼女らは、そのトライをやめないのです。
目の下を土気色にしながら。
幾度も眠りから引き戻されながら。
皆、それぞれの「SHARE」を模索するのです。
もちろん、篠崎監督ご自身も。
皆さんは、どうですか。
あなたの感受性は、今も、ひらいていますか。
そういう話を、あなたとしたい。
いつか、何年経ってでも。そう思います。
『SHARING』は4月23日(土)から5月13日(金)まで、
テアトル新宿で21:00からの1日1回上映です。
映画B学校でも何らかの特集を企画中。お楽しみに!
http://sharing311.jimdo.com/
(http://www.ai-ni-iku.com/ai-ni-iku/ep04/ep04_01.html)、
最新作『SHARING』の試写を観てきました。
3.11以降の、まぎれもない私たちについての映画です。
「SHARING」。
本編でも語られる、深く静かな願いのキーワード。
それが胸に迫るどころか、胸ぐらつかまれて揺さぶられ通しでした。
私たちはあの日のことを、「なかったこと」にしようとしてはいないか。
まだ5年、ほんの5年なのに。
あの日、私は映画美学校の事務局にいました。
今の地下フロアではなく、1階に受付とロビーと教室と、
あの懐かしい「カフェテオ」があった頃。
私は「昼番」のシフトで事務局入りしており、
特にすることもなくネットとかを見てたら、ぐらりと揺れて、
しかもどんどん長く大きくなってゆき、あわてて外へ出ると、
他のビルからも、たくさんの人があふれ出ていました。
何が起きたんだかまるでわからず、ただ、
携帯電話のアンテナ表示が、見たことのない紫色をしています。
ちょうどこちらへ向かっている最中だった上司が、
生まれて間もない赤子を抱っこして現れました。
彼の奥さんもビガッコーで働いているので、
いつもは夫婦がビガッコー近辺で落ち合い、赤子を受け渡して、
奥さんは子連れで帰宅し、上司は出勤するのです。
親たちが外でこれからの何らかについて打ち合わせしている間、
なぜか私が、赤子番となりました。
気がついたらビガッコーのえらい人たちもそこここにいて、
おじさまたちは皆、見たことがないくらい柔らかい顔をして、
ぐるりと赤子を取り囲んで、顔をのぞき込んだのを覚えています。
普段あんまり言葉を交わすことのなかった、別の上司のひとりが言います。
「これくらいの頃は、まだあんまり周りが見えてないと思うよ」。
彼の家にも、幼いちびっ子がいるのでした。
赤子って最強。
一気に弛緩ムード。
そこから先はあっという間でした。
夜が来て、「帰宅難民」の皆さんが明かりを求めて押し寄せてきました。
赤ちゃんをおぶったおかあさん二人組がやってきました。
お乳をあげておむつを替えたい。そうおっしゃるので、
人目のつかないところへご案内しました。
少し経ってからそちらを見ると、
おかあさんが、床に横になっておられました。
私はあわててしまって。具合でも悪いんじゃないかと思って。
上司にそのことを告げると「あの姿勢が一番やりやすかったりもするのだ」と、
子育て豆知識を私にくれて、忙しげに去っていかれました。
上司たちは、倉庫でホコリかぶってたアナログテレビを引っぱり出し、
椅子をたくさん並べたロビーの中央に、どん、と据えました。
私が座っていた受付席の、ちょうど真ん前、真正面でした。
同じ映像が、何回も何回も流れていました。
真っ黒い波しぶきが緑の田畑をじわじわと飲み込んでいく様。
炎を上げたままの家屋が濁流に押し流されている様。
波がそこまで迫っているのに、身動き取れずに渋滞している車の列。
出てくる順番を、覚えてしまいそうなくらいでした。
興味深いことに、NHKのアナウンサーは、
VTRの途中であれ何であれ、1時間かっきりで交代していくのでした。
その理由を私は後で、身を持って知るわけですが、
私の中でそれが起きたのは、夜を徹した明け方でした。
私の、ドキュメンタリー科在籍時の恩師がたまたまビガッコーで夜を過ごし、
帰り際、声をかけてくれたのです。
「オガワさん、そろそろ行くね」。
はあい、と顔を上げて彼女の顔を見た瞬間、
涙が、ぼろぼろぼろっ!と落ちました。
何が起きたんだかよくわかりませんでした。
こんなところで泣いちゃうほどの何かを、
私はまるで、まるでひとかけらも被ってはいないのです。
なのに涙が止まらない。いや、むしろしゃくりあげている。
そこから先の記憶は、どうも、飛び飛びです。
朝が来て、電車も動き出し、
誰もいなくなったロビーでお疲れ様をして、
職員一同は解散しました。
帰りの井の頭線からの景色を、私はたぶん忘れないと思います。
抜けるような青空。みんな誰かのもとへ帰っていく。
でも私はそうじゃない。自室で一人で、また一日中、あの映像を見るのでしょう。
感受性を、閉じてしまった方が楽だと、その時、思ってしまいました。
『SHARING』に登場するのは、あの日以降、
感受性を閉じずに生きてきた人たちです。
すべてのアンテナを閉じて、目をそらして生きていくほうがずっと楽なのに、
それを選び取らなかった人たちの物語です。
彼ら彼女らは「分け合う」ことを試みます。
自分が見た景色を、心を、誰かと共にしようとします。
拒まれます。スルーされます。衝突もします。
決してうまくはいかない。だけど、
それでも彼ら彼女らは、そのトライをやめないのです。
目の下を土気色にしながら。
幾度も眠りから引き戻されながら。
皆、それぞれの「SHARE」を模索するのです。
もちろん、篠崎監督ご自身も。
皆さんは、どうですか。
あなたの感受性は、今も、ひらいていますか。
そういう話を、あなたとしたい。
いつか、何年経ってでも。そう思います。
『SHARING』は4月23日(土)から5月13日(金)まで、
テアトル新宿で21:00からの1日1回上映です。
映画B学校でも何らかの特集を企画中。お楽しみに!
http://sharing311.jimdo.com/
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