前回の更新に引き続き、全カリキュラムを終えたばかりの19期生にマイクを向ける。今回は、講師や同級生たちの票を集めて、先日の「セレクション上映会」で上映にこぎつけた人たち。みんなそれぞれに仕事や学校があって、それぞれが来られる時間に来ればいいじゃないかというゆるゆる座談会。先日終えた「セレクション上映会」の感想なんかを聞きながら、来た人からなんとなく、それとなく、この学校で感じた本音なんかを尋ねてみる。途中で突然発言する人がいたら、「ああ、今、来たんだな」と思ってください。(小川志津子)
映画美学校フィクションコース

登壇者:池田昌平、近藤亮太、吉岡資、松尾果歩、永澤由斗、松田春樹、照屋南風(参加順)/星野洋行(ティーチングアシスタント)、松本大志(修了制作デスク)
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【1】

——映画美学校をどこで知って、なぜ入り、入ってみてどうでしたか。

近藤 僕は地元が北海道なんですけど、中学生の時に『呪怨』の劇場版を観て、死ぬほど怖かったんです。こんな怖い映画を作った人って、いったい何者なんだろうと思って調べたら「清水崇」という名前に行き着いて。その人はどうやら「映画美学校」というところを出ていて、しかももう一人、僕が尊敬している「黒沢清」さんが教鞭をとっているらしいと。俺はいつか絶対「映画美学校」に入ってホラー映画を撮ろう、とそのとき心に決めたんです。でもなかなか上京できず、札幌のCM制作会社に就職したんですけど、仕事しながらも毎年映画美学校のホームページを見てたんですよ。今年はどんな映画ができたのかとか、今年の講師は誰なのかとか。その間に大畑創さんとか内藤瑛亮さんが出てきて「やばい、この中に自分も加わりたい!」と思って。それで4年後、ちょうど会社を辞めたタイミングでホームページを見たら、講師が高橋洋さんだと書いてあったので、これは天命だと思って上京しました。

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近藤良平『リビング・アンド・デッド』

——その熱い期待に、映画美学校は応えてくれましたか。

近藤 そう、僕はそれだけ期待値が高かったから、入る前は結構怖かったんですよ。もし、思ったより大したことなかったら、ほんとに取り返しがつかないから。でも始まってみたらもう、ひっきりなしに何かをやってるんですよね。企画を考えるのも楽しいし、人の作品を手伝うのも楽しいし、みんなに手伝ってもらって自分の作品を作る時も楽しいっていう、人生で一番楽しかったかもしれない1年間でした。

松尾 私はネットで学費が安い映画の学校を検索して、大学を卒業したあとに1年間、別の映画学校に行ったんですね。そこは劇映画というよりは、実験映画を目指しているところだったので、劇映画がやりたいと思って、映画美学校に入りました。前の学校もめちゃくちゃ楽しかったんですけど、そこから映画美学校に来たっていう順番がまず良かったなと。その逆だったら、たぶんパニックになってたと思う。

一同 (笑)

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松尾果歩『余薫房』

松尾 自由で広い世界を前の学校で見て、ここに来て「どうすれば面白い映画を作れるか」「どうすれば人に伝わる映画になるのか」ということを考えさせられて。それに私も近藤さんと同じで、みんなと映画作ることが楽しかったですね。私はあんまり自分から「私にも手伝わせて!」って言えないたちだったので、そんなにたくさん手伝えなかったのが、今、一番の後悔です。もっとみんなにそう言えばよかった、ってほんとに思う。

松本 今回、そういう話をたくさん聞きますね。たくさん手伝えてよかったとか、もっと手伝えばよかったとか。

近藤 目指してるものが全員バラバラだから、誰の作品を手伝っても刺激になるんですよ。

松本 僕たちの代(15期)は、そういう行き来はそこまでなかったように思えます。シナリオで選ばれた人だけが撮ることを許されていたから、もうちょっとこう違った感じだったんで、こんなふうに人の現場に行って仕事をしたいと思えるのはいいことだなと。

近藤 僕も映像の仕事をすでにしていたから、照明にしろ録音にしろ、最低限このくらいはできてほしい、みたいなラインが自分の中にあったんですね。だから最初は、入ったばかりのクラスメイトにそれを任せるってことが、不安でできなかったんです。でも2つめか3つめくらいの課題の時には「この人にこれを任せれば絶対大丈夫!」みたいなのができ始めていて、修了制作の時には完全に「俺の理想のチーム」ができていましたね。

吉岡 僕は京都にいたんですけど、大学の3年ぐらいから映画を観るようになったんですね。そのうち、東京では『へんげ』(2011年、大畑創監督)という映画と、『先生を流産させる会』(2011年、内藤瑛亮監督)という映画がアツいらしいというのをメディアを通じて知って。それからUSTREAMで「恐怖バー」(高橋洋らホラー映画人が恐怖について語り尽くしたトークイベント)を通して映画美学校を知りました。

星野 京都で『へんげ』と『先生流産』は観られたの?

吉岡 いえ、噂だけ。

近藤 札幌でもめちゃめちゃ話題になってましたよ。

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吉岡資『ナツキとタケル』

——入ってみて、どうだったですか。

吉岡 僕は20歳過ぎてから映画を観始めたので、映画が好きな友人がほとんどいなかったから、鬱屈が溜まってたんですね(笑)。だから「プロの映画監督になりたくて入りました」というのとは、自分はちょっと違うんですよ。とにかく仲間が欲しかった。こういう世界を目指す人って、クセが強い人が多いのかなと思ってたけど、接してみたら意外とみんな柔らかかった。お互い、好きな映画が違っても、両方を認め合えるというか。

——映画美学校は長らく、とっつきづらそうなイメージを持たれがちだったんです。

吉岡 ああ、そういう風に聞きますね。でもみんなめちゃめちゃポップだと思いますけど。シネフィルっぽいシネフィルって、いなくなかったですか。

池田 いないね。

星野 いるにはいるんだろうけど、表には出てこない感じかな。

吉岡 だから映画を撮ったことがないし、何なら映画をほとんど観てこなかったっていう人も、たぶん馴染めると思います。

池田 僕は脚本コースにいたんです。それで、自分は物語を作ることを目指したいわけではないと気がついて、フィクション・コースに入りました。三宅唱さんと出会えたことが、本当にいい体験になりました。言われたことのほとんどを覚えているくらい、意味のある授業だったんで。

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池田昌平『河川敷』

——例えば?

池田 ここに入る前に来たガイダンスで、演出のワークショップを見たんですね。それが、すごかったんです。うまく言葉にできないんですけど。ここに入ってなかったら、今はもう何も撮ってなかったと思います。

近藤 僕の場合、映画が好きな知人はいくらかいますけど、映画の話を永遠にできる人ってそんなにいないんですよ。でも、この学校で知り合った人たちとは、それができるんです。授業が終わって飲みに行って、朝5時まで飲んだりするんですけど、何の話をするかと言えば、基本的には映画の話をしてるわけです。もちろん、あまり接点がなかったりして、しゃべれなかった人もいますけど、でもたぶんどの人とも5時まで飲めると思うんですよね。そんなことができる人が、しかも40人もいるってすごくないですか。

永澤 僕は、「学校」っていう環境が、本当に好きじゃないんだなって改めて思いました。

一同 (笑)

永澤 ここに限らず、今までも心底「学校」が嫌いだったなって。一人一人は本当にいい人たちばかりで、「なんでこんなに人格者が揃ってるんだろ」って思うくらいだったんですけど。

吉岡 職場は平気なの?

永澤 それはしょうがないよ、お金のためですから。

——でも、映画作りも集団行動じゃないですか。

永澤 そうなんですよね。

星野 そうか、永澤くんはいつも少数精鋭で撮ってたよね。

永澤 少数精鋭っていうか、ほとんど一人でしたね。

——極力、一人で作っていたい?

永澤 って思ってましたけど、でも修了制作で、一人で作ることの限界を知りました。僕一人が考えつく想像力なんて、たかが知れてるじゃないですか。いろんな人の意見に触れることで、自分が予期していないこと——良くも悪くもでしょうけど——そういうものに出会うわけですよ。それを積極的に取り込んでいかないと、映画はふくらんでいかないというか。だから一人でも多くの人と、一緒にやったほうがいいなと思いました。

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永澤由斗『死んでシンデレラ』

——永澤くんは、映画美学校を何で知ったんですか?

永澤 僕は、高橋洋さんを世界で一番尊敬しているので。中学生の時に『ソドムの市』(2004年、高橋洋監督が完成させた伝説の自主映画)を観て、自分も映画を作ろうと決めたんです。

星野 すごいな。よく、手が伸びたね。

永澤 初期衝動をかきたてられました。「俺もやるぞ!」って。それから年月が経って、開講初日の飲み会で、高橋さんの真正面に座って。もう、死んじゃうんじゃないかっていうくらい変な汗が出ましたけど、今まで聞いてみたかったことを全部ぶつけました。「あれはどうやって撮ったんですか」「あの映画はどうだったんですか」って、朝まで。

星野 永澤くんは、仕事が忙しくて学校に来られない時期があったでしょう。このまま辞めちゃうのかな、って心配になったんだけど。

永澤 いえいえ。とにかく映画が作りたい!っていう、その気持ちしかなかったですね。

松田 僕は大学時代に映画サークルで撮ってたんですけど、そこの先輩たちが、大学を出てから東京藝術大学の大学院に行くっていうコースを形作ってたんですね。僕もその流れで行こうかなと思ったんですけど、僕が志望する「監督領域」が、とてもハードルが高くて。合格していく人たちも、すでに映画祭で観たことのある人たちなんですよね。で、試験内容を調べたら、作った映画を3本と、入試期間中に1本撮るっていうのがあって。これは無理だ、って思っていた頃に、ここのチラシを見たんです。もっと基礎力をつけたいと思っていたから、ひとつのステップとして入りました。

星野 最近よく見られる流れですね。映身(立教大学現代心理学部映像身体学科)から映画美学校、そして芸大の大学院へ進むという。

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松田春樹『一寸先』

松田 結果的に大正解でした。大学在学中でもなく、社会人になってからでもない、このタイミングで入ったことがすごく大きかった。ある程度のことが見えている上で、何でも吸収できるというか。例えば、映画を目指してる人が5千人ぐらいいたとして、この学校にいたらそのうちの4千人ぐらいは抜かせちゃうんじゃないかっていうくらいの実感があるんですよ。他の自主映画を観ると、映画美学校で考えぬかれているようなことが抜け落ちているのがわかる。これたぶんリハーサルとかしてないだろうな、とか。登場人物の動線がちゃんと計算されていないな、とか。1対1で会話している様を映すだけじゃなくて、どのタイミングで何かを飲むとか、誰かが入ってくるとか、それだけで芝居が本当に変わるんだというのが、僕にとっては衝撃だったんです。

松本 僕も似た感覚を覚えたことがある。映画を「観る」感覚から「撮る」感覚に変わったっていうことだよね。昔は、画面に映っているものが「結果」だとは思ってなかったんだよ。画面に映っているものを目指して、それを実現するために現場があったのだと思っていた。でも撮ってみると、最初からそれを目指していたわけではなくて、いろんなことの「結果」だったんだなってことがわかってくる。

松田 僕は『映画の授業—映画美学校の教室から』(2004年、青土社刊)を読んだのも、この学校を選んだ決め手のひとつだったんですけど。

近藤 あの本を読むと「映画美学校、怖ぇ!」ってなるよね。すごいことが書かれすぎてて。

照屋 僕は、映画監督になりたくて、仕事に行きながら通える学校をネットで調べてここに来ました。あと、黒沢清さんがすごく好きなのもあって。映画はずっと観てきてたんですけど、撮るっていうのは初めてだったので、知らなかった自分の性格がわかったりしました。思ったより面倒くさがりだな、とか。

——どういう時にそれを感じましたか?

照屋 好きな人たちと撮るので、普通にダベってる会話が面白くなっちゃうと、段取りとか抜きにして「もう、いいべ、いいべ」ってなっちゃう。「伝わらないんじゃないかな」って言われても「大丈夫だよ、観てる奴も馬鹿じゃないんだから!」って。

近藤 それ、面倒くさがりとかじゃなくない(笑)?

照屋 でも、それを、しっかりした助監督とか他のメンバーが「いやちょっと待って」「なんで急にダラけ出したの?」って言ってくれる(笑)。すごい勉強になりました。

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照屋南風『光の海』

——いろんなタイプの人がいるから、自分の苦手分野が得意な人がいたりするんですね。

照屋 そうかもしれないですね。僕も基本的には、自分でやれることは自分でやりたい人間なんですけど、でも修了制作はみんなに超助けられたなと。

——例えば?

照屋 僕の作品には下着泥棒が出てくるので、小道具として下着を買わなきゃいけなかったんですけど、恥ずかしくて一人じゃ買いにいけなかった。

一同 (笑)

照屋 しかも店員さんが可愛くて、僕が買ったと思われるのが嫌だったので、予算は出ないんですけど「映画美学校で領収書ください」って言って「頼まれて買ってます」感を出してみたり。遠めにいた連れに「これ、ビガッコーでいいんだよねえ!?」って大声で聞いてみたり。

一同 (爆笑)

近藤 一年間の振り返りのエピソードがそれ(笑)?

照屋 でも大きかったのは、自分が書いた脚本をいろんな人に見せたこと。説明せずにどれだけのことが伝わるのかっていうのが、今の自分の力量だと思ったから、極力削りまくって、せりふも落としまくって、それをいろんな人に何回も見せて。知ってる人から、居酒屋でたまたま居合わせた人にまで。

——「自分でやりたい」と思ってた人が、自分を開いていったんですね。

照屋 もともとサッカーをやってたので、友だちがいないとダメな人間なんですよ。だから自分から開いていこうという思いはあったんですけど、思っていた以上に、大事な人がたくさんできたなという感じでしたね。

——「この仲間となら大丈夫だ」感は、わりと最初からありましたか?

照屋 いや、全然なかったです(即答)。

一同 (笑)

照屋 「今まで関わったことがない人たちだ!」っていうのが第一印象でしたね(笑)。でも、とにかく課題がたくさんあったから、能動的に関わっていかざるを得ないんですよ。それが良かったと思います。自分の性格的にも。

——それについても聞きたいです。課題の分量は、皆さんはどうだったですか。

池田 全然大丈夫だったです。

松尾 むしろ、もっとやりたかった。

近藤 課題がないと、みんなに会う理由が作れないんですよ。課題があるときは毎週集まって話をするから、「ついでだからあの映画観に行こうよ」「飯食いに行こうよ」みたいなことができるんです。だからずっと何かやってたかった。もちろんハードではありましたけど。

松尾 私の中では、講評(※それぞれが撮ってきたものについて、講師陣が矢のように指摘を浴びせる授業)が一番大きくて。自分の作品についての講評も、もちろん気合が入っているからすっごい面白いんですけど、他の人の講評もめちゃくちゃ面白くて、それが驚きでしたね。

近藤 物理的に可能かどうかは置いといて、理想としてはもっとびっちり講評されたかったですね。「今日着てる服」とかでもいいから講評されたかった(笑)。

池田 うん。他の授業を減らしてでも、講評がもっと欲しかったですね。

吉岡 僕は修了制作の一番最初の、企画開発が楽しかった。みんなでわいわいがやがや、「映画って何かな」って考える時間。

松尾 あれもよかった! めっちゃ長時間やったよね。

吉岡 みんな、アホなこと言い出してね(笑)。

近藤 3つの班に分かれて、一人一人のプロットについて、思ったことをざっくばらんに言い合ったんですよ。あの倍ぐらいの時間があってもよかった。

松田 近藤さんがいた「高橋班」はエンタメ志向だったから、アイデアを出し合うことが多かったと思うんですけど、僕がいた「三宅班」は意見を出し合うというよりは、映画を作るっていうことに対する哲学というか、観念的な話を深めていった感じでしたね。

近藤 ちらっと見学に行ったけど、「女の子が一目惚れする瞬間が撮りたいです!」っていう欲望だけがあって、そこに対して三宅さんが問答していく感じだったよね。ソクラテス的に。

松田 そうそう。まさに、問答でしたね。

吉岡 映画の作り方を知らなかった身としては、「ミニコラボ」(※講師が監督する現場に受講生がスタッフとして参加する授業)が一番良かったですね。井川(耕一郎)さんはリハーサルが面白くて、何のディレクションもせずに同じ芝居を「もう一回見せてください」「もう一回」ってひたすら繰り返すんですよ。そうすると本当に細かい芝居の質が変わってきて、それが映画全体の質に関わってくる。やがて撮影が終わるとみんなでわいわい飲むという(笑)。井川さんって直接的に「これが重要なんだよ!」みたいなことは言わないんですけど、星野さんとかティーチング・アシスタントの方が「あれはこういうことなんだよ」って解説してくださったりして。

星野 僕は在学中も井川さんについたんですけど、いまだに覚えているのは授業後の飲み会で「役者は、芝居がしっくり来ていない時は、下半身の可動域がせばまるんだよ」って言われたこと。確かに、足が動かなくなるんですよ。いまだに見ますね、そこは。何かが停滞した時の、とっかかりになったりする。

——井川さんはそういうことを、経験から発見されたんでしょうか。

星野 あと、講師陣は付き合いが古い方が多いじゃないですか。昔からそういうことを、語り合ってたんじゃないですかね。しかも皆さん、それが時代とともに更新されているのを感じますよね。7期の時に言われたことと、19期の時に言われたことは、ちょっと違ったりするんだと思います。

9/7(水)開講!フィクション・コース第20期初等科】「ミニコラボ実習」担当監督決定!


【2】
全員が揃った。たぶん、この学校に来なかったら、出会わなかっただろう人たちだ。積極的にしゃべる人もいれば、腕を組んでそれを眺めている人もいる。いつもならみんな同じくらい話してもらおうと汗をかくのが役目だけれど、それをすっぱりあきらめてみる。しゃべりたければしゃべればいいし、そうでないならそのままでいい。映画美学校はそういう学校だ。揺れろ揺れろ。要は、そこから、何をつかみ取るかだ。 
映画美学校フィクションコース


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——この学校で受けたカルチャーショックはありますか。 

近藤 映画美学校に入った当初は、ぶっちゃけ、アウェー感がありました。まさに今目の前にいる松尾さんや吉岡くんや池田くんの課題を、講師陣が大絶賛するわけですよ(※あまり起承転結がはっきりしておらず、ジャンル分けも難しい感じのニュアンス系作品群)。モロにホラーとかアクションとか、ジャンル映画をやりきることの方が、評価の軸ががっちりしてる分難しいと僕は思っているんですけど、そこを選ばなかった人たちばかりが評価されているのが、最初は納得いかなかったんです。でもだんだんみんなと仲良くなって、作っているものを素直に観るようになると、見え方が変わってきたし「この人たちに手伝ってほしいな」と思うようになりました。 

星野 近藤くんは一回、課題で、路頭に迷って、青春映画を撮ったよね。 

近藤 そうですね(笑)。ホラー映画をディスられすぎて、一度みんなみたいな青春映画を撮ってみようと。そしたらほんとにダメだったんで、俺にはそっちの才能がないぞと思って。あっちを作るのにも、かなりの実力が要るんだってことがわかって、みんなすごいことやってたんだなあ!と。 

吉岡 僕はここに来る前は、映画人ってカメラとか撮影にこだわる人が多いのかなあっていう印象があったんですよ。でも大工原(正樹)さんが「いい芝居を撮るためなら、事前に決めたカメラ位置など捨ててしまえ」的な発言をされていて。それが僕にとっては新概念だったんです。その後の映画の観かたにもすごく影響がありましたし、むしろ、より楽しく映画を観ることができるようになった。 

近藤 岸野(雄一)さんの授業で一番ガツンと来たのは、例えば静かな場面を表したいなら、単に無音にするんじゃなくて、時計の針の音を際立たせることで静寂を表現するんだということでしたね。暗闇を表したいなら、月明かりを際立たせることでそれを表現するのだと。そこから、自分が作る時でも、他の人の現場に行く時でも、それを基準に考えるようになったし、普通にハリウッド映画を観ている時でも「今この映画は、どれくらいの暗さをどのように表現しようとしているんだろう」っていう観かたができるようになりました。 

松本 「そういうふうに見える」っていうのと「実際そう」というのとでは、ずいぶん違うんですよね。 

近藤 わかっていたつもりだったけど、全然わかっていなかった。ということがわかりましたね。 

吉岡 僕も「映画で嘘をつく」っていうのはすっげー難しいんだな!って思い知りました。自分が本当に体験していないことや、見たことがないものを表現する時に、どう知恵を絞るかということを。 

——今回の修了制作で吉岡くんは、大阪の物語を東京で撮ることに苦戦されたそうですが。 

吉岡 そう、だから結局、嘘がつけてないんですよね(笑)。フィクションを撮るには、必ず嘘がついてまわると思うんです。どうやったら、自分とはまったく無縁の世界を描いたフィクションを撮れるのかっていうのを、これから考えていかなきゃいけないなと思って。 

池田 これは三宅さんに何回も言われたことなんですけど、テーマ的なことをもっと付与しなきゃいけない、「物語」的なものを自分はうまく作れないっていうことを決定的に思い知らされて。実はここ何ヶ月か、それに悩んでいるんです。だって、みんなは普通にストーリーを出してくるじゃないですか。僕はそこに心理的に拒否感があるから、ああいうものを作ったりしてるので(※池田の修了作品『河川敷』はセリフ無し。中年夫婦が河原を闊歩し、茶を飲み、かつて盗まれた自転車を発見し、乗って帰るまでを描いた)。 

——そういう作家さんになればいいのに。 

池田 いやいや。それはイバラの道ですよ。って、講師陣にも言われてますし。 

——でも腑には落ちていない? 

池田 落とそうと努力してます。 

松本 つまり、新しい欲が出てきたっていうことだよね。今までとは違ったものをやっていきたいという。 

池田 そうです、そうです。 

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星野 みなみちゃん(照屋)は、次回作の構想があるんだよね。 

照屋 今脚本を作っていて、助監督をやってもらう人に見せるんですけど。 

星野 前回の座談会に出てくれた、西牟田さん。 

照屋 そうすね、姉さんに。でもなんか、いろいろ難しいです。夫婦ゲンカしてるところを撮りたいんですけど、ケンカしたことないから、ケンカの理由が思いつかなくて。いろんな人に「彼女とどんなことでケンカしてるの?」って聞くんですけど、どうしようもない答えばっかりなんですよ。 

近藤 ケンカなんて、だいたいどうしようもないよ(笑)。 

照屋 一番ひどかったのは、「ヤッてる時に違う子の名前を呼べばすぐだよ」って。 

一同 あーー。 

松本 それってさ、「夫婦ゲンカ」っていう具体的なことがらはあるけど、夫婦ゲンカそのものを撮りたいわけじゃないでしょう。 

星野 まず「夫婦ゲンカを書こう」って思って、そのために経緯を求めてるじゃない。 

松本 そういうことって、よくあると思う。最初に「こういうショットが撮りたい」っていうところからスタートする映画とか。わかるんだけど、もしかしたら照屋くんが撮りたいのは「夫婦ゲンカそのもの」ではないのかもしれない。「ヤッてる時に違う子の名前」っていうのも、夫婦ゲンカを描くのであれば十分面白いと思うんだけど、でも照屋くんが目指したいのは違うところにあるのかもしれないね。 

照屋 でも仲直りのしかたについては、いい答えが返ってきました。「自分が悪いと思ったら謝って、ごはんを一緒に食べろ」って。 

一同 あーーー。 

近藤 松尾さんの修了作品『余薫房』も、カップルが仲直りしてごはんを食べるよね。 

星野 ごはん、大事ですね。映画の中で、ごはんはほんと大事。普段作らない人がそれっぽく撮ってても、すぐわかっちゃうからね。相当勇気が要るなあと思って。 

近藤 ……ひと言もしゃべってない松田くんは、何かないですか。今後の課題。 

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松田 僕も池田くんと一緒ですかね。どちらかというと物語の優先順位は低い方なんですけど、修了制作を経て、物語の重要性がわかったというか。僕は、俳優が魅力的な映画が好きなんですね。で、僕が好きなのは、ハリウッドとは対象的な、いわゆるソフトストーリーって言われるような、起承転結が見えにくい映画なんです。でもよく観ると、そういう映画にもちゃんと起承転結があるんですよね。物語が面白くて、かつ、俳優も魅力的ならそれにこしたことはないわけだし、僕がもともと好きだった映画も、よく考えたら物語が面白いっていうことに気づけたので。 

池田 聞きたいんだけど、発想の起点って何? 

松田 感情、ですかね。今回の修了制作で言うと、主人公2人の別離の……わかります? 

近藤 わかんないすけど(笑)(※松田の修了制作『一寸先』は、映画美学校と思われる学校の修了制作のロケハンで、これから別の道に分かれてゆくであろう仲間たちの最後のキャンプを描いた)。 

松田 最初、回想形式で考えてたんです。5年後ぐらいの主人公が、最後のロケハンを振り返る物語。でも三宅さんに「それだと『あ、ノスタルジーね』で片付けられちゃうよ。もっと複雑なものがやりたいんでしょ?」って言われたので、いっそ現在進行形で、登場人物たちがちょっと先を予感してるっていう話に落ち着いたんですけど。だからこの映画の起点ってことでいうと、ちょっと先を予感する、喜怒哀楽こもごもの感情を撮ろう、って思ったんです。 

——三宅さんに指摘されて、言い当てられた感じはありましたか。 

松田 とてもあります。そっちの方が絶対面白いなと思いました。 

——他の皆さんもありましたか。講師に言い当てられた経験。 

近藤 めちゃくちゃありますね。僕は高橋さんに「一番やりたいことの核は何なの?」「もっとシンプルにしなよ」ってずーっと言われてて。本当に一番やりたいことを、本当に伝わるように作ることが、スタート地点なんだなっていうことが、完成した作品を観てやっとわかりました。 

永澤 僕の修了作品(『死んでシンデレラ』)は、1から10まで自分でやっちゃったんです。担当講師は高橋さんなんですけど……なんて言ってたかなあ。 

近藤 ええと、永澤くんのやりたいことは、『キャリー』という強烈な先行例がすでにあるよと。その先が見えないけど、それでいいの?と。 

吉岡 でも永澤くんは一切聞き入れてなかった。「行けるんです!」「自信があるんです!」って。 

永澤 確信があったんですよ。超能力女の復讐劇。でもみんなが鬼の首を取ったように「『キャリー』だ!」「『キャリー』があるじゃん!」って言うから、「うっせーなあ」と思いながら『キャリー』を観て、原作も読んで、「あ、これは手を出さない方がいいな」って思いました。 

——一度ぎゃふんと言わされて、でも立ち上がった。 

永澤 超能力ものは絶対にやりたかったので、前から考えていた「ダニエル・ダニエ」という悪女が世界征服を企てる話と合体させたんです。 

近藤 大正解だったと思う。ダニエと超能力女の師弟ものになった時点で、突き抜けた感があったよね。 

松田 面白かったです。 

照屋 超好きだったな。 

永澤 当然ですよそんなの! 

一同 (笑) 

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——では最後に、これを読んでいる20期候補生に、何か言えることがあったら。 

吉岡 もやもやしてるなら、来たほうがいいです。入ってみたら思ってたのと違ったり、自分の映画にジャッジが下されたりして「映画嫌い!」ってなったり、永澤くんみたいに「学校嫌い!」ってなる人もいるかもしれないけど(笑)、いずれにしろ、その後の人生に強く踏み出していけると思うので。 

池田 僕はここに来る前は、映画の傍流の傍流みたいな現場に3年ほどいたことがあるんですね。で、撮影とか照明とか技術的なことは、現場にいればある程度のレベルまではどうしたって行けるんです。だから、そんなみんなの姿を見て「あいつらすごい」「自分にはできない」って思う必要はまったくないっていうことを、僕はこの学校で教わった気がします。僕たちはそうじゃなくて、もっと革新的な演出とか、そういうことで勝負するのだと。 

照屋 読む人がどんな状況でこれを読んでいるのかわからないからあれですけど、迷ってるなら、行動した方がいいと思います。映画には「作る」のと「観る」っていう選択肢があって、片方が嫌になっても、もう片方が必ず残るし、あとさっきも言ったけど、大事な人がほんとにたくさん増えるので。 

松田 あと、短編を提出する課題が、年間に3回あるんですね。それは絶対、全部出すべきです。齋藤成郎くんみたいに、修了制作でいきなりガッ!と来る人もいるけど、やっぱり撮るたびにうまくなるし、発見がすごく多い。……とは言いながら、最初は何も知らないから、撮るのが怖くなっちゃうんですよね。そういう時は、好きな監督の真似をすればいいと思うんです。僕自身がそうでした。好きな監督の真似をすることで、過去の自分と決着をつけられたというか。自分はその先へ向かって作っていきたいなと思えるようになったし、まさに革新的な部分を僕自身も発見できたと思うので、ぜひ撮り始めてほしいと思いますね。 

永澤 僕はもともと人間が大っ嫌いで、友だちも一切いないので、ここに来る前は当然不安でしたし気が重くもあったんです。ただ、映画が作りたい、映画が好き!っていう気持ちだけでここへ来たんですけど、いざ入ってみたらほんとに、こんなにも奇人変人、面白い人たちばっかりで。いい奴もそうでもない奴もいますけど(笑)、映画に関しては本当に真剣でまっすぐな人たちしか集まらないんですよ、この学校って。悔しいかな、来てよかった。会えてよかったって思ってしまった。だから、人間嫌いの人も絶対来てほしい。百害あって一利なし……違うな、百莉あって一害もないです。20期生募集のキャッチコピーが「映画は見るよりも作る方がおもしろい!」っていうんですけど、まさしくそれですね。客席ではわからなかったことがいっぱい見えるようになったので。 

近藤 映画美学校のホームページで黒沢清さんが「ただ映画を作りたいだけの人に語る言葉は持たないけれど、『このような映画を撮りたい』という人になら言える言葉がある」というようなことを書かれていて。僕は、自分では前者だと思っていたんです。でもここに入って試行錯誤するうちに、自分は後者だったんだということに気づかされた。持っていないと思っていたものを、僕はすでに持っていたんですね。ここに入る前までは、黒沢さんの言葉はすごくおっかないなと思ったんですけど、そういうことでは全然なかった。だから、ここに来れば自分自身の気づかなかった部分にも気づけるし、それを実現するための仲間も得られるし、しかも上映できるスクリーンがある。地方から、この学校のためだけに上京しても全然大丈夫ですよと言いたいです。 

松尾 私は、ここに入ってよかったと思うことしかなくて。映画を作るということを、義務教育に採り入れたらどうかと思うくらい、すごい体験をしたんです。というのは、今まで自分をこんなに客観的に考えたことがなかったんですね。俳優さんは常にそういうことに向き合ってると思うんですけど、自分が撮ったものを人に観てもらうことで、この1年間、自分を初めて客観視できました。もう20年以上も生きてるのに。この、すごい体験を、いろんな人に味わってほしいんですよ。 

吉岡 たぶん、平日全日授業とかじゃなかったのも、よかったんだろうね。 

松尾 確かに、毎日あったら不登校になったかもしれない(笑)。 

吉岡 出欠席とか、単位とかいう概念があってね。 

松尾 うわあ。単位とかあったら絶対無理だねー!(笑)(2016/08/26) 

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