フィクションコース初等科。昨年9月に始動した19期生が、1年間の学びを終えて、修了作品を製作した。映画美学校は昨年から「撮りたい者は全員撮ってよし」という男気あふれる体制をとっている。幾度もの短編課題提出やシナリオ指導などを経て、提出された修了作品は全部で30本。そこでB学校は考えた。受講生たちの成長を見守ってきた男たちと一緒に、彼らのオススメ作品を観てはどうか。フィクション初等科のTA(教務助手)星野洋行と、修了制作のスケジュールや機材管理を一手に担ったデスクの松本大志に、声をかけた次第である。(小川志津子)
星野洋行 映画美学校フィクション高等科第12期修了生。 フィクション・コースティーチングアシスタント。撮影部。初めてDVキャメラで撮影した映像が、あまりにも自分の知っている「映画」からかけ離れすぎていて愕然とした時からはや数年。最近の追いつくことが難しい程早い、デジタル技術の進化にとまどいながらも、新しいコンテンツはどちらかというと好きな方。余談だが最近、人生初のぎっくり腰になった。
松本大志 映画美学校フィクション高等科第15期修了生。 19期フィクション・コース初等科修了制作デスク。フィクションコース在籍中修了制作には一度も選ばれず、その後第11回CO2(シネアスト・オーガニゼーション大阪)の助成監督に選ばれ長編『誰もわかってくれない』を監督。近々またまた暗い映画を撮る予定。アナログとデジタルの中間世代(デジタル寄り?)、MD(ミニディスク)とかの世代。最近はビッグコミックスペリオールが盛り返して来た気がします。
星野洋行 映画美学校フィクション高等科第12期修了生。 フィクション・コースティーチングアシスタント。撮影部。初めてDVキャメラで撮影した映像が、あまりにも自分の知っている「映画」からかけ離れすぎていて愕然とした時からはや数年。最近の追いつくことが難しい程早い、デジタル技術の進化にとまどいながらも、新しいコンテンツはどちらかというと好きな方。余談だが最近、人生初のぎっくり腰になった。
松本大志 映画美学校フィクション高等科第15期修了生。 19期フィクション・コース初等科修了制作デスク。フィクションコース在籍中修了制作には一度も選ばれず、その後第11回CO2(シネアスト・オーガニゼーション大阪)の助成監督に選ばれ長編『誰もわかってくれない』を監督。近々またまた暗い映画を撮る予定。アナログとデジタルの中間世代(デジタル寄り?)、MD(ミニディスク)とかの世代。最近はビッグコミックスペリオールが盛り返して来た気がします。
星野・松本両名にお願いしたのは、「自分がオガワに見せたいもの」を見せてくださいということだ。この数日後に講師陣による「セレクション上映会」(※講師選抜作品の上映会)のための選考会議が行われるのだけれど、それはそれとして置いといて、2人が思う「今のビガッコーはこんなことになってます」が観たいのだと。
星野 「じゃ、大志くんのオススメから行きますか」
松本 「となると、一発めは池田くんがいいんじゃないですか。観ていただくのが一番早いと思います」
■池田昌平『河川敷』
星野によると今回の提出ルールとしては「20分間以内」が厳守だったらしい。本作は22分52秒。本人とは「これだとセレクションの選考から外れるよ?」「いや、いいっす、いいっす」的なやりとりがあったそうなのだが、これを観てしまったら星野は「……面白ければいいのではないか!」と思ってしまったという。
始まりは、中年夫婦の散歩である。妻を演じているのは監督のお母さんらしい。川べりを、無言で、ただただ歩く2人。コトはなかなか起こらない。それだけの映像でも、見る人が見ると「これ面白くなりそうだ!」みたいな予感があったりするものですか?
星野 「1カットめの緊張感が、いいんですよ。だから、全然乗れますね」
そうか。そうなのか。
星野 「奥からこっちに向かって歩いてくるのっていいね……坂があって、道があって、人がいて。映画の画だなあ」
松本 「豊かですよね。画面の情報量が」
星野 「これだけ撮られてるから、2人の顔もどっしりしてますよね。撮られ慣れてる。……でもちょっと三脚が軽すぎるのかな」
松本 「望遠だから、余計に感じますよね」
星野 「あ、ここ、ピン送っちゃうの、よくない」
技術方面のやりとりが続く。池田は監督も撮影も自分で敢行したらしい。夫婦は散歩の果てに、川の土手の原っぱにたどりつく。そして、そこから、2人があるものを見つけるまで、15分間長回しである。
松本 「僕が乗ったのは、このシーンです。ここからカメラが、2人に想定外の近づき方をする。その瞬間、池田くんのエモーションが見えるんですよね。こらえきれなかったんだなと思って。ああいうショットは、他で見たことがない」
星野 「へえ、僕は『あー、スタビかオズモを使ったんだな−』ぐらいしか思わなかった」
松本 「そういう話じゃないから。もっと、ロマンの話です(笑)」
画面の中で、妻が縦横無尽に走り回っている。カメラはそれにぴったり追随。妻が走っている間に、夫は向こうに回りこんでいて、ここで妻を待っているから、カメラはこっちからこう動いて、最終的に2人を捉える。……的な段取りの練習が、おそらくさんざん重ねられたであろうことがよくわかる。
松本 「これは……スクリーンで観たいじゃん!」
それにしてもよく動きまわるカメラだ。最近は「カメラが動きまわっても手ブレしない器具」が普通に買えるんだそうだ。機材の性能が上がることと、受講生たちの作品の質には、どんな相関関係があるんだろう。昔の受講生にはできなかったことを、今の受講生たちは軽々とできてしまうわけだが。
星野 「それは非常にありますね。今は高感度で撮れるカメラがあり、LEDライトがあり、撮れるシーンが広がったと思う」
松本 「あと、僕は15期なんですけど、16ミリフィルムで修了制作を撮ったのは、僕らが最後だったんですよ」
星野 「あの時は、静止画用の一眼レフカメラで映画を撮るなんて考えもしなかったよね。DVカメラで撮った画を、どうしたら映画になるのかっていうことばかりをひたすら探ってた。でも今の子たちは『どうやったら映画になるか』じゃなくて『どうやったら面白くなるか』っていうところへダイレクトに行けるんですよ。逆に言うと、シナリオのハードルが上がった気がします。シナリオがつまらないと、それが余計際立っちゃうから」
映画は粛々と進んでいく。どうやら全面的に無言劇だ。
星野 「特に奇をてらってるわけではなくて、池田くんがやりたいのは、どこまで動きを持続して撮るか、っていうところなんだと思うんですけど」
松本 「でも観てると、一回性みたいなものが見えますよね」
星野 「それはたぶん、リハーサルやテストをすごく繰り返してるからだよ。偶然性ではない」
松本 「そう考えると、音もすごくいいですね」
星野 「うん。アフレコ大正解」
夫婦の後ろで、サッカー少年たちがボールを蹴り合っている。仕込み?って思うくらい、自然な佇まいである。
星野 「おそらくこっちが何回も何回もリハーサルしてるから、みんなもう気にならなくなってるんじゃないですかね」
やがて夫婦たちは散歩を終えて、突然ぷつりと映画も終わる。
松本 「僕は池田くんのことを知らずにこの映画をいきなり観たから『おお!』って思ったんですけど、星野さんとはちょっと意見が割れてるんですよね」
星野 「僕はもうちょっと、ドラマが欲しかった。映画が崩れてもいいから」
松本 「でも何だろう、高揚感っていうのかな。説明なしで伝わる面白さが、この映画にはあると思うんですよね」
星野 「うん。それもわかる。じゃあ次誰がいいかな……近藤くん! 次は近藤くん行きます!」
■近藤亮太『リビング・アンド・デッド』
Jホラーである。ある一家を襲った悲劇と怪奇現象。
星野 「まず最初の3カットで主要登場人物がきちんと説明できているっていうのがえらいですよね。なかなかできないと思う」
若くして逝った長女を降臨させようとする、一家と霊媒師。長女らしき人物が降りてきて、弟と父親は言葉を交わす。信じたい父と、信じたくない弟。弟は姉と同じく、見えないはずのものが見えてしまう人間だった。
星野 「近藤くんは白石晃士さんが非常に好きで、今までの課題もホラーが多かったんですけど、今回は特に、観てることのストレスがないんですよ。音も画もちゃんとしてるし、気合を入れて作ったんだなというのが伝わってきます」
5〜6年前、私は映画美学校の事務局でアルバイトをしていた。業務上、受講生の修了作品を観る機会が幾度かあった。ド素人ながら、何というか、とても「手探り感」を感じたのだ。カットの切り替わりとか、誰かがしゃべってる時にどこが映ってるかとか、そういったあたりがどうもちぐはぐで、物語に集中できない感じ。でもこの映画は、そのへんがとても整っている。
星野 「近藤くんは北海道から来た人なんですけど、北海道でも東京でも映像の仕事をしていて、これまでの課題もとてもうまかったんです。開講前課題(※文字通り、合格通知を受け取ってから開講する前までに提出する課題)もうまかったし。でもこういうルックの映画に到達できたのは、修了作品が初めてだと思う。ホラーが好きな人の多くは恥ずかしがったり、やりたいこととやれることの差が開きすぎていて真っ向からやらない、とか表現が追いついていないところを、彼は真っ向からやっていて、なおかつ今回のは一定以上の作品になっていると思います。そこがいい」
画面の中では物語が新展開を迎えている。半端ない緊迫感を、音楽が盛り上げている。この音楽を作ったのも、フィクション初等科生なのだという。
星野 「この編集のリズムは、やっぱりうまいですね。こういう映画が好きで、これからも作っていきたいんだというのがよくわかる。実習とか課題はちゃんとしたものを出してくるし、仲間とのチームワークを引っぱっていた。仲間と一緒に持ち上がってきた感が、とてもある人ですね」
松本 「あ、あそこ、なんかいる……」
俳優が芝居している横っちょのあたりに、さりげなーく怖い何かが配置されている。ホラーに詳しくはないけれど、うまいなあ、と思う。映画美学校で学ぶにあたって、「うまさ」ってどう機能するのだろう。
星野 「『プロっぽいね』っていう意味での『うまいね』は、あんまり褒め言葉ではないですね」
松本 「今回、みんなの作品を観て思ったのは、演出的なうまさよりも、ルックのうまさが向上してると思うんですよね。ちゃんと観れる、っていうところまでみんな持って行けてる。でも、ルックと演出がくっついちゃってるなとも思います」
星野 「今のフィクション初等科は、シナリオや演出を机上で練るんじゃなくて『まずみんな撮る』っていうことに徹しているんですね。そのことで、経験値がどんどん上がっていって、必然的にうまくなってるんだと思う」
松本 「いや、ほんと上手ですよ」
ちょっとの間を置いて、松本が言う。「あの、星野さん、ちょっとだけ脱線してもいいですか」。
松本 「僕は、ああいう映画、撮れないですよ。近藤くんとか城(真也)くんとか松田(春樹)くんとかが撮ってきたような——嫌なククり方ですけど——『動画』とか『映像』とかに対して、彼らは僕らの頃より慣れてる気がするんですよ。どういう映像を撮れば飽きられないか、みたいなことに長けてる感じがする」
星野 「ああ、あるあるある。それは非常に感じる」
松本 「ディスってるみたいに思われると嫌なんですけど、海外ドラマに近い感じがするんですね。5分に1回何かが起きるとか、カメラがすごく動くとか」
星野 「城くんとか、今回多くの作品で撮影を担当した藤本(英志朗)くんたち20代前半の子たちは、小さい時から、様々な映像メディアに自然と触れてきた世代だと。HDのキャメラも撮ろうという時にすぐ側にあったんだと思います。」
松本 「なんか単純に、『あ!』っていう瞬間があったら、彼らはいきなり動画を撮るじゃないですか。僕の若い頃はまだ写メだったし、それもだいぶショボかったけど」
星野 「一回のRECで撮影できる分数も決まってたよね。今iPhoneで一番いいのだと4Kだもんね」
松本 「だから『撮る』っていう行為自体の敷居が低いんだろうなあとは思う。僕はいまだに怖くて携帯で動画が撮れないです」
星野 「『撮る』っていうモードにスッと入りやすいし、なおかつ、器用な奴は器用。特に今期はそれを強く感じるね」
松本 「今期はみんな、最初からやりたいことがはっきりしてたんですよね」
星野 「初等科ではその『やりたいこと』をいかに実現するかをみんなで模索したし、高等科に進めばそれをいかに『面白いもの』にするかっていうところを鍛えられると思う。そのための足場が、すごくしっかりできた期でしたよね、19期は。提出された作品は、全部そうだったと思います」
この収録の数日後、講師陣による「セレクション」選考会が行われた。それはそれは票が割れた。だってどの作品も、あまりにも性格が違うから。彼らの念頭にあった物差しは「優れているかいないか」ではまるでなかった。じゃあまずどんな物差しを適用するのか、っていうところから議論が始まった。結果、「ユーロライブで一般向けに上映会をするなら」の物差しに決まった。ほんとは全部上映したいと、あの場にいた全員が思っていただろう。
そんなわけで星野松本も、ここでシフトチェンジする。他の誰でもなく、僕自身が気になった1本を。まずは松本セレクトから。
■高橋理美『少年たち』
映画美学校が銀座・京橋を離れて渋谷に腰を据えて5年が経つ。15期生の松本は、年度の最初から最後まで渋谷で受講した、初めての学年である。当然、彼らが入学前に予備知識として知っていた「映画美学校」は、京橋のそれである。古いビルの入り口を入ると広がるレトロな空間。灰皿があって、ビールの自販機があって、いろんなことが許されていた空間。それに憧れて入学した、端境期の15期生。
松本 「昔いたみたいな、気持ち悪いぐらいのシネフィルって、今いるんですか」
星野 「15期はそういう子が多かったもんね(笑)」
松本 「年間1000本!みたいな」
星野 「19期には、あんまりいないかな」
松本 「ね。なんか、爽やかじゃないですか。最近の子たちって」
星野 「うん。この5年で雰囲気がほんとに変わった」
松本 「ですよね。渋谷感出てきたなーって思う」
渋谷感! ついに映画美学校も得たのだ、当初は果てしなく縁遠く思えたそれを。
松本 「そんな中で、僕はあえて高橋さんの作品を推したいです。この映画には『僕が知ってる映画美学校感』があります」
星野 「うん! わかる。映画美学校生の映画だな!っていう感じがするね」
松本 「そう。何か懐かしい。僕、こんなん撮ってた気がする」
幼い少年と少女が、暗がりで何らかの秘密を交わし合っている。何かある、と誰もが予感する光景である。
星野 「高橋さんはこれまでの課題もホラーが多かったんですけど、Jホラー的なホラーというよりは、死体を隠してるとか、血が出るとか、スプラッタ系の身体的なものが多かったですね」
やがて男女は成長し、彼らの前には何らかの水面が揺れている。とても近しい2人。男子を演じているのは初等科生なのだとか。
松本 「今年の特長、それもありますね。他の人の作品に役者として出てる19期生は、芝居がうまい!」
星野 「これは去年も見られた傾向ですね。お互いにいろいろ出てるうちにガンガンうまくなっちゃう(笑)」
水辺で肩を並べる男女の片方が幽霊であり、朝になると女子の方だけが残される。
星野 「このカット、えらいよねえ」
松本 「えらい!」
そう語るのは、残された女子がひとり座り込む水辺を、対岸から撮ったショットである。
星野 「対岸から撮るってことは、撮る人間の肉体が動いてるってこと。それをちゃんとやるっていうのがえらい」
夜が来て、女子が幽霊に話しかける。「新しい服と靴持ってきたからさ、替えよう」。斬新! 時が過ぎれば成長し、服と靴を新しいのに替える幽霊、斬新!
星野 「そしてこれがヒロインの職場の飲み会の場面ですね。全員、19期生が演じてます。にも関わらず、高橋洋さんいわく『このカットが映った瞬間、あまり盛り上がらない職場の飲み会なのだということがちゃんと伝わってくる』と(笑)」
ほんとだ。低い体温、めんどくさい先輩、そして、馴染めない空気を共にする異性。彼の存在が、物語に新たな展開を与える。けれどそんなことはまだ知らないヒロインが、いつものように、水辺の幽霊のもとへ行く。かなり近い距離で、彼女の顔が映し出される。
星野 「これ、幽霊の見た目ってこと?」
松本 「劇的なシーンですよね。たぶんこのあたりから、何だかわからないけど人物を動かすことに興味が出た、っていうことじゃないかと」
星野 「……あ、ここも。『シアンのフィルター、いいよ』ってちょっとすすめたら、みんなむやみにシアンを使うっていう珍現象がありましたね(笑)」
みんな、素直なんである。
星野 「高橋さんは、今までの課題から格段に面白くなったよね」
松本 「僕はなんかこれ好きですね」
そしてヒロインは、同じ空気を共にした同僚のもとへゆき、彼の車に乗って、ラブホテルらしきどこかへたどり着き、そして映画は唐突に終わる。決定的瞬間を映すことなく。
松本 「シナリオが、攻めきれてないんですよね。だけど僕は、今回約30本観た中で、『演出』をしてるなと思ったのが、吉岡(資)くんとこの作品だと思ったんです。他の作品は、カメラと演出がくっついてるイメージがすごくあるんですけど、果たしてこれは脚本を(画面に)立ち上げる以上のことが起きているだろうか、芝居を作れているだろうかっていうことを考えざるを得ないものもあった。この作品は、ただ撮ってるんじゃなくて、人物の動かし方で何かを表現するということを意識していたように思うんです。なかなか、うまくいってはいないんだけど」
星野 「言ってること、すごくわかる。例年だったら絶対ランクインしてると思う」
じゃあ、さっき言ってた「かつてあった映画美学校感」は、どんなあたりなのだろう。
星野 「『下手くそだけど、なんとかして映画にしよう!』っていう感じ。そのためには臆面もなく何でもやるぜ!っていう」
松本 「もっと言うと『僕の知ってる自主映画感』なんですけどね。例えば近藤くんとかは、最初からかなり全体が見えていて、物語を語ることが主目的で、そこにすべてが付随していく感じがあるんです。でもこの映画は、そういう物語が書けてない。書けてないんだけど、ものすごく撮りたいものがある。その感じなんです。整ったお話なんか書けないから映画撮ってんじゃん!っていう感じ。だから、僕の好みだけで選ぶとしたら、この作品が一番だと思います。かつて自分がこんな映画を撮った、という思いもあるんですけど」
■草野億『ストーキング・ラブ』
最後の1本を挙げるのに、星野はだいぶ迷っていた。この時点で、5人もの名前を挙げていた。2人してうーーんと悩んで、よし、って挙がったのがこの作品である。つまり、他の誰かが挙げそうな佳作ではなく、B学校でこそ語りたい1本。
のっけから何かが匂う。ベンチに座ったでこぼこ男女。男が傘を差しかけて座り、女がその胸にしなだれかかる、そのぎくしゃくとした距離感。甘え慣れていないのがまるわかりの2人である。
星野 「……これは、ポイ捨ての看板の前で、タバコをポイ捨てするっていうギャグですね」
松本 「……このシーンは、taspoがないから、suicaでタバコを買おうとするっていうギャグですね」
さっきから2人が妙に親切である。画面の中ではヒロインが、クレヨンで絵を描いている。
松本 「これ、いい絵ですよね。女の子がすっげー適当に描いてるから、どうしようもないのが出来てくるのかと思ったら、わりと味のある絵だった」
ヒロインは、さっきベンチで甘えられ慣れてなかった男に想いを寄せている。バレバレだろっていうほどの超至近距離で、彼女は彼を尾行する。
星野 「草野くんは『僕は映画に救われて生きてきたので、映画に恩返しがしたいんです!』っていうくらいアツい子なんですけど、決して器用な子ではなくて。それをみんなで持ち上げあって、ここまでのものを仕上げてきた。みんな草野くんが好きなんです」
松本 「この映画はカメラマンが5〜6人いるんですよ。でも、それをあまり感じさせない」
星野 「そうだね。『今、カメラマン変わった?』っていう感じはしないんだよね」
何かが突然腑に落ちる。少なくとも映画作りにおいては、自分一人の力量ばかりに一喜一憂しているひまはないのだ。自力が足りないのなら、誰かと交われ。時間をかけて、互いのことを伝え合え。誰の手にも高画質カメラがあり、すぐにでも撮れちゃうこの時代に、映画の学校が存在する意味のひとつはきっとそこにある。
画面上では、ヒロインが男に出したラブレターが、長らく映しだされていた。
松本 「草野くんは、この手紙をお客さんに、読ませようとしてるんですよね」
星野 「そして男はその手紙に触発されて、自分の好きな女にラブレターを書き始める」
松本 「この展開、いいですよね」
星野 「しかも本気の手紙が鉛筆書きっていうね(笑)。そしてその手紙の文面もお客さんに伝えなきゃならないから、今度は文面をちゃんと口で言いながら書くんですよ」
いい子だ。草野くん、いい子だ。根拠はないが確信する。そして男が愛していた女は、さっそく別の男にしなだれかかっている。それを目撃してしまう男。枯れ葉が散る。打ちひしがれてブランコに座ると、自分をつけまわってきた女が隣に現れて、とある方法でその2人のきらきら感が演出される。そして暗転、クレジットが流れる。とんでもなくたくさんの人が関わっていたことがそこで知れる。しかも肩書がなかなか新しい。「遠い場所からのエール」。すごく大事だ、それを受け取れるか受け取れないかというのは。
松本 「映画自体は、キワキワなんですよ。でも、ちゃんと映画にしようとしてるんですよね」
星野 「ストーリー自体はすごくシンプル。普通にやると『寒っ』って思っちゃいそうなんだけど、これはちゃんと観れるんですよ。まあ、本人の人となりを既に知っている、ということもあるのかもしれないけど」
松本 「こうやって集まる作品がバラエティに富んでいて、いろんなものの影響を感じたりするんですけど、高橋さんと草野くん、あと池田くんもそうかな、彼らの作品を観ると、ああ、映画を観て『映画を撮りたい』って思ったんだな、っていう感じがすごくするんですよね。良し悪しは横に置いて言ってますけど」
■まとめ
4つの作品を観終えて思う。それぞれの映画の持ち味というのは、「うまさ」とか「成長度」といった共通の物差しではまるで測れない。じゃあ、何で測るのか。そこに「セレクション」の困難がある。
松本 「でも、すべてを超越する『面白い』っていう言葉がありますからね」
星野 「その、本人が撮りたいと思った『面白さ』を、どれだけ色濃く撮れてるかっていうのは大きいと思う」
松本 「今日観た4本の監督たちは、ミスったかもしれないけど、やりたいことをやろうとした子たちなんですよ」
星野 「しかも、歯を食いしばってしゃかりきに頑張ったというよりは、自分にできることを、みんなで最後までやろうとしたという感じ。その結果、自分の力不足や弱点がわかって、次への学びにつながっていくっていう」
松本 「逆に言うと、やればできたのにできなかった子、というのが何人かいますね。たぶんうまいし、撮れるのに、間に合わせることに走ってしまった子というか。しょうがないんですけどね」
ちなみに池田昌平『河川敷』全22分52秒問題については、後日のセレクション講師会議でも紛糾。「必ず20分以内に収める」ことを本人に電話で確約させるという事態になった。けれどそこで一同が思いを同じくした瞬間については書いておきたい。意見を求められたB学校常連事務局員・市沢真吾が言ったのだ。映画美学校は、みんなの映画作りを応援する場所なのだと。1秒単位で厳密に制限することも可能だけれど、それをしないのには、ちゃんとそういう理念があるのだと。
松本 「撮って編集して出す、っていう行為は、みんなできちゃうじゃないですか。その『提出物感』が、やっぱり作品に出ちゃうんですよね」
星野 「だから次に入ってくる20期の皆さんは、自分のやりたいことを、最後まで誠意を持ってやりきってほしいと思いますね。いい仲間ができることは、保証します。絶対大丈夫。でも最後の最後に『できることをやりきれなかった』っていうのが一番悔しいと思うから」
そんな19期生の「セレクション上映会」は8月23日(火)、19時からユーロライブで上映される。(2016/07/29)
星野 「じゃ、大志くんのオススメから行きますか」
松本 「となると、一発めは池田くんがいいんじゃないですか。観ていただくのが一番早いと思います」
■池田昌平『河川敷』
星野によると今回の提出ルールとしては「20分間以内」が厳守だったらしい。本作は22分52秒。本人とは「これだとセレクションの選考から外れるよ?」「いや、いいっす、いいっす」的なやりとりがあったそうなのだが、これを観てしまったら星野は「……面白ければいいのではないか!」と思ってしまったという。
始まりは、中年夫婦の散歩である。妻を演じているのは監督のお母さんらしい。川べりを、無言で、ただただ歩く2人。コトはなかなか起こらない。それだけの映像でも、見る人が見ると「これ面白くなりそうだ!」みたいな予感があったりするものですか?
星野 「1カットめの緊張感が、いいんですよ。だから、全然乗れますね」
そうか。そうなのか。
星野 「奥からこっちに向かって歩いてくるのっていいね……坂があって、道があって、人がいて。映画の画だなあ」
松本 「豊かですよね。画面の情報量が」
星野 「これだけ撮られてるから、2人の顔もどっしりしてますよね。撮られ慣れてる。……でもちょっと三脚が軽すぎるのかな」
松本 「望遠だから、余計に感じますよね」
星野 「あ、ここ、ピン送っちゃうの、よくない」
技術方面のやりとりが続く。池田は監督も撮影も自分で敢行したらしい。夫婦は散歩の果てに、川の土手の原っぱにたどりつく。そして、そこから、2人があるものを見つけるまで、15分間長回しである。
松本 「僕が乗ったのは、このシーンです。ここからカメラが、2人に想定外の近づき方をする。その瞬間、池田くんのエモーションが見えるんですよね。こらえきれなかったんだなと思って。ああいうショットは、他で見たことがない」
星野 「へえ、僕は『あー、スタビかオズモを使ったんだな−』ぐらいしか思わなかった」
松本 「そういう話じゃないから。もっと、ロマンの話です(笑)」
画面の中で、妻が縦横無尽に走り回っている。カメラはそれにぴったり追随。妻が走っている間に、夫は向こうに回りこんでいて、ここで妻を待っているから、カメラはこっちからこう動いて、最終的に2人を捉える。……的な段取りの練習が、おそらくさんざん重ねられたであろうことがよくわかる。
松本 「これは……スクリーンで観たいじゃん!」
それにしてもよく動きまわるカメラだ。最近は「カメラが動きまわっても手ブレしない器具」が普通に買えるんだそうだ。機材の性能が上がることと、受講生たちの作品の質には、どんな相関関係があるんだろう。昔の受講生にはできなかったことを、今の受講生たちは軽々とできてしまうわけだが。
星野 「それは非常にありますね。今は高感度で撮れるカメラがあり、LEDライトがあり、撮れるシーンが広がったと思う」
松本 「あと、僕は15期なんですけど、16ミリフィルムで修了制作を撮ったのは、僕らが最後だったんですよ」
星野 「あの時は、静止画用の一眼レフカメラで映画を撮るなんて考えもしなかったよね。DVカメラで撮った画を、どうしたら映画になるのかっていうことばかりをひたすら探ってた。でも今の子たちは『どうやったら映画になるか』じゃなくて『どうやったら面白くなるか』っていうところへダイレクトに行けるんですよ。逆に言うと、シナリオのハードルが上がった気がします。シナリオがつまらないと、それが余計際立っちゃうから」
映画は粛々と進んでいく。どうやら全面的に無言劇だ。
星野 「特に奇をてらってるわけではなくて、池田くんがやりたいのは、どこまで動きを持続して撮るか、っていうところなんだと思うんですけど」
松本 「でも観てると、一回性みたいなものが見えますよね」
星野 「それはたぶん、リハーサルやテストをすごく繰り返してるからだよ。偶然性ではない」
松本 「そう考えると、音もすごくいいですね」
星野 「うん。アフレコ大正解」
夫婦の後ろで、サッカー少年たちがボールを蹴り合っている。仕込み?って思うくらい、自然な佇まいである。
星野 「おそらくこっちが何回も何回もリハーサルしてるから、みんなもう気にならなくなってるんじゃないですかね」
やがて夫婦たちは散歩を終えて、突然ぷつりと映画も終わる。
松本 「僕は池田くんのことを知らずにこの映画をいきなり観たから『おお!』って思ったんですけど、星野さんとはちょっと意見が割れてるんですよね」
星野 「僕はもうちょっと、ドラマが欲しかった。映画が崩れてもいいから」
松本 「でも何だろう、高揚感っていうのかな。説明なしで伝わる面白さが、この映画にはあると思うんですよね」
星野 「うん。それもわかる。じゃあ次誰がいいかな……近藤くん! 次は近藤くん行きます!」
■近藤亮太『リビング・アンド・デッド』
Jホラーである。ある一家を襲った悲劇と怪奇現象。
星野 「まず最初の3カットで主要登場人物がきちんと説明できているっていうのがえらいですよね。なかなかできないと思う」
若くして逝った長女を降臨させようとする、一家と霊媒師。長女らしき人物が降りてきて、弟と父親は言葉を交わす。信じたい父と、信じたくない弟。弟は姉と同じく、見えないはずのものが見えてしまう人間だった。
星野 「近藤くんは白石晃士さんが非常に好きで、今までの課題もホラーが多かったんですけど、今回は特に、観てることのストレスがないんですよ。音も画もちゃんとしてるし、気合を入れて作ったんだなというのが伝わってきます」
5〜6年前、私は映画美学校の事務局でアルバイトをしていた。業務上、受講生の修了作品を観る機会が幾度かあった。ド素人ながら、何というか、とても「手探り感」を感じたのだ。カットの切り替わりとか、誰かがしゃべってる時にどこが映ってるかとか、そういったあたりがどうもちぐはぐで、物語に集中できない感じ。でもこの映画は、そのへんがとても整っている。
星野 「近藤くんは北海道から来た人なんですけど、北海道でも東京でも映像の仕事をしていて、これまでの課題もとてもうまかったんです。開講前課題(※文字通り、合格通知を受け取ってから開講する前までに提出する課題)もうまかったし。でもこういうルックの映画に到達できたのは、修了作品が初めてだと思う。ホラーが好きな人の多くは恥ずかしがったり、やりたいこととやれることの差が開きすぎていて真っ向からやらない、とか表現が追いついていないところを、彼は真っ向からやっていて、なおかつ今回のは一定以上の作品になっていると思います。そこがいい」
画面の中では物語が新展開を迎えている。半端ない緊迫感を、音楽が盛り上げている。この音楽を作ったのも、フィクション初等科生なのだという。
星野 「この編集のリズムは、やっぱりうまいですね。こういう映画が好きで、これからも作っていきたいんだというのがよくわかる。実習とか課題はちゃんとしたものを出してくるし、仲間とのチームワークを引っぱっていた。仲間と一緒に持ち上がってきた感が、とてもある人ですね」
松本 「あ、あそこ、なんかいる……」
俳優が芝居している横っちょのあたりに、さりげなーく怖い何かが配置されている。ホラーに詳しくはないけれど、うまいなあ、と思う。映画美学校で学ぶにあたって、「うまさ」ってどう機能するのだろう。
星野 「『プロっぽいね』っていう意味での『うまいね』は、あんまり褒め言葉ではないですね」
松本 「今回、みんなの作品を観て思ったのは、演出的なうまさよりも、ルックのうまさが向上してると思うんですよね。ちゃんと観れる、っていうところまでみんな持って行けてる。でも、ルックと演出がくっついちゃってるなとも思います」
星野 「今のフィクション初等科は、シナリオや演出を机上で練るんじゃなくて『まずみんな撮る』っていうことに徹しているんですね。そのことで、経験値がどんどん上がっていって、必然的にうまくなってるんだと思う」
松本 「いや、ほんと上手ですよ」
ちょっとの間を置いて、松本が言う。「あの、星野さん、ちょっとだけ脱線してもいいですか」。
松本 「僕は、ああいう映画、撮れないですよ。近藤くんとか城(真也)くんとか松田(春樹)くんとかが撮ってきたような——嫌なククり方ですけど——『動画』とか『映像』とかに対して、彼らは僕らの頃より慣れてる気がするんですよ。どういう映像を撮れば飽きられないか、みたいなことに長けてる感じがする」
星野 「ああ、あるあるある。それは非常に感じる」
松本 「ディスってるみたいに思われると嫌なんですけど、海外ドラマに近い感じがするんですね。5分に1回何かが起きるとか、カメラがすごく動くとか」
星野 「城くんとか、今回多くの作品で撮影を担当した藤本(英志朗)くんたち20代前半の子たちは、小さい時から、様々な映像メディアに自然と触れてきた世代だと。HDのキャメラも撮ろうという時にすぐ側にあったんだと思います。」
松本 「なんか単純に、『あ!』っていう瞬間があったら、彼らはいきなり動画を撮るじゃないですか。僕の若い頃はまだ写メだったし、それもだいぶショボかったけど」
星野 「一回のRECで撮影できる分数も決まってたよね。今iPhoneで一番いいのだと4Kだもんね」
松本 「だから『撮る』っていう行為自体の敷居が低いんだろうなあとは思う。僕はいまだに怖くて携帯で動画が撮れないです」
星野 「『撮る』っていうモードにスッと入りやすいし、なおかつ、器用な奴は器用。特に今期はそれを強く感じるね」
松本 「今期はみんな、最初からやりたいことがはっきりしてたんですよね」
星野 「初等科ではその『やりたいこと』をいかに実現するかをみんなで模索したし、高等科に進めばそれをいかに『面白いもの』にするかっていうところを鍛えられると思う。そのための足場が、すごくしっかりできた期でしたよね、19期は。提出された作品は、全部そうだったと思います」
この収録の数日後、講師陣による「セレクション」選考会が行われた。それはそれは票が割れた。だってどの作品も、あまりにも性格が違うから。彼らの念頭にあった物差しは「優れているかいないか」ではまるでなかった。じゃあまずどんな物差しを適用するのか、っていうところから議論が始まった。結果、「ユーロライブで一般向けに上映会をするなら」の物差しに決まった。ほんとは全部上映したいと、あの場にいた全員が思っていただろう。
そんなわけで星野松本も、ここでシフトチェンジする。他の誰でもなく、僕自身が気になった1本を。まずは松本セレクトから。
■高橋理美『少年たち』
映画美学校が銀座・京橋を離れて渋谷に腰を据えて5年が経つ。15期生の松本は、年度の最初から最後まで渋谷で受講した、初めての学年である。当然、彼らが入学前に予備知識として知っていた「映画美学校」は、京橋のそれである。古いビルの入り口を入ると広がるレトロな空間。灰皿があって、ビールの自販機があって、いろんなことが許されていた空間。それに憧れて入学した、端境期の15期生。
松本 「昔いたみたいな、気持ち悪いぐらいのシネフィルって、今いるんですか」
星野 「15期はそういう子が多かったもんね(笑)」
松本 「年間1000本!みたいな」
星野 「19期には、あんまりいないかな」
松本 「ね。なんか、爽やかじゃないですか。最近の子たちって」
星野 「うん。この5年で雰囲気がほんとに変わった」
松本 「ですよね。渋谷感出てきたなーって思う」
渋谷感! ついに映画美学校も得たのだ、当初は果てしなく縁遠く思えたそれを。
松本 「そんな中で、僕はあえて高橋さんの作品を推したいです。この映画には『僕が知ってる映画美学校感』があります」
星野 「うん! わかる。映画美学校生の映画だな!っていう感じがするね」
松本 「そう。何か懐かしい。僕、こんなん撮ってた気がする」
幼い少年と少女が、暗がりで何らかの秘密を交わし合っている。何かある、と誰もが予感する光景である。
星野 「高橋さんはこれまでの課題もホラーが多かったんですけど、Jホラー的なホラーというよりは、死体を隠してるとか、血が出るとか、スプラッタ系の身体的なものが多かったですね」
やがて男女は成長し、彼らの前には何らかの水面が揺れている。とても近しい2人。男子を演じているのは初等科生なのだとか。
松本 「今年の特長、それもありますね。他の人の作品に役者として出てる19期生は、芝居がうまい!」
星野 「これは去年も見られた傾向ですね。お互いにいろいろ出てるうちにガンガンうまくなっちゃう(笑)」
水辺で肩を並べる男女の片方が幽霊であり、朝になると女子の方だけが残される。
星野 「このカット、えらいよねえ」
松本 「えらい!」
そう語るのは、残された女子がひとり座り込む水辺を、対岸から撮ったショットである。
星野 「対岸から撮るってことは、撮る人間の肉体が動いてるってこと。それをちゃんとやるっていうのがえらい」
夜が来て、女子が幽霊に話しかける。「新しい服と靴持ってきたからさ、替えよう」。斬新! 時が過ぎれば成長し、服と靴を新しいのに替える幽霊、斬新!
星野 「そしてこれがヒロインの職場の飲み会の場面ですね。全員、19期生が演じてます。にも関わらず、高橋洋さんいわく『このカットが映った瞬間、あまり盛り上がらない職場の飲み会なのだということがちゃんと伝わってくる』と(笑)」
ほんとだ。低い体温、めんどくさい先輩、そして、馴染めない空気を共にする異性。彼の存在が、物語に新たな展開を与える。けれどそんなことはまだ知らないヒロインが、いつものように、水辺の幽霊のもとへ行く。かなり近い距離で、彼女の顔が映し出される。
星野 「これ、幽霊の見た目ってこと?」
松本 「劇的なシーンですよね。たぶんこのあたりから、何だかわからないけど人物を動かすことに興味が出た、っていうことじゃないかと」
星野 「……あ、ここも。『シアンのフィルター、いいよ』ってちょっとすすめたら、みんなむやみにシアンを使うっていう珍現象がありましたね(笑)」
みんな、素直なんである。
星野 「高橋さんは、今までの課題から格段に面白くなったよね」
松本 「僕はなんかこれ好きですね」
そしてヒロインは、同じ空気を共にした同僚のもとへゆき、彼の車に乗って、ラブホテルらしきどこかへたどり着き、そして映画は唐突に終わる。決定的瞬間を映すことなく。
松本 「シナリオが、攻めきれてないんですよね。だけど僕は、今回約30本観た中で、『演出』をしてるなと思ったのが、吉岡(資)くんとこの作品だと思ったんです。他の作品は、カメラと演出がくっついてるイメージがすごくあるんですけど、果たしてこれは脚本を(画面に)立ち上げる以上のことが起きているだろうか、芝居を作れているだろうかっていうことを考えざるを得ないものもあった。この作品は、ただ撮ってるんじゃなくて、人物の動かし方で何かを表現するということを意識していたように思うんです。なかなか、うまくいってはいないんだけど」
星野 「言ってること、すごくわかる。例年だったら絶対ランクインしてると思う」
じゃあ、さっき言ってた「かつてあった映画美学校感」は、どんなあたりなのだろう。
星野 「『下手くそだけど、なんとかして映画にしよう!』っていう感じ。そのためには臆面もなく何でもやるぜ!っていう」
松本 「もっと言うと『僕の知ってる自主映画感』なんですけどね。例えば近藤くんとかは、最初からかなり全体が見えていて、物語を語ることが主目的で、そこにすべてが付随していく感じがあるんです。でもこの映画は、そういう物語が書けてない。書けてないんだけど、ものすごく撮りたいものがある。その感じなんです。整ったお話なんか書けないから映画撮ってんじゃん!っていう感じ。だから、僕の好みだけで選ぶとしたら、この作品が一番だと思います。かつて自分がこんな映画を撮った、という思いもあるんですけど」
■草野億『ストーキング・ラブ』
最後の1本を挙げるのに、星野はだいぶ迷っていた。この時点で、5人もの名前を挙げていた。2人してうーーんと悩んで、よし、って挙がったのがこの作品である。つまり、他の誰かが挙げそうな佳作ではなく、B学校でこそ語りたい1本。
のっけから何かが匂う。ベンチに座ったでこぼこ男女。男が傘を差しかけて座り、女がその胸にしなだれかかる、そのぎくしゃくとした距離感。甘え慣れていないのがまるわかりの2人である。
星野 「……これは、ポイ捨ての看板の前で、タバコをポイ捨てするっていうギャグですね」
松本 「……このシーンは、taspoがないから、suicaでタバコを買おうとするっていうギャグですね」
さっきから2人が妙に親切である。画面の中ではヒロインが、クレヨンで絵を描いている。
松本 「これ、いい絵ですよね。女の子がすっげー適当に描いてるから、どうしようもないのが出来てくるのかと思ったら、わりと味のある絵だった」
ヒロインは、さっきベンチで甘えられ慣れてなかった男に想いを寄せている。バレバレだろっていうほどの超至近距離で、彼女は彼を尾行する。
星野 「草野くんは『僕は映画に救われて生きてきたので、映画に恩返しがしたいんです!』っていうくらいアツい子なんですけど、決して器用な子ではなくて。それをみんなで持ち上げあって、ここまでのものを仕上げてきた。みんな草野くんが好きなんです」
松本 「この映画はカメラマンが5〜6人いるんですよ。でも、それをあまり感じさせない」
星野 「そうだね。『今、カメラマン変わった?』っていう感じはしないんだよね」
何かが突然腑に落ちる。少なくとも映画作りにおいては、自分一人の力量ばかりに一喜一憂しているひまはないのだ。自力が足りないのなら、誰かと交われ。時間をかけて、互いのことを伝え合え。誰の手にも高画質カメラがあり、すぐにでも撮れちゃうこの時代に、映画の学校が存在する意味のひとつはきっとそこにある。
画面上では、ヒロインが男に出したラブレターが、長らく映しだされていた。
松本 「草野くんは、この手紙をお客さんに、読ませようとしてるんですよね」
星野 「そして男はその手紙に触発されて、自分の好きな女にラブレターを書き始める」
松本 「この展開、いいですよね」
星野 「しかも本気の手紙が鉛筆書きっていうね(笑)。そしてその手紙の文面もお客さんに伝えなきゃならないから、今度は文面をちゃんと口で言いながら書くんですよ」
いい子だ。草野くん、いい子だ。根拠はないが確信する。そして男が愛していた女は、さっそく別の男にしなだれかかっている。それを目撃してしまう男。枯れ葉が散る。打ちひしがれてブランコに座ると、自分をつけまわってきた女が隣に現れて、とある方法でその2人のきらきら感が演出される。そして暗転、クレジットが流れる。とんでもなくたくさんの人が関わっていたことがそこで知れる。しかも肩書がなかなか新しい。「遠い場所からのエール」。すごく大事だ、それを受け取れるか受け取れないかというのは。
松本 「映画自体は、キワキワなんですよ。でも、ちゃんと映画にしようとしてるんですよね」
星野 「ストーリー自体はすごくシンプル。普通にやると『寒っ』って思っちゃいそうなんだけど、これはちゃんと観れるんですよ。まあ、本人の人となりを既に知っている、ということもあるのかもしれないけど」
松本 「こうやって集まる作品がバラエティに富んでいて、いろんなものの影響を感じたりするんですけど、高橋さんと草野くん、あと池田くんもそうかな、彼らの作品を観ると、ああ、映画を観て『映画を撮りたい』って思ったんだな、っていう感じがすごくするんですよね。良し悪しは横に置いて言ってますけど」
■まとめ
4つの作品を観終えて思う。それぞれの映画の持ち味というのは、「うまさ」とか「成長度」といった共通の物差しではまるで測れない。じゃあ、何で測るのか。そこに「セレクション」の困難がある。
松本 「でも、すべてを超越する『面白い』っていう言葉がありますからね」
星野 「その、本人が撮りたいと思った『面白さ』を、どれだけ色濃く撮れてるかっていうのは大きいと思う」
松本 「今日観た4本の監督たちは、ミスったかもしれないけど、やりたいことをやろうとした子たちなんですよ」
星野 「しかも、歯を食いしばってしゃかりきに頑張ったというよりは、自分にできることを、みんなで最後までやろうとしたという感じ。その結果、自分の力不足や弱点がわかって、次への学びにつながっていくっていう」
松本 「逆に言うと、やればできたのにできなかった子、というのが何人かいますね。たぶんうまいし、撮れるのに、間に合わせることに走ってしまった子というか。しょうがないんですけどね」
ちなみに池田昌平『河川敷』全22分52秒問題については、後日のセレクション講師会議でも紛糾。「必ず20分以内に収める」ことを本人に電話で確約させるという事態になった。けれどそこで一同が思いを同じくした瞬間については書いておきたい。意見を求められたB学校常連事務局員・市沢真吾が言ったのだ。映画美学校は、みんなの映画作りを応援する場所なのだと。1秒単位で厳密に制限することも可能だけれど、それをしないのには、ちゃんとそういう理念があるのだと。
松本 「撮って編集して出す、っていう行為は、みんなできちゃうじゃないですか。その『提出物感』が、やっぱり作品に出ちゃうんですよね」
星野 「だから次に入ってくる20期の皆さんは、自分のやりたいことを、最後まで誠意を持ってやりきってほしいと思いますね。いい仲間ができることは、保証します。絶対大丈夫。でも最後の最後に『できることをやりきれなかった』っていうのが一番悔しいと思うから」
そんな19期生の「セレクション上映会」は8月23日(火)、19時からユーロライブで上映される。(2016/07/29)
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