映画美学校を修了した後——あるいは在籍中から——、どちらかといえば血糊ほとばしる映画を撮っている3人である。だから『アイアムアヒーロー』を採り上げるとなったら、速攻で返事が来て、速攻で日時が決まった。いちいちディテール堀りまくりの、三羽ガラスの座談会。ネタバレ全開でまいります。

映画美学校HP

朝倉加葉子 映画美学校フィクション・コース第8期生。『クソすばらしいこの世界』、『女の子よ死体と踊れ』、『RADWIMPSのHESONOO』、『ドクムシ』など。

大畑創 映画美学校フィクション・コース第9期生。『大拳銃』、『へんげ』、『かたりべ』、最新作に『EVIL IDOL SONG』。

内藤瑛亮 映画美学校フィクション・コース第11期生。作品に『先生を流産させる会』『ライチ☆光クラブ』『ドロメ』など。

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朝倉 私は元気をもらいました。よかったな、っていうのが一番に出てくる感想です。生意気なことを言えば、中盤から後半はもっと充実した内容になれたと思うので残念だけど、でも、あのオープニングからタクシー転倒の暗転までの一連があればもう十分じゃないか!っていうのが、だいたいの概論です。

内藤 僕も、面白かったです。端的に。

大畑 僕も朝倉さんが言ったように、パンデミックの発生から暗転までの流れサイコー!とか、特殊メイクすげーな!とか、日本映画でここまでよくやったな!って思いました。でも、思うところはあります。

内藤 今まで、変化球のゾンビ映画はいっぱいあったと思うんですけど、ここまで王道みたいな映画は、初めてじゃないですかね。これが、日本のゾンビ映画のスタンダードになるんだろうなと思いました。

朝倉 あと、ゾンビの色がいいなあって思った。

大畑 そう、特殊メイク、めっちゃいいですよね。担当は、藤原カクセイさん。

朝倉 ゾンビって、目の周りを黒くして顔を青くしがちじゃないですか。みんな、ロメロを観てるから(笑)。あれは色素の薄い白人の肌が血の気が引くとそういう色になるからだと思うんですが、ああいう青いメイクを黄色人種がしようとすると、異常な土気色になるんですよね。だけどこの映画のゾンビはとてもナチュラルだった。この色、初めて見る!って思って。衝撃的でしたね。

大畑 汚れ具合もね。あかぎれした感じの。西洋人とは骨格も違うから、日本人の「平べったい顔」ならではのゾンビメイクを作り出してましたよね。

内藤 単純なロメロのパロディじゃなくて、「日本人がゾンビ化したらどうなるか」ということをきちんと考察した質感でしたね。人体の奇怪な動き方もゾンビ表現として新鮮だったし、ゾンビのタイプもバリエーション豊かでしたね。吊革につかまり続けるサラリーマンゾンビがいたり、ドデブのゾンビがいたり、高跳びする陸上選手ゾンビがいたり。

朝倉 私、あそこ泣いた。高飛びの人が手を打ってるとこ。序盤の奇跡がまた始まるかと思って。

大畑 うそお(笑)。まずあいつを真っ先に始末しとけよ!って思った。そのうち絶対こっち来るだろう!って。

朝倉 序盤、ワンカットあたりの情報量がすごいじゃないですか。走っている人がいて、その人が捕まって、それをカメラが追った途端に車がどん!ってぶつかるとか。充実度が半端ない。

大畑 あれは、何回も何回もやったんですって。なかなかタイミング合わないでしょう、あんなの。

内藤 そして、そういう密度の高いショットが幾つもありました。

朝倉 そう、その連続だった。すごく幸せだったな。あそここそ泣きました。

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内藤 僕が最初に胸を掴まれたのは、マキタスポーツのバストショットに、塚地武雅のバットがフレームインして、顔面が打たれるところ。ワンカットで人間の顔が変形するのって、R15だと微妙なラインだと思うんですけど。

朝倉 出来もよかったよね。

内藤 よかったですね。「ほんとに凹んじゃった!」って思って。

大畑 あと、仕事場から主人公が逃げ出して、明らかにゾンビパニックが発生し始めてている中、まだ普通に携帯見ながら通勤している人たちがいるっていうグラデーションがよかった。何かが始まったんだけど、まだ始まりきってはいないという絶妙さ。

内藤 状況を理解している人と、していない人がいるという。

朝倉 あれ、重要だよね。あそこからはもう、素晴らしいことしか起きない。でもそれで言うと、後半はゾンビのバリエーションが失速するじゃないですか。ちょっと落ち着いちゃうというか。

内藤 はっきりと特徴的な動きがある人と、ゆっくりしたオーソドックスなゾンビスタイルの人とを、分けてるんですかね。

朝倉 発症したての時は活性化してるから、動きのバリエーションもたくさんあるんだけど、閉鎖されたショッピングモールに長くいる間に、食べたいものも食べられないし、さすがに元気がなくなっちゃってる——っていう理屈付けなのかなとは思うんですけど。

大畑 僕は原作を読んでいないのでよく知らないんですけど、あのゾンビってどんな設定なんですか。

内藤 生前の習慣をトレースしている、っていう設定ですね。よく走ってた人は走るし、走らなかった人は走らない。

大畑 全体的に、あんまり人を食いたさそうなゾンビではなかったですよね。「噛みつきたい」感はあるけど「食いたい」感はあんまりなかった。「食いまくる」って描写がNGだったのかな。ロメロのゾンビとかって「こいつら、人間食いてえんだなあ!」みたいな感じがあるけど。

内藤 すごく美味しそうに食べてますよね(笑)。

朝倉 そもそもゾンビって、いったい何が魅力なんですかね。

大畑 それは、映画にすごく向いてる被写体だっていうことだと思います。「こっちから来た!」「あっちからも来た!」って、空間的に人間の可動域がどんどんなくなっていくじゃないですか。歩くゾンビ特有の面白さだと思うんだけど。「シャッターが開いちゃった!」とか「ヘリで逃げろ!」とか。ゾンビがいる場所と空間はヤバイっていう。

朝倉 でもそれって、ゾンビじゃなくてもできるでしょう?

大畑 それはそうかもしれないけど(笑)。死んだ人たちがゆっくり襲ってくるからこその面白さと怖さ、ってことですね。

朝倉 「死んだ人」っていうのが、まず第一条件なのかな。死んだ人。かつ、動く。

内藤 そして低予算映画でやりやすい。コストパフォーマンスが高いんじゃないですか。モンスターを造形するのは高くつくけど、ゾンビメイクは比較的安価にできる。ゾンビだったら素人でも、のそのそ歩けばそれっぽく見えるから。自主映画にゾンビものが多いのは、そのへんに理由があるんじゃないですかね。

朝倉 なるほど、そういう制作欲がそそるのもあるのかな。あと思ったのは、人間に近い造形なんだけど、めちゃめちゃぶち殺していい存在じゃないですか。「頭を撃てば死ぬ」っていう設定って、見栄え的にも一番派手だからだと思うんですよ。心臓撃って血しぶき出すだけよりも、あわよくば脳みそ散らそうぜっていう。

内藤 人間が奥底に持ってる「人間を殺したい」という欲求を正当化してくれる存在(笑)。ていよくスカッとできるっていう。

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大畑 スピルバーグの『宇宙戦争』的な物語形式は、全然いいと思うんですよ。現代日本の観客に近い日常でゾンビ・パニックが起きたらこうなる、というのを愚直に表現しようとしている。ショッピングモールの支配者組織がすぐに崩壊していく感じとか、日本だったらこうなるなあって本当に思った。馬鹿な人たちが集まって、馬鹿な理由でどんどん崩壊していくあの感じがリアルでしたよね。けど僕は、そこからもっと、何か欲しくなっちゃうんです。

朝倉 それと関連するのかわからないけど、「残りの弾が96発だ」っていうくだりがあるじゃないですか。で、ラッキーなことに、96発でだいたいのゾンビが死ぬでしょう。「え!」と思って。

大畑 あのショッピングモールにいたのが、ちょうど96体だったんでしょう(笑)。

朝倉 ヒーローになった途端にラッキーになったら、今までの普通さが報われないよ……そういう、ゾンビ映画としても、アクション映画としても、落としちゃいけないセオリーみたいなものが、最後、いくつか落ちちゃってた気がするんです。ずっと黙ってた有村架純も、ちょうどいいところですごく都合のいいことを言うじゃないですか。あのタイミングと状況にしては、結構長いフレーズを言い切るんですよね。

大畑 要は、それを言うまでの流れにもう一工夫ほしいってことですよね。もしくは、はっきりとは発声できないんだけど、不意にほんのひと言だけ出た、とか。

朝倉 それをみんな前に聞いていたから、みんなは意味がわかる、とかね。原作設定の整理の仕方は非常にクレバーで、すごく勉強になるな、と思いましたけど、そういう後半のアクション映画としての失速はすごくもったいないと思います。

内藤 僕は、あの原作をうまく脚色しているなあと思いました。「ダメダメな主人公が成長して、英雄的な活躍をするところがクライマックス」と設定し、そのコンセプトを明確に打ち出して、脚本化されています。大筋は原作を尊重しながら、人間関係や展開をスリムにしつつ、主人公が戦わざるを得ない状況までどんどん追い詰められていくよう組み立てられています。高跳びゾンビをラスボスとして用意したのも、巧いなと感じました。大ヒットして、こういったジャンル映画に予算をかけて制作させる状況になって欲しいと、と切に願っているんですが、一般の人はこのグロ描写、きっと引いてると思うんですよね……

大畑 ほんとに?! あれぐらい当たり前じゃないの?

内藤 僕は観ていて「よくやれたなあ!」って思いました。肉体損壊って、事後の描写ならR15でもOKなんですけど、直接描写はNGになります。今回は直接的な肉体損壊のオンパレードだったじゃないですか。おそらく「ゾンビだから」という理由で許されているんだと思います。自分の指で目をつぶす描写があるじゃないですか。僕は『ライチ☆光クラブ』の時に、ワンカットで眼球を抉る描写がNGになったんで。

朝倉 そうなんだ。

内藤 低予算映画の場合、監督に問われる能力が「いかに早く撮れるか」であることは多くあるじゃないですか。実際、現場をスムーズに進行する能力って大切ではあるけど、日本映画の多くはどんどん予算規模が縮小していて、撮影日数も短縮して、「早さ」ばかり求められている。でも、時間をかけないと撮れないものって確実にあるじゃないですか。この映画はちゃんと時間をかけて撮ったからこそできたショットが充実していますよね。

大畑 僕の正直な気持ちとしては、実は「面白かった」よりも「うらやましい」の方が勝ってるんです。むしろ、ちょっと悔しかった。僕はこの映画しか拝見していないんですけど、佐藤信介監督は、ジャンル映画に造詣が深い方なんですか。

内藤 そうですね。『修羅雪姫』とか『GANTZ』とか。

大畑 あ、『図書館戦争』もそうなんだね。あれも、もろ、アクションだったでしょう。……巧いもんなあ……

内藤 僕も正直、「面白い」より「うらやましい」って感情で観ていました。

朝倉 演出もよかったけど、ビジュアル全般、撮影、照明、美術と特殊効果まわりもよかったですよね。撮照と特撮・アクション・CG・造形の一体感があったし。効果音もよかった。

内藤 韓国で撮ってるから、韓国のスタッフも多かったみたいだけど、優秀な人たちだったんだろうなと感じましたね。

朝倉 みんな、作ってて楽しかっただろうな。自分もスタッフにそう思ってもらえるように、映画を作りたいものだと思いました。

内藤 藤原カクセイさんのインタビューを読んだんですけど、ゾンビの頭が爆発するっていう描写が、制作途中でNGになったらしいんですよ。日程的に厳しいというのと、あと「過激すぎるから」。でも、あとでカットになってもいいから、作りますから撮ってくださいってカクセイさんは言ったらしくて。スタッフがそういう気概で臨んでくれるというのは、いいですよね。

大畑 こんなにすごいバジェットの映画でも、NGか否かのきわどいところで、戦いながらやってたんだね。でも、スタッフにもキャストにも、時間的経済的物理的に全力を尽くさせてあげられる環境って、 低予算しかやってない俺からしたら、ほんとに超うらやましいですよ。(続く)

<その2>
 彼らは実感で話をする。こういうことがやりたいけどできないのだと、きっとうずうずやきもきしながら映画に取り組んでいるのだろう。叶わない願いもあるだろう。力不足に震える夜だってあるだろう。ここで彼らが口にするのは、愚痴とかダメ出しとかいうより、たぶん、映画の未来の話なのだ。

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内藤 よくある光景で言うと、「NGかもしれないからやめておきましょう」っていう言い方をされるんですね。やってみてカットになったら損だから、と。そういった後ろ向きなスタンスって、現場の士気を下げて、結果作品に対しても悪影響を及ぼすと思うんですよね。「カットになろうが面白いからやりましょう」ってテンションで取り組んだほうが、作品全体のクオリティも上がるんじゃないか、と。

朝倉 もちろん『アイアムアヒーロー』にも何らかのせめぎあいはあったと思うんです。この映画はR15だけど、アンレイテッド・バージョンも作っておきましょうみたいな意見もあったかもしれない。でもこの映画は、R15でちゃんと作りきることが正解だ、という認識がみんなに行き渡っていたんじゃないかと。

内藤 おそらくプロデューサーがその志を高く持っていて、相当戦ってくれたんじゃないかなと思います。そうじゃなきゃ、この描写は守れなかったんじゃないかと。

大畑 でも……それって当たり前なのにな、って思うんだけど。ゾンビ映画を作る際に『アイアムアヒーロー』くらいの残酷描写をすることは。もちろん、人のお金で映画を撮るんだから、そのせめぎあいは多かれ少なかれあるのはわかるけど。

朝倉 でも、私はそういう苦労、あんまりないかも。

大畑 え、ほんとに?

内藤 朝倉さんの『ドクムシ』の描写は、結構グロかったですよね。

朝倉 あれもR15なんですけど、「こういうことするとR18になっちゃう」っていう了解事項が最初にあって、予算もそんなに多くないから「無駄なものを作ってももったいないよね」っていう共通意識がみんなにあって。その中でみんなでやれることを最大限やった、という感じでしたけど。

大畑・内藤 (沈黙)

朝倉 ……あれ(笑)。

——お2人は、『アイアムアヒーロー』に嫉妬しますか。

大畑 当たり前じゃないですか!

内藤 そりゃ、やりたいですよね。

朝倉 だから、もっと勉強しよう、って思いました。今の私たちが、こういうのを任せてもらえるわけがないじゃないですか。佐藤さんはきっと、いっぱい努力をしてこられたんだろうなと。

内藤 作品歴を見ると、結構いろんな種類の映画を撮っておられるんですよね。依頼が来たら、その期待に応えてこられたんでしょうね。

大畑 ナイスガイなんでしょうねえ。

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朝倉 そんな気がします。原作を読んで映画を観て思ったのは、やりたいことと、原作の方向性と、実際の規模と、そういういろんなものをうまく合致させることができた映画なんだなあということ。言ってしまえば、もっとグロくすることもできたし、後味悪くすることもできる物語なんですよ。それを、ドラマが作りやすいところをちゃんとピックアップして、見せ場はちゃんと見せるし、R15にふさわしいストーリーラインを保ちつつ、企画意図がすみずみまで明確に反映されている。妙な監督のエゴみたいなものも、感じられないじゃないですか。それをキープするのって、結構大変なことだと思うんですよね。プロデューサーと監督と脚本とのタッグが本当にうまくいったんだろうと思うんですけど。

内藤 企画が始まった段階で、この映画の幸福な形がたぶん見えていて、開発段階で変な方向に行かなかったんでしょうね。

朝倉 この道をちゃんと選べた、っていうことがこの映画の勝因だと思います。こういう映画にならない可能性の方が、実は高かったんじゃないかと思う。

内藤 僕はTOHOシネマズ渋谷で観たんですけど、隣の席の人がずっとかばんを抱きしめたまま、声を出して怖がってるんですよ。「ああ怖い……だめ、その人も噛まれてる……!」ってつぶやきながら、かばんの持ち手のところをずっと動かしてるんです。その人の方が実は怖かったんですけど(笑)、その人は怖いものをちゃんと選んで観に来ていて、それを楽しんでいる感じがしたんですね。怖さを楽しむチャンスって、現在薄れつつあるって思うんです。ああいう怖いものって、今のテレビでは絶対に観られないじゃないですか。

朝倉 この映画について語る時、あまり「ホラー」という言葉を見かけないんですけど、でもちゃんと「ホラー」でもありましたよね。

内藤 この映画も基本的には、「ゾンビ」ではなく「ZQN」っていう言い方をしていますよね。『ワールド・ウォーZ』も「Z」っていう言い方をしていた。

——なぜ「ゾンビ」と言ってはいけないんですか。

内藤 「ゾンビ」って言うと、観に来ないお客さんがいるから。

大畑 ……ほんとにいるのかな。

内藤 いると思います。『ドロメ』でさえ「怖くて無理ー」って書いてる人がいっぱいいましたね。大学の友だちは、『ライチ』を観てくれたけど、『ドロメ』は「幽霊」が出るから観ないって言うんです。

大畑 それって「ゾンビという言葉を使うか否か」で変わることなのかな。

朝倉 『アイアムアヒーロー』は、「楽しそうな映画だ」っていう雰囲気作りには成功してますよね。パニック映画とか、アクション映画としてなのだろうけど。

内藤 しかもそんなに暗い話じゃないです、っていう。

朝倉 そう。「怖そう! 観たい!」っていう世の中には、きっとなりにくいんだろうね……なるのかな。どうだろ。わからないや。

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大畑 きっと「恐ろしいものを見てみたい」っていう欲求は、あると思うんですよ。そしてその気配も感じるんです。『悪の教典』とか『冷たい熱帯魚』とか『凶悪』がヒットしたのもそれだと思うし、『アイアムアヒーロー』にも、その気配はあると思うんですね。そういう気配を、堂々と漂わせることができるような映画を作るんだ!という気概でやっていくしかないんだろうなあと。「ゾンビ」という言葉を使って、予告編もおどろおどろしくして。物怖じせずに、ガツンと。

——「恐ろしいものを見たい」という欲求が、私はピンと来ないんです。

大畑 ほんとですか。「人がめちゃめちゃ死ぬぜ!」って言われたら、「観たい!」ってなりませんか。『悪の教典』だったら「超嫌な先生が生徒を殺しまくるぜ!」って言われたら、「おおおっ!」ってなりませんか。Jホラー的な怖さじゃなくて、ハラハラする怖さ。

——私は『アイアムアヒーロー』に、あまりハラハラしなかったんです。「たぶん大泉洋は死なないのであろう」という前提条件があったから。

朝倉 あー。それはキャスティングのイメージの問題かもしれない。それもきっとこの映画の勝利ですね。大泉さんだと、殺されそうになっても「実は生きてた」オチになるような予感がして、お客さんが観る前から安心できるのかも。

内藤 あと、このお話は「現実にまったく立ち向かえなかった大泉洋が立ち上がる物語」だから。「こいつ死ぬかも」っていうサバイバルのハラハラ感よりも、彼の成長を見守るぐらいのノリで正しいんじゃないですかね。

大畑 主人公が「立ち上がる」までに、どん底に落ちる出来事がそれほどないっていうのが、僕はちょっと気になりましたね。「やりたいんだけどできない」っていう葛藤を繰り返すんじゃなくて、「やってしまって取り返しがつかない」っていうどん底があってもよかったかもしれない。でも……こういうのが今っぽいのかな。「できない主人公」っていうのが。

内藤 原作には、「取り返しがつかない」感も描かれているように思います。でも原作ものって、難しいですよね。

大畑 『ライチ〜』の時は、どうだったんですか。

内藤 原作ファンは概ね納得してくれているなという印象ですね。ただ、まったく原作を知らない一般のお客さんからすると、飲み込みづらいところはあったみたいです。でも、すべてのお客さんに全面的に理解してもらおうとすると、大幅な変更が必要になるんですよ。そっちを取ってしまったら、原作者やファンは解せなかっただろうなと思いますね。ディテールを愛するファンが多い作品なので。

大畑 なるほど。

内藤 この間『テラフォーマーズ』を観たんですけど、原作を忠実にやっているんですよ。でも日本映画の予算規模や技術力、体力とか、そういったものに合わせて、原作とは思いっきり変えてやった方が面白い映画になっただろうと思うんです。でも同時に、それは原作サイド的に許されなかったんだろうなとも思う。アンビバレントな気持ちになりますよね。その意味では『アイアムアヒーロー』は、映画化するのに適した作品だったんだと思います。原作の世界観を大きく壊さずに映画に適した脚色が可能で、日本映画の予算規模・技術力・体力で映像化することができる。いろんなことが、ハマっている映画ですよね。(続く)

<その3>
 ここまでで100分経過。ふと、この3人のことをもっと知りたい、と思う。映画美学校を経て、プロの荒波へ漕ぎだした3人が、今考えていることについて。だからちょっと問いを投げてみた。「3人は、映画を撮る上で、人間の何を撮りたい人ですか?」。そこで浮かび上がってきたのは、彼らをとりまく現実と、それによって実直に揺れる若手監督たちの姿なのだった。

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大畑 それはたぶん、自分以外の人から言われた方がいいですよね。

内藤 そうですね。

大畑 まず朝倉さんの映画に僕が感じるのは、「人間って、こんなもんじゃん」っていう視点。それを一番感じたのは『クソすばらしいこの世界』のスプラッター描写です。「人間ってこんなもん」を物理的に描写していた。

内藤 『ドクムシ』も、ずいぶん突き放していますよね。

大畑 「人間嫌い」とは違うんですよ。朝倉さんは、人間を愛していないわけではない。かと言って、「愛してる!」というわけでもないけど、でも、「人間ってこんなに空っぽじゃん」っていうような視点を感じます。

朝倉 おかしいな。エモい映画を作りたいって思ってるんだけど。

大畑 エモであるかどうか、っていうことでもないんですよ。ドライかウェットかっていうんじゃない。『クソすば〜』で意識しなかったですか。「人間ってこれくらいの質量の、ただの入れ物じゃん」っていう感じ。

内藤 それ、僕わかります。

朝倉 いや、全然わかんないや……

大畑 絶対ウソだ(笑)。でも内藤くんは、はっきりしてるよね。ミソジニー(女性嫌悪)じゃないですか。

内藤 そんなに……そうですかね。

朝倉 自覚はあるんですか。

内藤 逆ギレ的な女性嫌悪ではあるかなと思ってますね。非モテ男の逆ギレ感。

朝倉 自分の好きな映画と、自分が作る映画が、乖離してる感じが、ありません?

内藤 ああ。ちょっとあるかもしれないです。

朝倉 ね。きっと、詩人なんだろうなという気がする。

大畑 しじん? 「ポエム」の詩?

朝倉 そう。自分の内面を映画にしてる感じ。「こういう映画を作りたい」っていう最初の欲求が、物語の方からは発芽しない感じ。

内藤 あー……。

(少しの沈黙)

——次行きましょうか。

朝倉 そうですね。大畑くんか。何て言ってあげればいいのかなあ……

大畑 自分で提案しといてなんだけど、嫌なもんだね、これ(笑)。

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内藤 大畑さんの映画って、社会倫理からはずれた人が主人公になることが多いじゃないですか。そしてそういう人の隣には誰か、一緒にいてくれる味方がいる。『大拳銃』も『へんげ』も『Trick or Treat』も、「リアル鬼ごっこライジング『佐藤さんを探せ!』」もそうでしたよね。社会vs2人、っていう構図が多い気がして、それが、大畑さんの願望なのかなあって。

大畑 そりゃあ、そうだよ。僕はいつも、癒やしの映画を作ってるつもりですから(笑)。人間ですから、誰だって何かしら我慢して生きてると思うんですけど、……

朝倉 大畑くんあんまり我慢してるようには見えないけどな。

大畑 意外と、してるんですよ。こんなに白髪も増えちゃって。

——今日も真っ先に「うらやましい」って言われましたけれど、何か制約されている体感が強いんでしょうか。

朝倉 それはね、我慢とは言わないんですよ。大畑くんは「欲が深い」んだと思います。ただ、強欲なんですよ。それでしかないんじゃないのかな。

大畑 まあねえ……

朝倉 映画って、出てくる人の欲望の形を見るためのものだと私は思っていて。大畑くんは、自分の強欲さをすごくストレートに映画に反映させているなあって毎回思います。 

内藤 あと、スケール感がでかいですよね。

朝倉 それも、強欲だから。

大畑 強欲か……まあ、低予算映画は大変だなあとはいつも思うけど。

朝倉 それは、強欲じゃなくて、みんなが持ってる心の叫びだから(笑)。

——低予算映画で、乗る瞬間、アガる瞬間ってありますか。

大畑 それはあると思いますよ。今、新作を編集しているところなんですけど、シナリオ作りの段階では、登場人物の人数がもっと多いはずだったんです。でも予算的な諸事情により、主要登場人物を減らしてシナリオを直したんです。そしたら、物語がすごくすっきりしたんですね。それって、予算が豊かな映画では、なかなかたどり着かない発想だったと思うんです……いや、たどり着くかもしれないけど、「予算がない」っていう理由でもがくことにも、意味があったりするんだなと思って。

内藤 確かに、絶対削れないものだけを残していく作業だから、削ぎ落とされてスマートになっていくというのはあるかもしれませんね。あと、スタッフやキャストがいい感じで乗ってくれてると、楽しいことになりますね。「低予算だけど、やろうぜ!」っていう。

大畑 そこってほんとに俺はいつも……実はナイーブなんですよ僕は(笑)。商業の現場だと、「みんなにそんなにギャラ払えてないしなあ……」って思って、自主映画よりも遠慮しちゃうんですよね。いつも、ほんと申し訳ない。だから『アイアムアヒーロー』は本当にうらやましいですよ。何度も言うけど。

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内藤 制約が多い低予算映画をやるんだったら、もっと予算がなくても自主でやった方が、風通しがよくなるからいいかもなと思ってしまうことがあります。商業で、無理して低予算でやる理由って何なんだろう、と。

朝倉 流通経路がある程度保証されている、っていうことかな。商業でもそこが不確かな場合も多々あるんでしょうけど。

大畑 でも俺、自主映画をまたやりたいんですよね。商業では絶対に通らないであろう企画がいくつかあるから、やっちゃいたいんだよなあ……。朝倉さんは自主映画やりたいって思わないですか。

朝倉 うーん……今は、いいかな。商業映画の方が広がりがある感じがする。自主映画を作ってる時って、例えば「キャスティング・プロデューサー」という存在がどれだけ立派な仕事をするか、全然知らなかったから。そういう優れたプロフェッショナルがいるのだということを知り始めたところなので、今はそういう人たちと仕事がしたい、っていうのが大きいかな。

大畑 僕はこの前『ジョギング渡り鳥』を観て、映画の作り方っていうのは全然まだまだあるんだな!って思ったんですよ。商業・自主に関わらず、「映画の作り方」っていうところから考えていかないとなあと思った。特に、今、この日本で映画を作っていくためには。

内藤 制作スタイルから宣伝も含めて、面白い試みでしたよね。関わっている人みんなが、あの作品を愛してる感じがよかった。

大畑 あれって、あの映画固有の作り方だったじゃないですか。その映画に見合った固有の作り方で作っていく、という戦い方。ゲリラ戦なのかもしれないけど。

内藤 作品ごとに違った制作スタイルが求められる、ってことですよね。

大畑 篠崎誠さんの『SHARING』にも似たものを感じるんですけど。「その作品固有の作り方」を見つけていかないとなあ、というのを『ジョギング〜』と『SHARING』を観て、すごく思いました。

内藤 ハリウッド映画だと、新人でもいきなり大予算の映画を任せたりするけど、日本では佐藤監督みたいに、ある程度の実績を積み重ねていかないと、誰にも見つけてもらえないという現実があって。でも大予算でつまらない日本映画を観ると「いろいろ積み重ねた結果がこれか……」っていうショックを受けるんですね。そうすると、苦労に耐える意味が弱まって、低予算で商業映画をやる不自由さが面倒臭くなるんです。予算的になかなか思い通りにいかない上に、いろんな制約が絡んできて自由にやれないなら、金銭的に厳しくても自主映画で自由に撮ったほうがいいんじゃないかと。実は依頼されて作った『パズル』や『ドロメ』より、自主で作った『先生を流産させる会』の方が動員多いんです。

朝倉・大畑 え!

内藤 『先生流産』に関しては、宣伝効果も含めて自分で考えて題材を設定し、企画しましたし、公開時の宣伝方針も僕の意向は反映できました。商業の場合、依頼された時点で企画の方針がすでに決まっていることが多いし、「売り方」に関しては手を放さなきゃいけないわけです。それで既に決定した方針で「面白い映画」を作れればいいんですけど、足かせになる場合もあります。宣伝に関していえば、「その微妙なビジュアルじゃ、お客さん来ないと思うんですけど」って言っても、その意見は反映してもらえません。その結果として、動員数が僕の実績になって、その後の僕の仕事を占うことになる。事実、前作の動員数を踏まえて、頓挫してしまった企画もあったりするんですね。やりたいと思っていた映画を撮るために、オーダーに応える仕事をしていたら、やりたいと思っていた映画ができなくなってしまった。そこが今、悩ましいところですね。実績とか信頼とかは、撮れば撮っただけ得られるものでもないんだなと。だったら依頼された仕事を引き受けるより、『先生流産』みたいな映画を自主でやっていた方が、実績になるんじゃないかなあ、とか。

大畑 それは思うよね……!

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朝倉 まあでも、塚本晋也さんみたいな方もおられますからね。自主もやり、商業もやり、セルフプロデュースする。超レアケースだとは思うけど。

大畑 まさに、自分固有の作り方を見つけた人ですよね。

内藤 去年、賞レースで評価された映画って、インディペンデントばかりでしたよね。『恋人たち』とか『野火』とか『ハッピーアワー』とか。

朝倉 『百円の恋』も。

内藤 そうですね。

大畑 それにしても『ジョギング〜』はうらやましいな。

内藤 鈴木卓爾さんが「効率を優先させない作り方をしたい」っておっしゃってました。遠回りをしてでも、この映画にしかない方法で撮るっていう。効率を求められる低予算商業映画にはない発想。でも効率を優先しないからこそ、『ジョギング〜』は豊かな映画になっている。

大畑 録音部の川口くんに「この映画、NGってあるの?」って聞いたら「そんな概念ないです」って言われた(笑)。すごくおおらかな映画ですよね。「カメラに映ったものは、そのまま全部映画でいいじゃん!」っていう。もう、自分たちのやってることが、せせこましくてせせこましくて。

——理想としては、どうなったら成功ですか。

大畑 えーっと……好き勝手作って、お金がもらえること(笑)。映画を作らない年があっても、年に500万ぐらいもらえるとか(笑)。「成功」というか「絵空事」ですけど。

朝倉 それいいな。完成しない映画があっても、「今年も頑張ってるねー」っていくらかもらえたり。

——作ることは、前提?

大畑 そうですね。「作らない」っていう発想はなかった。だから、そうですね……やっぱり『アイアムアヒーロー』みたいな映画、作りたいっすね。 

朝倉 でも「予算が3億あるからといって、何の不自由もなくなるわけじゃない」って聞きましたよ。3億なら3億なりのお金のかけ方があるから、結局現場は「この映画にしては足りない予算」でやっていくしかなくて、やってることは大して変わらないよ、って。

大畑 ……よくわかんない話ですね。 

内藤 行ったことのない世界ですね。 

大畑 悩んでるにしても、絶対、俺らより贅沢な悩みだと思うわー。「ここになきゃいけない小道具がない!」みたいな悩みを、あの人たちは経験してないでしょう。「美打ち(美術打ち合わせ)、やったじゃん!」みたいな。

朝倉 それは、予算じゃなくてスタッフの技術力の問題なのでは……。

大畑 そう。だから3億映画には、すごく優秀な人ばかりが集まるんだろうね。

——そういう人に、なってください。

大畑 内藤くんが、なってくれるでしょう。

内藤 半笑いで言ってる。大畑さん、バカにしてるでしょ。

朝倉 内藤くんがドアを開けて、ちょっと待っててくれるでしょう。

内藤 朝倉さんもバカにしてません?

大畑 いや、内藤くんは閉めちゃうな。ていうか、そんな都合のいいドアなんてそもそも無いから(笑)。(2016/05/06)