映画美学校アクターズ・コース高等科第2期生を中心に作られた本作。脚本作りから美術、編集、効果音録りや宣伝など、すみずみまで彼らが携わっている。アクターズ・コースのティーチング・アシスタントで助監督の石川貴雄と、製作・脚本の古澤健を交えて、この映画の「できるまで」を語る。(※ネタバレを避けたい方は観終えてから読んでください)

長尾理世
出演作に舞台『革命日記』(松井周演出)、 映画『美しい乳首』(西山洋市監督)、『片付かないこと』(小出豊監督)、『うろんなところ』(池田暁監督)、『All night』『犬の村、移民の瞳』(鈴木卓爾監督)等がある。プロデュース作品に「月刊 長尾理世」シリーズ、監督作に『牛乳配達』(小田篤共同監督)がある。

石丸将吾
1986年生まれ。福岡出身。中学の頃から映画俳優に興味を持ち、大学進学をきっかけに上京。早稲田大学演劇サークル劇団『木霊』に入団し、演技を始める。その後、映画美学校アクターズ・コースに2年間通う。現在も小劇場を中心に活動し、自主映画などにも出演している。

飯野舞耶
アクターズ・コース高等科第2期修了生

律子
映画出演作に『泥人』(2013 /上野皓司監督 :第18回水戸短編映像祭準グランプリ他)、『わたしたちの家』(2017/清原惟監督:PFFアワード2017グランプリ、第68回ベルリン国際映画祭出品他)など。身体の動き、動くことに興味がある。

石川貴雄
監督作に『本日、引越し致します』(2015),『くちびるコミュニケーション』(2010)など。出演作に『love machine』(古澤健監督)。同じく鈴木卓爾監督作『ジョギング渡り鳥』(2016)では助監督・制作を務める。

古澤健
映画監督・脚本家・プロデューサー。主な作品に『ロスト★マイウェイ』『making of LOVE』『今日、恋をはじめます』『ReLIFE リライフ』『一礼して、キス』など。8月1日より最新監督作『青夏 きみに恋した30日』が公開。

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——今、皆さんは絶賛宣伝中ですか。

飯野 だいたい、今年の2月ぐらいに始めたんでしたっけ。

石川 本格的に動き出したのはね。みんなが集まって、古澤さんと一緒に「よし宣伝するぞ」っていう覚悟が決まったのが2月。

古澤 正直言うと、『ジョギング渡り鳥』のチームを見ていて、「大変そうだなあ……」って思っていたんですよ。自主映画をやる時の、作品作りではない部分での負担の大きさというのは、どうにかならないものかなあと常々思っていたので、みんなにはそういう負担をかけたくないなと思っていたけど、でもそうすると、何もできないってことがわかって。

一同 (笑)

古澤 この映画をきちんと世に出していきたい、という思いをみんなに伝えて、乗ってくれるかどうか、話をしたのが2月でしたね。

長尾 私は、ポスプロを自分たちでしていた時点で、「宣伝だけ関わらない」っていうのはそもそもありえなかったですね。

石川 すでに、ずっと前から、現場以外のことをいっぱいしてましたからね。

古澤 現場でも、いろいろしてたでしょ。

石川 そうですね(笑)。セットの建て込みとか。クランクインの3日前ぐらいから、深谷に泊りがけでスタッフと一緒になって美術仕事をしてたんですよ。

長尾 当初は(鈴木)卓爾さんから、「これは映画作りのワークショップ映画だ」みたいなことをずっと言われていたから、俳優も、何でも全部やらないと成り立たないと思っていました。

古澤 脚本がなかなかあがらなかったことで、みんなには迷惑をかけた。

石川 僕を始めとするスタッフ陣の多くが、古澤さんの教え子の「フィクション・コース第13期」なんですね。で、古澤さんが、第2稿に煮詰まってた時期があったんですよ。だから急遽、みんなで古澤さんに電話して、「今から行って、脚本手伝います!」って。

古澤 ちょうど、煮詰まってるから飲みに行きてーなーって思ってたところでした。

石丸 ただ、飲んで終わったんですよね。

石川 そう。結局、飲んで終わった(笑)。

古澤 あのね、「書けない」っていうのは、気分の問題なんです。書けば書けるんだけど、乗り気にならないっていうくらいのこと。何かきっかけが見つかれば書けるんだから、みんなに「書け」「書け」って言われてもそんな、書けないよーっていう感じだったな。

一同 (笑)

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古澤 僕の中でプロデューサーとしてのスイッチが入ったのは、撮影現場から電話がかかってきて「お金が足りません!」って言われた時。それまで、見切り発車もいいところだったわけだけど、そのケツは俺が全部ぬぐうっていう覚悟を決めたのがその時だった。

飯野 そもそも、全部撮るなんて、思ってなかったですもんね。

石川 当初は、フィクション半分、ドキュメンタリー半分の予定だった。

古澤 そうそう。卓爾さんのドラマ・パートと深田晃司監督のドキュメンタリー・パートを合わせたキメラのようなものを考えていた。

飯野 私たちはそんなこと、まったく考えてなかったです。

古澤 みんなの役目は、あの脚本の世界を実現させることだからね。だから当初は「プロデューサー」が不在だったんだなと思いますね。僕は企画やスタッフの手配をしたけど、作りながら全体に目を配って修正する人がいなかった。こじんまりと生まれる予定だった子どもが、急に爆発的な成長を遂げて、とんでもない怪物が爆誕してしまった感じ。

一同 (爆笑)

石川 撮ったものをみんなで観ようとしたら、12時間ありましたからね(笑)。

古澤 それに、みんなが基本的に「やりますよ」っていうスタンスだったじゃない。やりたいかやりたくないか以前に「やるのが前提!」という感じ。大人であるはずの俺や卓爾さんの暴走に、みんなを巻き込んでいるっていう罪の意識があったんだけど、でも、みんなは自分の意志として「やる」って言ってる。改めて、人の気持ちというものを学んだ気がします。

一同 (笑)



——この映画を作るにあたって、楽しかった局面ってありますか。

石丸 僕は、撮影の6日間ですね。毎日毎日、早朝から夜中までかかったから、体力的にはしんどかったけど、でもこの4年間で一番刺激的だったし、楽しかったように思います。

長尾 卓爾さんに役作りで「自分は小4だと思って演じて」って言われてたので、現場中はまったく悩みがなく、多幸感に包まれてました(笑)。あとは、何にもないところから1本の映画が作られていく様を見ていられて、それが面白かったですね。ラッシュして、編集して、合成して、音をつけて、カラコレして。宣伝も「こうやって興味を持ってもらうんだなあ!」って。

飯野 基本、全体的に大変だったんですけど(笑)。現場はほぼ寝ないでやっていたけれど、お芝居は楽しかったです。あと何よりエンドクレジットを書いたときに、「こんなにみんな、一緒にやってくれたんだ。」って実感できたときが一番うれしかったですね。

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律子 私は、つらかったです……。日々、生きていくのに必死でした。次のシーン、立っていられるかな、とか。そう、演じる以前に「着物を着る」っていうスタートラインもあったんですよね。ちゃんと着るってことができないと、相当みっともないんだなあってことがわかってたので。

飯野 着物、キツかったよね!

律子 頑張ったよねえ……!

石川 とある授業で(飯野)舞耶ちゃんが着物を着たんですよ。そしたら卓爾さんが「着物、いいね」「映画の中でも着物を着よう!」って言い出して。僕らは「それはいい」「いい見せ場だ」って思ってたけど、本人たちはそれどころじゃなかった(笑)。

飯野 「みんな、何考えてるんだろう!」って思った。

律子 1日だけ教わって、次からは自分で着るんですけど。

飯野 あの「みんなを待たせてる感」がつらかったよね。



飯野 撮影が大変だったので、「やっと終わった!」って思ったら、今度はポスプロがもっと大変でした(笑)。

古澤 2014年12月の「映画美学校映画祭」で上映することになったときから、地獄が始まった気がする。

飯野 そこ。そこです(笑)。

石川 編集は卓爾さんと浜田みちるさん(13期生高等科修了生)がやっていたんだけど、それを積極的に観に行ったり、試写も何度もやりましたね。

飯野 「ゾン」の空に、シネカリ(フィルムに傷や色をつける技法)を合成するために、講習を受けた記憶があります。

長尾 最初は全部の空を合成するつもりじゃなかったんですよね。

石川 一部始終、あんな空が広がってたら、観てるお客さんがおかしくなっちゃうからって。でもある時点から、俳優もスタッフも皆が「After Effects」で1コマ1コマ、空を合成し始めたんですよ。

長尾 仕事が終わって、美学校へ行って、夜11時まで合成して、帰って寝て、仕事行って、仕事終わって、夜11時まで合成して……

石川 結局、丸一年ぐらいかかったかな。

長尾 年越しも合成でした。

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——なぜ、空の全てを合成しようと思ったんですか。

古澤 あれはね、合成をやり始めたら、みんなが「やろう!」っていう機運になっていったんだよ。

長尾 それはありましたね。「やり始めたのに、なんで全部やらないの?」っていう。

古澤 あと、合成作業自体が、「これ面白いじゃん!」っていう雰囲気があったんじゃないかな。

長尾 「ゾン」が入ることによって、カットが全然違って見えるんですよね。それが面白かった。

古澤 俺も合成作業をやったんだけど、塗り絵してる気分に近いっていうか。やってるうちに、「もっと塗りたい……」ってなる(笑)。

飯野 でも、1秒が24コマだなんて知らなかった人間が、その24コマを全部埋めていくっていうのは、あまりにも先が見えなかったですよね。しかも、自分が出てるシーンを渡されるんですよ(笑)。

石川 一時期、映画美学校の編集室が、まるで蟹工船のようだと言われた記憶があります。

長尾 合成が生活の基盤になってたから、全部終わってから呆然としましたね。「あれ、私は何をすればいいんだろう?」って。

一同 (笑)

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律子 私は何しろパソコンがうまく使えないので。

石丸 僕も、パソコンから脱落しまして。

石川 2人と唐鎌くん(二宮賢治役)は、効果音を録ってましたね。

石丸 足音とか、食器がぶつかる音とか、飲み物を注ぐ音とか、ものを食べる音とか。

長尾 一歩の足音は、全部貫太郎が録ってます。

律子 すごく原始的な作業でしたね。

飯野 タイトルづくりも一緒に試行錯誤しましたね。合成をやりすぎて、アナログなことがしたくなって。

石川 洗濯のりを使ったり、磁石で砂鉄を動かしたり。

飯野 「ふえるわかめちゃん」で作ってみたり(笑)。

石川 普通はみんな、分業になってしまったら、互いの仕事に立ち会ったりはなかなかできないけど、この映画では全員がすべての工程に立ち会っているんですよね。だから、いつのバージョンがどうだったのかをみんなが覚えてる。

飯野 だから、もはや「出演してます!」とはなかなか言えない(笑)。

長尾 「美術とか、合成とか、出演とか、しました」。

一同 (笑)

長尾 石川さんがよく「俳優なのにこんなことさせて……」って言うんですけど、「そこを特別視されても!」って思いましたね。

飯野 「私は出演者だから」っていう感覚は一切なかったです。アクターズ・コースの始まりに、講師の山内健司さんから「何でも自分でできる俳優になろう」っていうお話を受けていたのもあると思いますね。



石川 で、2016年に、いったん完成という形を見たんです。

古澤 神泉の中華屋で打ち上げをして、俺と卓爾さんが泣いて。

飯野 みんな、一瞬、ぽかんとしましたよね(笑)。

石川 僕らの会話とはまったく別のところで、2人が泣いてたから(笑)。

古澤 その時点ではまだ2人とも、ここからまた編集をしなおすなんて思ってなかった。

長尾 「名古屋でしか観れない映画にしよう」って、古澤さんが言ったんですよ。

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古澤 すごく大切な作品だから、消費されたくないなと思ったんだよね。アリバイのように東京で2週間とか上映して、名古屋や大阪で上映して、っていうコースを、これまでいろんな映画がたどってきたわけですよ。そういうふうになるんだったら、月に1度でも1年間ずっとやってるとか、名古屋でしか観れないとか、そういう、既存じゃないやり方を探りたいなと思ったんです。この映画ならではの見せ方を考えたかった。

飯野 まず2月に仙台(本作の音楽を担当したバンドyumboの拠点)へ持っていって、古本屋さんで上映会をしたんですよね。

長尾 窓に向けてスクリーンがあるので、映画を見ていると、ゾンの向こうに街があって、人が通るのが見えるんです。

石丸 観終わったら、そこここに出演者がいるので、会場が「わー!」ってなりましたね(笑)。すごくうれしかった。

——映画美学校に関係のない、一般のお客さんに見せた、一番最初の出来事ですか?

一同 あーー。

長尾 そうかもしれない。

石丸 言われてみれば、そうですね。

長尾 いろんな意見や感想が出てきて、仙台だったので震災の話も出たりして。

飯野 キャラクターによって「ゾン」への関わり方が違うから、お客さんが共感するキャラクターも、人それぞれで。新しい言葉をたくさんもらった気がしました。

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長尾 小学生の子が、「すごい面白かった!」って言ってくれたんですね。私たちは、誰も観たことがないけど面白い映画を作ったつもりでいたから、それを子どもが「面白い」って言ってくれたのは、本当にうれしかったです。

律子 アテネ・フランセでも上映しましたよね。

長尾 あの時はみんな、怖くて端っこで固まってたね(笑)。

石川 何が怖かったの?

飯野 映画業界の人とかがいたから。でも終わってみたら、うれしい感想をもらえましたね。

石川 それらの感想を踏まえて、また編集をし直し始めることになったんですよ。この映画はいつ終わるんだろう、と(笑)。

飯野 私たちはそのあたりから、「どうやったら人に観てもらえるんだろう?」というのを考えはじめていました。

古澤 こうして振り返ると、こうやって言葉にできるけど、その時々の煮詰まり感が、この4年間、ポイントポイントであったじゃない。みんなにキャッチコピーを考えてもらった時とかさ。

飯野 そうですね。むしろ、煮詰まり感の方がベースだった気がする(笑)。

古澤 映画美学校が、いくつかの映画祭に応募してくれたんだけど、ことごとく落ちたんですよ。なんかもう、出口がない状態だった。内覧試写をしてみても、誰も何も言わずに帰っていくし。ただ、佐々木敦さんとか、映画秘宝の田野辺尚人さんが、長文の感想メールをくれて。そこで俺は「再編集しよう!」って腹をくくったんだよ。その2人の感想だけじゃなくて、試写室から出てくる人たちの表情を見て「これはこのままじゃまずいんだな」って思った。作った僕らには「達成感」があったけど、その「達成感」だけでこの映画を評価してしまうのは違う。お客さんには俺たちの「達成感」は関係ないんだなってことがわかって。そしたら卓爾さんも、直したいところがあったみたいで、2017年の8月に、今のバージョンが完成したんです。

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——それまでのバージョンとは、何が変わったんですか。

石川 2時間12分あったので、まず15分ぐらい切りました。主に切ったのは、リハーサル風景。

古澤 ドキュメンタリー・パートよりも、みんなが演じているキャラクターをきちんと届けるっていう方針に集中していきました。つまり、最初は「フィクションとドキュメンタリーがぐじゃぐじゃに混ざった映画を作ろう」と思ってやり始めたけど、そんなことは無視して現場が全方向に突き進んで、編集で最初のコンセプトが中途半端に甦ったものの、最終的にはやっぱり、あの台本をきちっと映画化したものをまとめようという形に、結果としては、なりましたね。

飯野 ドキュメンタリー・パートに対して、私たちはなんというか……素の部分が入るっていうのがよくわからないっていう話をした記憶があります。現場で、シーンの撮影がない時でも、カメラが私たちを撮っているっていうことが、すごく大変だったんです。

長尾 私は編集の時が一番つらかった。ドキュメンタリーで撮られてる私の言葉を、卓爾さんが劇中のキャラクターにつなげようとしていて。キャラクターとして編集するんだったら面白いんだけど、私自身が私自身を観ても全然面白くないんですよ。

石川 みんなでシネカリの作業してるところが映画に入ってますけど、あの時も、作業を始めたらカメラが回ってたんだよね。それが後々聞いたら賛否両論だった。

長尾 仕事が終わって、「ああ今日シネカリできる!」と思って楽しみにしてたら、「今日は『シネカリのワークショップ』っていうシーンだから」って卓爾さんに言われて、全然楽しめないっていう。

一同 (笑)

長尾 遊びだと思って行ってみたら仕事だった!っていう感じ。こっちは何の準備もしてないのに。しかもそれが映画として映るじゃないですか。

石川 入念に準備して作った芝居と同列扱いでね。

飯野 今なら割り切れる気がするけど、あの頃はほんとに理解ができなくて。

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古澤 その「嫌な感じ」を言語化するのは難しいよね。それは俺も最近、ずっと考えてることで。今は、商業映画の現場では、必ずメイキングのカメラが回ってるんですよ。ある現場で、ある女優さんが直感的に「カメラが回ってる」ことに気づいたんだよね。それで「嫌な感じ」になったんだと思う。俺もそれに敏感になっていたから、そおっとカメラマンさんに「カメラを止めてください」って言いに行ったんだけど。メイキングのカメラが回っていることは、俳優にとって「嫌な感じ」を醸成するものなんだなあと。そしてその「嫌な感じ」に鈍感な人は、フィクション・コースにも、もっと言ったらプロの世界にも、決して少なくないと思う。

飯野 その「嫌な感じ」を、アクターズ2期のみんなには言えるけど、他の現場では言えないなあと思いました。その時じゃなくても、次の日に突然「ずどん」って来たりするから。というか、「嫌な感じ」を言おうにも、『ゾン〜』の撮影の時はみんな疲れ果てていて、それどころじゃなかったんですよね。そういうことも含め現場ではずっと、本当に色々なことを考えていたと思います。そしたら丸ちゃんが言ってくれたんですよ。「何も考えずにやってみなよ!」って。

石丸 ……ええ!?

一同 (笑)

飯野 私はすごく覚えてる。穴の場面を撮影してたとき。

石丸 全然覚えてない(笑)。でも「みんな考え過ぎるなよー!」とは、確かに思ってたかもしれないですね。その一方で、「お前は考えなさすぎ!」っていうダメ出しも受けるんですけど。

一同 (爆笑)

飯野 今、ちょうど宣伝をしているところですけど、「それぞれのやり方を否定しない」っていうことが、ようやくできつつある気がしますね。それぞれのやり方、それぞれのペースで。

石川 みんな、我慢出来ないことを飲み込むんじゃなくて、伝え合うことをここまでやってこれたというのが大きいと思います。

飯野 自分たちの作品そのものと、この作品のことを宣伝していく上での見せ方というのが、私の中ではすごく違っていて。届けたい気持ちはあるけれど、「それはそれ」「これはこれ」っていう思考が働いてる気がしますね。

長尾 何よりも、ポスプロのときと大きく違うのは、「締切があるかないか」です。

一同 (笑)

古澤 そこがね、自主映画の地獄だよね。

飯野 締切があるって素敵ですよね!(笑)

古澤 俺は商業映画の世界にいるけど、すべての工程にこんなにがっつり取り組むのは初めてで、宣伝がとても楽しいんですよ。僕らが作ったチラシやキャッチコピーが誰かに届いて、映画を観てくれて、そこからまた新しい言葉が生まれる。そのキャッチボールが面白いし、楽しみだなあと思うんです。宣伝ってこんなにクリエイティブな仕事なんだ!っていうことを、今すごく実感していて。現場とは違う映画作りを演じてる感じがしますね。

律子 そう、別のものになっている感覚がとてもあります。

飯野 今日、メインビジュアルが公開になったんですけど、これを見てもやっぱり別の作品みたいで、不思議な気持ちになりますね。

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——この映画が、どんなふうに届くといいなと思いますか。

石丸 というよりは、好きなように観てほしいなと思いますね。お客さんそれぞれが感じたもの、それが正解です!っていう。

長尾 別に感想をしゃべらなくてもいいから、「この作品を観た」ということ自体を、誰かと共有したいです。

飯野 今は試写の段階で、コメントをくださる方は皆さん、やっぱりいいことを言ってくださるんですよ。でも「これは好きじゃない」っていう人がいてもいいと思うし、「全部わからなかったけど、ここだけはすごく好き!」っていう人がいてくれたら、それもうれしいことだなって思いますね。

古澤 一回目の試写で感じたんだけど、こっちが届けたいと思う以前に「え、こんな人が来た!」っていう感じだったんですよ。そして帰り際に、その人がすごい興味を持ってくれたのがわかって、あの時に映画を「届ける」っていうことを学んだ気がする。「こういうお客さん」ではなく「思いがけず届いちゃった人」が増えるための何かを続けていきたいと思いましたね。

石川 この映画を通して、自分も何か始めたいなとか、作ってみたいなとか、やってみたいなとか、そういう気持ちになってもらえたらうれしいですね。自分で何か、動いてみる。その後押しになったらいいなと思います。

律子 うまい言葉が見つからないんですけど、まずは観ていただくことが一番だなあと思います。楽しいことも、つらいこともありましたけれども。

石川 僕らの実感としては、この映画に「つきあい続けてきた」感じなんですよ。みんなで愚痴を言ったり、ダメ出しをしあったり、しんどいこともいろいろあったけど、それでも「つきあい続けてきた」んです。

飯野 私、何度も「もう、いい!」って思ったことがある(笑)。

長尾 「でもここで離れるのも悔しい!」っていうね(笑)。

古澤 大丈夫だよ、これは海に出てる船じゃなくて、池に浮かんでる舟だから。いつでも降りられるから。

長尾 そうですね。今はもう大丈夫です(笑)。

古澤 宣伝とか配給とか、僕ひとりで全部やることになった場合の想定を、実は用意してあったんです。でもその時に考えていたことを、今、当たり前だけど、すごく超えているんですね。改めて、自分ひとりで考えるのは限界があるんだなと。誰かと一緒じゃないと、より面白い発想にはたどり着けないんだっていうことを、今回、とても感じています。だからもう一回このメンバーを誘う時には、「もっと面白いことをやろうよ!」って、ちゃんと言いたいなあと思いますね。
(2018/07/06)

※この座談会の別バージョンが、『ゾンからのメッセージ』販売用パンフレットにも掲載されています。合わせてお読みくださいませ!