あれは『ジョギング渡り鳥』上映最終日の打ち上げの時だ。並み居るビガッコー修了生たちに「次のB学校は何やるんすか」と聞かれて、この二人に話を聞くよと伝えたら爆笑が沸いた。「そりゃB学校にしかできないっすよー!」そうでしょうそうでしょう。おまたせしました、「かつて映画美学校の階上にあった映画館『オーディトリウム渋谷』の支配人兼映写技師とその助手」でありながら「みんなにわかる言葉で映画を解体してくれる映画ライターと、これから語る映画の出演俳優」でもあるふたりによるごぶさた対談、スタートです。
千浦 高橋くんの、来歴の話から入りましょうか。もともと、子役さんだったんだよね?
高橋 っていう話を、いつ千浦さんにしたんでしたっけ。改まって打ち明けた記憶があんまりないんですけど。
千浦 うん。でも「え、その映画、観てたよ!」っていう感慨は覚えてる。なんで子役をすることになったの?
高橋 幼稚園の年中ぐらいの時に、姉に映画のオーディションの紹介があったんですよ。でも姉は恥ずかしがり屋で出たがらなくて、「その弟役もあるよ」って言われたので、お父さんにオーディションに連れて行ってもらった。それが『林檎のうさぎ』(1997年)っていう映画だったんですけど。
千浦 おー。俺、それ映写したよ。
高橋 で、主人公の友達ぐらいのポジションでその映画に出させてもらって、そのスタッフさんのお声がけがあって『M/OTHER』(1999年)のオーディションに呼んでいただいたんです。そこから養成所に入って、そういうお仕事をするようになって。
千浦 何歳ぐらいまで?
高橋 中学3年ぐらいまで。でも何しろ『M/OTHER』がすごいインパクトのある現場だったので。思い入れのある、特別な映画になってしまったんですよ。
千浦 まだ9歳か10歳ぐらいなのに、早くもその境地に。
高橋 そうですね、ちょっと圧倒されてしまって、原点としてどうしても振り返ってしまう。だからそれ以降もなかなかそういう現場には出会えなくて、受験もあったし、一回離れたんですよね。今思うと、悔しかったんだと思うんです。同年代の知ってる子が活躍してるのを観ると悔しかったから、映画とかまったく観なくなったし。でも大学に入って、シネコンでバイトして、やっぱり映画が好きだと思って、同時に「とにかく現場に行きたい!」って思ったんですよ。それで「シネマ☆インパクト」のことを知ったんです。監督の鈴木卓爾さんは僕が一度CMでご一緒した市川準さんの映画に出ていたし、諏訪さんの映画にも出ていたので、さらに諏訪さんはその現場『ポッポー町の人々』にも出演されてるんですけど。
千浦 「かつて自分が好きだった世界の人たちがそこにいる!」と。
高橋 そう。元から卓爾さんの映画が好きだったというのも大きくあるんですけど、さらにそういうご縁をたぐりよせるみたいにして参加したんです。それを経て、現場の熱にまたやられて、卓爾さんが講師をしている映画美学校のアクターズ・コースを知り、そこに入って、篠崎さんに出会うんですけど。
——『SHARING』に参加することになったのは、どんな流れだったんですか。
高橋 一番最初は「篠崎さんが何やらたくらんでいるらしい」ぐらいの段階でしたね。「まだシナリオも何もないんだけど、テスト撮影するから来てよ」って呼ばれたんです。篠崎さんとスタッフさんと俺、3〜4人しかいない状態で、立教大学の屋上に寝そべって、立ち上がって歩いて行くっていうことを、ただやったんです。
千浦 へえ。オーディションとかそういうんじゃなかったんだ。
高橋 そうなんです。そうするうちに、だんだんその「テスト撮影」の人数が増えていって、いろんなことを試して遊んでみる期間がしばらく続いて、そのまま出ることになったという。フタを開けてみたらああいう役で、本当にびっくりしたんですけど。
千浦 せりふ、まったくないよね。あんなに出てるのに。
高橋 まっっったくないです。ひと言もしゃべらない。アクターズ・コースで学んだことから、さらに、別の筋肉を使った感じです。理で詰めていくのではなく、篠崎さんがおっしゃるキーワードを感覚的に捉えていく作業。どうしても頭でっかちになっちゃうところを、全部切り崩して、リラックスして現場に臨むというか。
千浦 篠崎さんの演出について、もうちょっと詳しく聞きたい。
高橋 自分がする芝居について、細かく制限される感じはまったくなかったです。任せられている、という感覚が強くありましたね。あと、とにかく篠崎さんとたくさん話をしました。「この役についてどう思う?」みたいなこととか、ドッペルゲンガーの話とか。僕自身、「昔の自分」と「今の自分」の両方を抱えているようなところがあるんです。例えば「『M/OTHER』以前」と「『M/OTHER』以後」とか。もっと言ったら「震災以前」と「以後」で人生が分断されながら生きている人がたくさんいるわけで。
千浦 まさに『SHARING』はそういう映画だったね。あるきっかけを機に、まったく違う世界へズレ込んだみたいな感覚。その中で、「悪役」でも「敵役」でもないけど、一番、ダークな役でしたよね。木村知貴さんと対をなすキャラクター。彼は穏やかで肯定的で、よくしゃべる役だったじゃない。
高橋 ニュアンス的に、「みんなが抱えてる亡霊」みたいなイメージがあったんですよ。いつも鬱屈していて、密かに破壊願望とか残酷さとか不謹慎さをくすぶらせているようなところが、きっと誰の胸にもあるんじゃないかと。震災を機に、明らかにテンションが上がってる人っていたじゃないですか。あの男は、そういうものを反映している側面もあるのではないかって。
千浦 なんか、ずっと具合悪そうだったもんね。
——血色がなかったね。
高橋 なかったですね(笑)。しかも僕、他の役者さんと共演するシーンがあんまりなかったんですよ。より内に内に思い詰めていってしまう感じは、役柄的にもそうですけど、あったかもしれませんね。
——千浦さんは、どんなご感想でしたか。
千浦 今よく言われる「エンタメ」ではなくて、昔の映画に見られるような分厚いエンターテインメント性があるなあって思いました。ホラー映画こそが、実はすごく感動的なものを秘めていたりするんですよ。別にこれは「俺はこんな見方ができるんだぜ」みたいな自慢じゃなくて、本当の話なんです。ホラーとかアクション映画とか、まずジャンルの区分のなかで生まれた映画であるはずなんだけど、ものすごい感動を秘めてる映画がたくさんある。
——例えば?
千浦 ……って聞きたくなっちゃいますよね。ええと、『悪魔が最後にやって来る!』(1977年)っていうオカルト映画があるんだけど、これはある意味、『SHARING』と近しい気がする。原発が題材で、高橋くんの役みたいな青年が、もっと堂々と、にこにこしながら世界を滅ぼそうとするんですよ。これはスケール感がすごい。世界終末ホラー。あとドッペルゲンガーとか分身とかいうことで言うと、わりと最近『嗤う分身』(2013)っていう映画がありましたよね。ジェシー・アイゼンバーグの。
高橋 ああ。ありましたね。
千浦 あ、そういえば高橋くんはジェシー・アイゼンバーグのやる役は全部やれそうだね。神奈川のジェシー・アイゼンバーグだ。
高橋 ジェシー・アイゼンバーグは好きな役者なので嬉しいですけど(笑)。
千浦 で、『嗤う分身』はまあ普通の映画ですけど、これは原作がドストエフスキーの小説で、まさに『SHARING』で高橋くんが手に持ってる本。これをベルトルッチも68年に映画化してる(『ベルトルッチの分身』2013年日本公開)。これは心理的サスペンスと政治映画の折衷みたいなものかもしれないけど、超かっこいい映画です。あと最近売り出してる監督のドニ・ヴィルヌーヴの『複製された男』(2013年)とか。あと、『古都」(中村登監督・岩下志麻版・63年、市川崑監督・山口百恵版・80年)とか、『ふたりのベロニカ』(クシシュトフ・キェシロフスキ・91年)とか、同じ姿の人が複数いるということが妙に面白い話と、画面になる。だからわりと映画っぽいネタであるかもしれない、分身って。高橋くんは二人どころか、もっと、めっちゃ増えてたけどね。
高橋 増えてましたね。
千浦 『SHARING』はさっき高橋くんが言ったみたいに、贅沢な作られ方をしているから、本気度が違うなと思うんですよね。バージョンによって違う終わり方をするんだけど、それを自分たちで選びとったのだという強度がある。
高橋 そうですね。僕も、この映画がいつ始まったのかが自分でも判然としないんですよ。ぐわー!っと巻き込まれていったっていう印象が強くて。
千浦 篠崎さんらしいねえ。
高橋 そう。「いつの間にか始まってた!」みたいな。
千浦 そして、終わんないんだよね!
高橋 終わんない! でもそこが希有だと思うんですよね。震災なら震災、原発なら原発を、「こういうことでした」っていう報告みたいにして終わっちゃうものが多いような気がするけど、篠崎さんは「終わらないのだ」と。むしろ「続いていく」っていうふうに着地させている。描いてる「今」の、さらにその向こうをここまで見つめた映画は、他にないなあと思いますね。(続く)
<その2>
篠崎誠という人物に、抗うことなく巻き込まれてしまうビガッコー関係者は決して少なくない。どう見ても裏方気質の人たちが、彼の映画にはすいすい出ている。千浦僚だってその一人だ。私はどうも不思議に思って、当時上司だった市沢真吾にその理由を尋ねたところ「どんなに忙しくても、篠崎さんには巻き込まれておかないと、損する気がするんです」って言われた。損って何だ、損って。
——私の篠崎さんの第一印象は『死ね!死ね!シネマ』なんです(※2011年、フィクション・コース14期生の「ミニコラボ」作品。監督の作・演出作品に、受講生たちはスタッフとして参加する)。終電ギリギリで、みんなもう帰っちゃっているのに、篠崎さんはビガッコーのスタッフを捕まえて「ここにこう座って、カッターをこう持って、こうやって目を突いてください!」って。
千浦 派手に遊んでたよね。オーディトリウムは大量虐殺シーンのロケ地だったんだけど、篠崎さんはエキストラとして、率先してすっ転んでたんだよ。
高橋 さっき言った「テスト撮影」の時も、キャスターがついてる長机の上に座らされて「思いっきり叫んで!」って言われて。誰かが押してくれて、横移動していく長机の上で「うわあーー!」って。結局そんなシーンはなかったんですけど。
——わはははは。
高橋 本編でも、そうでしたね。篠崎さんがとあるシーンで、学食の隅っこで、すごくダイナミックなダイビングを見せてました。カメラには写り込んでいないのが惜しいんですけどね。「篠崎さんすごい身体張ってる!」って思って。
千浦 「俺たちもあれぐらいやらなきゃいけないんだ!」と。
高橋 本編で僕が出会う女の子、アクターズ・コースの後輩で吉岡紗良ちゃんっていうんですけど、彼女の顔にキラキラと光が当たるシーンがあって、その鏡を揺らしているのも篠崎さんです。「よし、やっちゃうか!」っていうノリ。監督が生き生きとしてて。
——撮影中、他に印象的だったことはありますか。
高橋 山田キヌヲさんと樋井明日香さんが対峙する、クライマックスの撮影を見学させていただいたんです。僕は一人の撮影が多かったから、他の人の芝居をなかなか観ることができなかったんですけど、それがちょっともう……言葉にできない感じだったんです。二人の集中力が、僕なんかとは比にならないくらいすごかった。本当にあの瞬間は……
千浦 「負けた!」って思った?
高橋 見えてなかった、って思いました。自分のことしか。二人のシーンを観て、初めて、この作品の広がりというか、立ち上がる瞬間を見た気がする。「ここだ!」「これなんだ!」っていう感じがありましたね。
千浦 あの場面は、映画の中での彼女らのキャラクターそれぞれの意見の対立を超えた心理的なバトルですよね。いや、心理的というか存在そのものの戦いというか。どちらが優位に立つかというマウンティングではなく、「個」対「個」のバトル。こういう映画は他にちょっとないな、って思う場面のひとつだと思う。そしてこれは僕がフィルムの映画の映写技師をしてたことも関係していると思うけど、ああいう切り返しの場面って、例えばAさんが映った直後、暴力的なつながれ方でBさんが映ったコマが来るわけですよ。映画って、それの連続でできている。『SHARING』はフィルム撮影ではないけど、でもあの場面に感じたのはそれなんです。「あなたと私は違うのだ」ということの連続が、一つのものを成している。濱口竜介くんが撮った震災のドキュメンタリー(酒井耕との共同監督作『なみのおと』『なみのこえ』『うたうひと』"東北記録映画三部作")を観ても、あんなふうに、インタビューがまるで劇映画のように作られているんだよね。大災害を経て「あなたと私は違う」を思い知り、それでも同じ状況の中に身を置いている。あの切り返しは、別にお話をわかりやすくするためとかではなく、もっと強烈なものを追い求めていたのだなあと思うんです。篠崎さんもまたそういうところに賭けている、と感じましたね。
高橋 スクリーンで観てても、まっすぐに目を見られない感じがありますよね。何かをえぐられる感じがする。観るたびに毎回やられてしまいます。
千浦 すごいセットとか仕掛けとか、お金かかってる感がなくても、ここまで観る者を引っぱる映画ってあるんだよなあと思って。出てる人たちが隅々までよかったなあ。兵藤公美さんの居かたとかさ。あの先生がどんな来歴でどういう人で、っていうのは別に要らないし、当然描かれてもないし、でも「演技の先生」による「演出」とか「指導」という行為はこういう感じ、っていうのにすごい魅せられちゃう。あれは何なのかね。
高橋 あれは、アクターズ・コースで僕らが見続けてきた風景ですよ。
千浦 あのシーンあたりから出てくる、演じているのかいないのか、の枠組みの二重性と、山田キヌヲさんが反復する、これは夢なのか現実なのが判然としない感じが、この映画全体を覆っているよね。
高橋 ちょっと違うけど、カサヴェテスの『ラヴ・ストリームス』(1987年)を思い出すというか。
千浦 そうね、あの映画の夢のパートの感じに似てるね。
高橋 冒頭の女の子(清水葉月)も、強烈でしたよね。
千浦 あれはサム・ペキンパーの『戦争のはらわた』(1977年)の名ゼリフですね。「神がいるならサディストだ」という。でも、黒板にキリストに対する言葉が大書されてる場面があるけど、あれはちょっと日本人の感覚からは遠いかなと僕は思いました。人によるのかもしれないですけど。「神」がいるから「悪」が存在する、っていう構図がホラー映画の根幹にあるんですよね。悪いことをする「悪魔」とかがいて、罪は全部そいつにおっかぶせるという。昔、大映に永田雅一っていう大プロデューサーがいたんだけど、その人が言うには、日本人にはそういうキリスト教的概念は合わない、もっと怪談寄りのものを作らなきゃいけない、とか言ったというのを何かで読んだような気がするんですが、結構なるほどと思って。海外のホラーの「やったるで!」感って、そこか!と。
高橋 ああー。
千浦 僕はその「神」っていう概念に、あまり乗れないんですよ。そんなものを立てなくても、この映画の恐怖は立ったと思うんです。主体があるわけでもないし、「悪」とも言い切れないんだけれど、何か恐ろしいものがはっきりとあるという。
高橋 僕の「神」のイメージって、言葉としてものすごくありふれてて、でも得体が知れなくて、何だろう、「電気」、って言われるのと変わりない感じがしちゃうんです(笑)。でも映画の中で、ふとチャペルを見るシーンがあるんですよね。やっぱり、考えました。チャペルを見る意味。完全に腑に落ちる解答にはたどり着けなかったんですけど、でも、見てしまう。っていう。吉岡紗良ちゃんの存在とチャペルを重ねて考えていたというのはあるんですけど。
千浦 うん。難しいねそれは。……『バットマン vs スーパーマン』って観た?
高橋 観ました。
千浦 あれも、そういう構図じゃない。神と悪魔の戦いの宗教画みたいなのが出てきてそれがクルッと天地ひっくり返されたり、バットマンの「俺は悪魔にもなる!」っていうのが、彼の堕天使性に由来してるようだったり。キリスト教、根深い!と思った。あ、これにもジェシー・アイゼンバーグが出てたね。
高橋 出てましたね(笑)。(続く)
<その3>
二人の会話はどうも不思議だ。根幹をつかんだかと思うと、するり、ゆらゆら、雑談に入る。でもその雑談が根幹に直結してたりもする。だからまるで気が抜けないのです。
高橋 『SHARING』は「J・ホラー」とも違いますよね。あの湿っけ感はない。
千浦 ああ。そうだね。
高橋 ホラーとして観てもいるけど、ホラーとして観てない感じも強くするんですよ。怖さが違う。ホラーというよりはもっと、日常につながってる怖さだと思うんですよね。
千浦 こう言うと安っぽいけど、感動的なんだよね。やっぱりね、ホラーこそ、感動的なものを孕んでいるんですよ。何度も言うようだけど。『オードリー・ローズ』(1977年)っていう、生まれ変わりをネタにした心霊映画があるんだけど、これもちょっと『SHARING』から連想してしまいました。『オードリー・ローズ』ってアンソニー・ホプキンスが10歳ぐらいの女の子を付け回してるのね。で、言うことにゃあ「亡くなった娘がこの子に生まれ変わっているんです!」って言うんだけど、そのテンションが怖いっていう。しかし感動的なんですよ。リアリズムではない映画の可能性ですよね。違うことを込めることができる。
高橋 この映画に関して、「日常がホラー化している」っていうコメントが、どこかにありましたよね。
千浦 確かに、確かに。あと、日常がパニック映画化もしてる。2001年9月11日以降。「世界が映画みたい」というときの、その「映画」が確実に「ハッピーな映画」ではない感じ。その感覚に『SHARING』は映画の側から何かを投げ返してる。
高橋 フィクションとか日常とかっていう垣根を壊して、境目がどんどんなくなっていく怖さがこの映画にはあると思います。
——どんなに大切な出来事でも、それを知っているのは自分だけだとすると、あれは本当に起きたことだろうか、と思ってしまう怖さがありますね。
高橋 『あれから』(2012年)にも通じますよね。記憶と記録の話。『おかえり』(1996)もそうかも。
千浦 ほんとだ。一貫してるね。
——二人は、この映画の、何が一番刺さりましたか。
千浦 何だろうなあ……木村知貴さんが「子どもができて世の中の見方が変わった」って言うじゃないですか。あれは非常によくわかりますよ。
高橋 へええ。
千浦 自分個人の生き死になんて、子どもができるとどうでもよくなるというか。もちろん、大きくなった姿は見たいけど、「自分の存在が終わる」ことへの不安感からは本当に解放されましたね。逆に言うと、自分の存在が終わった後も、子どもの人生は続くから、世の中を存続させなければいけないと思うようになったかな。本編で木村さんが語っていることは、篠崎さん自身の実感なのかなって、ちょっと思ったりしました。
高橋 僕はやっぱり、ヒロイン同士が対峙する瞬間。現場を観ていたのもあって、こみあげるものがあるんですよね。二人とも、互いのことが他人事じゃなくなっている瞬間というか。他人事じゃなくなってるんだけど、でもわかり合えない。ということを、共有しているという。簡単じゃないなあって思うんですよ。みんな「わかり合おう」とか軽く言うけど、でもそれと同時に、「わかり合えない」ということを切り捨ててる感じがするんですよね。見ないふりをするというか。でも二人はそこを直視してる。目をそらさない。そのことに打たれるんですよね。
千浦 終盤、演劇をやろうとしている子たちが直面していくものって、「人と人はわかり合える」「わかり合えない」とか、「震災を題材にした何かを作る」ということへの、批評的な眼差しを孕んでいますよね。あの学生たちも、結局男子は離脱していくわけだけど、残された彼女だけは神秘的な体験を経て、芝居をやり切ることができたわけです。観てる人はもう誰も文句が言えないよね。誰もが「あなた、やってオッケイです!」って思うでしょう。でもそれって、ぐるっと回って考えると「そういう体験がない人はやっちゃダメ」ってことなのか?と思ってしまう。……っていう、フィクションなんですよ『SHARING』は! 遠足は、家に帰るまでが遠足。『SHARING』は、この問いまでもが『SHARING』。だから問われているのは僕らなんです。そういう体験も正当性もない俺たちが、語ることはアリなのかどうなのか。……っていうことを考えることで、既にみんな関わっているし、関わるべきなのだ、という映画であるように思えてきましたね。
高橋 そもそもあの子たちがやろうとしていたのも「自分たちが震災を語ってもいいのかどうか」を考える人たちのお芝居でしたもんね。
——高橋くんは、『SHARING』以前と以後で、何か変わりましたか。
高橋 篠崎さんには「まださらけ出せるよね」って言われてて。この役ができたからこそやれる芝居、というのを示唆していただいた気がするんですね。激励でもあり、叱咤でもあり。とにかく僕のことを見てくれていた。そのことが素直にうれしいんです。僕は今フィクション・コースに通っているんですが、篠崎さんに「もっとイケるぞ」って怒られてるようなヒリヒリ感が常にあるんですよね。
千浦 うん。確かにもっとイケる気がする。
高橋 またここから始まっていく、歩き出していくっていうことを、体現できたらいいなと思います。
——素敵げなコメントでまとまりましたね。
高橋 すぐ素敵げにしちゃうから嫌なんですよね、自分でも!(2016/04/20)
高橋 っていう話を、いつ千浦さんにしたんでしたっけ。改まって打ち明けた記憶があんまりないんですけど。
千浦 うん。でも「え、その映画、観てたよ!」っていう感慨は覚えてる。なんで子役をすることになったの?
高橋 幼稚園の年中ぐらいの時に、姉に映画のオーディションの紹介があったんですよ。でも姉は恥ずかしがり屋で出たがらなくて、「その弟役もあるよ」って言われたので、お父さんにオーディションに連れて行ってもらった。それが『林檎のうさぎ』(1997年)っていう映画だったんですけど。
千浦 おー。俺、それ映写したよ。
高橋 で、主人公の友達ぐらいのポジションでその映画に出させてもらって、そのスタッフさんのお声がけがあって『M/OTHER』(1999年)のオーディションに呼んでいただいたんです。そこから養成所に入って、そういうお仕事をするようになって。
千浦 何歳ぐらいまで?
高橋 中学3年ぐらいまで。でも何しろ『M/OTHER』がすごいインパクトのある現場だったので。思い入れのある、特別な映画になってしまったんですよ。
千浦 まだ9歳か10歳ぐらいなのに、早くもその境地に。
高橋 そうですね、ちょっと圧倒されてしまって、原点としてどうしても振り返ってしまう。だからそれ以降もなかなかそういう現場には出会えなくて、受験もあったし、一回離れたんですよね。今思うと、悔しかったんだと思うんです。同年代の知ってる子が活躍してるのを観ると悔しかったから、映画とかまったく観なくなったし。でも大学に入って、シネコンでバイトして、やっぱり映画が好きだと思って、同時に「とにかく現場に行きたい!」って思ったんですよ。それで「シネマ☆インパクト」のことを知ったんです。監督の鈴木卓爾さんは僕が一度CMでご一緒した市川準さんの映画に出ていたし、諏訪さんの映画にも出ていたので、さらに諏訪さんはその現場『ポッポー町の人々』にも出演されてるんですけど。
千浦 「かつて自分が好きだった世界の人たちがそこにいる!」と。
高橋 そう。元から卓爾さんの映画が好きだったというのも大きくあるんですけど、さらにそういうご縁をたぐりよせるみたいにして参加したんです。それを経て、現場の熱にまたやられて、卓爾さんが講師をしている映画美学校のアクターズ・コースを知り、そこに入って、篠崎さんに出会うんですけど。
——『SHARING』に参加することになったのは、どんな流れだったんですか。
高橋 一番最初は「篠崎さんが何やらたくらんでいるらしい」ぐらいの段階でしたね。「まだシナリオも何もないんだけど、テスト撮影するから来てよ」って呼ばれたんです。篠崎さんとスタッフさんと俺、3〜4人しかいない状態で、立教大学の屋上に寝そべって、立ち上がって歩いて行くっていうことを、ただやったんです。
千浦 へえ。オーディションとかそういうんじゃなかったんだ。
高橋 そうなんです。そうするうちに、だんだんその「テスト撮影」の人数が増えていって、いろんなことを試して遊んでみる期間がしばらく続いて、そのまま出ることになったという。フタを開けてみたらああいう役で、本当にびっくりしたんですけど。
千浦 せりふ、まったくないよね。あんなに出てるのに。
高橋 まっっったくないです。ひと言もしゃべらない。アクターズ・コースで学んだことから、さらに、別の筋肉を使った感じです。理で詰めていくのではなく、篠崎さんがおっしゃるキーワードを感覚的に捉えていく作業。どうしても頭でっかちになっちゃうところを、全部切り崩して、リラックスして現場に臨むというか。
千浦 篠崎さんの演出について、もうちょっと詳しく聞きたい。
高橋 自分がする芝居について、細かく制限される感じはまったくなかったです。任せられている、という感覚が強くありましたね。あと、とにかく篠崎さんとたくさん話をしました。「この役についてどう思う?」みたいなこととか、ドッペルゲンガーの話とか。僕自身、「昔の自分」と「今の自分」の両方を抱えているようなところがあるんです。例えば「『M/OTHER』以前」と「『M/OTHER』以後」とか。もっと言ったら「震災以前」と「以後」で人生が分断されながら生きている人がたくさんいるわけで。
千浦 まさに『SHARING』はそういう映画だったね。あるきっかけを機に、まったく違う世界へズレ込んだみたいな感覚。その中で、「悪役」でも「敵役」でもないけど、一番、ダークな役でしたよね。木村知貴さんと対をなすキャラクター。彼は穏やかで肯定的で、よくしゃべる役だったじゃない。
高橋 ニュアンス的に、「みんなが抱えてる亡霊」みたいなイメージがあったんですよ。いつも鬱屈していて、密かに破壊願望とか残酷さとか不謹慎さをくすぶらせているようなところが、きっと誰の胸にもあるんじゃないかと。震災を機に、明らかにテンションが上がってる人っていたじゃないですか。あの男は、そういうものを反映している側面もあるのではないかって。
千浦 なんか、ずっと具合悪そうだったもんね。
——血色がなかったね。
高橋 なかったですね(笑)。しかも僕、他の役者さんと共演するシーンがあんまりなかったんですよ。より内に内に思い詰めていってしまう感じは、役柄的にもそうですけど、あったかもしれませんね。
——千浦さんは、どんなご感想でしたか。
千浦 今よく言われる「エンタメ」ではなくて、昔の映画に見られるような分厚いエンターテインメント性があるなあって思いました。ホラー映画こそが、実はすごく感動的なものを秘めていたりするんですよ。別にこれは「俺はこんな見方ができるんだぜ」みたいな自慢じゃなくて、本当の話なんです。ホラーとかアクション映画とか、まずジャンルの区分のなかで生まれた映画であるはずなんだけど、ものすごい感動を秘めてる映画がたくさんある。
——例えば?
千浦 ……って聞きたくなっちゃいますよね。ええと、『悪魔が最後にやって来る!』(1977年)っていうオカルト映画があるんだけど、これはある意味、『SHARING』と近しい気がする。原発が題材で、高橋くんの役みたいな青年が、もっと堂々と、にこにこしながら世界を滅ぼそうとするんですよ。これはスケール感がすごい。世界終末ホラー。あとドッペルゲンガーとか分身とかいうことで言うと、わりと最近『嗤う分身』(2013)っていう映画がありましたよね。ジェシー・アイゼンバーグの。
高橋 ああ。ありましたね。
千浦 あ、そういえば高橋くんはジェシー・アイゼンバーグのやる役は全部やれそうだね。神奈川のジェシー・アイゼンバーグだ。
高橋 ジェシー・アイゼンバーグは好きな役者なので嬉しいですけど(笑)。
千浦 で、『嗤う分身』はまあ普通の映画ですけど、これは原作がドストエフスキーの小説で、まさに『SHARING』で高橋くんが手に持ってる本。これをベルトルッチも68年に映画化してる(『ベルトルッチの分身』2013年日本公開)。これは心理的サスペンスと政治映画の折衷みたいなものかもしれないけど、超かっこいい映画です。あと最近売り出してる監督のドニ・ヴィルヌーヴの『複製された男』(2013年)とか。あと、『古都」(中村登監督・岩下志麻版・63年、市川崑監督・山口百恵版・80年)とか、『ふたりのベロニカ』(クシシュトフ・キェシロフスキ・91年)とか、同じ姿の人が複数いるということが妙に面白い話と、画面になる。だからわりと映画っぽいネタであるかもしれない、分身って。高橋くんは二人どころか、もっと、めっちゃ増えてたけどね。
高橋 増えてましたね。
千浦 『SHARING』はさっき高橋くんが言ったみたいに、贅沢な作られ方をしているから、本気度が違うなと思うんですよね。バージョンによって違う終わり方をするんだけど、それを自分たちで選びとったのだという強度がある。
高橋 そうですね。僕も、この映画がいつ始まったのかが自分でも判然としないんですよ。ぐわー!っと巻き込まれていったっていう印象が強くて。
千浦 篠崎さんらしいねえ。
高橋 そう。「いつの間にか始まってた!」みたいな。
千浦 そして、終わんないんだよね!
高橋 終わんない! でもそこが希有だと思うんですよね。震災なら震災、原発なら原発を、「こういうことでした」っていう報告みたいにして終わっちゃうものが多いような気がするけど、篠崎さんは「終わらないのだ」と。むしろ「続いていく」っていうふうに着地させている。描いてる「今」の、さらにその向こうをここまで見つめた映画は、他にないなあと思いますね。(続く)
<その2>
篠崎誠という人物に、抗うことなく巻き込まれてしまうビガッコー関係者は決して少なくない。どう見ても裏方気質の人たちが、彼の映画にはすいすい出ている。千浦僚だってその一人だ。私はどうも不思議に思って、当時上司だった市沢真吾にその理由を尋ねたところ「どんなに忙しくても、篠崎さんには巻き込まれておかないと、損する気がするんです」って言われた。損って何だ、損って。
——私の篠崎さんの第一印象は『死ね!死ね!シネマ』なんです(※2011年、フィクション・コース14期生の「ミニコラボ」作品。監督の作・演出作品に、受講生たちはスタッフとして参加する)。終電ギリギリで、みんなもう帰っちゃっているのに、篠崎さんはビガッコーのスタッフを捕まえて「ここにこう座って、カッターをこう持って、こうやって目を突いてください!」って。
千浦 派手に遊んでたよね。オーディトリウムは大量虐殺シーンのロケ地だったんだけど、篠崎さんはエキストラとして、率先してすっ転んでたんだよ。
高橋 さっき言った「テスト撮影」の時も、キャスターがついてる長机の上に座らされて「思いっきり叫んで!」って言われて。誰かが押してくれて、横移動していく長机の上で「うわあーー!」って。結局そんなシーンはなかったんですけど。
——わはははは。
高橋 本編でも、そうでしたね。篠崎さんがとあるシーンで、学食の隅っこで、すごくダイナミックなダイビングを見せてました。カメラには写り込んでいないのが惜しいんですけどね。「篠崎さんすごい身体張ってる!」って思って。
千浦 「俺たちもあれぐらいやらなきゃいけないんだ!」と。
高橋 本編で僕が出会う女の子、アクターズ・コースの後輩で吉岡紗良ちゃんっていうんですけど、彼女の顔にキラキラと光が当たるシーンがあって、その鏡を揺らしているのも篠崎さんです。「よし、やっちゃうか!」っていうノリ。監督が生き生きとしてて。
——撮影中、他に印象的だったことはありますか。
高橋 山田キヌヲさんと樋井明日香さんが対峙する、クライマックスの撮影を見学させていただいたんです。僕は一人の撮影が多かったから、他の人の芝居をなかなか観ることができなかったんですけど、それがちょっともう……言葉にできない感じだったんです。二人の集中力が、僕なんかとは比にならないくらいすごかった。本当にあの瞬間は……
千浦 「負けた!」って思った?
高橋 見えてなかった、って思いました。自分のことしか。二人のシーンを観て、初めて、この作品の広がりというか、立ち上がる瞬間を見た気がする。「ここだ!」「これなんだ!」っていう感じがありましたね。
千浦 あの場面は、映画の中での彼女らのキャラクターそれぞれの意見の対立を超えた心理的なバトルですよね。いや、心理的というか存在そのものの戦いというか。どちらが優位に立つかというマウンティングではなく、「個」対「個」のバトル。こういう映画は他にちょっとないな、って思う場面のひとつだと思う。そしてこれは僕がフィルムの映画の映写技師をしてたことも関係していると思うけど、ああいう切り返しの場面って、例えばAさんが映った直後、暴力的なつながれ方でBさんが映ったコマが来るわけですよ。映画って、それの連続でできている。『SHARING』はフィルム撮影ではないけど、でもあの場面に感じたのはそれなんです。「あなたと私は違うのだ」ということの連続が、一つのものを成している。濱口竜介くんが撮った震災のドキュメンタリー(酒井耕との共同監督作『なみのおと』『なみのこえ』『うたうひと』"東北記録映画三部作")を観ても、あんなふうに、インタビューがまるで劇映画のように作られているんだよね。大災害を経て「あなたと私は違う」を思い知り、それでも同じ状況の中に身を置いている。あの切り返しは、別にお話をわかりやすくするためとかではなく、もっと強烈なものを追い求めていたのだなあと思うんです。篠崎さんもまたそういうところに賭けている、と感じましたね。
高橋 スクリーンで観てても、まっすぐに目を見られない感じがありますよね。何かをえぐられる感じがする。観るたびに毎回やられてしまいます。
千浦 すごいセットとか仕掛けとか、お金かかってる感がなくても、ここまで観る者を引っぱる映画ってあるんだよなあと思って。出てる人たちが隅々までよかったなあ。兵藤公美さんの居かたとかさ。あの先生がどんな来歴でどういう人で、っていうのは別に要らないし、当然描かれてもないし、でも「演技の先生」による「演出」とか「指導」という行為はこういう感じ、っていうのにすごい魅せられちゃう。あれは何なのかね。
高橋 あれは、アクターズ・コースで僕らが見続けてきた風景ですよ。
千浦 あのシーンあたりから出てくる、演じているのかいないのか、の枠組みの二重性と、山田キヌヲさんが反復する、これは夢なのか現実なのが判然としない感じが、この映画全体を覆っているよね。
高橋 ちょっと違うけど、カサヴェテスの『ラヴ・ストリームス』(1987年)を思い出すというか。
千浦 そうね、あの映画の夢のパートの感じに似てるね。
高橋 冒頭の女の子(清水葉月)も、強烈でしたよね。
千浦 あれはサム・ペキンパーの『戦争のはらわた』(1977年)の名ゼリフですね。「神がいるならサディストだ」という。でも、黒板にキリストに対する言葉が大書されてる場面があるけど、あれはちょっと日本人の感覚からは遠いかなと僕は思いました。人によるのかもしれないですけど。「神」がいるから「悪」が存在する、っていう構図がホラー映画の根幹にあるんですよね。悪いことをする「悪魔」とかがいて、罪は全部そいつにおっかぶせるという。昔、大映に永田雅一っていう大プロデューサーがいたんだけど、その人が言うには、日本人にはそういうキリスト教的概念は合わない、もっと怪談寄りのものを作らなきゃいけない、とか言ったというのを何かで読んだような気がするんですが、結構なるほどと思って。海外のホラーの「やったるで!」感って、そこか!と。
高橋 ああー。
千浦 僕はその「神」っていう概念に、あまり乗れないんですよ。そんなものを立てなくても、この映画の恐怖は立ったと思うんです。主体があるわけでもないし、「悪」とも言い切れないんだけれど、何か恐ろしいものがはっきりとあるという。
高橋 僕の「神」のイメージって、言葉としてものすごくありふれてて、でも得体が知れなくて、何だろう、「電気」、って言われるのと変わりない感じがしちゃうんです(笑)。でも映画の中で、ふとチャペルを見るシーンがあるんですよね。やっぱり、考えました。チャペルを見る意味。完全に腑に落ちる解答にはたどり着けなかったんですけど、でも、見てしまう。っていう。吉岡紗良ちゃんの存在とチャペルを重ねて考えていたというのはあるんですけど。
千浦 うん。難しいねそれは。……『バットマン vs スーパーマン』って観た?
高橋 観ました。
千浦 あれも、そういう構図じゃない。神と悪魔の戦いの宗教画みたいなのが出てきてそれがクルッと天地ひっくり返されたり、バットマンの「俺は悪魔にもなる!」っていうのが、彼の堕天使性に由来してるようだったり。キリスト教、根深い!と思った。あ、これにもジェシー・アイゼンバーグが出てたね。
高橋 出てましたね(笑)。(続く)
<その3>
二人の会話はどうも不思議だ。根幹をつかんだかと思うと、するり、ゆらゆら、雑談に入る。でもその雑談が根幹に直結してたりもする。だからまるで気が抜けないのです。
高橋 『SHARING』は「J・ホラー」とも違いますよね。あの湿っけ感はない。
千浦 ああ。そうだね。
高橋 ホラーとして観てもいるけど、ホラーとして観てない感じも強くするんですよ。怖さが違う。ホラーというよりはもっと、日常につながってる怖さだと思うんですよね。
千浦 こう言うと安っぽいけど、感動的なんだよね。やっぱりね、ホラーこそ、感動的なものを孕んでいるんですよ。何度も言うようだけど。『オードリー・ローズ』(1977年)っていう、生まれ変わりをネタにした心霊映画があるんだけど、これもちょっと『SHARING』から連想してしまいました。『オードリー・ローズ』ってアンソニー・ホプキンスが10歳ぐらいの女の子を付け回してるのね。で、言うことにゃあ「亡くなった娘がこの子に生まれ変わっているんです!」って言うんだけど、そのテンションが怖いっていう。しかし感動的なんですよ。リアリズムではない映画の可能性ですよね。違うことを込めることができる。
高橋 この映画に関して、「日常がホラー化している」っていうコメントが、どこかにありましたよね。
千浦 確かに、確かに。あと、日常がパニック映画化もしてる。2001年9月11日以降。「世界が映画みたい」というときの、その「映画」が確実に「ハッピーな映画」ではない感じ。その感覚に『SHARING』は映画の側から何かを投げ返してる。
高橋 フィクションとか日常とかっていう垣根を壊して、境目がどんどんなくなっていく怖さがこの映画にはあると思います。
——どんなに大切な出来事でも、それを知っているのは自分だけだとすると、あれは本当に起きたことだろうか、と思ってしまう怖さがありますね。
高橋 『あれから』(2012年)にも通じますよね。記憶と記録の話。『おかえり』(1996)もそうかも。
千浦 ほんとだ。一貫してるね。
——二人は、この映画の、何が一番刺さりましたか。
千浦 何だろうなあ……木村知貴さんが「子どもができて世の中の見方が変わった」って言うじゃないですか。あれは非常によくわかりますよ。
高橋 へええ。
千浦 自分個人の生き死になんて、子どもができるとどうでもよくなるというか。もちろん、大きくなった姿は見たいけど、「自分の存在が終わる」ことへの不安感からは本当に解放されましたね。逆に言うと、自分の存在が終わった後も、子どもの人生は続くから、世の中を存続させなければいけないと思うようになったかな。本編で木村さんが語っていることは、篠崎さん自身の実感なのかなって、ちょっと思ったりしました。
高橋 僕はやっぱり、ヒロイン同士が対峙する瞬間。現場を観ていたのもあって、こみあげるものがあるんですよね。二人とも、互いのことが他人事じゃなくなっている瞬間というか。他人事じゃなくなってるんだけど、でもわかり合えない。ということを、共有しているという。簡単じゃないなあって思うんですよ。みんな「わかり合おう」とか軽く言うけど、でもそれと同時に、「わかり合えない」ということを切り捨ててる感じがするんですよね。見ないふりをするというか。でも二人はそこを直視してる。目をそらさない。そのことに打たれるんですよね。
千浦 終盤、演劇をやろうとしている子たちが直面していくものって、「人と人はわかり合える」「わかり合えない」とか、「震災を題材にした何かを作る」ということへの、批評的な眼差しを孕んでいますよね。あの学生たちも、結局男子は離脱していくわけだけど、残された彼女だけは神秘的な体験を経て、芝居をやり切ることができたわけです。観てる人はもう誰も文句が言えないよね。誰もが「あなた、やってオッケイです!」って思うでしょう。でもそれって、ぐるっと回って考えると「そういう体験がない人はやっちゃダメ」ってことなのか?と思ってしまう。……っていう、フィクションなんですよ『SHARING』は! 遠足は、家に帰るまでが遠足。『SHARING』は、この問いまでもが『SHARING』。だから問われているのは僕らなんです。そういう体験も正当性もない俺たちが、語ることはアリなのかどうなのか。……っていうことを考えることで、既にみんな関わっているし、関わるべきなのだ、という映画であるように思えてきましたね。
高橋 そもそもあの子たちがやろうとしていたのも「自分たちが震災を語ってもいいのかどうか」を考える人たちのお芝居でしたもんね。
——高橋くんは、『SHARING』以前と以後で、何か変わりましたか。
高橋 篠崎さんには「まださらけ出せるよね」って言われてて。この役ができたからこそやれる芝居、というのを示唆していただいた気がするんですね。激励でもあり、叱咤でもあり。とにかく僕のことを見てくれていた。そのことが素直にうれしいんです。僕は今フィクション・コースに通っているんですが、篠崎さんに「もっとイケるぞ」って怒られてるようなヒリヒリ感が常にあるんですよね。
千浦 うん。確かにもっとイケる気がする。
高橋 またここから始まっていく、歩き出していくっていうことを、体現できたらいいなと思います。
——素敵げなコメントでまとまりましたね。
高橋 すぐ素敵げにしちゃうから嫌なんですよね、自分でも!(2016/04/20)
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