『淵に立つ』で世界的評価をものにした深田晃司、黒沢清監督の前作『岸辺の旅』のメイキングを任された朝倉加葉子、商業作品にも貪欲に臨む一方で自主制作映画『許された子供たち』の公開が待たれる内藤瑛亮。映画美学校の先輩後輩である3人が、黒沢清と『散歩する侵略者』について大いに語る。【ネタバレ炸裂。ご注意ください!】
【深田晃司】
映画美学校フィクション・コース第3期修了生。
80年生まれ。06年中編『ざくろ屋敷』を発表。13年『ほとりの朔子』でナント三大陸映画祭グランプリ、16年『淵に立つ』で第69回カンヌ国際映画祭ある視点部門にて審査員賞を受賞。現在18年公開に向けて新作『海を駆ける』の仕上げ中。
【朝倉加葉子】
映画美学校フィクション・コース第8期修了生。
映画「クソすばらしいこの世界」で長編デビュー。他に「女の子よ死体と踊れ」「RADWIMPSのHESONOO」「ドクムシ」。来年撮影の長編準備中です。
【内藤瑛亮】
映画美学校フィクション・コース第11期修了生。
代表作『先生を流産させる会』。押切蓮介さん原作の『ミスミソウ』の仕上げ中。いじめを題材にした自主映画『許された子どもたち』を製作中。冬に後半パートを撮影します。
【深田晃司】
映画美学校フィクション・コース第3期修了生。
80年生まれ。06年中編『ざくろ屋敷』を発表。13年『ほとりの朔子』でナント三大陸映画祭グランプリ、16年『淵に立つ』で第69回カンヌ国際映画祭ある視点部門にて審査員賞を受賞。現在18年公開に向けて新作『海を駆ける』の仕上げ中。
【朝倉加葉子】
映画美学校フィクション・コース第8期修了生。
映画「クソすばらしいこの世界」で長編デビュー。他に「女の子よ死体と踊れ」「RADWIMPSのHESONOO」「ドクムシ」。来年撮影の長編準備中です。
【内藤瑛亮】
映画美学校フィクション・コース第11期修了生。
代表作『先生を流産させる会』。押切蓮介さん原作の『ミスミソウ』の仕上げ中。いじめを題材にした自主映画『許された子どもたち』を製作中。冬に後半パートを撮影します。
——皆さんにとって、黒沢清作品とはどんな存在ですか。
朝倉 私はそもそも、まず黒沢清という人が、ここ20年ぐらいずっと日本を代表するカッコいい映画監督だと思っていますね。子供の時に映画館で「スイートホーム」を観て怖くて冒頭10分で出たという辛い記憶もありますけど、大学生の頃から本格的に観始めて大好きになって、映画美学校に入るきっかけになった一人でもあるし。
深田 うん。僕もそうですね。
内藤 深田さんの頃は、黒沢さんは頻繁に授業されていたんですか。
深田 いや、1年に1回でしたね。「黒沢さんがメイン講師なんだ!」って勇んで入ってきた人が多かったから、若干の波紋を呼びました(笑)。でも僕らの代には「研究科」という、講師陣による自主ゼミみたいなものがあって、そこに「高橋(洋)・黒沢ゼミ」というのが開かれたんです。
朝倉 うぉお!
深田 高橋さんがメイン講師で、2〜3回に1回は黒沢さんがいらして、みんなで8ミリ映画を公園に撮りに行ったりしてました。
朝倉 それ、超楽しいやつじゃないですか。いいなあ。私の時も授業は年1回で、でもその後上映のゲストに出ていただいたりで何度かお会いしたことはありましたけど、やっぱり遥か遠くの人って感じでした。でも、2014年に『岸辺の旅』でメイキングに入って、そこで私の「生のキヨシ」メモリーが、突然ぴょんと増量した感じです(笑)。
内藤 僕の同期に黒沢さんファンのロシア人がいたんですけど、年1回しか黒沢さんの講義がなかったから、事務局に「キヨシ・クロサワ、イナイジャナーイ」ってキレてました(笑)。
僕はもともと、トビー・フーパーが好きで。調べていったら、クロサワキヨシという日本の監督がすごく褒めているということで、興味を持って『CURE』を観たんですね。でも僕はそれまで、アメリカの単純明快な娯楽映画ばかり観ていたので、『CURE』の良さがよくわからなかったんです。でも、妙に、心には残っていて。「変な映画だったなー」と思いつつ、たびたび観直しているうちに、だんだん好きになっていったという感じですね。商業映画を撮るようになって、黒沢作品に参加していたスタッフと仕事することが重なって、「現場での黒沢監督」についての話を結構聞いたんです。よく映画関係者に「あの監督、こうだよ」って聞くと、ちょっとがっかりしたりとか、幻滅しちゃったりすることがあるじゃないですか。もちろん、監督の人間性と作品の価値は別だと思ってはいますが。でも黒沢さんについては、話を聞けば聞くほど、どんどん好きになっていくんですよね。
——例えば、どういうところを?
内藤 『散歩〜』で言うと、サブマシンガンを撃つシーンがあるじゃないですか。火薬をちゃんと入れて、撃てる小道具が用意されたんですけど、役者の近くで発砲するのは危ないから、芝居は火薬なしでやって、VFXでマズルの光や飛ぶ薬莢を描き加えたそうです。芝居パートが終わった後に、現場で火薬ありの発砲をしてマズルの光と飛ぶ薬莢のリファレンスを撮っているですね。その「リファレンス用の火薬ありの発砲」の準備をスタッフがしてたら、黒沢さんがおずおずと近寄ってきて「……それ、誰が撃ってもいいんだよね?」「僕が撃ってもいいかな?」って言い出して、自分でだだだだだ!って撃ったらしいです。ちょっと可愛くないですか(笑)。
一同 (笑)
内藤 そういう、無邪気さというか。自主映画を撮り始めたころにあるような、子供っぽく映画を遊ぶ気持ちがいまだにあるというのは、すごいことだなと思ったんです。
深田 僕が最初に観た黒沢作品は『スウィートホーム』でした。僕が8歳の時ですね。あの作品って、ファミコンのRPGになってるんですよね。実はそれが『バイオハザード』の元になっていて、それがめちゃめちゃ面白かった。僕は映画そっちのけで、そっちに夢中になりました。でもこの間、映画の方をVHSで観直したら、これも大傑作だった。映画版の価値に、あの頃の僕は気づいていなかったなあと思いました。その後、僕が本当に衝撃を受けたのは、Vシネ時代の作品群ですね。哀川翔の『勝手にしやがれ』シリーズとか、高橋洋さんが脚本を手がけている『蛇の道』とか。そこからずっとファンです。
——どういうところに惹かれましたか。
深田 言語化がなかなか難しいんですけど、とにかくカッコいいんですよね。特に暴力の描き方。『散歩〜』にもあったけど、極めて乾いた描き方をされるじゃないですか。黒沢さんが登場人物に銃を持たせたら、ものすごくカッコいいことになる。つい、真似したくなるような。「暴力をどう描くか」ということについては、黒沢さんが現れたことで、日本映画はワンランク更新されたんだろうなと思うんです。倫理観とかセンチメンタリズムは一切関係なく、パァン!と起きる暴力。そこに非常に惹かれました。あと、独特のでたらめさですよね。物事の整合性とかじゃなく、とにかく映画の面白さ、その一点だけを信じて作られてる。大好きですね。だから今日はこんな本を持ってきました。みんなも持ってるんじゃないかと思うんだけど。
内藤 あーー。
朝倉 持ってる(笑)。この凝った表紙にはクレジットがついてて、万田(邦敏)さんや篠崎(誠)さん達の名前が載ってますよね。
内藤 僕は再版されて表紙が変わったのを持ってます。
深田 しかも僕はミーハーなので、去年、対談する機会に恵まれまして、その時に、おずおずとサインをいただいてしまいました。
一同 おおーー。
朝倉 この本、めちゃくちゃ面白いですよね!
深田 どこまで信じていいのかわからない一冊ですよね(笑)。
——朝倉さんは、黒沢さんの何に惹かれますか。
朝倉 やっぱり、さっき深田さんが言われたみたいに、話にでたらめな部分もあるんだけど、そのでたらめさが悪趣味ではなくて、「面白さ」の発展型なんですよね。でたらめさに、品位があるというか。あとはやっぱり、黒沢さんのスピード感が私は好きで。お芝居の動きと、台詞と、物語と——この本にも書かれてたけど、物語を何秒間でどれくらい進められるかっていうのが、キチキチしてないのに、すごく速くて。その運動神経のすさまじさが、本当に好きですね。何回でも観れちゃう。
内藤 役者の動かし方が不思議ですよね。何かのインタビューで読んだんですけど、台詞の一つ一つに役者の動線を決めて、俯瞰した図解を台本に書き込んで、それを元に演出してるって。
朝倉 この前出た『文學界』の別冊(『黒沢清の全貌』)に、その俯瞰図を書き込んだ台本の写真が載ってましたね。撮るのは横からなのに、それを上からの図解で理解できるって、何だろう。
深田 黒沢さんの世界観って、いわゆる「ナチュラル」とは違うと思うんですよ。完全に映画言語で、しかも黒沢的映画言語で作られているから、全然ナチュラルではなくて。今回も、松田龍平さんはひと目見ただけで宇宙人だってことが納得できるような動きをしていたけど、段々とその周りにいる普通の人々や群衆も宇宙人と変わらないように見えてくる(笑)。それってつまり、黒沢さんにとってのリアリティが「ナチュラルさ」とはまったく違うところにあるんだろうなと思うんです。その点において、『勝手にしやがれ』で大好きなシーンがあるんですけど。哀川翔が毎日会社で退屈な仕事をしているという描写で、どう見てもカロリーメイトにしか見えない何らかの食べものを食べて、何かをメモするっていうだけの仕事なんですよ。
朝倉 (笑)
深田 でっちあげられた、適当な仕事なんですよね。でもその、黒沢さんの自由さ、軽さって、今も変わってないなあと感じました。『散歩〜』でも、笹野高史さんが率いる謎の集団が出てくるじゃないですか。あれは一体何なんだろう、って最後までわからないんだけど、でもまあ、それはそれでいいか!ってなってしまう。
内藤 あれ、今回一番でたらめでしたよね。
朝倉 衝撃を受けました。久々に!
深田 人の動き方にしても、いろんな人が大小の動きを見せるんだけど、それぞれが何らかの用事を与えられてるんですよね。「この書類をあそこに置く」とか。でも「なぜその書類をそこに置くのか」ということには、あんまり重きを置かれてなくて。そのリアリティのさじ加減というか、黒沢さんの文法の中でディテールが作られていくあの感じが、黒沢さんの作家性なんだろうなと思いますね。
朝倉 あれ、どういうふうに作られてるんだろう、って素朴に不思議だったんですよ。「役者は複雑な動線で動いていて、行く先々で台詞が喋られて、カメラは少しずつ横に回り込んでいたがいつの間にかタイトな横位置2ショットに」みたいなショットがあるじゃないですか。不思議だなあと思いながら、『岸辺の旅』のメイキングを撮りに行ったんですけど。
深田 そうか、そうだ。現場を見てるんだ朝倉さんは。ぜひ教えてくださいよ。
朝倉 恐ろしいことに、極めてナチュラルに作られるんです。段取り前に黒沢さんから撮影の芦沢明子さん他スタッフの方にプランの説明があって。で、段取りで役者には「こっちを向いてこれを言って、あれをやってこれをやって、これをこういう感じで行けますかね?」って半ば確認つつ少しずつ誘導して、動きが一通り決まって。それが終わる頃には芦沢さんのほうも確認が済んでいて、「はい、じゃあ、やってみましょうか」ってやったら、もうあれができちゃう。極めて普通の手順で、でもあっという間に作られる。
内藤 『トウキョウソナタ』のスタッフに聞いたら、動きをつけた後で黒沢さんは、「できなかったらできなくてもいいです」って言うらしいですね。すると、役者の生理として、「そう言われたらやりたくなる!」っていう心理が働くって聞きました。
朝倉 だから役者の気持ちを無視するみたいなことは一切しないし、みんなの共通理解で「こういうふうにしたいんですけど大丈夫ですかね」「はい」「じゃ、やってみますか。(カメラマンに)回してください」みたいなスピードで。間に無駄な空白が一切ない。
内藤 じゃあやっぱり速いんですか。役者に説明して、動きをつけて、撮るまでが。
朝倉 速いですね。速いです。
深田 僕はこの間まで、芦沢さんと現場でご一緒してたんですけど、やっぱり黒沢さんの現場は速いっておっしゃってました。
朝倉 芦沢さん、私も短編ドラマを撮影していただいたことがあるんです。黒沢さん自体ももちろん速いんですけど、芦沢さんはたぶん、黒沢さんの現場の時は特にめちゃくちゃ速いのではと思います。かつ表面では絶対に急いでる風に見せない。凄まじかったです。
深田 黒沢さんがそうやって速く動けるのは、俳優を信頼しているからなのかなと思うんですよね。ここからあっちに行く、その間をどう埋めるかは、俳優次第っていう。
朝倉 ああ、普通に俳優さんに相談したりされてましたね。「最終的にはこのタイミングでここに居てほしいんですけど、ここからここの間ってお任せしてもいいですか?」って、ゆだねてる部分も多々ありました。お芝居以外でも、撮影だったり、美術だったり、俳優さんだったり、相手にゆだねる領域が結構広くて。
深田 それでもちゃんと黒沢印になってるんですよね。今回出てくる、夏休みの工作みたいな発信機なんか、Vシネ時代の黒沢さんを観ているかのようだった(笑)。
朝倉 そう、昔から同じものを観てきているような気がした(笑)。でも『岸辺〜』の時に、みんなが黒沢さんに「合わせてる」というのともどうやら違うように見えて。黒沢さんから「こうしたいんですけど、どうしたらいいですかね」って言われたら、相手もうれしいから、みんな頑張るし、できれば黒沢さんの想像を超えたものを返したい。そういう構図が、現場のありとあらゆるところに見られました。
深田 今回、演説シーンがいくつかあったじゃないですか。真治(松田龍平)に「所有の"の"」を奪われた丸尾君(満島真之介)が熱く語ってるところとか、普通に考えたらあの演説にあんなに人は群がらないだろうと思っちゃうんだけど、でも黒沢さんの映画だと、ちゃんと人がいて、ちゃんと動いている。その配置というか、デザインのされ方が、黒沢印なんですよね。
内藤 『クリーピー 偽りの隣人』で、西島秀俊と川口春奈が大学の中で話しているシーンがあったじゃないですか。ガラス窓の奥に大学生たちがたくさんいて。最初はわりかしナチュラルにしゃべっているんですけど、あるタイミングでエキストラの一人が、カメラ側を見るんですよね。そこから人工的な動きを始める。意味はよく分かんないけど、ちょー印象的なショットで、あのエキストラの動きはどうやってつけたんだろう?と疑問に思っていたんです。話を聞いたら、エキストラを担当する人と、カメラ側にいた人の、通信電波がつながらなくて、「よーい、はい!」が伝わらなかったらしいんです。だから最初は撮影中だと気づいてなくて普通に動いてて、途中で「やべ、本番始まってるっぽい!」ってなって、あわてて動き出したみたいで。
深田 はははは。
内藤 それはよくある失敗だから、普通ならNGとして撮り直すところなんだけど、それを観ていた黒沢さんが「オッケイ!」って。あえて異物っぽいところを、積極的に取り込んでいくというか。「不自然さが面白い」って考えてるんじゃないかなと思うんですよね。『贖罪』でも、カメラがドリーしてたら、「ガッタン」ってブレたところを、わざわざ使ってた記憶があって。
深田 海外で黒沢さんの人気はすごく高いですけど、国際映画祭で評価されるのは、やはり作家性の高い人なんですね。原作ものをたくさんやっていると、どうしても作家性が弱まって見えてしまう。その監督独自の世界観が伝わりづらくなっちゃうところがあるんだけど、黒沢さんに関しては、どんな原作ものでも、黒沢さんの映画にしか見えないですよね。物事をどう映すか、どう切り取るかっていうところにこそ、黒沢さんの作家性が潜んでいるんだろうなと思いますね。
【2】
——『散歩する侵略者』も、黒沢印でしたか。
深田 黒沢印満載だったと思います。
朝倉 そうですねえ。
内藤 微妙に違うなと思ったのは、寄りがいつもより多かった気がします。
深田 最近の黒沢さんは寄りが増えてきてる感じがする。『岸辺の旅』もそうだったと思うけど。
朝倉 『贖罪』からかなあ、と私は思ってます。テレビドラマだから、サイズを意識したのかも。あと『岸辺〜』はカメラテストの時にすでにクロースアップの検証をしていたような記憶がありますね。
深田 あと、昔の黒沢さんより、優しくなってませんか。映画が。
内藤 ああ。優しさはあると思います。
深田 特にこのところ、女性がフォーカスされるようになりましたよね。それまでの黒沢作品って、「ほんとにこの人、女性に興味ないんだな!」っていう感じだったと思うんですけど(笑)。毎回、添え物的に登場するくらいだったじゃないですか。
朝倉 揺れるカーテンとほぼ同列扱いの女性像(笑)。
内藤 僕は今回、長澤まさみがよかったと思うんです。可愛い、高い声を出す人だっていうイメージが強かったので、あんなに低いトーンで話す長澤まさみを、僕は見たことがなかった。日本映画の多くって女性に可愛らしさを求めがちだと思うんですけど、黒沢さんはもっとフラットに女性を見ているのかなと思いました。
深田 そして『岸辺〜』も『散歩〜』も、最後は結構純愛でしたね。
内藤 性の匂いがしなかった。
深田 そこは昔と変わらないですね。
内藤 『岸辺〜』にもセックスシーンがあったけど、全然エロくなかったですよね。ほんとは撮りたくなかったみたいなことを、インタビューで読みました。でも、愛のある夫婦関係というのは、『岸辺〜』でも『散歩〜』でも共通して描かれていましたね。
深田 『CURE』も夫婦の話ですよね。だからどこかに「夫婦」というモチーフが、黒沢さんの中には一貫してあるんじゃないかと思います。……にしても、何でしょう、最近の黒沢監督の優しさは。
朝倉 昔は妻が「他者」だったんですよね。恐怖の対象だったりとか、……
深田 理解できない相手。侵略者とあまり変わらないような(笑)。
朝倉 でも最近は、「愛だろ!」みたいな。
内藤 共に生きてく人、というか。
深田 極まってましたね。愛が。
朝倉 極まってましたねえ!
内藤 黒沢映画における食事のシーンって、基本的に美味しそうには見えなかったじゃないですか。「家族で集まってやらなきゃいけない儀式」みたいな感じで描かれた後、その家族が離れ離れになったり悲惨な目に遭っていくわけですけど、今回、夫婦で食事するシーンでは、嫌いだったはずのかぼちゃの煮つけを、真治がばくばく食べる。
深田 かぼちゃの煮つけだったのか。よくわかりましたね。僕はよく見えなかったんだけど。
内藤 あの夫婦の絆ができていく場面に、黒沢さんが食卓を使っていたことに、ちょっとびっくりしました。黒沢さんが食事のシーンに、あんなに前向きな意味を持たせるなんて。
朝倉 松田龍平に「これ美味しい」って言われて長澤まさみがびっくりして、こっちも一緒にびっくりするっていう(笑)。
——私は舞台版を観ているので、その記憶と重ねながら観てしまったのですが、舞台版はもっと、鳴海が真治に惚れ直す過程が描かれていた印象があるんです。でも映画版にはそれがあんまり、なくなかったですか。
深田 ああ、そういう「過程」みたいなことは、黒沢さんの映画では常に、ないっちゃないですよね(笑)。気がついたらすでに心が変わっていることが多い。今回も、鳴海(長澤まさみ)や桜井(長谷川博己)の行動原理がまるでつかめないじゃないですか。鳴海は真治を好きなのか嫌いなのか。桜井は地球を救いたいのかそうでないのか。あの感じが、黒沢さんの映画っぽさなんですよ。黒沢さんの世界観の中では、宇宙人であろうとなかろうと、みんな等しく混ざっちゃう。
朝倉 この前、トビー・フーパーが亡くなりましたよね。それについて原稿を書く機会をいただいて、何本か観直したんですけど、トビー・フーパーの作品って、登場人物が一本調子であればあるほど、作品がめちゃめちゃ面白くなるんですよ。で、その一本調子の人たちはみんな、大抵最初からトップスピードで怒ってるんですよね。怒って怒って怒って、その最後に「自分は何かに間に合わなかったのだ」ということに気づいて終わるんです。「以上!」っていう感じ。それが話によって、愛だとか恐怖だとか執着だとかへの遺言になるんですけど。どの映画も、基本的にそうなんですよ。
内藤 なるほど。
朝倉 で、黒沢さんにも、その気があって。トビー・フーパーほど極端ではないけど、中心に据える人物の一本調子さを、すごくナチュラルに魅力的に描ける人だと思うんですよね。今回は長澤まさみがまさにそうで。「やんなっちゃうなあ!」って、ずーーっと怒ってて、そこに愛のうねりが寄せて返して。ファンタジーな女性像だとも思いつつも、夫婦パートはもう、あれでいいと思うんです。素晴らしい。一方で私は今日、ここに来る途中に考えてたのは、天野(高杉真宙)くんがもっとぐんぐん侵略を頑張ってくれて、桜井さんがさらに振り回されて、人間代表として揺れ動く様がもっと見たかったなあと……。
内藤 それは、侵略ものとして、ということですか? ジャンル的には弱いというか、今回も(観客は)そのへんを期待したところもあるじゃないですか。
朝倉 ジャンル的にっていうより、人間ドラマとしてですかね。人って、「設定が甘い」みたいなことを、言うでしょう。映画に対して。
深田 まるで言われたことがあるみたいに。
朝倉 わはは(笑)。でも私は結構、良くも悪くも、気にならないタイプで。だから今回も、言おうと思えばいくらでも言えるんだろうなと思うけど、でも映画の面白さってそこじゃないよね!っていうところがしっかり担保されてる映画だと思うんですよね。なので胸を張って、天野くんがもっと予想もつかない感じに成長して強くなっていってしまってもよかったのでは、と思って。
深田 その方が、侵略する気があまりなさそうな真治との対比は出ますよね。
朝倉 それで桜井さんは、ますます天野に蹂躙されざるをえないみたいな。天野のポテンシャルを序盤にすごく感じたので、ちょっとさみしかったかなというのはありますね。
深田 なるほどね。
朝倉 映画作るときに「一本調子問題」って、ありますよね。一本調子キャラと成長キャラって同じ人間とは思えないほど使い方が大きく違うし、出来上がる映画が全然違う。成長させようとドラマを作れば作るほど、停滞する部分も出てくるじゃないですか。
深田 うん。
内藤 心が変化していく描写が必要になっちゃう。
朝倉 でも一本調子であればあるほど、物事自体は進められるけど、振り落とされていくものがあるし。その匙加減が、……
内藤 DCの『バットマン V スーパーマン』がそうかもしれないですね。ずっと悩んでて、なかなか戦わない。
一同 (笑)
朝倉 そのへん、『散歩〜』はいろんなバリエーションがありつつ共存してる映画でしたよね。夫婦関係は夫婦関係としてあるけど、逆にあの人たちは夫婦関係の問題しか、与しないというのがすごく潔いなと思いました。
内藤 僕はボディースナッチャーものとしての、侵略SFとしての面白さを期待したところがあって。途中から、この映画はそうじゃないんだって気づいたんですけど。で、WOWOWでスピンオフ・ドラマが作られたじゃないですか。高橋洋さんが脚本を手がける、『予兆 散歩する侵略者』(http://www.wowow.co.jp/drama/sanpo/)。こっちはボディースナッチャーものの面白さがが詰まっているんじゃないかと、期待してします。
深田 ああ。あれがすごいらしいという評判は、関係筋から聞こえてきます。
朝倉 あれの予告が、やばかった。病院の長い廊下で、東出くんが歩いてくる背後で人がばたばた倒れていくショットがあって。ちなみに本編の方の病院のシーンでは、何だかギターを掻き鳴らしながらやってくる人がいたじゃないですか。
深田 はははは!
内藤 いましたね、いました。
朝倉 あれは、何の概念を奪われたら、ああなってしまうのかと……ツッコミではなく楽しい想像の余地としての疑問です(笑)。
深田 何だろう。「羞恥心」とかかなあ(笑)。概念を奪われた人たちが、みんな楽しそうなのが黒沢さんだなあって思いました。「仕事」を奪われた光石研さんのはしゃぎ方たるや(笑)。ルールのわからないスポーツを観ているような感じだった。
朝倉 そう! ルールのわからないスポーツを観るのって、やっぱり楽しいんですよ。
内藤 僕も途中から、額に指で触れなくても、遠くにいる人の概念を奪えるようになった時点で、得心しました。「これとこれとこういう操作があればできる」みたいなルール立てが周到な映画って、だいたいつまらないじゃないですか。
深田 (笑)
内藤 そこがまるで説明無しだったのが、良かったですよね。映画としてこういう飛躍が面白いと思うんですけど、得てして開発段階で、「どういう理屈でコレが起きるの?」ってなって、説明描写を加えていくうちに、どんどんつまらなくなってしまうことって多いと感じるんです。(続く)
【3】
朝倉 あと、立花あきら(恒松祐里)のアクションが素晴らしかったですよね。
深田 ダンスしてるみたいでしたよね。
朝倉 ね! 実際にバレエをやってた方みたいですね。特に最初に刑事(児嶋一哉)に飛びつくのが、あまりにも不意打ちすぎて、めまいがしました。最高でした。
深田 なぜ彼女にそんな能力があるのかについても、一切説明されずに(笑)。
内藤 『ビューティフル・ニュー・ベイエリア・プロジェクト』『Seventh Code』から、女性アクションに目覚めてる感じがありますよね。
深田 トロント映画祭で、黒沢さんとお話する機会があったんですけど。ちょうど『散歩〜』の撮影が終わった頃だったのかな。とにかくマシンガンについて熱く語られまして。
朝倉 へえー!
深田 その謎が今回、解けましたね。予想以上に撃ちまくってた。あと面白かったのは、こういうことをどういう文脈で思いつくんだろうと思うんですけど、桜井が真治と鳴海の家の前で二人を待っているシーンで、妙に明るいライトが光っていたじゃないですか。真治がハケると、不思議な光が、後ろに。
朝倉 どかん!とね。
深田 そう。でも、何の光だかはまったく語られない。
内藤 ああ、ありましたね(笑)。
朝倉 明らかに光源がここに!っていう位置でね(笑)。
深田 明らかに意図的に作られた光源があって、その正体はわからないけど、でも妙に面白いんですよね。
朝倉 ああいうのもきっと黒沢さんが、「ちょっとその……光らせたい、とは思っています。」みたいなことを言って、照明の永田英則さんが楽しげにどん!と光源を置くのかなと想像してました(笑)。
深田 リアリズムでは絶対に出ない描写ですよね。
朝倉 最高ですよね! ああいうの、ほんと最高!
深田 あのシーンが僕の中では、一番盛り上がったシーンなんですよ。そこへ向こうから天野たちのワゴン車がやってきて、あぜ道にがしゃーん!と突っ込んでいく。
朝倉 あの車も良かったですよね。あんな、まさかあんなルートで(笑)!
深田 『トウキョウソナタ』でも、僕が一番好きだったのは赤いスポーツカーのシーンでした。窓がウィーンって開く場面。今回も、車のシーンなんですよね。車内から謎の夕焼けを見てるシーンとか。
朝倉 あれも良かったですねえ……。スクリーン・プロセスが今回、バリエーションがありましたよね。
内藤 今回、わりと自然に見えた気がします。風力発電の風車が見えるところとか。
朝倉 それを狙ってた気がした。今までよりナチュラルな感じ。
——「概念を奪う」という侵略の仕方については、どう思われますか。
深田 よくそれを映画化しようとしたな!って思いますね。きっと黒沢さんは、「映画に心なんか映らない」と思って映画を作ってきた人なんじゃないかと、僕は勝手に思ってるんです。だからこそ、具体的なアクションが際立ってくる。その中で、よりによって「概念」を奪うっていう、一番映像化するのが大変なネタを、あえて黒沢さんが選んだというのが面白いですよね。
内藤 僕は、『CURE』の発展型であるように思いました。ある人物がいて、何かが派生して、周囲の人間が決定的な変貌を遂げてしまう。実際、額に指先を当てるアクションは、『CURE』にもありましたよね。取調室で萩原聖人が役所広司の額にトントンって。そして「概念」を奪われた人たちが、決して可哀想には見えない。あれはあれで、ある種の解放であるっていうところが面白かったですね。
朝倉 ちょっと不確かですけど、原作の前川知大さんはそもそも『CURE』が好きで、それを意識して戯曲を書いたみたいなことを、どこかで読んだ気がします。ただ、舞台でやれることと映画でやれることって、違うじゃないですか。そこを照らし合わせようとすると、難しいことになっちゃうと思うけど、今回の場合はもともとの発想が近しいんだなあと思いました。黒沢さんの映画ってやっぱり「活劇」……いわゆるあの世代の方たちが言う「活劇」っていうものを体現してるところがあるじゃないですか。出て来る人たちの身体能力も高かったり。でもやっぱり、ありますよね。『CURE』がどうしても生み出されちゃう、あの感じ。『カリスマ』っていう映画があった、あの感じ。
内藤 ああ、はい。
深田 はい、はい。
朝倉 なんかちょっとやっぱり、「概念」っていう概念が好き、っていう感じは、ある気がする。
内藤 『地獄の警備員』でも「概念」的なことを語ってた気がします。終盤に長ぜりふがありましたよね。
朝倉 そういえば、ビデオ時代の黒沢作品って、スピーチシーンがあったじゃないですか。それを今回、久しぶりに観たなと思って。今回は拡声器こそ持たなかったけど、「おお、しゃべってるしゃべってる!」って思って。
深田 そうね。しゃべってる人と、それを聞いている群衆。黒沢さんの原風景にある気がする。『勝手にしやがれ 英雄計画』だったかな、デモシーンが延々とあったよね。
朝倉 ああ。土手っ腹みたいなところを、ずーーっと。
内藤 『大いなる幻影』も、デモシーンがありましたね。
朝倉 行進があった。何だかわからない行進が。
内藤 今回、長谷川博己のスピーチが、「伝わるとは期待していないけど一応言うことは言ったから」みたいなニュアンスだったのが、すごく黒沢さんっぽいなあって思いました。
朝倉 ぽい!(笑)「あとは君らの好きにしろ」感。
内藤 『シン・ゴジラ』にもそんなフレーズが出てきましたよね。行方不明になった教授(岡本喜八)が最後に書き残した言葉。
朝倉 それ、黒沢さんは絶対に、意識してないですよね(笑)。
一同 (笑)
深田 この話は全然スルーしてもらっていいんですけど、終盤、鳴海と真治が立ち寄る教会が、『淵に立つ』で使った教会と同じところなんです。
朝倉 え! 気づかなかった!
深田 そう。監督が違うと、カメラ位置もこんなに違うんだなあと思いました。
朝倉 教会のシーンも最高でしたね。「愛」の概念に頭を抱える松田龍平(笑)。
内藤 (神父役の)東出昌大って、ああいう得体の知れない役がハマりますよね。『寄生獣』とか。
深田 へえ。何の役だったんですか。
朝倉 宇宙人に、すでに乗っ取られている男子高校生。特殊メイクなしでも宇宙人にしか見えないんですよ。
——真治が彼から「愛」を奪えなかったのは、彼がそれほど「愛」を具体的にイメージできていなかったということ?
朝倉 いや、壮大すぎるのと、複雑すぎるのと、っていうことだと思います。
深田 だから、鳴海は「愛」を奪われてどうなっちゃったんでしょうね。教会のシーンで、「愛は無尽蔵だ」って言われるじゃないですか。あれが一応伏線で、「奪ったけど無くならなかった」っていう展開になるんだろうなと思ってたんだけど、そうじゃなかった。
朝倉 たぶんあれはね、松田龍平に、最後のせりふを言わせるための、あれですよ。
深田 最後のくだりは、原作にはないんですよね。
——ないですね。
内藤 意図的に、パズルのピースがハマらないようにしてるのかなとも思いますけどね。ああやって相手を看病し続けるというのが、純粋な「愛」の形なのだと、黒沢さんは考えていそうな感じが。
朝倉 ああ。それ、『CURE』だね……!
内藤 そうですね。『リアル〜完全なる首長竜の日〜』も、原作とは男女が逆転しているんですよ。女性を、男性が見守るという形に書き直されている。今回も、最終的には奥さんを見守り続けるというのが、黒沢さん自身のスタンスなのかなあと。
深田 純愛だな……
内藤 純愛ですね。黒沢さんって飲み会とかそんなに参加せずに、うちに帰って奥さんのごはんを食べるそうですよ。
深田 黒沢さんの現場が早いのは、なるべく家でごはんを食べたいからだって聞いたことあります。
【4】
内藤 トビー・フーパーの話で思い出しましたけど、冒頭、家からおばあちゃんが一瞬だけ出てきて、家の中に連れ込まれるじゃないですか。あれ、『悪魔のいけにえ』かなあと思ったんですけど。
深田 あの扉が閉まった瞬間に「今回はジャンル映画だ!」っていう宣言を聞いたような気がしました(笑)。
内藤 万田さんの『接吻』にも、そんな場面がありましたよね。そっちは、すごく怖かったんですよ。でも今回、ちょっと笑えたじゃないですか。万田さんと黒沢さんでは、同じモチーフでもこんなふうに変わるんだなあって思いました。
深田 今回は、コメディ調っていう雰囲気が全体的に漂ってましたよね。
内藤 曲もそうですよね。
朝倉 あの曲、よかったですね! 最初の「散歩のテーマ」みたいな。
深田 あと、立花が刑事と突然格闘を始める場面、『バイオハザード』を思い出しました。最初、ミラ・ジョヴォヴィッチは一般人みたいなテイで始まるんだけど、ゾンビ犬が襲いかかってくると、いきなり壁の反動を利用して三角蹴りを決めるっていう。
朝倉 あーー、そうそうそう!
深田 そして『バイオハザード』の元になったのが、黒沢さんの『スウィートホーム』ですからね。ここで一巡しましたね。こじつけですけど(笑)。
朝倉 なんてヤバい輪なんだ(笑)。
内藤 恒松祐里さんが、車にはねられるじゃないですか。あのダミー人形を、もうちょっと引き画で観たかったなと思って。
朝倉 あれってさ、はねられる瞬間はダミーで、でも着地してからちょっとだけ動くんだよね。
内藤 ダミーを上から吊ってて、ボーン!って上に跳ね上げて、ボトッと画面奥に落とすまでを、ワンカットでやれるように準備してたらしいんですよ。それを聞いてたから、引き画でやるのかなーと思っていたら、結構寄りだった。結果、動きがCGっぽかったですよね。でも黒沢さんって結構、ダミーだとわかるようなテイクでも採用したりするから、人形のままでもよかったのでは?って思ったりしました。
朝倉 あと、内輪向けの話題としては、酒井(善三、映画美学校フィクション・コース第14期修了生)くんがエキストラで映ってなかった? 美味しい去り方してました。
内藤 僕も見つけました! 満島真之介が演説してたところ。
——『散歩〜』がこれまでの黒沢作品とは違う点は?
内藤 映画全体が爽やかに感じましたね。劇伴のコミカルさもあると思うんですけど。物語の着地の仕方も。それが、これまでの発展形でありつつ、最近生じつつある流れなのかなと思いました。食卓の場面がポジティブに描かれていたり、女優さんのアップが増えていたり。
深田 黒沢さんは、ハリウッド映画をずっと意識しておられるじゃないですか。でもそれってどちらかというと、ヌーヴェルヴァーグにおけるハリウッドみたいなもので。ゴダールもトリュフォーもロベールも、「ハリウッド」「ハリウッド」って言いながら、撮ってるものは一見全然違って、彼らなりの「ハリウッド」を表現していますよね。かつての黒沢さんもそれに近かったけれど、でも最近は結構正面から、ハリウッド的な娯楽性に近づいてきているのかなという気がします。昔以上に、接近してきている感じがしますね。
内藤 原作ものだということも、あるんですかね。すでに原作が娯楽性のある設定を描いているから、そこに乗っかっていきますというような。
深田 ああ。それは確かにあるかもしれないですね。
朝倉 私は鳴海(長澤まさみ)かなあ。あの新しいヒロイン像が娯楽性が一歩進んだ感じを体現してた気がする。どんなに怒ってる人であろうと、これからどんなに波乱万丈な物語が待ち受けていようと、「やんなっちゃうなあ!」って言える女性像は、昔の哀川翔にも似てるけど、ちょっと違くて。何が違うのか、まだ答えが出ないんですけど。
内藤 黒沢作品に出たいという女優さんが、ますます増えるんじゃないかと思います。スピンオフに出演する夏帆さんも、以前お仕事したときに「出演してみたい監督ってどなたですか?」って聞いたら、「黒沢監督です」って答えていました。出演した方たちも満足度を高いと思うんです。実際、小泉今日子や前田敦子がチョイ役でも出るじゃないですか。
深田 びっくりしましたね。前田敦子は、この後もまた出てくるのかと思ってたら出てこないし。小泉今日子も、最後の最後に突然出てきて、ものすごく大事なことを言うっていう(笑)。
朝倉 毎回、何だか豪華すぎて。画面の端っこに誰かが出てくるたびにびっくりする。
内藤 登場人物たちが着ている服の色も印象的でしたよね。アースカラー系で統一しているのかと思ったら、真治が突然、オレンジ色のシャツを着ていたり。
朝倉 あんまり衣裳をルールっぽく決めてなかったですね。暖色系とか寒色系で、キャラの違いが分かれてたりするのかなと思いきや、長澤まさみがブルー着てたりピンク着てたり、松田龍平もグレー着てたりオレンジ着てたり。
深田 宇宙人の女の子も、結構衣裳を変えてましたよね。おしゃれだなあ、どこでどう仕入れたんだろうと思いつつ。
朝倉 ミニスカートの下に短パン履いてましたね。
内藤 長谷川博己のサングラスは、自前だったらしいですね。
深田 長谷川博己は宇宙人になってからの芝居が最高でしたね!
朝倉 あの片足歩きびっくりした! 人間、あんなことができるんだ!って思った!
深田 黒沢さんって歩き方にもこだわるんですよね。『回路』の幽霊がコケそうになるところとか、僕は最高に好きなんですけど。人の歩き方ひとつで、ここまで映画を面白くできるのか、っていう。
朝倉 あのシーンの起き上がり方は、テストで長谷川さんがやってみせたのがウケてそのまま採用になったってパンフに書いてありました。
一同 へえー。
深田 いいな。今の話で、長谷川さんを一気に好きになった。
——俳優からも愛される監督なんですね、黒沢さんは。
朝倉 ほんと、みーんな、黒沢さんのことが好きですよね。俳優部もスタッフも、みーーんな黒沢さんが好き。プロデューサーとか宣伝チームとか、もっと偉い人たちも、みーーーんな黒沢さんが好き。
深田 そうありたいものですね。
内藤 そうですね(笑)。
——なぜみんなそんなに黒沢さんが好きですか?
深田 やっぱり、紳士だからじゃないですか。噂で聞くと。
内藤 黒沢さんの話を聞こうとすると、みんなうれしそうに話しますよね。
——観客に愛されて、出る人にも作る人にもスタッフ陣にも愛されて。黒沢さんって何なんでしょう。
深田 何なんでしょうね(笑)。
朝倉 でもこれは有名な噂ですけど、山下敦弘さんが注目を集め始めた頃に、何かの映画祭で審査員だった黒沢さんは山下さんのことをひと言も褒めなくて、「あれは潰しにかかってる」ってささやかれてたって(笑)。
内藤 それ、僕も聞いたことあります。本当に警戒している人のことは褒めないっていう。
朝倉 『岸辺〜』の時には、「他の作り手の現場を見るのが本当に嫌だ」っておっしゃってました。「一秒たりとも居たくない」「何が面白いのかわからない」って。
深田 それ、ちょっとわかるかもしれない(笑)。自分も昔はよく人の現場を手伝ったんですけど、内心早く帰りたくて仕方なかった(笑)。面白い絵になっていたらそれはそれで自分の映画でもないのに、と黒い情念が湧きますし。酷い話ですけど。
——今、ちょっとほっとしました。黒沢さんもちゃんと人間で。
一同 (笑)
——では、最後にこの映画について、言い残したことなどありましたらどうぞ。
朝倉 いやあ……面白かったなあ、っていうことに尽きますね。今日、座談会をするにあたって、ちょっと困ったなあって思ったんですよね。「面白かったあ……」っていう言葉しか浮かばなかったので。
深田 これだけ黒沢作品を観すぎてしまうと、つい黒沢印を探しながら観てしまうんですよ。「あ、ビニールのカーテン」とか。
朝倉 広い空間があると、隠れてる人を探しちゃうとか。
深田 だから、もうちょっとフラットに観たいなと思うところがあるんですよね。
朝倉 でも今回は、そういう意識はあまり浮かばずに観ることができたので。
深田 昔のVシネ時代、哀川翔時代のでたらめさを思い出せる映画でしたよね。
内藤 確かに、黒沢印の再現をファンも望んじゃってるし、黒沢組のスタッフが固定されてきているから、「印」の再現はできる体制だと思うんですけど、そうじゃないものもみたいって気持ちもありますね。
深田 そういう「印」を残せるだけでも、ある種の天才なんだと思うけど。一方で、どんどん作品を軽やかに更新していってしまう天才でもあるから。今回で言えば、女性を真正面から撮っていることとか、夫婦の純愛をストレートに描いていることとか。
——広く愛される作り手って、何かが変化すると「変わっちゃったなあ……」って離れられてしまったりするでしょう。そういうことが、黒沢さんには起きないのですか?
朝倉 いや、もちろん、時代ごとに猛烈に愛してらっしゃる方もおられるんじゃないでしょうか。
内藤 そういう意味で、「高橋洋さんとまた組んでほしい」っていう熱望が、僕らの中にずっとあったことは確かです。それが今回『予兆〜』で叶うので。
深田 そう! 高橋さんと組んでいた頃の黒沢さんって、僕の中では黄金時代なんですよ。黒沢さんにとって、何でも言うことを聞いてくれる脚本家と組むことによるメリットはもちろんあるんだけど、高橋さんは黒沢さんと拮抗しうる個性の持ち主だから。その二人のぶつかり合いを、本当に観たいですね。
内藤 そうなんです。もし『散歩〜』本編に高橋さんが入っていたら、「このワゴン車の秘密集団は何ですか?」ってことになったと思うんですよ。
朝倉 彼らのバックストーリーが、膨大に盛り込まれそうですよね。
一同 (笑)
内藤 そういう化学変化が観たいですよね。黒沢さんファンの多くも期待しているんじゃないかと思います。(2017/09/14)
朝倉 私はそもそも、まず黒沢清という人が、ここ20年ぐらいずっと日本を代表するカッコいい映画監督だと思っていますね。子供の時に映画館で「スイートホーム」を観て怖くて冒頭10分で出たという辛い記憶もありますけど、大学生の頃から本格的に観始めて大好きになって、映画美学校に入るきっかけになった一人でもあるし。
深田 うん。僕もそうですね。
内藤 深田さんの頃は、黒沢さんは頻繁に授業されていたんですか。
深田 いや、1年に1回でしたね。「黒沢さんがメイン講師なんだ!」って勇んで入ってきた人が多かったから、若干の波紋を呼びました(笑)。でも僕らの代には「研究科」という、講師陣による自主ゼミみたいなものがあって、そこに「高橋(洋)・黒沢ゼミ」というのが開かれたんです。
朝倉 うぉお!
深田 高橋さんがメイン講師で、2〜3回に1回は黒沢さんがいらして、みんなで8ミリ映画を公園に撮りに行ったりしてました。
朝倉 それ、超楽しいやつじゃないですか。いいなあ。私の時も授業は年1回で、でもその後上映のゲストに出ていただいたりで何度かお会いしたことはありましたけど、やっぱり遥か遠くの人って感じでした。でも、2014年に『岸辺の旅』でメイキングに入って、そこで私の「生のキヨシ」メモリーが、突然ぴょんと増量した感じです(笑)。
内藤 僕の同期に黒沢さんファンのロシア人がいたんですけど、年1回しか黒沢さんの講義がなかったから、事務局に「キヨシ・クロサワ、イナイジャナーイ」ってキレてました(笑)。
僕はもともと、トビー・フーパーが好きで。調べていったら、クロサワキヨシという日本の監督がすごく褒めているということで、興味を持って『CURE』を観たんですね。でも僕はそれまで、アメリカの単純明快な娯楽映画ばかり観ていたので、『CURE』の良さがよくわからなかったんです。でも、妙に、心には残っていて。「変な映画だったなー」と思いつつ、たびたび観直しているうちに、だんだん好きになっていったという感じですね。商業映画を撮るようになって、黒沢作品に参加していたスタッフと仕事することが重なって、「現場での黒沢監督」についての話を結構聞いたんです。よく映画関係者に「あの監督、こうだよ」って聞くと、ちょっとがっかりしたりとか、幻滅しちゃったりすることがあるじゃないですか。もちろん、監督の人間性と作品の価値は別だと思ってはいますが。でも黒沢さんについては、話を聞けば聞くほど、どんどん好きになっていくんですよね。
——例えば、どういうところを?
内藤 『散歩〜』で言うと、サブマシンガンを撃つシーンがあるじゃないですか。火薬をちゃんと入れて、撃てる小道具が用意されたんですけど、役者の近くで発砲するのは危ないから、芝居は火薬なしでやって、VFXでマズルの光や飛ぶ薬莢を描き加えたそうです。芝居パートが終わった後に、現場で火薬ありの発砲をしてマズルの光と飛ぶ薬莢のリファレンスを撮っているですね。その「リファレンス用の火薬ありの発砲」の準備をスタッフがしてたら、黒沢さんがおずおずと近寄ってきて「……それ、誰が撃ってもいいんだよね?」「僕が撃ってもいいかな?」って言い出して、自分でだだだだだ!って撃ったらしいです。ちょっと可愛くないですか(笑)。
一同 (笑)
内藤 そういう、無邪気さというか。自主映画を撮り始めたころにあるような、子供っぽく映画を遊ぶ気持ちがいまだにあるというのは、すごいことだなと思ったんです。
深田 僕が最初に観た黒沢作品は『スウィートホーム』でした。僕が8歳の時ですね。あの作品って、ファミコンのRPGになってるんですよね。実はそれが『バイオハザード』の元になっていて、それがめちゃめちゃ面白かった。僕は映画そっちのけで、そっちに夢中になりました。でもこの間、映画の方をVHSで観直したら、これも大傑作だった。映画版の価値に、あの頃の僕は気づいていなかったなあと思いました。その後、僕が本当に衝撃を受けたのは、Vシネ時代の作品群ですね。哀川翔の『勝手にしやがれ』シリーズとか、高橋洋さんが脚本を手がけている『蛇の道』とか。そこからずっとファンです。
——どういうところに惹かれましたか。
深田 言語化がなかなか難しいんですけど、とにかくカッコいいんですよね。特に暴力の描き方。『散歩〜』にもあったけど、極めて乾いた描き方をされるじゃないですか。黒沢さんが登場人物に銃を持たせたら、ものすごくカッコいいことになる。つい、真似したくなるような。「暴力をどう描くか」ということについては、黒沢さんが現れたことで、日本映画はワンランク更新されたんだろうなと思うんです。倫理観とかセンチメンタリズムは一切関係なく、パァン!と起きる暴力。そこに非常に惹かれました。あと、独特のでたらめさですよね。物事の整合性とかじゃなく、とにかく映画の面白さ、その一点だけを信じて作られてる。大好きですね。だから今日はこんな本を持ってきました。みんなも持ってるんじゃないかと思うんだけど。
内藤 あーー。
朝倉 持ってる(笑)。この凝った表紙にはクレジットがついてて、万田(邦敏)さんや篠崎(誠)さん達の名前が載ってますよね。
内藤 僕は再版されて表紙が変わったのを持ってます。
深田 しかも僕はミーハーなので、去年、対談する機会に恵まれまして、その時に、おずおずとサインをいただいてしまいました。
一同 おおーー。
朝倉 この本、めちゃくちゃ面白いですよね!
深田 どこまで信じていいのかわからない一冊ですよね(笑)。
——朝倉さんは、黒沢さんの何に惹かれますか。
朝倉 やっぱり、さっき深田さんが言われたみたいに、話にでたらめな部分もあるんだけど、そのでたらめさが悪趣味ではなくて、「面白さ」の発展型なんですよね。でたらめさに、品位があるというか。あとはやっぱり、黒沢さんのスピード感が私は好きで。お芝居の動きと、台詞と、物語と——この本にも書かれてたけど、物語を何秒間でどれくらい進められるかっていうのが、キチキチしてないのに、すごく速くて。その運動神経のすさまじさが、本当に好きですね。何回でも観れちゃう。
内藤 役者の動かし方が不思議ですよね。何かのインタビューで読んだんですけど、台詞の一つ一つに役者の動線を決めて、俯瞰した図解を台本に書き込んで、それを元に演出してるって。
朝倉 この前出た『文學界』の別冊(『黒沢清の全貌』)に、その俯瞰図を書き込んだ台本の写真が載ってましたね。撮るのは横からなのに、それを上からの図解で理解できるって、何だろう。
深田 黒沢さんの世界観って、いわゆる「ナチュラル」とは違うと思うんですよ。完全に映画言語で、しかも黒沢的映画言語で作られているから、全然ナチュラルではなくて。今回も、松田龍平さんはひと目見ただけで宇宙人だってことが納得できるような動きをしていたけど、段々とその周りにいる普通の人々や群衆も宇宙人と変わらないように見えてくる(笑)。それってつまり、黒沢さんにとってのリアリティが「ナチュラルさ」とはまったく違うところにあるんだろうなと思うんです。その点において、『勝手にしやがれ』で大好きなシーンがあるんですけど。哀川翔が毎日会社で退屈な仕事をしているという描写で、どう見てもカロリーメイトにしか見えない何らかの食べものを食べて、何かをメモするっていうだけの仕事なんですよ。
朝倉 (笑)
深田 でっちあげられた、適当な仕事なんですよね。でもその、黒沢さんの自由さ、軽さって、今も変わってないなあと感じました。『散歩〜』でも、笹野高史さんが率いる謎の集団が出てくるじゃないですか。あれは一体何なんだろう、って最後までわからないんだけど、でもまあ、それはそれでいいか!ってなってしまう。
内藤 あれ、今回一番でたらめでしたよね。
朝倉 衝撃を受けました。久々に!
深田 人の動き方にしても、いろんな人が大小の動きを見せるんだけど、それぞれが何らかの用事を与えられてるんですよね。「この書類をあそこに置く」とか。でも「なぜその書類をそこに置くのか」ということには、あんまり重きを置かれてなくて。そのリアリティのさじ加減というか、黒沢さんの文法の中でディテールが作られていくあの感じが、黒沢さんの作家性なんだろうなと思いますね。
朝倉 あれ、どういうふうに作られてるんだろう、って素朴に不思議だったんですよ。「役者は複雑な動線で動いていて、行く先々で台詞が喋られて、カメラは少しずつ横に回り込んでいたがいつの間にかタイトな横位置2ショットに」みたいなショットがあるじゃないですか。不思議だなあと思いながら、『岸辺の旅』のメイキングを撮りに行ったんですけど。
深田 そうか、そうだ。現場を見てるんだ朝倉さんは。ぜひ教えてくださいよ。
朝倉 恐ろしいことに、極めてナチュラルに作られるんです。段取り前に黒沢さんから撮影の芦沢明子さん他スタッフの方にプランの説明があって。で、段取りで役者には「こっちを向いてこれを言って、あれをやってこれをやって、これをこういう感じで行けますかね?」って半ば確認つつ少しずつ誘導して、動きが一通り決まって。それが終わる頃には芦沢さんのほうも確認が済んでいて、「はい、じゃあ、やってみましょうか」ってやったら、もうあれができちゃう。極めて普通の手順で、でもあっという間に作られる。
内藤 『トウキョウソナタ』のスタッフに聞いたら、動きをつけた後で黒沢さんは、「できなかったらできなくてもいいです」って言うらしいですね。すると、役者の生理として、「そう言われたらやりたくなる!」っていう心理が働くって聞きました。
朝倉 だから役者の気持ちを無視するみたいなことは一切しないし、みんなの共通理解で「こういうふうにしたいんですけど大丈夫ですかね」「はい」「じゃ、やってみますか。(カメラマンに)回してください」みたいなスピードで。間に無駄な空白が一切ない。
内藤 じゃあやっぱり速いんですか。役者に説明して、動きをつけて、撮るまでが。
朝倉 速いですね。速いです。
深田 僕はこの間まで、芦沢さんと現場でご一緒してたんですけど、やっぱり黒沢さんの現場は速いっておっしゃってました。
朝倉 芦沢さん、私も短編ドラマを撮影していただいたことがあるんです。黒沢さん自体ももちろん速いんですけど、芦沢さんはたぶん、黒沢さんの現場の時は特にめちゃくちゃ速いのではと思います。かつ表面では絶対に急いでる風に見せない。凄まじかったです。
深田 黒沢さんがそうやって速く動けるのは、俳優を信頼しているからなのかなと思うんですよね。ここからあっちに行く、その間をどう埋めるかは、俳優次第っていう。
朝倉 ああ、普通に俳優さんに相談したりされてましたね。「最終的にはこのタイミングでここに居てほしいんですけど、ここからここの間ってお任せしてもいいですか?」って、ゆだねてる部分も多々ありました。お芝居以外でも、撮影だったり、美術だったり、俳優さんだったり、相手にゆだねる領域が結構広くて。
深田 それでもちゃんと黒沢印になってるんですよね。今回出てくる、夏休みの工作みたいな発信機なんか、Vシネ時代の黒沢さんを観ているかのようだった(笑)。
朝倉 そう、昔から同じものを観てきているような気がした(笑)。でも『岸辺〜』の時に、みんなが黒沢さんに「合わせてる」というのともどうやら違うように見えて。黒沢さんから「こうしたいんですけど、どうしたらいいですかね」って言われたら、相手もうれしいから、みんな頑張るし、できれば黒沢さんの想像を超えたものを返したい。そういう構図が、現場のありとあらゆるところに見られました。
深田 今回、演説シーンがいくつかあったじゃないですか。真治(松田龍平)に「所有の"の"」を奪われた丸尾君(満島真之介)が熱く語ってるところとか、普通に考えたらあの演説にあんなに人は群がらないだろうと思っちゃうんだけど、でも黒沢さんの映画だと、ちゃんと人がいて、ちゃんと動いている。その配置というか、デザインのされ方が、黒沢印なんですよね。
内藤 『クリーピー 偽りの隣人』で、西島秀俊と川口春奈が大学の中で話しているシーンがあったじゃないですか。ガラス窓の奥に大学生たちがたくさんいて。最初はわりかしナチュラルにしゃべっているんですけど、あるタイミングでエキストラの一人が、カメラ側を見るんですよね。そこから人工的な動きを始める。意味はよく分かんないけど、ちょー印象的なショットで、あのエキストラの動きはどうやってつけたんだろう?と疑問に思っていたんです。話を聞いたら、エキストラを担当する人と、カメラ側にいた人の、通信電波がつながらなくて、「よーい、はい!」が伝わらなかったらしいんです。だから最初は撮影中だと気づいてなくて普通に動いてて、途中で「やべ、本番始まってるっぽい!」ってなって、あわてて動き出したみたいで。
深田 はははは。
内藤 それはよくある失敗だから、普通ならNGとして撮り直すところなんだけど、それを観ていた黒沢さんが「オッケイ!」って。あえて異物っぽいところを、積極的に取り込んでいくというか。「不自然さが面白い」って考えてるんじゃないかなと思うんですよね。『贖罪』でも、カメラがドリーしてたら、「ガッタン」ってブレたところを、わざわざ使ってた記憶があって。
深田 海外で黒沢さんの人気はすごく高いですけど、国際映画祭で評価されるのは、やはり作家性の高い人なんですね。原作ものをたくさんやっていると、どうしても作家性が弱まって見えてしまう。その監督独自の世界観が伝わりづらくなっちゃうところがあるんだけど、黒沢さんに関しては、どんな原作ものでも、黒沢さんの映画にしか見えないですよね。物事をどう映すか、どう切り取るかっていうところにこそ、黒沢さんの作家性が潜んでいるんだろうなと思いますね。
【2】
——『散歩する侵略者』も、黒沢印でしたか。
深田 黒沢印満載だったと思います。
朝倉 そうですねえ。
内藤 微妙に違うなと思ったのは、寄りがいつもより多かった気がします。
深田 最近の黒沢さんは寄りが増えてきてる感じがする。『岸辺の旅』もそうだったと思うけど。
朝倉 『贖罪』からかなあ、と私は思ってます。テレビドラマだから、サイズを意識したのかも。あと『岸辺〜』はカメラテストの時にすでにクロースアップの検証をしていたような記憶がありますね。
深田 あと、昔の黒沢さんより、優しくなってませんか。映画が。
内藤 ああ。優しさはあると思います。
深田 特にこのところ、女性がフォーカスされるようになりましたよね。それまでの黒沢作品って、「ほんとにこの人、女性に興味ないんだな!」っていう感じだったと思うんですけど(笑)。毎回、添え物的に登場するくらいだったじゃないですか。
朝倉 揺れるカーテンとほぼ同列扱いの女性像(笑)。
内藤 僕は今回、長澤まさみがよかったと思うんです。可愛い、高い声を出す人だっていうイメージが強かったので、あんなに低いトーンで話す長澤まさみを、僕は見たことがなかった。日本映画の多くって女性に可愛らしさを求めがちだと思うんですけど、黒沢さんはもっとフラットに女性を見ているのかなと思いました。
深田 そして『岸辺〜』も『散歩〜』も、最後は結構純愛でしたね。
内藤 性の匂いがしなかった。
深田 そこは昔と変わらないですね。
内藤 『岸辺〜』にもセックスシーンがあったけど、全然エロくなかったですよね。ほんとは撮りたくなかったみたいなことを、インタビューで読みました。でも、愛のある夫婦関係というのは、『岸辺〜』でも『散歩〜』でも共通して描かれていましたね。
深田 『CURE』も夫婦の話ですよね。だからどこかに「夫婦」というモチーフが、黒沢さんの中には一貫してあるんじゃないかと思います。……にしても、何でしょう、最近の黒沢監督の優しさは。
朝倉 昔は妻が「他者」だったんですよね。恐怖の対象だったりとか、……
深田 理解できない相手。侵略者とあまり変わらないような(笑)。
朝倉 でも最近は、「愛だろ!」みたいな。
内藤 共に生きてく人、というか。
深田 極まってましたね。愛が。
朝倉 極まってましたねえ!
内藤 黒沢映画における食事のシーンって、基本的に美味しそうには見えなかったじゃないですか。「家族で集まってやらなきゃいけない儀式」みたいな感じで描かれた後、その家族が離れ離れになったり悲惨な目に遭っていくわけですけど、今回、夫婦で食事するシーンでは、嫌いだったはずのかぼちゃの煮つけを、真治がばくばく食べる。
深田 かぼちゃの煮つけだったのか。よくわかりましたね。僕はよく見えなかったんだけど。
内藤 あの夫婦の絆ができていく場面に、黒沢さんが食卓を使っていたことに、ちょっとびっくりしました。黒沢さんが食事のシーンに、あんなに前向きな意味を持たせるなんて。
朝倉 松田龍平に「これ美味しい」って言われて長澤まさみがびっくりして、こっちも一緒にびっくりするっていう(笑)。
——私は舞台版を観ているので、その記憶と重ねながら観てしまったのですが、舞台版はもっと、鳴海が真治に惚れ直す過程が描かれていた印象があるんです。でも映画版にはそれがあんまり、なくなかったですか。
深田 ああ、そういう「過程」みたいなことは、黒沢さんの映画では常に、ないっちゃないですよね(笑)。気がついたらすでに心が変わっていることが多い。今回も、鳴海(長澤まさみ)や桜井(長谷川博己)の行動原理がまるでつかめないじゃないですか。鳴海は真治を好きなのか嫌いなのか。桜井は地球を救いたいのかそうでないのか。あの感じが、黒沢さんの映画っぽさなんですよ。黒沢さんの世界観の中では、宇宙人であろうとなかろうと、みんな等しく混ざっちゃう。
朝倉 この前、トビー・フーパーが亡くなりましたよね。それについて原稿を書く機会をいただいて、何本か観直したんですけど、トビー・フーパーの作品って、登場人物が一本調子であればあるほど、作品がめちゃめちゃ面白くなるんですよ。で、その一本調子の人たちはみんな、大抵最初からトップスピードで怒ってるんですよね。怒って怒って怒って、その最後に「自分は何かに間に合わなかったのだ」ということに気づいて終わるんです。「以上!」っていう感じ。それが話によって、愛だとか恐怖だとか執着だとかへの遺言になるんですけど。どの映画も、基本的にそうなんですよ。
内藤 なるほど。
朝倉 で、黒沢さんにも、その気があって。トビー・フーパーほど極端ではないけど、中心に据える人物の一本調子さを、すごくナチュラルに魅力的に描ける人だと思うんですよね。今回は長澤まさみがまさにそうで。「やんなっちゃうなあ!」って、ずーーっと怒ってて、そこに愛のうねりが寄せて返して。ファンタジーな女性像だとも思いつつも、夫婦パートはもう、あれでいいと思うんです。素晴らしい。一方で私は今日、ここに来る途中に考えてたのは、天野(高杉真宙)くんがもっとぐんぐん侵略を頑張ってくれて、桜井さんがさらに振り回されて、人間代表として揺れ動く様がもっと見たかったなあと……。
内藤 それは、侵略ものとして、ということですか? ジャンル的には弱いというか、今回も(観客は)そのへんを期待したところもあるじゃないですか。
朝倉 ジャンル的にっていうより、人間ドラマとしてですかね。人って、「設定が甘い」みたいなことを、言うでしょう。映画に対して。
深田 まるで言われたことがあるみたいに。
朝倉 わはは(笑)。でも私は結構、良くも悪くも、気にならないタイプで。だから今回も、言おうと思えばいくらでも言えるんだろうなと思うけど、でも映画の面白さってそこじゃないよね!っていうところがしっかり担保されてる映画だと思うんですよね。なので胸を張って、天野くんがもっと予想もつかない感じに成長して強くなっていってしまってもよかったのでは、と思って。
深田 その方が、侵略する気があまりなさそうな真治との対比は出ますよね。
朝倉 それで桜井さんは、ますます天野に蹂躙されざるをえないみたいな。天野のポテンシャルを序盤にすごく感じたので、ちょっとさみしかったかなというのはありますね。
深田 なるほどね。
朝倉 映画作るときに「一本調子問題」って、ありますよね。一本調子キャラと成長キャラって同じ人間とは思えないほど使い方が大きく違うし、出来上がる映画が全然違う。成長させようとドラマを作れば作るほど、停滞する部分も出てくるじゃないですか。
深田 うん。
内藤 心が変化していく描写が必要になっちゃう。
朝倉 でも一本調子であればあるほど、物事自体は進められるけど、振り落とされていくものがあるし。その匙加減が、……
内藤 DCの『バットマン V スーパーマン』がそうかもしれないですね。ずっと悩んでて、なかなか戦わない。
一同 (笑)
朝倉 そのへん、『散歩〜』はいろんなバリエーションがありつつ共存してる映画でしたよね。夫婦関係は夫婦関係としてあるけど、逆にあの人たちは夫婦関係の問題しか、与しないというのがすごく潔いなと思いました。
内藤 僕はボディースナッチャーものとしての、侵略SFとしての面白さを期待したところがあって。途中から、この映画はそうじゃないんだって気づいたんですけど。で、WOWOWでスピンオフ・ドラマが作られたじゃないですか。高橋洋さんが脚本を手がける、『予兆 散歩する侵略者』(http://www.wowow.co.jp/drama/sanpo/)。こっちはボディースナッチャーものの面白さがが詰まっているんじゃないかと、期待してします。
深田 ああ。あれがすごいらしいという評判は、関係筋から聞こえてきます。
朝倉 あれの予告が、やばかった。病院の長い廊下で、東出くんが歩いてくる背後で人がばたばた倒れていくショットがあって。ちなみに本編の方の病院のシーンでは、何だかギターを掻き鳴らしながらやってくる人がいたじゃないですか。
深田 はははは!
内藤 いましたね、いました。
朝倉 あれは、何の概念を奪われたら、ああなってしまうのかと……ツッコミではなく楽しい想像の余地としての疑問です(笑)。
深田 何だろう。「羞恥心」とかかなあ(笑)。概念を奪われた人たちが、みんな楽しそうなのが黒沢さんだなあって思いました。「仕事」を奪われた光石研さんのはしゃぎ方たるや(笑)。ルールのわからないスポーツを観ているような感じだった。
朝倉 そう! ルールのわからないスポーツを観るのって、やっぱり楽しいんですよ。
内藤 僕も途中から、額に指で触れなくても、遠くにいる人の概念を奪えるようになった時点で、得心しました。「これとこれとこういう操作があればできる」みたいなルール立てが周到な映画って、だいたいつまらないじゃないですか。
深田 (笑)
内藤 そこがまるで説明無しだったのが、良かったですよね。映画としてこういう飛躍が面白いと思うんですけど、得てして開発段階で、「どういう理屈でコレが起きるの?」ってなって、説明描写を加えていくうちに、どんどんつまらなくなってしまうことって多いと感じるんです。(続く)
【3】
朝倉 あと、立花あきら(恒松祐里)のアクションが素晴らしかったですよね。
深田 ダンスしてるみたいでしたよね。
朝倉 ね! 実際にバレエをやってた方みたいですね。特に最初に刑事(児嶋一哉)に飛びつくのが、あまりにも不意打ちすぎて、めまいがしました。最高でした。
深田 なぜ彼女にそんな能力があるのかについても、一切説明されずに(笑)。
内藤 『ビューティフル・ニュー・ベイエリア・プロジェクト』『Seventh Code』から、女性アクションに目覚めてる感じがありますよね。
深田 トロント映画祭で、黒沢さんとお話する機会があったんですけど。ちょうど『散歩〜』の撮影が終わった頃だったのかな。とにかくマシンガンについて熱く語られまして。
朝倉 へえー!
深田 その謎が今回、解けましたね。予想以上に撃ちまくってた。あと面白かったのは、こういうことをどういう文脈で思いつくんだろうと思うんですけど、桜井が真治と鳴海の家の前で二人を待っているシーンで、妙に明るいライトが光っていたじゃないですか。真治がハケると、不思議な光が、後ろに。
朝倉 どかん!とね。
深田 そう。でも、何の光だかはまったく語られない。
内藤 ああ、ありましたね(笑)。
朝倉 明らかに光源がここに!っていう位置でね(笑)。
深田 明らかに意図的に作られた光源があって、その正体はわからないけど、でも妙に面白いんですよね。
朝倉 ああいうのもきっと黒沢さんが、「ちょっとその……光らせたい、とは思っています。」みたいなことを言って、照明の永田英則さんが楽しげにどん!と光源を置くのかなと想像してました(笑)。
深田 リアリズムでは絶対に出ない描写ですよね。
朝倉 最高ですよね! ああいうの、ほんと最高!
深田 あのシーンが僕の中では、一番盛り上がったシーンなんですよ。そこへ向こうから天野たちのワゴン車がやってきて、あぜ道にがしゃーん!と突っ込んでいく。
朝倉 あの車も良かったですよね。あんな、まさかあんなルートで(笑)!
深田 『トウキョウソナタ』でも、僕が一番好きだったのは赤いスポーツカーのシーンでした。窓がウィーンって開く場面。今回も、車のシーンなんですよね。車内から謎の夕焼けを見てるシーンとか。
朝倉 あれも良かったですねえ……。スクリーン・プロセスが今回、バリエーションがありましたよね。
内藤 今回、わりと自然に見えた気がします。風力発電の風車が見えるところとか。
朝倉 それを狙ってた気がした。今までよりナチュラルな感じ。
——「概念を奪う」という侵略の仕方については、どう思われますか。
深田 よくそれを映画化しようとしたな!って思いますね。きっと黒沢さんは、「映画に心なんか映らない」と思って映画を作ってきた人なんじゃないかと、僕は勝手に思ってるんです。だからこそ、具体的なアクションが際立ってくる。その中で、よりによって「概念」を奪うっていう、一番映像化するのが大変なネタを、あえて黒沢さんが選んだというのが面白いですよね。
内藤 僕は、『CURE』の発展型であるように思いました。ある人物がいて、何かが派生して、周囲の人間が決定的な変貌を遂げてしまう。実際、額に指先を当てるアクションは、『CURE』にもありましたよね。取調室で萩原聖人が役所広司の額にトントンって。そして「概念」を奪われた人たちが、決して可哀想には見えない。あれはあれで、ある種の解放であるっていうところが面白かったですね。
朝倉 ちょっと不確かですけど、原作の前川知大さんはそもそも『CURE』が好きで、それを意識して戯曲を書いたみたいなことを、どこかで読んだ気がします。ただ、舞台でやれることと映画でやれることって、違うじゃないですか。そこを照らし合わせようとすると、難しいことになっちゃうと思うけど、今回の場合はもともとの発想が近しいんだなあと思いました。黒沢さんの映画ってやっぱり「活劇」……いわゆるあの世代の方たちが言う「活劇」っていうものを体現してるところがあるじゃないですか。出て来る人たちの身体能力も高かったり。でもやっぱり、ありますよね。『CURE』がどうしても生み出されちゃう、あの感じ。『カリスマ』っていう映画があった、あの感じ。
内藤 ああ、はい。
深田 はい、はい。
朝倉 なんかちょっとやっぱり、「概念」っていう概念が好き、っていう感じは、ある気がする。
内藤 『地獄の警備員』でも「概念」的なことを語ってた気がします。終盤に長ぜりふがありましたよね。
朝倉 そういえば、ビデオ時代の黒沢作品って、スピーチシーンがあったじゃないですか。それを今回、久しぶりに観たなと思って。今回は拡声器こそ持たなかったけど、「おお、しゃべってるしゃべってる!」って思って。
深田 そうね。しゃべってる人と、それを聞いている群衆。黒沢さんの原風景にある気がする。『勝手にしやがれ 英雄計画』だったかな、デモシーンが延々とあったよね。
朝倉 ああ。土手っ腹みたいなところを、ずーーっと。
内藤 『大いなる幻影』も、デモシーンがありましたね。
朝倉 行進があった。何だかわからない行進が。
内藤 今回、長谷川博己のスピーチが、「伝わるとは期待していないけど一応言うことは言ったから」みたいなニュアンスだったのが、すごく黒沢さんっぽいなあって思いました。
朝倉 ぽい!(笑)「あとは君らの好きにしろ」感。
内藤 『シン・ゴジラ』にもそんなフレーズが出てきましたよね。行方不明になった教授(岡本喜八)が最後に書き残した言葉。
朝倉 それ、黒沢さんは絶対に、意識してないですよね(笑)。
一同 (笑)
深田 この話は全然スルーしてもらっていいんですけど、終盤、鳴海と真治が立ち寄る教会が、『淵に立つ』で使った教会と同じところなんです。
朝倉 え! 気づかなかった!
深田 そう。監督が違うと、カメラ位置もこんなに違うんだなあと思いました。
朝倉 教会のシーンも最高でしたね。「愛」の概念に頭を抱える松田龍平(笑)。
内藤 (神父役の)東出昌大って、ああいう得体の知れない役がハマりますよね。『寄生獣』とか。
深田 へえ。何の役だったんですか。
朝倉 宇宙人に、すでに乗っ取られている男子高校生。特殊メイクなしでも宇宙人にしか見えないんですよ。
——真治が彼から「愛」を奪えなかったのは、彼がそれほど「愛」を具体的にイメージできていなかったということ?
朝倉 いや、壮大すぎるのと、複雑すぎるのと、っていうことだと思います。
深田 だから、鳴海は「愛」を奪われてどうなっちゃったんでしょうね。教会のシーンで、「愛は無尽蔵だ」って言われるじゃないですか。あれが一応伏線で、「奪ったけど無くならなかった」っていう展開になるんだろうなと思ってたんだけど、そうじゃなかった。
朝倉 たぶんあれはね、松田龍平に、最後のせりふを言わせるための、あれですよ。
深田 最後のくだりは、原作にはないんですよね。
——ないですね。
内藤 意図的に、パズルのピースがハマらないようにしてるのかなとも思いますけどね。ああやって相手を看病し続けるというのが、純粋な「愛」の形なのだと、黒沢さんは考えていそうな感じが。
朝倉 ああ。それ、『CURE』だね……!
内藤 そうですね。『リアル〜完全なる首長竜の日〜』も、原作とは男女が逆転しているんですよ。女性を、男性が見守るという形に書き直されている。今回も、最終的には奥さんを見守り続けるというのが、黒沢さん自身のスタンスなのかなあと。
深田 純愛だな……
内藤 純愛ですね。黒沢さんって飲み会とかそんなに参加せずに、うちに帰って奥さんのごはんを食べるそうですよ。
深田 黒沢さんの現場が早いのは、なるべく家でごはんを食べたいからだって聞いたことあります。
【4】
内藤 トビー・フーパーの話で思い出しましたけど、冒頭、家からおばあちゃんが一瞬だけ出てきて、家の中に連れ込まれるじゃないですか。あれ、『悪魔のいけにえ』かなあと思ったんですけど。
深田 あの扉が閉まった瞬間に「今回はジャンル映画だ!」っていう宣言を聞いたような気がしました(笑)。
内藤 万田さんの『接吻』にも、そんな場面がありましたよね。そっちは、すごく怖かったんですよ。でも今回、ちょっと笑えたじゃないですか。万田さんと黒沢さんでは、同じモチーフでもこんなふうに変わるんだなあって思いました。
深田 今回は、コメディ調っていう雰囲気が全体的に漂ってましたよね。
内藤 曲もそうですよね。
朝倉 あの曲、よかったですね! 最初の「散歩のテーマ」みたいな。
深田 あと、立花が刑事と突然格闘を始める場面、『バイオハザード』を思い出しました。最初、ミラ・ジョヴォヴィッチは一般人みたいなテイで始まるんだけど、ゾンビ犬が襲いかかってくると、いきなり壁の反動を利用して三角蹴りを決めるっていう。
朝倉 あーー、そうそうそう!
深田 そして『バイオハザード』の元になったのが、黒沢さんの『スウィートホーム』ですからね。ここで一巡しましたね。こじつけですけど(笑)。
朝倉 なんてヤバい輪なんだ(笑)。
内藤 恒松祐里さんが、車にはねられるじゃないですか。あのダミー人形を、もうちょっと引き画で観たかったなと思って。
朝倉 あれってさ、はねられる瞬間はダミーで、でも着地してからちょっとだけ動くんだよね。
内藤 ダミーを上から吊ってて、ボーン!って上に跳ね上げて、ボトッと画面奥に落とすまでを、ワンカットでやれるように準備してたらしいんですよ。それを聞いてたから、引き画でやるのかなーと思っていたら、結構寄りだった。結果、動きがCGっぽかったですよね。でも黒沢さんって結構、ダミーだとわかるようなテイクでも採用したりするから、人形のままでもよかったのでは?って思ったりしました。
朝倉 あと、内輪向けの話題としては、酒井(善三、映画美学校フィクション・コース第14期修了生)くんがエキストラで映ってなかった? 美味しい去り方してました。
内藤 僕も見つけました! 満島真之介が演説してたところ。
——『散歩〜』がこれまでの黒沢作品とは違う点は?
内藤 映画全体が爽やかに感じましたね。劇伴のコミカルさもあると思うんですけど。物語の着地の仕方も。それが、これまでの発展形でありつつ、最近生じつつある流れなのかなと思いました。食卓の場面がポジティブに描かれていたり、女優さんのアップが増えていたり。
深田 黒沢さんは、ハリウッド映画をずっと意識しておられるじゃないですか。でもそれってどちらかというと、ヌーヴェルヴァーグにおけるハリウッドみたいなもので。ゴダールもトリュフォーもロベールも、「ハリウッド」「ハリウッド」って言いながら、撮ってるものは一見全然違って、彼らなりの「ハリウッド」を表現していますよね。かつての黒沢さんもそれに近かったけれど、でも最近は結構正面から、ハリウッド的な娯楽性に近づいてきているのかなという気がします。昔以上に、接近してきている感じがしますね。
内藤 原作ものだということも、あるんですかね。すでに原作が娯楽性のある設定を描いているから、そこに乗っかっていきますというような。
深田 ああ。それは確かにあるかもしれないですね。
朝倉 私は鳴海(長澤まさみ)かなあ。あの新しいヒロイン像が娯楽性が一歩進んだ感じを体現してた気がする。どんなに怒ってる人であろうと、これからどんなに波乱万丈な物語が待ち受けていようと、「やんなっちゃうなあ!」って言える女性像は、昔の哀川翔にも似てるけど、ちょっと違くて。何が違うのか、まだ答えが出ないんですけど。
内藤 黒沢作品に出たいという女優さんが、ますます増えるんじゃないかと思います。スピンオフに出演する夏帆さんも、以前お仕事したときに「出演してみたい監督ってどなたですか?」って聞いたら、「黒沢監督です」って答えていました。出演した方たちも満足度を高いと思うんです。実際、小泉今日子や前田敦子がチョイ役でも出るじゃないですか。
深田 びっくりしましたね。前田敦子は、この後もまた出てくるのかと思ってたら出てこないし。小泉今日子も、最後の最後に突然出てきて、ものすごく大事なことを言うっていう(笑)。
朝倉 毎回、何だか豪華すぎて。画面の端っこに誰かが出てくるたびにびっくりする。
内藤 登場人物たちが着ている服の色も印象的でしたよね。アースカラー系で統一しているのかと思ったら、真治が突然、オレンジ色のシャツを着ていたり。
朝倉 あんまり衣裳をルールっぽく決めてなかったですね。暖色系とか寒色系で、キャラの違いが分かれてたりするのかなと思いきや、長澤まさみがブルー着てたりピンク着てたり、松田龍平もグレー着てたりオレンジ着てたり。
深田 宇宙人の女の子も、結構衣裳を変えてましたよね。おしゃれだなあ、どこでどう仕入れたんだろうと思いつつ。
朝倉 ミニスカートの下に短パン履いてましたね。
内藤 長谷川博己のサングラスは、自前だったらしいですね。
深田 長谷川博己は宇宙人になってからの芝居が最高でしたね!
朝倉 あの片足歩きびっくりした! 人間、あんなことができるんだ!って思った!
深田 黒沢さんって歩き方にもこだわるんですよね。『回路』の幽霊がコケそうになるところとか、僕は最高に好きなんですけど。人の歩き方ひとつで、ここまで映画を面白くできるのか、っていう。
朝倉 あのシーンの起き上がり方は、テストで長谷川さんがやってみせたのがウケてそのまま採用になったってパンフに書いてありました。
一同 へえー。
深田 いいな。今の話で、長谷川さんを一気に好きになった。
——俳優からも愛される監督なんですね、黒沢さんは。
朝倉 ほんと、みーんな、黒沢さんのことが好きですよね。俳優部もスタッフも、みーーんな黒沢さんが好き。プロデューサーとか宣伝チームとか、もっと偉い人たちも、みーーーんな黒沢さんが好き。
深田 そうありたいものですね。
内藤 そうですね(笑)。
——なぜみんなそんなに黒沢さんが好きですか?
深田 やっぱり、紳士だからじゃないですか。噂で聞くと。
内藤 黒沢さんの話を聞こうとすると、みんなうれしそうに話しますよね。
——観客に愛されて、出る人にも作る人にもスタッフ陣にも愛されて。黒沢さんって何なんでしょう。
深田 何なんでしょうね(笑)。
朝倉 でもこれは有名な噂ですけど、山下敦弘さんが注目を集め始めた頃に、何かの映画祭で審査員だった黒沢さんは山下さんのことをひと言も褒めなくて、「あれは潰しにかかってる」ってささやかれてたって(笑)。
内藤 それ、僕も聞いたことあります。本当に警戒している人のことは褒めないっていう。
朝倉 『岸辺〜』の時には、「他の作り手の現場を見るのが本当に嫌だ」っておっしゃってました。「一秒たりとも居たくない」「何が面白いのかわからない」って。
深田 それ、ちょっとわかるかもしれない(笑)。自分も昔はよく人の現場を手伝ったんですけど、内心早く帰りたくて仕方なかった(笑)。面白い絵になっていたらそれはそれで自分の映画でもないのに、と黒い情念が湧きますし。酷い話ですけど。
——今、ちょっとほっとしました。黒沢さんもちゃんと人間で。
一同 (笑)
——では、最後にこの映画について、言い残したことなどありましたらどうぞ。
朝倉 いやあ……面白かったなあ、っていうことに尽きますね。今日、座談会をするにあたって、ちょっと困ったなあって思ったんですよね。「面白かったあ……」っていう言葉しか浮かばなかったので。
深田 これだけ黒沢作品を観すぎてしまうと、つい黒沢印を探しながら観てしまうんですよ。「あ、ビニールのカーテン」とか。
朝倉 広い空間があると、隠れてる人を探しちゃうとか。
深田 だから、もうちょっとフラットに観たいなと思うところがあるんですよね。
朝倉 でも今回は、そういう意識はあまり浮かばずに観ることができたので。
深田 昔のVシネ時代、哀川翔時代のでたらめさを思い出せる映画でしたよね。
内藤 確かに、黒沢印の再現をファンも望んじゃってるし、黒沢組のスタッフが固定されてきているから、「印」の再現はできる体制だと思うんですけど、そうじゃないものもみたいって気持ちもありますね。
深田 そういう「印」を残せるだけでも、ある種の天才なんだと思うけど。一方で、どんどん作品を軽やかに更新していってしまう天才でもあるから。今回で言えば、女性を真正面から撮っていることとか、夫婦の純愛をストレートに描いていることとか。
——広く愛される作り手って、何かが変化すると「変わっちゃったなあ……」って離れられてしまったりするでしょう。そういうことが、黒沢さんには起きないのですか?
朝倉 いや、もちろん、時代ごとに猛烈に愛してらっしゃる方もおられるんじゃないでしょうか。
内藤 そういう意味で、「高橋洋さんとまた組んでほしい」っていう熱望が、僕らの中にずっとあったことは確かです。それが今回『予兆〜』で叶うので。
深田 そう! 高橋さんと組んでいた頃の黒沢さんって、僕の中では黄金時代なんですよ。黒沢さんにとって、何でも言うことを聞いてくれる脚本家と組むことによるメリットはもちろんあるんだけど、高橋さんは黒沢さんと拮抗しうる個性の持ち主だから。その二人のぶつかり合いを、本当に観たいですね。
内藤 そうなんです。もし『散歩〜』本編に高橋さんが入っていたら、「このワゴン車の秘密集団は何ですか?」ってことになったと思うんですよ。
朝倉 彼らのバックストーリーが、膨大に盛り込まれそうですよね。
一同 (笑)
内藤 そういう化学変化が観たいですよね。黒沢さんファンの多くも期待しているんじゃないかと思います。(2017/09/14)
コメント