始まりは、もう2ヶ月前になる。最新映画シーンの動向から少し離れちゃった編集局長が、「今、何が熱いですか」とB学校界隈の面々に尋ねたのだ。
1人が「このシリーズについて真面目に語られてるのを見たことがない」と言い(スズキシンスケ)、別の1人が「それをやるならむっちゃ出たい」「司会でもなんでもやるから」と即レスをくれて(千浦僚)、じゃあ実家が外車のディーラーだった市沢真吾のスケジュールに合わせようと一致団結、すると「6月の午前中」を指定されたもんだから、GW映画を6月に語るという、映画情報サイトだったらバチコーン!としばかれそうな事態になった。
始めは「あんまり覚えてなくて……」とぼやかしつつも、追って「面子の端に入れてほしい」と再レスをくれた小出豊、最新作を観るために第一作から全部一気に観たという中瀬慧を加えて、男たちの舌戦が始まる。(取材・文:小川志津子)
※文中、「2」とか「3」とか、あるいは副題で作品名を表記します。わからない人は「ワイルド・スピードシリーズ」で検索!
【登壇メンバー】
小出豊:免許あり。つい最近まで "セダン" が自動車のメーカー名だと思っていました。
千浦僚:自動車の知識は中学生時代にほぼ男子全員が回し読みしていた「ホリデーオート」と「よろしくメカドック」仕込みで、いまだ「頭文字D」も『ワイスピ』も充分楽しめる41歳。免許なし。都内の移動はもっぱら自転車。
市沢真吾:生来カタログ大好き人間で、小学校低学年の頃は、車のカタログや「中古車情報」(ページいっぱいに値段と仕様の書いた中古車の情報が載っているだけの雑誌)を読みふけっていた。中学校になる頃にはどんどん興味を失っていったのだが、遺伝なのか、今は自分の息子が車好きに!
中瀬慧:映画美学校フィクションコース13期生。映画の撮影部。免許取得以来ほとんど自動車の運転をしていない、いわゆるペーパーゴールド。この座談会の後に代々木公園で松江哲明監督とK−POPアイドルのライブ撮影を行った。
1人が「このシリーズについて真面目に語られてるのを見たことがない」と言い(スズキシンスケ)、別の1人が「それをやるならむっちゃ出たい」「司会でもなんでもやるから」と即レスをくれて(千浦僚)、じゃあ実家が外車のディーラーだった市沢真吾のスケジュールに合わせようと一致団結、すると「6月の午前中」を指定されたもんだから、GW映画を6月に語るという、映画情報サイトだったらバチコーン!としばかれそうな事態になった。
始めは「あんまり覚えてなくて……」とぼやかしつつも、追って「面子の端に入れてほしい」と再レスをくれた小出豊、最新作を観るために第一作から全部一気に観たという中瀬慧を加えて、男たちの舌戦が始まる。(取材・文:小川志津子)
※文中、「2」とか「3」とか、あるいは副題で作品名を表記します。わからない人は「ワイルド・スピードシリーズ」で検索!
【登壇メンバー】
小出豊:免許あり。つい最近まで "セダン" が自動車のメーカー名だと思っていました。
千浦僚:自動車の知識は中学生時代にほぼ男子全員が回し読みしていた「ホリデーオート」と「よろしくメカドック」仕込みで、いまだ「頭文字D」も『ワイスピ』も充分楽しめる41歳。免許なし。都内の移動はもっぱら自転車。
市沢真吾:生来カタログ大好き人間で、小学校低学年の頃は、車のカタログや「中古車情報」(ページいっぱいに値段と仕様の書いた中古車の情報が載っているだけの雑誌)を読みふけっていた。中学校になる頃にはどんどん興味を失っていったのだが、遺伝なのか、今は自分の息子が車好きに!
中瀬慧:映画美学校フィクションコース13期生。映画の撮影部。免許取得以来ほとんど自動車の運転をしていない、いわゆるペーパーゴールド。この座談会の後に代々木公園で松江哲明監督とK−POPアイドルのライブ撮影を行った。
千浦 じゃあそれぞれ、今までどれくらい観てたか、みたいなあたりから始めましょうか。
市沢 私は、「2」と「3」(『TOKYO DRIFT』)を観ました。
千浦 「2」が2003年。「3」が2006年。
市沢 そうです。その後仕事が忙しくなって、映画自体をそんなに観れてないんですが。だからだいぶ間が空いて、今回『ICE BREAK』を観ました。何というか……『ワイルド・スピード』って、もっと、小さい話だったじゃないですか。
千浦 そう! えらくデカい話になっちゃったよね。
市沢 読まなくなった連載マンガを久しぶりに見たらすげーことになってた!みたいな。『魁!! 男塾』ってこんなトーナメント制だったっけ?みたいな(笑)。
千浦 硬派学生の学校内の話かと思ってたら、世界最強を賭けて、段々増えてきた仲間と共に1チーム十六人とかで闘っているみたいな……。
市沢 すごい規模感が増しているっていう。『ICE BREAK』もそんな印象で観たんですが、でもむちゃくちゃ面白かったですね。予告編もまるで観なかったので、全っ部楽しめた。
中瀬 僕は「3」をリアルタイムで観て、その後は市沢さんと同じく間が空いて、『SKY MISSION』を観て、まさに「こんな話だったっけ?」状態になり。今回最新作が公開されるにあたって、ちゃんと見直そうと思って「1」から『SKY MISSION』まで全部観て、予習バッチリの状態で『ICE BREAK』を観ました。
——何日ぐらいかけて観たんですか。
中瀬 2日ですね。1日4本ぐらい。
千浦 いいねえ。幸せそうだ。
中瀬 幸せな2日間でしたね。1本の映画がハリウッド超大作シリーズに育つまでの過程を把握した感じです。
小出 僕は「1」から「3」までを観てなかったんですよ。でも何かの機会に黒沢清さんに「『TOKYO DRIFT』凄いよ、観てないの!?」って冷笑されて、それで「1」「2」「3」をレンタルで観ました。そこからは劇場で全部観てます。
市沢 黒沢さんの、いつものテだ(笑)。
小出 あの時、黒沢さんに「何が凄いんですか」って聞いたら「渋谷のスクランブル交差点でカーチェイスしてるんだよ!」って言われたのを覚えています。
中瀬 この間仕事でご一緒した、黒沢さんの作品に多く就いてたベテランの助監督さんに聞いたんですけど。『回路』の無人の街は最初、スクランブル交差点でやりたかったそうなんですよ。何日か、みんなで視察に行って、「……できないよね」っていうことになって。そこで黒沢さんが「みんな、フィックスならできるって思うでしょう。でも、(カメラが)動いたらハリウッドを超えられるよ!」って言ってたらしくて。その言葉がみんなに火をつけて、「もしかしたら朝の銀座ならイケるかも!」っていうことになったって。
小出 『回路』ってことは『TOKYO DRIFT』より前の話だ。じゃあ口惜しい思いがあったんですね。
千浦 なんだろう、妙な感じですね。黒沢清が『TOKYO DRIFT』を推す、というのは。
小出 ともあれ絶対黒沢さんより暇なのに、黒沢さんより今どきの映画を見ていないのはまずいと思いましたね。
千浦 僕は自然に、ずっと観てます。何しろ01年の1作目に感心したんですよ。古典的な潜入捜査の刑事もので、しかも70年代ぐらいにあった車もの映画の現代版をちゃんとやってる。00年には74年の『バニシングin60』をリメイクした『60セカンズ』があり、03年には『ミニミニ大作戦』が(オリジナルは69年)あったからそういう流行の一本だと認識してました。あと、『ワイルド・スピード』の原題 The Fast and the Furious はロジャー・コーマンのキャリア初期製作作品に由来してると思ったし。うまいことやってるなーと思って感心してたら、どんどん続編が展開していって、まさかこんなに続くとは(笑)。特に『TOKYO DRIFT』って——『仁義なき戦い』が一番例えやすいと思うんだけど——主要登場人物が出てこない「広島死闘篇」みたいな感じじゃないですか。この一本は菅原文太じゃなくて北大路欣也が主演になってるという。そこで、ハン(サン・カン)っていうアジア人の名キャラクターがラスト、事故で死ぬんですね。それをやりくりするために、後の作品では時制をちょっと変えてる。つまり、こいつ東京で死ぬんだなってことがわかってるキャラクターが物語に出てくるわけで、あれはヘンだった。あと、『MAX』とか『MEGA MAX』ぐらいの頃の、「これが最終作か?」と「この後も物語があるかもしれない」とがあやふやな感じが楽しかった。
小出 『MAX』のラスト、皆が三々五々別れていくところで、ハンは「すぐにではないけど、いずれは東京に行くよ」とジゼルに言って、確かその際にはドイツへと向かいますね。とすると、シリーズ3作目『TOKYO DRIFT』の前日譚である『MAX』の後さらに数作『TOKYO DRIFT』の前日譚が続くのだと思わせる仕掛けがありますね。
千浦 そうそう。その終わりそうだった時期以降も、ずっと楽しくて、いつも満足して観てますけど。
市沢 「2」とか「3」のあたりって、日本車がアメリカで結構流行ってたらしくて。欧米の人から見ると、たとえば「2」に「三菱・ランサーエボリューション」が出てきますけど、「こんなに性能が良くて速い車を、こんな安く売ってるのか!」「日本車、やべー!」みたいな感じが(作り手の中に)たぶんあって、日本車がいわば悪役的な立ち回りをするんですよね。結局、物語の中で最終的に勝つのはアメリカ車じゃないですか。「日本車やべー!」「じゃあ戦わせて映画にしよう!」みたいな勢いを感じたんです。
小出 車に詳しくないのでわからないんですが、「ドリフト」っていう技は日本人が開発したんですか?
市沢 そうなんじゃないですかね。
千浦 土屋圭市がゲスト出演で出てる。ドリフトってほんとに速いのかっていう説もあるみたいですけど、たぶん『TOKYO DRIFT』って和魂洋才というか、自分の力を制御できないアメリカの不良が日本に来て「回転数を落とさずに制御する方法を学びました!」っていう映画でしょう。最強の車を、日本車とアメ車を混ぜて作るとか。
小出 ドリフトをするカーレースっていうのは、それまでの映画ではなかったことなんですか。
千浦 ないことはないと思うけど、「ワイスピ」のレースって、テクニカルじゃなくてパワー推しじゃないですか。
中瀬 ニトロ積んで、カチッと押すタイミングで勝負が決まるみたいな。そこの駆け引きですよね。
千浦 あと、カーレースを映画でちゃんと描くことの難しさっていうのがあるんじゃないですかね。結局ド派手な、構造的なアクションになってるところはあると思います。CG混ぜたり、いろんな技術を重ねてそれを表現している。
——素朴に質問なんですが。あれらのカーアクションたちはどの程度、街々を通行止めにして、本当にやっているんでしょう。
中瀬 お答えしましょう!
千浦 おおっ!
中瀬 『TOKYO DRIFT』をやったグリップ・チームの人にいろいろ話を聞いたんですね。あれは、ちゃんと、通行止めにしてます。ただ、日本でやってないシーンも多いです。それらを混ぜて使うんですね。そもそも許可が出ないので、まず下絵を撮って、合成ではめて。——ちょっと話が戻るんですけど、僕も最近、ある映画の現場で、無人の渋谷スクランブル交差点を撮らなきゃいけなかったんですけど、めちゃめちゃ難易度が高いんです。『TOKYO DRIFT』凄いな!って思うのは、「ここはちゃんと撮るべき!」っていうところをちゃんと撮ってるんですよね。お金と時間のかけ方がまるで違う。
小出 『ICE BREAK』では、タイムズスクエア辺りを疾走してましたね。
中瀬 通行止めにして撮ったものと、似てる道で撮ったものとを、うまく混ぜてるんだと思います。グリーンバックも混じえながら。でも普通に映画観てる分には、わからないですよね。今回ので言うと、冒頭のキューバのレースシーンの最後で車が燃えて跳ぶじゃないですか。その途中のカットはたぶんCG。でも、落ちてるカットは、たぶんほんとに落としてますね。カット割り的に言うと、道から撮ってるのは実際に撮ってて、空撮っぽいスローモーションとかがCGじゃないかなと思います。
市沢 車が好きな人からすると、「こんなにぶっ壊すのか!!」って思うよね(笑)。
千浦 しかも、お高いものを(笑)。
中瀬 車好きの人がテンション上がるシーンっていうのが、シリーズ通してありますよね。たくさんの車を前にして「俺、これに乗る♪」ってキャッキャするじゃないですか。あと、車をチューンナップするシーン。当然の作法として、車についての知識がちゃんとある。僕は全然わからないんですけど。
千浦 あ、私、免許持ってません。
市沢 僕も、免許ないんで。在宅派ですよ。
千浦 在宅派(笑)。でも、市沢さんは広大な青森の地でアメ車と共に育ったお家柄だからね。
市沢 リンカーン・コンチネンタルの上に座ってる、赤ちゃんだった兄貴の写真がありますね。もともと看板屋だったんですけど、父親の車好きが高じて、中古車のディーラーになって。だから子どもの頃は、家は貧乏な借家なのに、何ヶ月かに1回、家族で乗る車が変わるんですよ。超ボロい車から、軽自動車とか、中古のベンツまで。
小出 おお!
千浦 陸送もしてたっつーから、たぶんここのお父さんは『バニシング・ポイント』(71年)のコワルスキーみたいな人ですよ。
一同 (笑)
市沢 これは車に関わってる人特有だと思うんですけど、仲間とのコネクションが、そんなにデカくないんですよ。街の中の小さなコネクションの中だけで何かが行われていく。その小ささをこのシリーズにも感じて、かすかに共感するんです。
千浦 ひょっとしてバーベキューやってたんじゃないですか。
中瀬 食前にお祈りをしてね。
小出 『4』でブライアンが子供を授かりますね。それを知った直後に、自分が父親になるなんて不思議だとドムと二人っきりで話すところがあるのですが、ブライアンは父が早死にしたために父親の記憶がないんです。一方ドムは、父親の思い出ならいくらでも言えるというのです。その際に最初に出てきたのが、ドムの父親は日曜日の教会の後に集った隣人たちとバーベキューをするというエピソードでしたね。ドムの父親像は端的にみんなを集めてバーベキューを主催する人なんですよ。
市沢 うちはバーベキューはしなかったですけど(笑)、「ワケのわからない友人がいる」っていうのはありましたね。定期的に父親の友人が出入りする感じ。
千浦 お父さんが知らないおじさんを拾ってくるんでしょ。働き手として。
中瀬 ああ、それはすごいですね。
市沢 いきなり父親が「これからお前たちに、事故というものを体験させてやる」って言い出して、兄貴と車に乗せられて、時速5キロくらいで大木にぶつかって「怖いだろ、これが事故というものだ!」って。
千浦 ね。だから僕の中で、市沢さんのお父さんは青森のドミニク・トレット(ヴィン・ディーゼル)ですね。
中瀬 じゃああの、レースの前にいろんな車がいっぱい並んでて、ボンネット開けてエンジンの仕組みを見て、「これはどこどこの何たらを載せてるんだ」「おおー!」みたいな文化は実在するんですか。
千浦 実在するんじゃない?
中瀬 レースに互いの車を賭けるとか、「クルマ至上主義!」みたいな世界観が僕にはほんとに謎で。『TOKYO DRIFT』まで、それがとても色濃いですよね。日本の高校生、クルマいじれるの当たり前!みたいな世界観。『MAX』あたりから、レースすることに必然が出てきて、「クルマ至上主義」じゃなくなってくる。
市沢 そういうのを削っていくに従って、シリーズが一般受けするようになっていったんだろうな。
中瀬 そうですよね。僕が、わかりやすく乗れるなって思えたのは、そこからなんです。「この人たちはクルマがすべてなんだ!」っていうことをまず理解する、というプロセスを踏まずに、物語に入り込めたのは。フェティッシュがどんどんなくなっていって。でもそうなっていくことって、車好きの人たちにとってはどうなんだろう。
千浦 うん。その濃さがなくなっていったことを、嘆いてる人たちもきっといると思う。(続く)
【2】
編集局長(筆者)は女子校育ちなので、10代の男子が何にきゃいきゃい言っていたのかを直接的には知らない。小学校すら男女別クラスだったので、「スーパーカー消しゴム」も「キン肉マン消しゴム」も具体的にはノータッチである。あのとき相まみえることのできなかった男子たちが、大人になるとこんなふうになるのだなあと、ぼんやり思ったりしたりしなかったり。「ワイスピ」座談会、略して「ワイ談」(千浦僚命名)、第2回です。
中瀬 たぶん、この展開は予期してなかったんじゃないかなと思うんですよ。いつから、こんなに続編をやるっていうふうに作り方を変えたんだろうなと思って。
千浦 話の持っていき方を工夫してるけど、やってる人たちはギリギリだった時代が、たぶん「3」「4」「5」(『TOKYO DRIFT』『MAX』『MEGA MAX』)あたりにあったんじゃないかな。
中瀬 『MEGA MAX』で、今までのキャラクターたちがわちゃわちゃ出てきて、いきなりパソコンをめちゃめちゃ使えるようになってたりとか、いつのまにかものすごく腕っぷしが強い人たちになってたりとかするじゃないですか。お前らただの「運転がうまい人」じゃなかったっけ?? っていうギャップがありましたよね。急にキャラが変わって、「ここからはシリーズもののエンターテイメントをやります!」っていう宣言みたいに見えました。
千浦 そうだね。『MAX』と『MEGA MAX』の飛躍は、たしかにあったね。
小出 『ICE BREAK』で、ドムの元カノが出てくるじゃないですか。ぼくは、ドムが知らぬ間に遺伝的な父親になり、その枷でいままでのファミリーと敵対関係になる件までの大まかな流れが「4」の段階でできてたんじゃないかと思うのです。
千浦 いや、先々のことは考えてないと思う。
小出 そうかなぁ。僕は各作品のアクションのアイデアも去ることながら、シリーズを通してのグランドデザインをもっていたことにすごく感心しましたよ。デカいなと。
中瀬 どこから考えてあったんだろう、って毎回思うんですよ。でも、都合が悪くなったら退場させるんだ、っていうのも感じますよね。
千浦 そして、やっぱりまた出した方がいいなと思ったら、生き返らせる。『魁!! 男塾』方式。あてにならない「王大人(ワン・ターレン)、死亡確認!」。あるいは「男たちの挽歌」方式として、そろそろサン・カンの双子が登場してもいいんじゃないかと思う。
中瀬 (笑)。今回殺された、ドムの元カノのエレナ(エルサ・パタキー)は、当初ドムとは付き合ってなかったじゃないですか。『SKY MISSION』の時につきあうようになったわけだから、僕もたぶん、先のことは考えてなかったと思います。
小出 いやぁ、ドムを取り巻く大きな流れは「4」からあったように思いますよ。疑似家族の中でいよいよ家父長らしくなるのだけど、と、その矢先に知らぬ間に遺伝学的にもお父さんになっていたってのは、ある程度考えてたんだと思うんですよね。そのために、レティ(ミシェル・ロドリゲス)と関係を一度解消し、別の女性と関係をもつ必要があったんですよ。
千浦 そうかな。そのためかな、ミシェル・ロドリゲス退場は……
小出 だって、絶対復活させる形で殺されてますよね。死体は画面に出てこないし、目撃したとされる人の証言でも「顔が燃えてて見えなかった」って言ってる。あえて顔を見せずに死んだことにしたんですよ。
中瀬 『MAX』でレティの死をドムが確かめる場面、演出がめっちゃ冴えてますよね。レティの死を知らされたドムが、現場に行って、レティが殺される瞬間の幻影を見るところ。道路に残されたタイヤ痕をきっかけにして現在と過去が同一画面で進行していく。そこから葬式のシーンに行くんですよね。その葬式を、ドムが遠くから見てる。その人物配置と画面のつながりが、めちゃめちゃうまいんですよ。ここが、このシリーズの演出のピークだな!って思うくらい(笑)。
小出 『MEGA MAX』で、強奪を予測して、自分たちでセットを作って、車を何回も何回も走らせるシーンがあるじゃないですか。
中瀬 どうやっても監視カメラに残ってしまうというくだりですね。
小出 ぼくは、走ってる人を見てる人たちのわちゃわちゃしている感じが好きなんですよね。
千浦 お互いの腕試し、みたいなところね。
小出 気心しれた俳優さんの開いている感じをグループショットで上手に拾っていますよね。うまいなあジャスティン・リンって思った。その点で『ICE BREAK』はちょっと心配だったんですよ、監督が変わってしまって。
中瀬 なんか、よそでうまくやった監督をいっぺん試してみるか、みたいなシリーズになってきましたよね。ジェームズ・ワンの起用なんか、特にそんな印象を受けます。『ミッション・インポッシブル』もそうですけど。
千浦 監督が変わっても、大筋の雰囲気が崩れないからすごいよね。
小出 今回、ちょっとだけケチをつけるとすれば、敵が車を遠隔から自動で動かしてしまいますね。あれがなんか寂しいなと思ったし、この映画世界で起きてはまずいことが起こっているとヒヤヒヤしました。カーアクションの面白さのひとつは、観客である一般の人間が自力で操縦できる、一番デカいメカを、スターたちが自在に操る奔放さにあるんだと思うんです。いつもは道交法に縛り付けられているけど、彼らはそこから自由になっていて、いろんなアクションを見せてくれる。そこに爽快感がありますよね。しかし、それを遠隔で、人間の手を介在せずに動かしてしまうというのは、ああ本当にこの人たちはこの映画世界が顕揚する車への愛情がないんだなと思って寂しいし、敵対するキャラとしてはすごくまっとうな有り様かとも見えるのですが、この映画世界にそういう人がいていいのかと落ち着かない感じがありました。
千浦 悪いよね。あれこそが、ワイスピワールドにおいて、シャーリーズ・セロンたちがほんとに悪い奴らだっていうことの証明なわけですよ。絶対、主人公集団と相容れない思想。おい、どうしたんだシャリセロ、「マッドマックス 怒りのデスロード」であんなに車と結びついてたのに、っていうね……
小出 ともあれ、一般人が動かせる最大のメカである車を自分の体で自在に操ることが楽しいんだねという当たり前が、敵の出現で改めて見えてきた次第です。
千浦 シャリセロが「ゾンビ・タイム!」って言うところね。
小出 そう、ゾンビなんだよね! 人じゃないんだ!っていう。
千浦 過度のテクノロジーとか人間不在感、「オートメーション・バカ」化することは、このシリーズの世界観では敵ですよね。『SKY MISSION』のクライマックスも、ドローンとの戦いだし。国際犯罪組織の武器商人の必殺兵器なんだけど、「俺らはストリートの人間だし、地元の利がある!」っていうことで戦うでしょう。今回のクライマックスも、相手方が潜水艦って、それはもう戦力のバランスから言ってこちらが車である必然がないんじゃないかと思うんだけど(笑)、主人公たちは車にこだわるんだよね。
中瀬 そのへんをわかってやっていたのが『SKY MISSION』だったと思うんですよね。「いいか、車は空を飛べない」っていうのが、なんていいセリフだろう!と思って。
千浦 冒頭でブライアンが子どもを遊ばせる時に言ってるんだよね。子どもがおもちゃの車とか投げてて、それに対して「車は飛ばないから」って言ってる、それに対してアゼルバイジャンでは車ごとパラシュート降下するわ、ドバイでビルからビルに飛ぶわ、飛びまくりのスカイ大作戦。……あっ、ところで余談ですけど、原題とは違う邦題ってうまくいかないことが多いけど、このシリーズでの『SKY MISSION』とか『ICE BREAK』とかは、直訳のふりをしながら、ぎりぎりまで真面目に考えられたタイトルだと思いますね。『ICE BREAK』って、クライマックスの潜水艦との戦いを指しているのと同時に、懐かし80年代サイバーパンク小説、ウィリアム・ギブソンの『ニューロマンサー』なんかでハッカーがセキュリティシステムを破るのをそう言ってたのにもかけてあるみたいで、本当にちゃんと考えられてるなあと思います。
小出 もうひとつ言うと、『MEGA MAX』までは狙いがお金でしたけど、それ以降はお金じゃなくなったんですよね。だからタイトルも「MISSION」としている。
中瀬 みんな、犯罪者じゃなくなっちゃったんですよね。無罪放免のセレブたちが集まってミッションを果たす。
市沢 そうだね。だって目的が、自己顕示だもんね(笑)。シャーリーズ・セロンが、何のためにこういうことをやっているのか聞かれて「私の存在を知らしめるため」って言うじゃないですか。
中瀬 「川辺のワニ」って言いますよね。せりふとして、すげーだせえなって思うんですけど。
一同 (笑)
中瀬 でもそれを、ちょっとかっこよく言うじゃないですか。シャーリーズ・セロンってやっぱうまいんだなあって思っちゃいました。だから今回、シャーリーズ・セロンが最後、逃げてくれたことが僕はうれしくて。
千浦 続くね、あれは。
中瀬 そう、「続いた!」って思って。今回、乗れなかった人っていうのが実は周りにわりといて、その理由としては「お前まで仲間になるのか」感、だったようです。
千浦 ああ、ジェイソン・ステイサム。
中瀬 ジェイソン・ステイサムまで仲間になるっていうのが、『ドラゴンボール』じゃないだろう!と。
千浦 あと、ヤンキー漫画のセオリーね。「タイマンはったらダチじゃ!」っていうので仲間が拡大していくのね。
中瀬 それまでは、本当のボスは仲間になってないですよね。ボスの手下でやってたけど実は騙されてた、殺されかけてた人間が、ドムに救われて味方になる。でもジェイソン・ステイサムはそういうプロセスなしに普通に参加していて。車いじりながらちょっと仲良くなったりとか。最後、食前のお祈り、お前まで手をつないでくるのか!っていう。
千浦 ヘレン・ミレン演じるお母さん出てくるし、ちょっとマザコンというか、母親に頭が上がらない様子が滑稽に描かれたりね。キャラがどんどん人間味や可愛らしさを出す方向に行っちゃって、ちょっと萎えるというのもわかります。
中瀬 『SKY MISSION』で最初に登場してきたジェイソン・ステイサムは、「この人、絶対強い!」っていうのが一発でわかったじゃないですか。アクションもすごくいいし、とにかく絶対強い、絶対勝てない男が出てきたって思ったのに。
小出 ところで、今回、家父長がファミリーから離れて、父親不在の集団が生まれたじゃないですか。あそこで、王位継承みたいなことが行われるのかと思ったら、それもなく、リーダーがいないまま、ミッションをそれなりに遂行しちゃいましたね。じゃあ、ドム、要らないのかな?って思っちゃうよね。ドムがいないとやっぱり、この集団は機能しづらいなぁとか、じゃあ、ドムの代わりの父親役は俺がやる!いや俺だ!では、どうぞどうぞとかあってもいいかなと想像しましたね。ともあれ、考えると、ファミリーって散々口にするのは、ドムとその彼女と妹と義理の弟ぐらいですよね。その他の人はまた違った関わり方なんですかね。
千浦 僕は今回、血縁ではないファミリーが、血縁の子どもの登場によって崩壊の危機を迎えるというのが、非常に現代的だと思いましたね。血縁の家族だけを大事にする話なんて、あまりにも単純すぎて、今の観客の感性には合わないと思うんですよ。最近公開された日本映画で『湯を沸かすほどの熱い愛』っていうのがありましたけど、あの作品のどんでん返し的なポイントのひとつは、子どもたちのためにすごく頑張る母親が主人公なんだけど、実は子どもと血がつながってなかったっていうこと。今求められているのは「血がつながっているから大切にする」っていうこと以外の、「血縁じゃない家族のことを考えよう」ということかもしれないと思うんですよ。
中瀬 「家族」ひとりひとりの役割も、ぐじゃぐじゃになってますよね。レティもいわゆる「闘う嫁!」っていうか(笑)。これ、他になかったかもしれないなあって思いますね。嫁はだいたい、守るべきものとして扱われて、人質になったりしますけど。
小出 今後、父権を継承していくっていうくだりはあるのかな。父親としての権利譲渡というプロセスの伏線になっていくんじゃないかなという気もします。
千浦 『ローガン』と一緒で、幕引きを考えるともう、ドムの殉死しかないですよ。『太陽にほえろ!』みたいな。「それでもファミリーは続く」っていう描き方で終わるしかない。
中瀬 あの、赤ちゃんが頑張るんじゃないですか? ブライアンっていう名前がついたし。
千浦 それと、元祖ブライアン(故ポール・ウォーカー)の息子が、コンビを組んで。
小出 ドムとブライアン、頭角を現していた人間が2人もいなくなったのに、今回、なんとなーくやれちゃってたじゃないですか。そこが残念だったなと思って。
中瀬 今回、ポール・ウォーカーが実際に亡くなったから、「今後はヴィン・ディーゼル主役で行きます」っていう宣言みたいな映画だと思ったんですよ。相棒の物語ではなく家父長の物語なのだということを、明確に打ち出してる。シリーズものとして「こういうノリで行きます」っていうことが、作っていくうちにどんどん方向修正されていっているんだなという気がしてて。
小出 先程も話しましたが、あの2人の違いで印象的だったのは、ドムには父親の思い出があるけど、ブライアンにはないところです。父親の思い出であるバーベキューを再現するドムと、父親の記憶のないブライアンの「家父長争い」は、父親の記憶の有り無しの段階ですでに終わったと僕は思った。ブライアンはライバルだけど、父親ってどういうものだろうという具体的なビジョンを持たないので、バーベキューを主催する人ではなく、準備を一緒にする仲間なんですよ。
千浦 彼らがレースで競り合うと、いつだってドムがちょっとだけブライアンより上なんですよね。かといって、全面的にヴィン・ディーゼル推しでは、今までの良さがなくなってしまう。それをわかった上での屈折というふうに僕には見えました。実の子どもができたことで、今までみんなで意志的に築いてきた「血縁じゃないファミリー」が崩壊の危機にある、という物語。このシリーズってざっくりしてるし、「うーん、巧い!」っていう物語ではないんだけど、でもちゃんと伏線があって、はっきりと面白いですよね。(続く)
【3】
『ワイルド・スピード』の作品群は、「勢い」と「練り」の相反する2つを併せ持つ幸福なシリーズであることはよくわかった。回を重ねるごとにハナシがデカくなっていく、というのもあちこちで見聞きする「ヒットしちゃったシリーズものあるある」だ。そこで大コケした例も聞くけれど、でもこのシリーズは、どうもそうじゃないらしい。「ワイ談」(千浦僚命名)第3回、公開です。
市沢 みんなに聞きたいんですけど、このシリーズは、他のアメリカ映画とは違うなという感じはするんですか。
千浦 「似た空気」はたぶんあるような気がする。たまたま同時期に『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー2』を観たんですよ。やっぱり疑似家族の話で。そしてこれもまた、本当の血縁関係ではなく、築いてきた仲間関係を選ぶっていう話なんですよね。
小出 作られた組織の形によって、映画って分類できるんだなと思いました。ヤクザ映画では「親分」「子分」の縦の軸で物語を作る場合もあるけど、「兄弟分」という横軸を重視した作品もありますね。あるいは、『ゴッド・ファーザー』なんかは、ファミリーの縦の軸で形としては前者の「親分」「子分」の組織形態に見えるけど、ヤクザ映画のように仁義ではなく、血の濃さが組織の結束の強さになったりしてまた違いますよね。あるいは、『リオ・ブラボー』なら、ジョン・ウェインはチームの家父長的な役割をやっているようで、実はお母さんみたいな存在でもありますよね。そういった観点から『ワイルド・スピード』は、それまでのアメリカにあったかもしれないけど意外と形作られていなかった集団を打ち出したからこそ、受けているのかなあと思ったりもしました。
中瀬 疑似家族っていうことを通してアメリカが抱えてる問題みたいなものが見えるなと思うのは、人種についてです。白人だけでファミリーを作るわけじゃない。黒人がいて白人がいて、アジア系がいてラテン系がいて、それらが混ざった状態で、疑似家族を作っている。ポリティカル・コレクトネスなのか、コンプライアンスなのかわからないですけど、アメリカ映画ってやっぱりそのへんを配慮しないといけないのかなと。ただ、「配慮しないといけない」と言いつつ、混ざってるとわかりやすいですよね。人種とか性別とかそういうものよりも、一緒に過ごしてきた時間が大事だみたいな。「友情、努力、勝利」(笑)。少年ジャンプの方程式に結びついているんだなと思います。(補註:白人と黒人のハーフで生まれて、父と会うことなく演劇関係者の義父のもと育ったというヴィン・ディーゼルの経歴もこの辺に影響しているのではないかと思います)
千浦 『スター・トレック』の世界観もそうだよね。アメリカの象徴みたいな混成チームで、でもそれこそがいいのだ、という。でも『ワイルド・スピード』はもうちょっと攻めてて、とにかく非・白人の世界の躍動を強く押し出してるじゃないですか。
中瀬 そうですね。今までは一番強いのは白人だったけど、……
千浦 もう、そうでもなくなってきてる。今回面白かったのは冒頭、ドウェイン・ジョンソンが随分コワモテに檄を飛ばしてて、何かの作戦が始まるのかなと思いきや、実は娘のサッカーチームのコーチだっていうくだり。あれって、ドウェイン・ジョンソンと娘のチームはいろんな人種の子がいるのに、相手方の女の子たちはみんな白人なんですよね。
中瀬 マオリ族の「ハカ」を見せられて「はぁ?」ってなってるっていうところですよね(笑)。非・白人推し。しかも、そんなドウェイン・ジョンソンがモテてる!っていうシーンですもんね。子どものお母さんたちが、みんな色目を使っているという。
千浦 「おいおい、熟女のギャラリーが子どもの数より多いじゃねーか!」っていう(笑)。タランティーノの「デスプルーフ」でもヒロインたちがロック様談義でキャーキャー言うところがあるけど、ドウェイン・ジョンソンってモテるところには猛烈にモテてる感じ。しかし、僕が言うのも何ですが、「ワイスピ」は、全世界の、頭髪方面が希薄になりつつある男性にとって、本当に勇気づけられるシリーズですね。ツルってる男がはじめはヴィン・ディーゼルだけだったのに、シリーズが続いてドウェイン・ジョンソンにジェイソン・ステイサムまで……。ハゲ増し=ハゲを励ます、これが裏テーマになってるような気がする。
市沢 なんか、どこかで聞いた気がする。「このシリーズでは、髪が長ければ長いほど悪い奴だ」って。
一同 (笑)
市沢 髪の短い奴は仲間だけど、長い奴は敵だって。
千浦 確かに、フサってる人は、まー消えていきますよね。
中瀬 最終的に、ハゲのみが生き残る世界。
千浦 高校野球か。…しかし、ポール・ウォーカーも毛がなければ怪我なかったのか……
中瀬 なんか、「アメ車対日本車」みたいな価値観の戦いがあるじゃないですか。ドムはアメ車で、ブライアンはスカイラインとかGTRとかで。あのへんの感覚って、車好きの中では「あるある」なんですか。
千浦 日本の車好きは、日本車の中で競い合っているから、「アメ車対日本車」っていう概念はなかったと思う。『頭文字D』にもアメ車って、ほぼ出てきてないですよね。だからこの映画の中で日本車の戦闘力が通じているのは、うれしいんじゃないですか?
市沢 ああ、うれしかったですけどね。なんか。
小出 でも今回はブライアンがいなかったから、日本車は出てきてなかったということ?
市沢 1ヶ所だけ出てきましたね。でもほとんどわからないと思う。
千浦 アジア、および日本テイストはちょっと後退してますよね。
——そういう変遷があるにしろ、長らくシリーズ化されるにあたっての、ポイントとか共通項ってありますか。
千浦 キャラクターでしょうね。マーベル・コミックもの映画なんかを筆頭に、「キャラクター重視の方が、展開できるな」っていうことに、映画界が舵を切っている気がするんだけど。
市沢 そうか。でも「キャラクター重視」って今までさんざん言われてる気がするんだけど、『ワイルド・スピード』は何が違ったんだろう。
千浦 適当な例えじゃないかもしれないけど、キャラクターじゃなくてずっとお話重視でやってきてて孤立してる、孤独に頑張ってるなと感じてたのは、M・ナイト・シャマランでした。でもシャマランはいま公開してる『スプリット』と次の作品で、キャラを横断させて旧作とつながる世界をやっていくみたいで、ああこの人もキャラクター重視方向に舵を切ったのかと思ったんですけど。
市沢 小川さんは、どうだったんですか今回。キャラクターとか車の概念がわかる人間からすると「こんなすげーことやってんだ!」っていう映画ですけど、それがない人には、このシリーズはどう見えるんですかね。
——まずテレビで『EURO MISSION』を観たら、2台の車が緊迫感たっぷりに正面衝突ギリギリで止まって、降りてきて睨み合った2人とも薄毛マッチョだったんです。
中瀬 (笑)
千浦 はい出た、その意見!(笑)
——で、基本的に、車も見分けがつかないんです。なので私には、見分けのつかない人たちが、見分けのつかない何かに乗って、戦っている映画でした。
千浦 あー。素晴らしい意見ですね(笑)
小出 欧米人が「アジア人の顔がみんな同じに見える」っていうのと同じことになっちゃいますよねぇ……。
中瀬 まあ、途中で裏切ったりもしますからね。キャラクターが多いから、初見で把握するのは難しいかもしれない。
小出 長く続いていて、キャラクターが功を奏している映画って他にありますか。例えば『スター・ウォーズ』ってどうでしょう?
千浦 でも『スター・ウォーズ』はシリーズとしての緊密さがそんなにないじゃん。出てくる人たちが、代替わりしてるから。同じメンバーで8作続いたシリーズって、最近だと何だろう。『X-MEN』ものとかを集めればそうなるのかな。
中瀬 僕は『007』シリーズが一番近いのかなって気がしてるんですけどね。ただ、チームでやるってことになると、『ミッション・インポッシブル』とか。ちょっとアウトローで生きてる人たちが集まってひと仕事する、みたいなことのひな型ってすでにあるでしょう。
小出 『オーシャンズ11』ってのも続きましたよね。
中瀬 古くは『七人の侍』もそうですよね。西部劇とかも。つまり『ワイルド・スピード』シリーズは、賢い作り手たちが、今まで受け取ってきた物語のひな型を研究して、「これは当たる!」っていう確信のもとに、ちゃんと作った映画だと思うんですよ。すごく研究して、すごくうまくいっている一例なのかなと。
小出 「ファミリー」っていうものが大きな要素だと思いますよ。日本でも、この映画はマイルドヤンキーの人たちに受けがいいみたいです。
中瀬 僕はTOHOシネマズ新宿で観ましたけど、それこそマイルドヤンキーが集まってて。前に座ってたお兄ちゃんが、映画始まる前に「たーのしみー、フォーー♪」って言ってて、うわ、すーーごいマイルドヤンキー見た! ドンキホーテみたいだここ!って思いました(笑)。そうか、こいつらはきっと、邦画だと『HiGH&LOW THE MOVIE』を観て、洋画だと『ワイルド・スピード』を観るんだ、なるほど!って思いましたね。
千浦 僕は『ICE BREAK』公開二日目にバルト9で深夜に観たんですけど、お客さんにキティちゃんのアップリケがついたスウェット上下のカップルとかがいました。
中瀬 そういう人たちが、シリーズ全作を通して観てるとは思えないんですけど。でも、ふらっと来ても観られる訴求力があるんでしょうね。
千浦 帰りにエレベーターで一緒になったスウェット&サンダルカップルの女の子がもう、すーごい面白かったみたいで、連れに「私もあんなファミリー欲しい!」って熱をこめて言ってた。
中瀬 いい話ですね。
千浦 真芯を食って主題が伝わってるなあ!と思って。ごちゃごちゃなにか言ってる僕らのほうが製作者にとって、間違った、望ましくない観客なんじゃないかとも。
市沢 「ファミリー」を推したい何かがあるんですかね、時代的に。今って何かにつけて、ことさら「ファミリー」を強調しませんか。今回、シャーリーズ・セロンがドムをちょっとそそのかしてたでしょ。「あなたはファミリーじゃなくてスピードを欲しているのよ」的な。『羊たちの沈黙』のレクター博士みたいに。
小出 それが何かの伏線かと思いきや、まったくブレることなく「ファミリー」だったね(笑)。
中瀬 あれはでも、いいせりふだなと思いましたね。その前も、ドムに対する禅問答みたいなのが、ちょいちょい出てくるじゃないですか。すべては選択の積み重ねなのだ、みたいな。あそこ、めちゃめちゃ気合い入れて撮ってると思うんですよ。たぶんセットなんですけど、ライティングがすごくいいんです。で、シャーリーズ・セロンがすごくいいことを言うところで、ちょうど飛行機が雲を抜けて、光が動いて。ここ、勝負かけてんな!って思いました。
小出 それはやりすぎかなー。それと、切り返しの際のアップのサイズがデカかったなあ。
中瀬 撮影監督が、「5」からずっと同じ人なんですよ。その人は、ずっとあのサイズです。で、僕は『MAX』が一番好きなんですけど、『MAX』の撮影監督が一番うまいんです。それ以降は、最近のハリウッドだな!っていう感じなんですけど。でもやっぱりカットバックとかを、人の動きに合わせてカメラも動いて絶対に肩なめで撮り続けてるのとかを観ると、丁寧でいいなって思います。
千浦 うん、そういう話が、聞きたかった!
市沢 ちゃんと、映画として、作り込まれてるということですよね。
中瀬 そうですね。
千浦 どうしても意識が、意味とかストーリーとかに拡散しがちだから、そういうところを聞きたかったね。
中瀬 そうですね、いろいろ、話すべきことが多すぎますね。(続く)
【4】
話はさかのぼって、この日の集合時間のこと。一番最後に現れた千浦さんが紙袋を持っていて、その中にはワイスピ後半作と関連作のDVDがぎっちり入っており、帰りに、とても気前よく、編集局長にもろもろ貸してくれたのだ。座談会を終えてから、俎上に上がった作品を1本ずつ観る。ひとりで無理矢理観るよりずっと盛り上がる。そうだ、これはひとりで観る映画じゃない。ヤローどもとわいわい観る映画だ。次回作公開時には「みんなで観る」企画をやろう。映画館に集合して、みんなで観て、語ろう。
千浦 VFXと、本当に撮っている部分との混ぜ方が絶妙で、「全部本当に起こってることとしか見えない」っていうのを全力で頑張って今ここまで達成できてるっていうのが、この映画、このシリーズだと思うのね。あんまり嘘くさかったり、CGにしか見えなかったりしたらダメだから。
中瀬 やっぱり毎回、街ロケしてるのが大きいんじゃないですか。巨大な金庫を引きずって走るのも、街でちゃんとやる、っていうのがえらいなって思う。そこで生々しさが出ますよね。あと、シリーズで共通して言えるのは、追いかけられてる車をどうやって止めるかっていうアイデア対決。街のものをうまく使って、小ネタを出してくる感じが、毎回うまいし、面白いですよね。
千浦 ただの追いかけっこで速いか遅いかじゃ絶対ない。赤外線追尾ミサイルを車で誘導して潜水艦にぶち当てて勝ち!みたいな。また、「これがこう来てこう持ってきてこう」っていうクライマックスが、象徴的な意味を孕んでいたりする。今回の『ICE BREAK』で言うと、あれだけ大きな爆発を前にしたらドムが焼け死にそうになるけど、みんなが一斉に盾になって守るじゃない。『SKY MISSION』だと、ブライアンを死なせないっていうのが強調されてたし。
中瀬 それを、言葉を交わさない感じでやるのがかっこいいですよね。
小出 今まではドムがみんなの命を救っていたけど、それが逆転したのが今回の一番面白いところだと思う。しかもそれを、せりふじゃなくて画で見せてるっていうね。あの引っぱり合いのシーンも印象的ですよね。それぞれが、それぞれの車で、四方八方からドムの車を引っぱるという。
千浦 みんながドムを引き留めようとしてるというね。
小出 みんなで一方向から引っぱった方が絶対早いと思うんだけど(笑)。
千浦 前後から挟んで止めればいいじゃないかって思うけど(笑)、でも、ファミリーのメンツが絆を結ぼうとし、ドムは断ち切ろうとすることの絵面としてはやっぱりあれがいい。
小出 みんなが「僕のお父さんだー!」って言ってるみたいな。
千浦 大岡越前が子どもを取り合う母親を裁くやつみたいだったね。「あいや、子が痛がるを見て、先に手を離すがまことの母親!」。でもまあ、車が擬人化されてるんですね。彼らの身体の一部。車の選択から、ドライビングの仕方まで、それぞれのキャラクターを象徴していて。
小出 それに、このシーンは先程千浦さんが語っていた、爆風からドムを守るために、ドムの周りを盾になって囲むこのと対になるいいシーンですよね。ともあれ、やはり映画観た帰り道で、マネしたくなるもんなんでしょうね。
中瀬 「マネしないでください」っていうメッセージは流れますけどね。
千浦 その都度映画館で、「しねーよ!」って客席から笑いがでるんですけども。
市沢 何でしょう、いまだにこういう話ができるのって、やっぱりアメリカ映画なんですかね。
中瀬 日本映画でこういうシリーズものがなぜ出てこないんだろうって思いますけどね。同じシリーズで監督が替わるみたいなことも、ないじゃないですか。『男はつらいよ』が新人監督の登竜門になればよかったのに、って思うんですよね。「お前、今度寅さんやってみないか?」って。
千浦 ああ。それ、すごい。「ホラー界で新機軸を打ち出した清水崇さんの『男はつらいよ 寅次郎呪いの館』」みたいな。それは観たいな。
市沢 それは、ヴィン・ディーゼルの作家性ってことなんですかね。監督が替わっても、揺るがない何か。
中瀬 チームの中に、すげー頭のいい人たちがいるっていう印象がありますけどね。
千浦 次とか、どうなるのかな。いよいよ中国ロケじゃないかな。違うかな。
中瀬 僕は最近、仕事でフィリピン・ロケに行ったんですよ。カーアクションと、バイクのアクションが多かったんです。で、高速道路の片側を封鎖できると。爆破とかも、街なかでガンガンできると。僕は芝居を撮る「Aユニット」だったんですけど、その間、「Bユニット」が地道に車を撮り続けているんですね。で、やっぱり、車の撮影ってめちゃめちゃめんどくさいんですよね。ひとつのセットアップに対して、撮れるカットが少ないけど時間がかかる。そこにアクションを混ぜるとなると、単純に大変なんです。相当お金をかけた映画でしたけど、その予算規模の何倍分も、手間暇がかかってると思います。
——このシリーズにおける、女性像についてもお聞きしたいです。
中瀬 今回なんか、敵ボスは女性ですからね。さっき話に出た筋肉ハゲ問題で言うと(笑)、レギュラー陣に筋肉ハゲが増えすぎちゃったから、バランスを取るためにシャーリーズ・セロンを置いたのかなと思いました(笑)。
小出 お母さんが出てこないから、女性はそんなに気が利いた描かれ方はしていないですよね。ドムが言う「家族が大事」を復唱してるだけの妹とか。だから、レティがお母さんになったら、何か変わってくるかもしれないですね。お父さんとの対立もあるだろうし。
中瀬 何らかのグループが出てくると、必ず女性を入れようとしているんですよね。それが、アメリカ映画が抱えるポリティカル・コレクトネス的な配慮に終わってる気もするんですけど。
小出 うん、そこが残念だよね。もっと、ありそうだけどね。
中瀬 そうなんですよね。人種については、さっき言ったように、うまく行ってる気がするんですね。でも女性に関して言うと、もっといろいろできるだろうと思う。
小出 そもそも「車なんか何が面白いの?」っていう視点があってもいいと思うんだけど(笑)。
中瀬 ドライビング・テクニック至上主義のお話だから、女性でも対等に戦えるのかなって思ったんですよ。技術があって、立派なエンジンを詰めば、互角に戦える。それがだんだん、レティも格闘家と取っ組み合うようになってきて、近作はちょっと萎えるんですよね……
小出 そこも、女性ならではの戦い方があるかなあと思ったら……
中瀬 ない!
小出 ないよね。男性の方は全員、戦い方からキャラを立ち上げていますよね。
中瀬 そうなんですよね。特に、ジェイソン・ステイサムのアクション。『ICE BREAK』で言うと、脱獄するところですよね。ドウェイン・ジョンソンはパワープレイで突き進むんだけど、ジェイソン・ステイサムはものすごく機敏で、しかも何がすごいって、ジェイソン・ステイサム本人がやってるっていう。
千浦 ドウェイン・ジョンソンとの見え方に違いをつくるために、敏捷さをアピールしたパルクール・アクションをやってる。ジェイソン・ステイサムは単体で別の映画に出てれば豪傑キャラのアクションで通るひとなんだけれども。
中瀬 この映画に出てくる人たちのえらいところは、ほんとにアクションできる人たちがやってるんですよ。ちょっとしたアクションにしても、日本の俳優さんはみんなアクションができないので、アクション監督も「いかにごまかすか」勝負になっちゃうんですよね。『図書館戦争』に関わった知り合いから聞いた話では、岡田准一はめちゃめちゃできるんですよ。スタントマンレベルで行ける。となると、顔を映してもいいので、撮れるカットが格段に増えるんですよね。ワンカットでもいい。寄りでも引きでもいい。『無限の住人』とかはなんか、いろんな人がぐじゃぐじゃしてるだけじゃないですか。
千浦 みんな割りと、ぼーっと立ってるだけでね。キムタクは佐藤健のようには走れないし。
中瀬 そう、『るろ剣』はそういう意味では立派だったと思うんですけど。
千浦 こういう話を載せたい。
中瀬 役者の身体能力って、本当に大きいんですよ。『マトリックス』のキアヌ・リーヴスもそうですよね。アメリカ映画が「ちゃんと全部見せるぞ」っていう方向へシフトしたのは、やっぱり『ボーン』シリーズからですかね。めっちゃカット割ってるんだけど、何をやってるかがすごくよく見えるじゃないですか。日本にもできる人たちはいるけど、やっぱりそういう映画を観てしまうと、次元が違うなと思ってしまいますよね。
——そろそろ、中瀬くんが次のお仕事へ行かねばなりません。言い残したことがあればぜひ。
千浦 あら。
小出 ……『ICE BREAK』の話をあんまりしてない気がするけど。
一同 うーーーん。
市沢 氷越しに車が見えたカットがすごくよかったです。
小出 ああ、下からね。細かいですよね。何千万かかってるんだろう。
千浦 あれ、CGじゃないの?
中瀬 俺、CGだと思いますよ。
小出 CGだったらもっとクリアに見せるでしょう。えらく、くぐもってるなあと思いながら観たんだけど。
中瀬 ……っていう、そのへんがうまいんじゃないですか、この映画は。あとほら、赤ちゃんの芝居も。
一同 あーー。
市沢 赤ちゃんが1人参加してるだけで、映ってないけどこの敵キャラ集団の中に「おむつを替える人」がいるんだよなあ、って思っちゃう。
小出 (笑)
中瀬 赤ちゃんのカットは、ちゃんとジェイソン・ステイサムの肩なめで撮ってるんですよね。たぶんフルCGとかじゃなくて、赤ちゃんの表情をたくさん撮りためて、そこからマスクを切り抜いてるんじゃないかという気がしました。
市沢 確かに、めっちゃうまかった。
千浦 うん。タイミングすげーなと思った。
中瀬 エンドロールで3人ぐらい、名前が出てましたよね。おむつのCMとかでも、何人も待機させて撮りますからね。
市沢 そうなんだ。お母さんと一緒に待機を。
中瀬 そうです。オーディションをしてね。こちらがやらせたいことを、してくれるかどうか。
千浦 うん、そういう話が聞きたかったんだよ!
中瀬 あと、言い残したことで言うと、シーンバックのうまさ。同時多発感。まず潜水艦の中に入っていくチームがいて、外で止めるチームがいて、一方その頃ドムは、一方その頃シャーリーズ・セロンは、っていう中で緊迫感が持続しているじゃないですか。
千浦 その同時感を、全然見間違えないよね。
小出 シーンバックって並行モンタージュのことですよね。僕としては、潜水艦とやりあっている車たち/ドムの実子の救出作戦をするジェイソン・ステイサム/その救出を待つドムの並行モンタージュに同じ速度で時間が流れているような感覚がなかったなぁ。車の疾走感が強く残るからですかね。
中瀬 このシリーズにおけるシーンバックって、チームの一人ひとりが別行動するようになってから進化したと思うんですけど、それって単純に、それぞれが車っていう個別の空間の中にいるから必然的にシーンバックを描かなきゃいけない宿命があるからなんじゃないかと。で、車に乗ってない人間とのシーンバックも、僕はうまくいってると思いました。それぞれの個性を生かして、「こいつはパソコンなんだ」「こいつは肉弾戦なんだ」「こいつは文字が読めないんだ」っていうのでわちゃわちゃしている感じ。
一同 (笑)
千浦 個別の空間だからこそ、無線でのやりとりが効いてくるんだなあと思った。70年代の車ものでも、無線あるいはラジオが重要なアイテムになってた。むちゃむちゃ感動的だった、『バニシング・ポイント』のラジオに、『ダーティーメリー、クレイジーラリー』(74年)の無線という道具立て、あれがもう標準装備になってる。
中瀬 あと、シリーズを通して、カーナビがどんどん進化してますよね。今「1」を観ると、移り変わりが激しくて。最先端のテクノロジーにちゃんと敏感だなと思います。
千浦 だって、1作目から17年越しだもん……!
市沢 映画美学校とそんなに歴史が変わらないじゃないですか!
一同 (笑)(2017/06/7)
市沢 私は、「2」と「3」(『TOKYO DRIFT』)を観ました。
千浦 「2」が2003年。「3」が2006年。
市沢 そうです。その後仕事が忙しくなって、映画自体をそんなに観れてないんですが。だからだいぶ間が空いて、今回『ICE BREAK』を観ました。何というか……『ワイルド・スピード』って、もっと、小さい話だったじゃないですか。
千浦 そう! えらくデカい話になっちゃったよね。
市沢 読まなくなった連載マンガを久しぶりに見たらすげーことになってた!みたいな。『魁!! 男塾』ってこんなトーナメント制だったっけ?みたいな(笑)。
千浦 硬派学生の学校内の話かと思ってたら、世界最強を賭けて、段々増えてきた仲間と共に1チーム十六人とかで闘っているみたいな……。
市沢 すごい規模感が増しているっていう。『ICE BREAK』もそんな印象で観たんですが、でもむちゃくちゃ面白かったですね。予告編もまるで観なかったので、全っ部楽しめた。
中瀬 僕は「3」をリアルタイムで観て、その後は市沢さんと同じく間が空いて、『SKY MISSION』を観て、まさに「こんな話だったっけ?」状態になり。今回最新作が公開されるにあたって、ちゃんと見直そうと思って「1」から『SKY MISSION』まで全部観て、予習バッチリの状態で『ICE BREAK』を観ました。
——何日ぐらいかけて観たんですか。
中瀬 2日ですね。1日4本ぐらい。
千浦 いいねえ。幸せそうだ。
中瀬 幸せな2日間でしたね。1本の映画がハリウッド超大作シリーズに育つまでの過程を把握した感じです。
小出 僕は「1」から「3」までを観てなかったんですよ。でも何かの機会に黒沢清さんに「『TOKYO DRIFT』凄いよ、観てないの!?」って冷笑されて、それで「1」「2」「3」をレンタルで観ました。そこからは劇場で全部観てます。
市沢 黒沢さんの、いつものテだ(笑)。
小出 あの時、黒沢さんに「何が凄いんですか」って聞いたら「渋谷のスクランブル交差点でカーチェイスしてるんだよ!」って言われたのを覚えています。
中瀬 この間仕事でご一緒した、黒沢さんの作品に多く就いてたベテランの助監督さんに聞いたんですけど。『回路』の無人の街は最初、スクランブル交差点でやりたかったそうなんですよ。何日か、みんなで視察に行って、「……できないよね」っていうことになって。そこで黒沢さんが「みんな、フィックスならできるって思うでしょう。でも、(カメラが)動いたらハリウッドを超えられるよ!」って言ってたらしくて。その言葉がみんなに火をつけて、「もしかしたら朝の銀座ならイケるかも!」っていうことになったって。
小出 『回路』ってことは『TOKYO DRIFT』より前の話だ。じゃあ口惜しい思いがあったんですね。
千浦 なんだろう、妙な感じですね。黒沢清が『TOKYO DRIFT』を推す、というのは。
小出 ともあれ絶対黒沢さんより暇なのに、黒沢さんより今どきの映画を見ていないのはまずいと思いましたね。
千浦 僕は自然に、ずっと観てます。何しろ01年の1作目に感心したんですよ。古典的な潜入捜査の刑事もので、しかも70年代ぐらいにあった車もの映画の現代版をちゃんとやってる。00年には74年の『バニシングin60』をリメイクした『60セカンズ』があり、03年には『ミニミニ大作戦』が(オリジナルは69年)あったからそういう流行の一本だと認識してました。あと、『ワイルド・スピード』の原題 The Fast and the Furious はロジャー・コーマンのキャリア初期製作作品に由来してると思ったし。うまいことやってるなーと思って感心してたら、どんどん続編が展開していって、まさかこんなに続くとは(笑)。特に『TOKYO DRIFT』って——『仁義なき戦い』が一番例えやすいと思うんだけど——主要登場人物が出てこない「広島死闘篇」みたいな感じじゃないですか。この一本は菅原文太じゃなくて北大路欣也が主演になってるという。そこで、ハン(サン・カン)っていうアジア人の名キャラクターがラスト、事故で死ぬんですね。それをやりくりするために、後の作品では時制をちょっと変えてる。つまり、こいつ東京で死ぬんだなってことがわかってるキャラクターが物語に出てくるわけで、あれはヘンだった。あと、『MAX』とか『MEGA MAX』ぐらいの頃の、「これが最終作か?」と「この後も物語があるかもしれない」とがあやふやな感じが楽しかった。
小出 『MAX』のラスト、皆が三々五々別れていくところで、ハンは「すぐにではないけど、いずれは東京に行くよ」とジゼルに言って、確かその際にはドイツへと向かいますね。とすると、シリーズ3作目『TOKYO DRIFT』の前日譚である『MAX』の後さらに数作『TOKYO DRIFT』の前日譚が続くのだと思わせる仕掛けがありますね。
千浦 そうそう。その終わりそうだった時期以降も、ずっと楽しくて、いつも満足して観てますけど。
市沢 「2」とか「3」のあたりって、日本車がアメリカで結構流行ってたらしくて。欧米の人から見ると、たとえば「2」に「三菱・ランサーエボリューション」が出てきますけど、「こんなに性能が良くて速い車を、こんな安く売ってるのか!」「日本車、やべー!」みたいな感じが(作り手の中に)たぶんあって、日本車がいわば悪役的な立ち回りをするんですよね。結局、物語の中で最終的に勝つのはアメリカ車じゃないですか。「日本車やべー!」「じゃあ戦わせて映画にしよう!」みたいな勢いを感じたんです。
小出 車に詳しくないのでわからないんですが、「ドリフト」っていう技は日本人が開発したんですか?
市沢 そうなんじゃないですかね。
千浦 土屋圭市がゲスト出演で出てる。ドリフトってほんとに速いのかっていう説もあるみたいですけど、たぶん『TOKYO DRIFT』って和魂洋才というか、自分の力を制御できないアメリカの不良が日本に来て「回転数を落とさずに制御する方法を学びました!」っていう映画でしょう。最強の車を、日本車とアメ車を混ぜて作るとか。
小出 ドリフトをするカーレースっていうのは、それまでの映画ではなかったことなんですか。
千浦 ないことはないと思うけど、「ワイスピ」のレースって、テクニカルじゃなくてパワー推しじゃないですか。
中瀬 ニトロ積んで、カチッと押すタイミングで勝負が決まるみたいな。そこの駆け引きですよね。
千浦 あと、カーレースを映画でちゃんと描くことの難しさっていうのがあるんじゃないですかね。結局ド派手な、構造的なアクションになってるところはあると思います。CG混ぜたり、いろんな技術を重ねてそれを表現している。
——素朴に質問なんですが。あれらのカーアクションたちはどの程度、街々を通行止めにして、本当にやっているんでしょう。
中瀬 お答えしましょう!
千浦 おおっ!
中瀬 『TOKYO DRIFT』をやったグリップ・チームの人にいろいろ話を聞いたんですね。あれは、ちゃんと、通行止めにしてます。ただ、日本でやってないシーンも多いです。それらを混ぜて使うんですね。そもそも許可が出ないので、まず下絵を撮って、合成ではめて。——ちょっと話が戻るんですけど、僕も最近、ある映画の現場で、無人の渋谷スクランブル交差点を撮らなきゃいけなかったんですけど、めちゃめちゃ難易度が高いんです。『TOKYO DRIFT』凄いな!って思うのは、「ここはちゃんと撮るべき!」っていうところをちゃんと撮ってるんですよね。お金と時間のかけ方がまるで違う。
小出 『ICE BREAK』では、タイムズスクエア辺りを疾走してましたね。
中瀬 通行止めにして撮ったものと、似てる道で撮ったものとを、うまく混ぜてるんだと思います。グリーンバックも混じえながら。でも普通に映画観てる分には、わからないですよね。今回ので言うと、冒頭のキューバのレースシーンの最後で車が燃えて跳ぶじゃないですか。その途中のカットはたぶんCG。でも、落ちてるカットは、たぶんほんとに落としてますね。カット割り的に言うと、道から撮ってるのは実際に撮ってて、空撮っぽいスローモーションとかがCGじゃないかなと思います。
市沢 車が好きな人からすると、「こんなにぶっ壊すのか!!」って思うよね(笑)。
千浦 しかも、お高いものを(笑)。
中瀬 車好きの人がテンション上がるシーンっていうのが、シリーズ通してありますよね。たくさんの車を前にして「俺、これに乗る♪」ってキャッキャするじゃないですか。あと、車をチューンナップするシーン。当然の作法として、車についての知識がちゃんとある。僕は全然わからないんですけど。
千浦 あ、私、免許持ってません。
市沢 僕も、免許ないんで。在宅派ですよ。
千浦 在宅派(笑)。でも、市沢さんは広大な青森の地でアメ車と共に育ったお家柄だからね。
市沢 リンカーン・コンチネンタルの上に座ってる、赤ちゃんだった兄貴の写真がありますね。もともと看板屋だったんですけど、父親の車好きが高じて、中古車のディーラーになって。だから子どもの頃は、家は貧乏な借家なのに、何ヶ月かに1回、家族で乗る車が変わるんですよ。超ボロい車から、軽自動車とか、中古のベンツまで。
小出 おお!
千浦 陸送もしてたっつーから、たぶんここのお父さんは『バニシング・ポイント』(71年)のコワルスキーみたいな人ですよ。
一同 (笑)
市沢 これは車に関わってる人特有だと思うんですけど、仲間とのコネクションが、そんなにデカくないんですよ。街の中の小さなコネクションの中だけで何かが行われていく。その小ささをこのシリーズにも感じて、かすかに共感するんです。
千浦 ひょっとしてバーベキューやってたんじゃないですか。
中瀬 食前にお祈りをしてね。
小出 『4』でブライアンが子供を授かりますね。それを知った直後に、自分が父親になるなんて不思議だとドムと二人っきりで話すところがあるのですが、ブライアンは父が早死にしたために父親の記憶がないんです。一方ドムは、父親の思い出ならいくらでも言えるというのです。その際に最初に出てきたのが、ドムの父親は日曜日の教会の後に集った隣人たちとバーベキューをするというエピソードでしたね。ドムの父親像は端的にみんなを集めてバーベキューを主催する人なんですよ。
市沢 うちはバーベキューはしなかったですけど(笑)、「ワケのわからない友人がいる」っていうのはありましたね。定期的に父親の友人が出入りする感じ。
千浦 お父さんが知らないおじさんを拾ってくるんでしょ。働き手として。
中瀬 ああ、それはすごいですね。
市沢 いきなり父親が「これからお前たちに、事故というものを体験させてやる」って言い出して、兄貴と車に乗せられて、時速5キロくらいで大木にぶつかって「怖いだろ、これが事故というものだ!」って。
千浦 ね。だから僕の中で、市沢さんのお父さんは青森のドミニク・トレット(ヴィン・ディーゼル)ですね。
中瀬 じゃああの、レースの前にいろんな車がいっぱい並んでて、ボンネット開けてエンジンの仕組みを見て、「これはどこどこの何たらを載せてるんだ」「おおー!」みたいな文化は実在するんですか。
千浦 実在するんじゃない?
中瀬 レースに互いの車を賭けるとか、「クルマ至上主義!」みたいな世界観が僕にはほんとに謎で。『TOKYO DRIFT』まで、それがとても色濃いですよね。日本の高校生、クルマいじれるの当たり前!みたいな世界観。『MAX』あたりから、レースすることに必然が出てきて、「クルマ至上主義」じゃなくなってくる。
市沢 そういうのを削っていくに従って、シリーズが一般受けするようになっていったんだろうな。
中瀬 そうですよね。僕が、わかりやすく乗れるなって思えたのは、そこからなんです。「この人たちはクルマがすべてなんだ!」っていうことをまず理解する、というプロセスを踏まずに、物語に入り込めたのは。フェティッシュがどんどんなくなっていって。でもそうなっていくことって、車好きの人たちにとってはどうなんだろう。
千浦 うん。その濃さがなくなっていったことを、嘆いてる人たちもきっといると思う。(続く)
【2】
編集局長(筆者)は女子校育ちなので、10代の男子が何にきゃいきゃい言っていたのかを直接的には知らない。小学校すら男女別クラスだったので、「スーパーカー消しゴム」も「キン肉マン消しゴム」も具体的にはノータッチである。あのとき相まみえることのできなかった男子たちが、大人になるとこんなふうになるのだなあと、ぼんやり思ったりしたりしなかったり。「ワイスピ」座談会、略して「ワイ談」(千浦僚命名)、第2回です。
中瀬 たぶん、この展開は予期してなかったんじゃないかなと思うんですよ。いつから、こんなに続編をやるっていうふうに作り方を変えたんだろうなと思って。
千浦 話の持っていき方を工夫してるけど、やってる人たちはギリギリだった時代が、たぶん「3」「4」「5」(『TOKYO DRIFT』『MAX』『MEGA MAX』)あたりにあったんじゃないかな。
中瀬 『MEGA MAX』で、今までのキャラクターたちがわちゃわちゃ出てきて、いきなりパソコンをめちゃめちゃ使えるようになってたりとか、いつのまにかものすごく腕っぷしが強い人たちになってたりとかするじゃないですか。お前らただの「運転がうまい人」じゃなかったっけ?? っていうギャップがありましたよね。急にキャラが変わって、「ここからはシリーズもののエンターテイメントをやります!」っていう宣言みたいに見えました。
千浦 そうだね。『MAX』と『MEGA MAX』の飛躍は、たしかにあったね。
小出 『ICE BREAK』で、ドムの元カノが出てくるじゃないですか。ぼくは、ドムが知らぬ間に遺伝的な父親になり、その枷でいままでのファミリーと敵対関係になる件までの大まかな流れが「4」の段階でできてたんじゃないかと思うのです。
千浦 いや、先々のことは考えてないと思う。
小出 そうかなぁ。僕は各作品のアクションのアイデアも去ることながら、シリーズを通してのグランドデザインをもっていたことにすごく感心しましたよ。デカいなと。
中瀬 どこから考えてあったんだろう、って毎回思うんですよ。でも、都合が悪くなったら退場させるんだ、っていうのも感じますよね。
千浦 そして、やっぱりまた出した方がいいなと思ったら、生き返らせる。『魁!! 男塾』方式。あてにならない「王大人(ワン・ターレン)、死亡確認!」。あるいは「男たちの挽歌」方式として、そろそろサン・カンの双子が登場してもいいんじゃないかと思う。
中瀬 (笑)。今回殺された、ドムの元カノのエレナ(エルサ・パタキー)は、当初ドムとは付き合ってなかったじゃないですか。『SKY MISSION』の時につきあうようになったわけだから、僕もたぶん、先のことは考えてなかったと思います。
小出 いやぁ、ドムを取り巻く大きな流れは「4」からあったように思いますよ。疑似家族の中でいよいよ家父長らしくなるのだけど、と、その矢先に知らぬ間に遺伝学的にもお父さんになっていたってのは、ある程度考えてたんだと思うんですよね。そのために、レティ(ミシェル・ロドリゲス)と関係を一度解消し、別の女性と関係をもつ必要があったんですよ。
千浦 そうかな。そのためかな、ミシェル・ロドリゲス退場は……
小出 だって、絶対復活させる形で殺されてますよね。死体は画面に出てこないし、目撃したとされる人の証言でも「顔が燃えてて見えなかった」って言ってる。あえて顔を見せずに死んだことにしたんですよ。
中瀬 『MAX』でレティの死をドムが確かめる場面、演出がめっちゃ冴えてますよね。レティの死を知らされたドムが、現場に行って、レティが殺される瞬間の幻影を見るところ。道路に残されたタイヤ痕をきっかけにして現在と過去が同一画面で進行していく。そこから葬式のシーンに行くんですよね。その葬式を、ドムが遠くから見てる。その人物配置と画面のつながりが、めちゃめちゃうまいんですよ。ここが、このシリーズの演出のピークだな!って思うくらい(笑)。
小出 『MEGA MAX』で、強奪を予測して、自分たちでセットを作って、車を何回も何回も走らせるシーンがあるじゃないですか。
中瀬 どうやっても監視カメラに残ってしまうというくだりですね。
小出 ぼくは、走ってる人を見てる人たちのわちゃわちゃしている感じが好きなんですよね。
千浦 お互いの腕試し、みたいなところね。
小出 気心しれた俳優さんの開いている感じをグループショットで上手に拾っていますよね。うまいなあジャスティン・リンって思った。その点で『ICE BREAK』はちょっと心配だったんですよ、監督が変わってしまって。
中瀬 なんか、よそでうまくやった監督をいっぺん試してみるか、みたいなシリーズになってきましたよね。ジェームズ・ワンの起用なんか、特にそんな印象を受けます。『ミッション・インポッシブル』もそうですけど。
千浦 監督が変わっても、大筋の雰囲気が崩れないからすごいよね。
小出 今回、ちょっとだけケチをつけるとすれば、敵が車を遠隔から自動で動かしてしまいますね。あれがなんか寂しいなと思ったし、この映画世界で起きてはまずいことが起こっているとヒヤヒヤしました。カーアクションの面白さのひとつは、観客である一般の人間が自力で操縦できる、一番デカいメカを、スターたちが自在に操る奔放さにあるんだと思うんです。いつもは道交法に縛り付けられているけど、彼らはそこから自由になっていて、いろんなアクションを見せてくれる。そこに爽快感がありますよね。しかし、それを遠隔で、人間の手を介在せずに動かしてしまうというのは、ああ本当にこの人たちはこの映画世界が顕揚する車への愛情がないんだなと思って寂しいし、敵対するキャラとしてはすごくまっとうな有り様かとも見えるのですが、この映画世界にそういう人がいていいのかと落ち着かない感じがありました。
千浦 悪いよね。あれこそが、ワイスピワールドにおいて、シャーリーズ・セロンたちがほんとに悪い奴らだっていうことの証明なわけですよ。絶対、主人公集団と相容れない思想。おい、どうしたんだシャリセロ、「マッドマックス 怒りのデスロード」であんなに車と結びついてたのに、っていうね……
小出 ともあれ、一般人が動かせる最大のメカである車を自分の体で自在に操ることが楽しいんだねという当たり前が、敵の出現で改めて見えてきた次第です。
千浦 シャリセロが「ゾンビ・タイム!」って言うところね。
小出 そう、ゾンビなんだよね! 人じゃないんだ!っていう。
千浦 過度のテクノロジーとか人間不在感、「オートメーション・バカ」化することは、このシリーズの世界観では敵ですよね。『SKY MISSION』のクライマックスも、ドローンとの戦いだし。国際犯罪組織の武器商人の必殺兵器なんだけど、「俺らはストリートの人間だし、地元の利がある!」っていうことで戦うでしょう。今回のクライマックスも、相手方が潜水艦って、それはもう戦力のバランスから言ってこちらが車である必然がないんじゃないかと思うんだけど(笑)、主人公たちは車にこだわるんだよね。
中瀬 そのへんをわかってやっていたのが『SKY MISSION』だったと思うんですよね。「いいか、車は空を飛べない」っていうのが、なんていいセリフだろう!と思って。
千浦 冒頭でブライアンが子どもを遊ばせる時に言ってるんだよね。子どもがおもちゃの車とか投げてて、それに対して「車は飛ばないから」って言ってる、それに対してアゼルバイジャンでは車ごとパラシュート降下するわ、ドバイでビルからビルに飛ぶわ、飛びまくりのスカイ大作戦。……あっ、ところで余談ですけど、原題とは違う邦題ってうまくいかないことが多いけど、このシリーズでの『SKY MISSION』とか『ICE BREAK』とかは、直訳のふりをしながら、ぎりぎりまで真面目に考えられたタイトルだと思いますね。『ICE BREAK』って、クライマックスの潜水艦との戦いを指しているのと同時に、懐かし80年代サイバーパンク小説、ウィリアム・ギブソンの『ニューロマンサー』なんかでハッカーがセキュリティシステムを破るのをそう言ってたのにもかけてあるみたいで、本当にちゃんと考えられてるなあと思います。
小出 もうひとつ言うと、『MEGA MAX』までは狙いがお金でしたけど、それ以降はお金じゃなくなったんですよね。だからタイトルも「MISSION」としている。
中瀬 みんな、犯罪者じゃなくなっちゃったんですよね。無罪放免のセレブたちが集まってミッションを果たす。
市沢 そうだね。だって目的が、自己顕示だもんね(笑)。シャーリーズ・セロンが、何のためにこういうことをやっているのか聞かれて「私の存在を知らしめるため」って言うじゃないですか。
中瀬 「川辺のワニ」って言いますよね。せりふとして、すげーだせえなって思うんですけど。
一同 (笑)
中瀬 でもそれを、ちょっとかっこよく言うじゃないですか。シャーリーズ・セロンってやっぱうまいんだなあって思っちゃいました。だから今回、シャーリーズ・セロンが最後、逃げてくれたことが僕はうれしくて。
千浦 続くね、あれは。
中瀬 そう、「続いた!」って思って。今回、乗れなかった人っていうのが実は周りにわりといて、その理由としては「お前まで仲間になるのか」感、だったようです。
千浦 ああ、ジェイソン・ステイサム。
中瀬 ジェイソン・ステイサムまで仲間になるっていうのが、『ドラゴンボール』じゃないだろう!と。
千浦 あと、ヤンキー漫画のセオリーね。「タイマンはったらダチじゃ!」っていうので仲間が拡大していくのね。
中瀬 それまでは、本当のボスは仲間になってないですよね。ボスの手下でやってたけど実は騙されてた、殺されかけてた人間が、ドムに救われて味方になる。でもジェイソン・ステイサムはそういうプロセスなしに普通に参加していて。車いじりながらちょっと仲良くなったりとか。最後、食前のお祈り、お前まで手をつないでくるのか!っていう。
千浦 ヘレン・ミレン演じるお母さん出てくるし、ちょっとマザコンというか、母親に頭が上がらない様子が滑稽に描かれたりね。キャラがどんどん人間味や可愛らしさを出す方向に行っちゃって、ちょっと萎えるというのもわかります。
中瀬 『SKY MISSION』で最初に登場してきたジェイソン・ステイサムは、「この人、絶対強い!」っていうのが一発でわかったじゃないですか。アクションもすごくいいし、とにかく絶対強い、絶対勝てない男が出てきたって思ったのに。
小出 ところで、今回、家父長がファミリーから離れて、父親不在の集団が生まれたじゃないですか。あそこで、王位継承みたいなことが行われるのかと思ったら、それもなく、リーダーがいないまま、ミッションをそれなりに遂行しちゃいましたね。じゃあ、ドム、要らないのかな?って思っちゃうよね。ドムがいないとやっぱり、この集団は機能しづらいなぁとか、じゃあ、ドムの代わりの父親役は俺がやる!いや俺だ!では、どうぞどうぞとかあってもいいかなと想像しましたね。ともあれ、考えると、ファミリーって散々口にするのは、ドムとその彼女と妹と義理の弟ぐらいですよね。その他の人はまた違った関わり方なんですかね。
千浦 僕は今回、血縁ではないファミリーが、血縁の子どもの登場によって崩壊の危機を迎えるというのが、非常に現代的だと思いましたね。血縁の家族だけを大事にする話なんて、あまりにも単純すぎて、今の観客の感性には合わないと思うんですよ。最近公開された日本映画で『湯を沸かすほどの熱い愛』っていうのがありましたけど、あの作品のどんでん返し的なポイントのひとつは、子どもたちのためにすごく頑張る母親が主人公なんだけど、実は子どもと血がつながってなかったっていうこと。今求められているのは「血がつながっているから大切にする」っていうこと以外の、「血縁じゃない家族のことを考えよう」ということかもしれないと思うんですよ。
中瀬 「家族」ひとりひとりの役割も、ぐじゃぐじゃになってますよね。レティもいわゆる「闘う嫁!」っていうか(笑)。これ、他になかったかもしれないなあって思いますね。嫁はだいたい、守るべきものとして扱われて、人質になったりしますけど。
小出 今後、父権を継承していくっていうくだりはあるのかな。父親としての権利譲渡というプロセスの伏線になっていくんじゃないかなという気もします。
千浦 『ローガン』と一緒で、幕引きを考えるともう、ドムの殉死しかないですよ。『太陽にほえろ!』みたいな。「それでもファミリーは続く」っていう描き方で終わるしかない。
中瀬 あの、赤ちゃんが頑張るんじゃないですか? ブライアンっていう名前がついたし。
千浦 それと、元祖ブライアン(故ポール・ウォーカー)の息子が、コンビを組んで。
小出 ドムとブライアン、頭角を現していた人間が2人もいなくなったのに、今回、なんとなーくやれちゃってたじゃないですか。そこが残念だったなと思って。
中瀬 今回、ポール・ウォーカーが実際に亡くなったから、「今後はヴィン・ディーゼル主役で行きます」っていう宣言みたいな映画だと思ったんですよ。相棒の物語ではなく家父長の物語なのだということを、明確に打ち出してる。シリーズものとして「こういうノリで行きます」っていうことが、作っていくうちにどんどん方向修正されていっているんだなという気がしてて。
小出 先程も話しましたが、あの2人の違いで印象的だったのは、ドムには父親の思い出があるけど、ブライアンにはないところです。父親の思い出であるバーベキューを再現するドムと、父親の記憶のないブライアンの「家父長争い」は、父親の記憶の有り無しの段階ですでに終わったと僕は思った。ブライアンはライバルだけど、父親ってどういうものだろうという具体的なビジョンを持たないので、バーベキューを主催する人ではなく、準備を一緒にする仲間なんですよ。
千浦 彼らがレースで競り合うと、いつだってドムがちょっとだけブライアンより上なんですよね。かといって、全面的にヴィン・ディーゼル推しでは、今までの良さがなくなってしまう。それをわかった上での屈折というふうに僕には見えました。実の子どもができたことで、今までみんなで意志的に築いてきた「血縁じゃないファミリー」が崩壊の危機にある、という物語。このシリーズってざっくりしてるし、「うーん、巧い!」っていう物語ではないんだけど、でもちゃんと伏線があって、はっきりと面白いですよね。(続く)
【3】
『ワイルド・スピード』の作品群は、「勢い」と「練り」の相反する2つを併せ持つ幸福なシリーズであることはよくわかった。回を重ねるごとにハナシがデカくなっていく、というのもあちこちで見聞きする「ヒットしちゃったシリーズものあるある」だ。そこで大コケした例も聞くけれど、でもこのシリーズは、どうもそうじゃないらしい。「ワイ談」(千浦僚命名)第3回、公開です。
市沢 みんなに聞きたいんですけど、このシリーズは、他のアメリカ映画とは違うなという感じはするんですか。
千浦 「似た空気」はたぶんあるような気がする。たまたま同時期に『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー2』を観たんですよ。やっぱり疑似家族の話で。そしてこれもまた、本当の血縁関係ではなく、築いてきた仲間関係を選ぶっていう話なんですよね。
小出 作られた組織の形によって、映画って分類できるんだなと思いました。ヤクザ映画では「親分」「子分」の縦の軸で物語を作る場合もあるけど、「兄弟分」という横軸を重視した作品もありますね。あるいは、『ゴッド・ファーザー』なんかは、ファミリーの縦の軸で形としては前者の「親分」「子分」の組織形態に見えるけど、ヤクザ映画のように仁義ではなく、血の濃さが組織の結束の強さになったりしてまた違いますよね。あるいは、『リオ・ブラボー』なら、ジョン・ウェインはチームの家父長的な役割をやっているようで、実はお母さんみたいな存在でもありますよね。そういった観点から『ワイルド・スピード』は、それまでのアメリカにあったかもしれないけど意外と形作られていなかった集団を打ち出したからこそ、受けているのかなあと思ったりもしました。
中瀬 疑似家族っていうことを通してアメリカが抱えてる問題みたいなものが見えるなと思うのは、人種についてです。白人だけでファミリーを作るわけじゃない。黒人がいて白人がいて、アジア系がいてラテン系がいて、それらが混ざった状態で、疑似家族を作っている。ポリティカル・コレクトネスなのか、コンプライアンスなのかわからないですけど、アメリカ映画ってやっぱりそのへんを配慮しないといけないのかなと。ただ、「配慮しないといけない」と言いつつ、混ざってるとわかりやすいですよね。人種とか性別とかそういうものよりも、一緒に過ごしてきた時間が大事だみたいな。「友情、努力、勝利」(笑)。少年ジャンプの方程式に結びついているんだなと思います。(補註:白人と黒人のハーフで生まれて、父と会うことなく演劇関係者の義父のもと育ったというヴィン・ディーゼルの経歴もこの辺に影響しているのではないかと思います)
千浦 『スター・トレック』の世界観もそうだよね。アメリカの象徴みたいな混成チームで、でもそれこそがいいのだ、という。でも『ワイルド・スピード』はもうちょっと攻めてて、とにかく非・白人の世界の躍動を強く押し出してるじゃないですか。
中瀬 そうですね。今までは一番強いのは白人だったけど、……
千浦 もう、そうでもなくなってきてる。今回面白かったのは冒頭、ドウェイン・ジョンソンが随分コワモテに檄を飛ばしてて、何かの作戦が始まるのかなと思いきや、実は娘のサッカーチームのコーチだっていうくだり。あれって、ドウェイン・ジョンソンと娘のチームはいろんな人種の子がいるのに、相手方の女の子たちはみんな白人なんですよね。
中瀬 マオリ族の「ハカ」を見せられて「はぁ?」ってなってるっていうところですよね(笑)。非・白人推し。しかも、そんなドウェイン・ジョンソンがモテてる!っていうシーンですもんね。子どものお母さんたちが、みんな色目を使っているという。
千浦 「おいおい、熟女のギャラリーが子どもの数より多いじゃねーか!」っていう(笑)。タランティーノの「デスプルーフ」でもヒロインたちがロック様談義でキャーキャー言うところがあるけど、ドウェイン・ジョンソンってモテるところには猛烈にモテてる感じ。しかし、僕が言うのも何ですが、「ワイスピ」は、全世界の、頭髪方面が希薄になりつつある男性にとって、本当に勇気づけられるシリーズですね。ツルってる男がはじめはヴィン・ディーゼルだけだったのに、シリーズが続いてドウェイン・ジョンソンにジェイソン・ステイサムまで……。ハゲ増し=ハゲを励ます、これが裏テーマになってるような気がする。
市沢 なんか、どこかで聞いた気がする。「このシリーズでは、髪が長ければ長いほど悪い奴だ」って。
一同 (笑)
市沢 髪の短い奴は仲間だけど、長い奴は敵だって。
千浦 確かに、フサってる人は、まー消えていきますよね。
中瀬 最終的に、ハゲのみが生き残る世界。
千浦 高校野球か。…しかし、ポール・ウォーカーも毛がなければ怪我なかったのか……
中瀬 なんか、「アメ車対日本車」みたいな価値観の戦いがあるじゃないですか。ドムはアメ車で、ブライアンはスカイラインとかGTRとかで。あのへんの感覚って、車好きの中では「あるある」なんですか。
千浦 日本の車好きは、日本車の中で競い合っているから、「アメ車対日本車」っていう概念はなかったと思う。『頭文字D』にもアメ車って、ほぼ出てきてないですよね。だからこの映画の中で日本車の戦闘力が通じているのは、うれしいんじゃないですか?
市沢 ああ、うれしかったですけどね。なんか。
小出 でも今回はブライアンがいなかったから、日本車は出てきてなかったということ?
市沢 1ヶ所だけ出てきましたね。でもほとんどわからないと思う。
千浦 アジア、および日本テイストはちょっと後退してますよね。
——そういう変遷があるにしろ、長らくシリーズ化されるにあたっての、ポイントとか共通項ってありますか。
千浦 キャラクターでしょうね。マーベル・コミックもの映画なんかを筆頭に、「キャラクター重視の方が、展開できるな」っていうことに、映画界が舵を切っている気がするんだけど。
市沢 そうか。でも「キャラクター重視」って今までさんざん言われてる気がするんだけど、『ワイルド・スピード』は何が違ったんだろう。
千浦 適当な例えじゃないかもしれないけど、キャラクターじゃなくてずっとお話重視でやってきてて孤立してる、孤独に頑張ってるなと感じてたのは、M・ナイト・シャマランでした。でもシャマランはいま公開してる『スプリット』と次の作品で、キャラを横断させて旧作とつながる世界をやっていくみたいで、ああこの人もキャラクター重視方向に舵を切ったのかと思ったんですけど。
市沢 小川さんは、どうだったんですか今回。キャラクターとか車の概念がわかる人間からすると「こんなすげーことやってんだ!」っていう映画ですけど、それがない人には、このシリーズはどう見えるんですかね。
——まずテレビで『EURO MISSION』を観たら、2台の車が緊迫感たっぷりに正面衝突ギリギリで止まって、降りてきて睨み合った2人とも薄毛マッチョだったんです。
中瀬 (笑)
千浦 はい出た、その意見!(笑)
——で、基本的に、車も見分けがつかないんです。なので私には、見分けのつかない人たちが、見分けのつかない何かに乗って、戦っている映画でした。
千浦 あー。素晴らしい意見ですね(笑)
小出 欧米人が「アジア人の顔がみんな同じに見える」っていうのと同じことになっちゃいますよねぇ……。
中瀬 まあ、途中で裏切ったりもしますからね。キャラクターが多いから、初見で把握するのは難しいかもしれない。
小出 長く続いていて、キャラクターが功を奏している映画って他にありますか。例えば『スター・ウォーズ』ってどうでしょう?
千浦 でも『スター・ウォーズ』はシリーズとしての緊密さがそんなにないじゃん。出てくる人たちが、代替わりしてるから。同じメンバーで8作続いたシリーズって、最近だと何だろう。『X-MEN』ものとかを集めればそうなるのかな。
中瀬 僕は『007』シリーズが一番近いのかなって気がしてるんですけどね。ただ、チームでやるってことになると、『ミッション・インポッシブル』とか。ちょっとアウトローで生きてる人たちが集まってひと仕事する、みたいなことのひな型ってすでにあるでしょう。
小出 『オーシャンズ11』ってのも続きましたよね。
中瀬 古くは『七人の侍』もそうですよね。西部劇とかも。つまり『ワイルド・スピード』シリーズは、賢い作り手たちが、今まで受け取ってきた物語のひな型を研究して、「これは当たる!」っていう確信のもとに、ちゃんと作った映画だと思うんですよ。すごく研究して、すごくうまくいっている一例なのかなと。
小出 「ファミリー」っていうものが大きな要素だと思いますよ。日本でも、この映画はマイルドヤンキーの人たちに受けがいいみたいです。
中瀬 僕はTOHOシネマズ新宿で観ましたけど、それこそマイルドヤンキーが集まってて。前に座ってたお兄ちゃんが、映画始まる前に「たーのしみー、フォーー♪」って言ってて、うわ、すーーごいマイルドヤンキー見た! ドンキホーテみたいだここ!って思いました(笑)。そうか、こいつらはきっと、邦画だと『HiGH&LOW THE MOVIE』を観て、洋画だと『ワイルド・スピード』を観るんだ、なるほど!って思いましたね。
千浦 僕は『ICE BREAK』公開二日目にバルト9で深夜に観たんですけど、お客さんにキティちゃんのアップリケがついたスウェット上下のカップルとかがいました。
中瀬 そういう人たちが、シリーズ全作を通して観てるとは思えないんですけど。でも、ふらっと来ても観られる訴求力があるんでしょうね。
千浦 帰りにエレベーターで一緒になったスウェット&サンダルカップルの女の子がもう、すーごい面白かったみたいで、連れに「私もあんなファミリー欲しい!」って熱をこめて言ってた。
中瀬 いい話ですね。
千浦 真芯を食って主題が伝わってるなあ!と思って。ごちゃごちゃなにか言ってる僕らのほうが製作者にとって、間違った、望ましくない観客なんじゃないかとも。
市沢 「ファミリー」を推したい何かがあるんですかね、時代的に。今って何かにつけて、ことさら「ファミリー」を強調しませんか。今回、シャーリーズ・セロンがドムをちょっとそそのかしてたでしょ。「あなたはファミリーじゃなくてスピードを欲しているのよ」的な。『羊たちの沈黙』のレクター博士みたいに。
小出 それが何かの伏線かと思いきや、まったくブレることなく「ファミリー」だったね(笑)。
中瀬 あれはでも、いいせりふだなと思いましたね。その前も、ドムに対する禅問答みたいなのが、ちょいちょい出てくるじゃないですか。すべては選択の積み重ねなのだ、みたいな。あそこ、めちゃめちゃ気合い入れて撮ってると思うんですよ。たぶんセットなんですけど、ライティングがすごくいいんです。で、シャーリーズ・セロンがすごくいいことを言うところで、ちょうど飛行機が雲を抜けて、光が動いて。ここ、勝負かけてんな!って思いました。
小出 それはやりすぎかなー。それと、切り返しの際のアップのサイズがデカかったなあ。
中瀬 撮影監督が、「5」からずっと同じ人なんですよ。その人は、ずっとあのサイズです。で、僕は『MAX』が一番好きなんですけど、『MAX』の撮影監督が一番うまいんです。それ以降は、最近のハリウッドだな!っていう感じなんですけど。でもやっぱりカットバックとかを、人の動きに合わせてカメラも動いて絶対に肩なめで撮り続けてるのとかを観ると、丁寧でいいなって思います。
千浦 うん、そういう話が、聞きたかった!
市沢 ちゃんと、映画として、作り込まれてるということですよね。
中瀬 そうですね。
千浦 どうしても意識が、意味とかストーリーとかに拡散しがちだから、そういうところを聞きたかったね。
中瀬 そうですね、いろいろ、話すべきことが多すぎますね。(続く)
【4】
話はさかのぼって、この日の集合時間のこと。一番最後に現れた千浦さんが紙袋を持っていて、その中にはワイスピ後半作と関連作のDVDがぎっちり入っており、帰りに、とても気前よく、編集局長にもろもろ貸してくれたのだ。座談会を終えてから、俎上に上がった作品を1本ずつ観る。ひとりで無理矢理観るよりずっと盛り上がる。そうだ、これはひとりで観る映画じゃない。ヤローどもとわいわい観る映画だ。次回作公開時には「みんなで観る」企画をやろう。映画館に集合して、みんなで観て、語ろう。
千浦 VFXと、本当に撮っている部分との混ぜ方が絶妙で、「全部本当に起こってることとしか見えない」っていうのを全力で頑張って今ここまで達成できてるっていうのが、この映画、このシリーズだと思うのね。あんまり嘘くさかったり、CGにしか見えなかったりしたらダメだから。
中瀬 やっぱり毎回、街ロケしてるのが大きいんじゃないですか。巨大な金庫を引きずって走るのも、街でちゃんとやる、っていうのがえらいなって思う。そこで生々しさが出ますよね。あと、シリーズで共通して言えるのは、追いかけられてる車をどうやって止めるかっていうアイデア対決。街のものをうまく使って、小ネタを出してくる感じが、毎回うまいし、面白いですよね。
千浦 ただの追いかけっこで速いか遅いかじゃ絶対ない。赤外線追尾ミサイルを車で誘導して潜水艦にぶち当てて勝ち!みたいな。また、「これがこう来てこう持ってきてこう」っていうクライマックスが、象徴的な意味を孕んでいたりする。今回の『ICE BREAK』で言うと、あれだけ大きな爆発を前にしたらドムが焼け死にそうになるけど、みんなが一斉に盾になって守るじゃない。『SKY MISSION』だと、ブライアンを死なせないっていうのが強調されてたし。
中瀬 それを、言葉を交わさない感じでやるのがかっこいいですよね。
小出 今まではドムがみんなの命を救っていたけど、それが逆転したのが今回の一番面白いところだと思う。しかもそれを、せりふじゃなくて画で見せてるっていうね。あの引っぱり合いのシーンも印象的ですよね。それぞれが、それぞれの車で、四方八方からドムの車を引っぱるという。
千浦 みんながドムを引き留めようとしてるというね。
小出 みんなで一方向から引っぱった方が絶対早いと思うんだけど(笑)。
千浦 前後から挟んで止めればいいじゃないかって思うけど(笑)、でも、ファミリーのメンツが絆を結ぼうとし、ドムは断ち切ろうとすることの絵面としてはやっぱりあれがいい。
小出 みんなが「僕のお父さんだー!」って言ってるみたいな。
千浦 大岡越前が子どもを取り合う母親を裁くやつみたいだったね。「あいや、子が痛がるを見て、先に手を離すがまことの母親!」。でもまあ、車が擬人化されてるんですね。彼らの身体の一部。車の選択から、ドライビングの仕方まで、それぞれのキャラクターを象徴していて。
小出 それに、このシーンは先程千浦さんが語っていた、爆風からドムを守るために、ドムの周りを盾になって囲むこのと対になるいいシーンですよね。ともあれ、やはり映画観た帰り道で、マネしたくなるもんなんでしょうね。
中瀬 「マネしないでください」っていうメッセージは流れますけどね。
千浦 その都度映画館で、「しねーよ!」って客席から笑いがでるんですけども。
市沢 何でしょう、いまだにこういう話ができるのって、やっぱりアメリカ映画なんですかね。
中瀬 日本映画でこういうシリーズものがなぜ出てこないんだろうって思いますけどね。同じシリーズで監督が替わるみたいなことも、ないじゃないですか。『男はつらいよ』が新人監督の登竜門になればよかったのに、って思うんですよね。「お前、今度寅さんやってみないか?」って。
千浦 ああ。それ、すごい。「ホラー界で新機軸を打ち出した清水崇さんの『男はつらいよ 寅次郎呪いの館』」みたいな。それは観たいな。
市沢 それは、ヴィン・ディーゼルの作家性ってことなんですかね。監督が替わっても、揺るがない何か。
中瀬 チームの中に、すげー頭のいい人たちがいるっていう印象がありますけどね。
千浦 次とか、どうなるのかな。いよいよ中国ロケじゃないかな。違うかな。
中瀬 僕は最近、仕事でフィリピン・ロケに行ったんですよ。カーアクションと、バイクのアクションが多かったんです。で、高速道路の片側を封鎖できると。爆破とかも、街なかでガンガンできると。僕は芝居を撮る「Aユニット」だったんですけど、その間、「Bユニット」が地道に車を撮り続けているんですね。で、やっぱり、車の撮影ってめちゃめちゃめんどくさいんですよね。ひとつのセットアップに対して、撮れるカットが少ないけど時間がかかる。そこにアクションを混ぜるとなると、単純に大変なんです。相当お金をかけた映画でしたけど、その予算規模の何倍分も、手間暇がかかってると思います。
——このシリーズにおける、女性像についてもお聞きしたいです。
中瀬 今回なんか、敵ボスは女性ですからね。さっき話に出た筋肉ハゲ問題で言うと(笑)、レギュラー陣に筋肉ハゲが増えすぎちゃったから、バランスを取るためにシャーリーズ・セロンを置いたのかなと思いました(笑)。
小出 お母さんが出てこないから、女性はそんなに気が利いた描かれ方はしていないですよね。ドムが言う「家族が大事」を復唱してるだけの妹とか。だから、レティがお母さんになったら、何か変わってくるかもしれないですね。お父さんとの対立もあるだろうし。
中瀬 何らかのグループが出てくると、必ず女性を入れようとしているんですよね。それが、アメリカ映画が抱えるポリティカル・コレクトネス的な配慮に終わってる気もするんですけど。
小出 うん、そこが残念だよね。もっと、ありそうだけどね。
中瀬 そうなんですよね。人種については、さっき言ったように、うまく行ってる気がするんですね。でも女性に関して言うと、もっといろいろできるだろうと思う。
小出 そもそも「車なんか何が面白いの?」っていう視点があってもいいと思うんだけど(笑)。
中瀬 ドライビング・テクニック至上主義のお話だから、女性でも対等に戦えるのかなって思ったんですよ。技術があって、立派なエンジンを詰めば、互角に戦える。それがだんだん、レティも格闘家と取っ組み合うようになってきて、近作はちょっと萎えるんですよね……
小出 そこも、女性ならではの戦い方があるかなあと思ったら……
中瀬 ない!
小出 ないよね。男性の方は全員、戦い方からキャラを立ち上げていますよね。
中瀬 そうなんですよね。特に、ジェイソン・ステイサムのアクション。『ICE BREAK』で言うと、脱獄するところですよね。ドウェイン・ジョンソンはパワープレイで突き進むんだけど、ジェイソン・ステイサムはものすごく機敏で、しかも何がすごいって、ジェイソン・ステイサム本人がやってるっていう。
千浦 ドウェイン・ジョンソンとの見え方に違いをつくるために、敏捷さをアピールしたパルクール・アクションをやってる。ジェイソン・ステイサムは単体で別の映画に出てれば豪傑キャラのアクションで通るひとなんだけれども。
中瀬 この映画に出てくる人たちのえらいところは、ほんとにアクションできる人たちがやってるんですよ。ちょっとしたアクションにしても、日本の俳優さんはみんなアクションができないので、アクション監督も「いかにごまかすか」勝負になっちゃうんですよね。『図書館戦争』に関わった知り合いから聞いた話では、岡田准一はめちゃめちゃできるんですよ。スタントマンレベルで行ける。となると、顔を映してもいいので、撮れるカットが格段に増えるんですよね。ワンカットでもいい。寄りでも引きでもいい。『無限の住人』とかはなんか、いろんな人がぐじゃぐじゃしてるだけじゃないですか。
千浦 みんな割りと、ぼーっと立ってるだけでね。キムタクは佐藤健のようには走れないし。
中瀬 そう、『るろ剣』はそういう意味では立派だったと思うんですけど。
千浦 こういう話を載せたい。
中瀬 役者の身体能力って、本当に大きいんですよ。『マトリックス』のキアヌ・リーヴスもそうですよね。アメリカ映画が「ちゃんと全部見せるぞ」っていう方向へシフトしたのは、やっぱり『ボーン』シリーズからですかね。めっちゃカット割ってるんだけど、何をやってるかがすごくよく見えるじゃないですか。日本にもできる人たちはいるけど、やっぱりそういう映画を観てしまうと、次元が違うなと思ってしまいますよね。
——そろそろ、中瀬くんが次のお仕事へ行かねばなりません。言い残したことがあればぜひ。
千浦 あら。
小出 ……『ICE BREAK』の話をあんまりしてない気がするけど。
一同 うーーーん。
市沢 氷越しに車が見えたカットがすごくよかったです。
小出 ああ、下からね。細かいですよね。何千万かかってるんだろう。
千浦 あれ、CGじゃないの?
中瀬 俺、CGだと思いますよ。
小出 CGだったらもっとクリアに見せるでしょう。えらく、くぐもってるなあと思いながら観たんだけど。
中瀬 ……っていう、そのへんがうまいんじゃないですか、この映画は。あとほら、赤ちゃんの芝居も。
一同 あーー。
市沢 赤ちゃんが1人参加してるだけで、映ってないけどこの敵キャラ集団の中に「おむつを替える人」がいるんだよなあ、って思っちゃう。
小出 (笑)
中瀬 赤ちゃんのカットは、ちゃんとジェイソン・ステイサムの肩なめで撮ってるんですよね。たぶんフルCGとかじゃなくて、赤ちゃんの表情をたくさん撮りためて、そこからマスクを切り抜いてるんじゃないかという気がしました。
市沢 確かに、めっちゃうまかった。
千浦 うん。タイミングすげーなと思った。
中瀬 エンドロールで3人ぐらい、名前が出てましたよね。おむつのCMとかでも、何人も待機させて撮りますからね。
市沢 そうなんだ。お母さんと一緒に待機を。
中瀬 そうです。オーディションをしてね。こちらがやらせたいことを、してくれるかどうか。
千浦 うん、そういう話が聞きたかったんだよ!
中瀬 あと、言い残したことで言うと、シーンバックのうまさ。同時多発感。まず潜水艦の中に入っていくチームがいて、外で止めるチームがいて、一方その頃ドムは、一方その頃シャーリーズ・セロンは、っていう中で緊迫感が持続しているじゃないですか。
千浦 その同時感を、全然見間違えないよね。
小出 シーンバックって並行モンタージュのことですよね。僕としては、潜水艦とやりあっている車たち/ドムの実子の救出作戦をするジェイソン・ステイサム/その救出を待つドムの並行モンタージュに同じ速度で時間が流れているような感覚がなかったなぁ。車の疾走感が強く残るからですかね。
中瀬 このシリーズにおけるシーンバックって、チームの一人ひとりが別行動するようになってから進化したと思うんですけど、それって単純に、それぞれが車っていう個別の空間の中にいるから必然的にシーンバックを描かなきゃいけない宿命があるからなんじゃないかと。で、車に乗ってない人間とのシーンバックも、僕はうまくいってると思いました。それぞれの個性を生かして、「こいつはパソコンなんだ」「こいつは肉弾戦なんだ」「こいつは文字が読めないんだ」っていうのでわちゃわちゃしている感じ。
一同 (笑)
千浦 個別の空間だからこそ、無線でのやりとりが効いてくるんだなあと思った。70年代の車ものでも、無線あるいはラジオが重要なアイテムになってた。むちゃむちゃ感動的だった、『バニシング・ポイント』のラジオに、『ダーティーメリー、クレイジーラリー』(74年)の無線という道具立て、あれがもう標準装備になってる。
中瀬 あと、シリーズを通して、カーナビがどんどん進化してますよね。今「1」を観ると、移り変わりが激しくて。最先端のテクノロジーにちゃんと敏感だなと思います。
千浦 だって、1作目から17年越しだもん……!
市沢 映画美学校とそんなに歴史が変わらないじゃないですか!
一同 (笑)(2017/06/7)
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