【1】
最初は、軽い気持ちだったのだ。女たちの攻防を描く「女王陛下のお気に入り」を、映画美学校界隈の女子たちで語ったら面白そうだな、くらいの軽い気持ち。いつだって、B学校は、軽い気持ちで動き出す。今回も、それくらいのノリだったのだ。
兵藤公美
桐朋学園大学専攻科演劇専攻卒業。‘96青年団入団。舞台作品への出演を主軸にすると共に、演劇と映像を横断する活動を続けている。主な出演に、平田オリザ「ソウル市民」「日本文学盛衰史」「思い出せない夢のいくつか」、パスカル・ランベール(仏)「愛のおわり」、深田晃司監督「歓待」、鈴木卓爾監督「ジョギング渡り鳥」、篠崎誠監督「SHARING」、前田司郎監督「ふきげんな過去」、NHK教育「時々迷々」、沖田修一監督「フルーツ宅急便」、京都造形芸術大学映画学科講師、洗足学園音楽大学ミュージカルコース講師
朝倉加葉子
映画監督。映画美学校8期フィクションコース修了。
中川ゆかり
俳優。1984年生まれ。映像出演作に鈴木卓爾監督映画「ジョギング渡り鳥」、佐野真規監督 MV「River River」ほか。演劇は自作自演一人芝居や都立高校の演劇講師など。日々は吹替制作・ディレクターもしてます。
長尾理世
出演作に舞台『革命日記』(松井周演出)、 映画『美しい乳首』(西山洋市監督)、『片付かないこと』(小出豊監督)、『うろんなところ』(池田暁監督)、『ゾンからのメッセージ』『All night』『犬の村、移民の瞳』(鈴木卓爾監督)等がある。プロデュース作品に「月刊 長尾理世」シリーズ、監督作に『牛乳配達』(小田篤共同監督)がある。
——まずは、皆さんのご感想からお聞かせください。
兵藤 女たちの権力争いが描かれてはいるけど、「女たちの」というよりは、「人間どうし」の出来事として観たら、「……あるな!」って思いました。まず、女優たちがほぼノーメイクみたいな感じだったじゃない。男の人たちのほうが、白塗りだったり、衣装がきらびやかだったり、カツラが豪華だったり。
朝倉 ああ。めちゃくちゃそうでしたね。
兵藤 男女が逆転したみたいに見えて、それは2019年の男と女に対する批評なのかなと思った。あと、エマ・ストーンが心の隙間に入ってくる感じって、私たちの日常でも結構あるよなあと思ったんです。女王と、側近のサラ(レイチェル・ワイズ)が、すごく親しくて、子供の時から一緒に育ってきて、だからなんでも言い合えちゃうから、傷つけ合ってしまって。そこへ、若くて新しい子が入ってくる。この感じ、私たちにもあるよねって思った。近しいからこそ、言葉を選ばなかったり、接し方がひどくて、離れていく。見たことあるな、これ。昔の話じゃないなあ。演出家と俳優とかの間にも、あるなあって思った。
——劇団でありますか、そういうの。
兵藤 ある……んじゃない……かなあ……?
一同 (笑)
朝倉 今、言葉にモザイクがかかりました(笑)。
兵藤 やっぱ、人と人だよね。どんなに地位とかがあっても。そこがリアルだったし、女社会に限らないなって。男女でもあるし、男同士でもあると思う。
朝倉 けっこう特徴的な、「コスチューム・プレイ」とか「女の権力争い」とか、そういうタグ付けをしやすい映画なんですけど、でも、全然そういうことじゃない。そこが好きだなあと思いました。昨日、2回めを観てきちゃったんですけど。
兵藤 わかる。もう一回観たくなりますよね。
朝倉 女性を描こうとする映画は、「描こうとする」の時点でひとつ、頑張りが入ってる場合がありますよね。例えば『オーシャンズ8』なんかは、「女性を美しくかっこよく見せよう」っていう頑張りがわかるじゃないですか。でもあれは、企画自体がオリジナルの男性版のエクスチェンジで、「男の人の場合はこうなるけれども」っていうワンステップがその前にあって。それはそれで楽しいと思うし、じゃんじゃんやってくれよと思うんですけど。『女王陛下のお気に入り』には、そうなりそうな題材なのにそのステップが無いじゃないですか。一から立ち上げてる感じがすごくして、そこが安らかに見れました。あと、簡単に人間を定義しない。「やっぱり愛だ」って愛に目覚めた人は、だからといって重宝されないっていうか(笑)。
兵藤 ん?「やっぱり愛だ」は、誰だ?
一同 (笑)
朝倉 サラ(レイチェル・ワイズ)です、サラ。
兵藤 うんうんうん。
朝倉 エマ・ストーンは一貫して「いや、愛とかそういうんじゃないから」っていう人。なんだけど、あの人の女王の愛し方の方が、女王はやっぱりうれしいんですよ、サラがどうあがいても。まず、あれこれやいやい言われないしね。
兵藤 ぼっっさぼさの髪の毛を「きれいな髪ですねえ♪」って言ってくれる。
一同 (笑)
兵藤 そこはさ、女王、気づこうよ!
朝倉 そう、サラは幼なじみだから「そのメイク、アナグマじゃん!」って言うわけじゃないですか。「バカ! あたしがやっとくから!」「おまえは引っ込んでろ!」みたいな。
兵藤 もっと、言い方ってあるよね!?って思う。
朝倉 そこ。そこがエマ・ストーンはうまいわけですけど、だからといって、「愛を注いでたサラの方が負けちゃうんだよ……」みたいなロマンの作り方にもしていない。
朝倉 そう。彼女は彼女で、敗者というよりも、闘いから一歩降りて、自分の人生が始まるわけじゃないですか。勝ち残ったはずのエマ・ストーンの方が、「しまった、これ、永遠に続くんだ……」って悟るのが、あのラストシーンなわけで。善悪とか勝敗とかのパワーバランスに、優劣をつけてないところが好き。サラが、自分の本当の愛というか、正直な気持ちを手紙に書くじゃないですか。あの手紙、あんなに文面に悩むところを見せといて、普通なら映画の中で最終の文面を見せると思うんですよ。でも、エマ・ストーンだけがチラッと見て、ポイッと燃やして終わり(笑)。フリだったんだ、という。
兵藤 サラは、負けてはいないですもんね。最終的に、エマ・ストーンの方が、地位を勝ち取るわけだけど、「よかったなあ」ってあんまり思えなくて。
朝倉 そうですよね。めちゃくちゃ頑張ったそれぞれの生き様を、実は平等に描いてる感じ。女王も、頭の悪い感じとか、メンヘラ気質とかが散りばめられながらも、意外と、2人のちょっと上を行くじゃないですか(笑)。そういうところが面白かったなあと思いました。
長尾 私は、ヨルゴス・ランティモス監督の過去作を観たんです。そしたらなんか、『女王陛下〜』は全然違ってびっくりしました。
朝倉 ヨルゴス・ランティモス監督は、どちらかといえばシニカルな、かなりひねくれた話を作る人なんですけど、それが今回は演出とか、物語以外のところに散りばめられてましたよね。物語自体はグイグイ行く感じだったから、面白いバランスになってたと思う。『ロブスター』も面白く観たんですけど、『女王陛下〜』の方が面白かったな。撮り方とかも、劇画みたいで。ギュン!ってズームする感じとか。視点はシニカルなんだけど、やってることがシニカルではないから、脚本と監督の相性がいい映画だったんだなって思います。
兵藤 チャレンジだったんですね、この作品は。オリジナル脚本作がそこまで違うんだったら。
朝倉 わかりやすく不条理漫画っぽい性質の作り手だと思うんですよ。話の作り方が、もともと。そこに、劇画がプラスされたことによって、つげ義春が劇画やってるみたいなミスマッチ感があった(笑)。見たことがない何かでしたよね。
長尾 『籠の中の乙女』とか、ほんと、わけがわからなかったから(笑)。でも劇画っぽいって言われて、たしかにそうかもしれないと思いました。でも何か、『女王陛下〜』はどっかで、周りにはない感じというか、引いてみてたところがあります。当たり前ですけど、普通に生活してたら抑える部分を、抑えないところとか。女王が「このウサギたちは私の死んだ子どもたちなの」っていうシーンで、隣の席に座った人が、すごい泣いてたんですよ。
朝倉 へええ!
長尾 その人、遅れて来たんですけど。遅れて来たのに、すごい泣いてて。
兵藤 なにか、シンパシーがあったんだね。
長尾 こんなに泣く映画かなあ?と思って。それもあって、なんとなく引いて観てたんですけど。共感も、できなくはないけど、どこか、記号的に観てました。
兵藤 ちょっと、おとぎ話っぽい感じもあったもんね。
——共感は、誰にしましたか。
長尾 それぞれ、ですね。エマ・ストーンが女王陛下に取り入ってるところとか。私も仕事で、そこまで愛情があるわけじゃない人に、何かしてあげたりしますし。でもそんなに、感情移入するところまでは行かないなと思いました。
中川 私も、終始、距離がある感じで観てました。すごく即物的な印象を受けましたね。撃ち殺した鳥の血が、バッ!て飛んだりとか。あと、レイチェル・ワイズが踊るじゃないですか、いきなり。
朝倉 あそこ、超ーーーよかった!
中川 私、あそこで泣いたんですよ。女王陛下が「やめなさい」って言うところで。たぶん、ダンス自体の相乗効果で。女王の孤独の描写が、シンプルだけどバリエーションが豊かで。だから最後のシーンも、結局満たされないっていうのが、納得できる感じでしたね。
朝倉 「お前にも満足してないんだ」っていうね。「お前が最終ゴールじゃないんだ」っていう。
兵藤 それが女王の孤独でもあり、覚悟でもあり。
朝倉 最高でしたね。エマ・ストーンは「ついにここまで来た」って思ってたけど、女王はまったくそう思ってなかった。自分が好きなときに可愛がるけど、そうじゃないときは「うっせー黙れ」みたいな(笑)。
兵藤 「お前の心を知ってんだからな!」っていう感じに見えました。なんか、エマ・ストーンがウサギを踏むシーンがあったじゃないですか。それを、女王が見ていて、覚醒して、「足を揉みなさい」って言うでしょう。
朝倉 あれ。見ましたっけ。女王。
——私は見たと思いました。
中川 私は、直接見てないと思いました。
朝倉 私も。ウサギを踏んじゃうというエマ・ストーンの慢心が、ラスト、ダーン!と一気に流されるっていう話なのかなあって。そこには、意思の疎通が一切ない感じ。もともと、女王はここまで「勘ぐり」というものを、サラにもエマ・ストーンにもまったく稼働させてなくて。でも、なぜか、メンヘラと天然で、なんとなくピンチから逃れてきた人で(笑)。
兵藤 そういう、ある種の力ですよね。自分はできないけど、できる人たちが周りにいるという力。
朝倉 でも、たしかに、ウサギを見たのか見てないのか、はっきりわかるようには撮ってないかもしれないですね。映画は、印象ですしね。ないカットが、記憶の中では、あったりするもんですからね(笑)。「あいつ死んだよね」「いや、死んでないよ」とか、よくある話です(笑)。
中川 それで言うと、確かにエマ・ストーンが、あんまり取り入ってるようには見えなかったんですよね。意図があって女王に接しているかどうかは、描こうとされてないというか。ただ、心に寄り添ってあげてるふうにも見えた。
兵藤 周到だな!って思った。まるで、本当に寄り添っているかのように振る舞っている。でも、裏側で出してる顔がたまに映ったり、結婚初夜とか、あからさまに悪だくみしてたじゃないですか(笑)。
朝倉 そうなんですよ。あのダンナ、最初から最後まで、めちゃくちゃ可哀想ですよね(笑)。殴られるし蹴られるし、ダシにされ続けて、セックスもさせてもらえない。結婚したらしたで、別の男といちゃいちゃされたり、可哀想なシーンしかないんですよ。ただ、エマ・ストーンが、サラへの憎しみをぶちまけるのって、あのダンナの前だけなんですよ。反応とか意見とかはまったく求めてないんですけど、自分のひとり言を聞かせてもかまわない相手として、夫を選んでる。
兵藤 男の扱いが、とにかくひどい映画でしたよね(笑)。みんな、使えない奴として描かれてて。
——鳥を競走させて遊んでましたよね。
兵藤 あのシーン、何かあるんだと思って、めちゃくちゃ気合い入れて観てたんだけど私。
長尾 おじさんに果物をみんなで投げつけるシーンも(笑)。
兵藤 あれもひどかったね(笑)! きったないオッサンがさあ、……
朝倉 ちょっとうれしそうに「やめてよーw」って(笑)。でもなんか基本的に、この映画って、クソ人間しか出てこないんですよ。最初の方でエマ・ストーンをいじめる、一番下の召使いとかも、超クソ人間だったじゃないですか。サラがそれを助けて匿うのも、善人だからでも何でもなくて。そういう、すがすがしさはありますよね。唯一、そのクソ度が低いのが、やっぱりあのダンナで(笑)。でもというか、だからというか、エマ・ストーンの弱点とかには、全然ならないんだなー!って思った。あれ最高でした。
一同 (笑)
【2】
【2】
朝倉 さっき「共感」っていうワードが出ましたけど。この映画は、それがとても難しいように思うんですけど、映画の登場人物に「共感」って、皆さん、されます?
兵藤 わりとするかなあ……。「あー私もそれ、あるわー!」「これ、私だー!」みたいな。
朝倉 へええ!
兵藤 「わちゃー!」みたいなこととかね。ハリウッドの大きい映画とかでは、少ないと思うんですけど。
朝倉 私ひとり、俳優ではないんですよ。だから少し違うのかなあとも思うんですけど。それこそ映画美学校の講義で、かつて「共感」と近い「感情移入」の定義についての話があって。そもそも「感情移入」って言葉は、今使われてるような、客席からスクリーンに向かって送るものではなく、スクリーンに映っている感情が客席に流れてくるものを指していたのだ、という。By高橋洋なんですけど。それゆえ我々は、スクリーンから何かを発するものを、作るべきだという話なんですけど。
朝倉 そのマインドは、わかるなと思うんです。そこ、演じる人たちとは、感覚がちょっと違うのでは、って思って。
中川 感情移入、私もしない方かもしれないです。「わかる!」とかもあんまり思わない。描かれたものに惹かれるっていうのは、すごくあるんですけど、自分との共通項とかは、特にないですね。
長尾 私は、ものによります。たまに、映画を観てるんだけど、映画を観てない感じになる作品もあるし、「この人、ここでなぜこの演技をしたんだろう?」っていうのをずっと観てる時もあるし。ただ、映画美学校に入ってからは、「ただ、描かれた世界だけを信じる」みたいなことは、なくなったというか。
朝倉 小川さんは?
——わたし、めっちゃ共感の人です。
朝倉 ですよね。さっきの質問、そういうことですよね。
——思い当たるふしが、あるかな、ないかな、で観てます。
中川 へえーー。
——インタビューの仕事をしていると、相手が腹を割ってくれることって、奇跡に近くて。その感覚に、必要以上に焦がれているところがあるので、「共感したい」が人より強いかもしれないです。
朝倉 はーーー。
兵藤 私は「共感しよう」とか「しなくちゃ」というより、感覚で観てる感じがあるかもしれないですね。「んーー、不器用だな、サラ!!」「その、言い方!!」みたいな(笑)。それでいて論理的な部分もあって、「あのカットが来て、こうだから、あれは女王の目線じゃないか」みたいなことも思ったりする。「あれは何かのメタだなあ」とか。
朝倉 そう、私もめちゃくちゃ分析しながら観てたのに、いつの間にか「この気持ち、私、知ってる!!」っていうふうになることもあるんです。だから小川さんは、どうして今回この映画をみんなで話したいなって思ったのか、聞きたいなと思って。
——あ、そこは、とても軽い気持ちです。そろそろ座談会やりたいなって思って、いろいろ検索してたらこの映画に行き当たって、女の人同士で話したら面白いかもしれないな、くらいの思いつき。
朝倉 「共感」問題で言うと、この映画の何にどんな共感をしたんですか?
——普段、私はとても「いい人」面を強調して生きていて。仕事柄、その「いい人」面を駆使しながらも、「この人はこうすれば心を開いてくれる」というのが感覚でわかることがあるんです。それを、この映画のエマ・ストーンは駆使しまくっていると思ったんですね。物語序盤、ウサギをカゴから出して、女王とふたりで愛でているシーンは、女王に取り入るための作戦というより、ただ単にウサギと戯れているだけのように見えた。そしてそうすることが、実は、相手の心を開く鍵なんです。
一同 ふーーーーん。
中川 うん。そう見えますね、あのシーンは。
兵藤 たしかに、下心じゃないように見えたかも。
——ウサギを通して女王と接して、何らかの気持ちがわかってしまって、この人は何か「通じる」人だとエマ・ストーンが思って、そこから作戦が始まったように思えたんです。最初から野心ばりばりなのではなく。
兵藤 うん。最初は「サラのお気に入り」になるじゃない。そこで満足していたように、たしかに見えたかも。それが、ほんとに心を開いて、ウサギちゃんと触れ合ったら「……あれ、イケる!」ってなったのかも(笑)。そう思うと、人間くさいですねえ!
中川 意図より、行為の方が、自然な感じがしますよね。正解が一個じゃないっていうか。「このためにやってるぞ!」っていうことではないように、私も感じたんです。エマ・ストーンには、終始それを感じていて。
兵藤 うんうん。よかれと思って、ハーブを探してたよね!
一同 (笑)
中川 良いも悪いも、同時にあるというか。良いと思えば、良く見えるし、悪いと思えば、悪く見える。それは、外からそう見えるっていうだけの話で、行為はただ純粋な行為として、常にあるように思う。そのキャラクターが取りやすい行為が、終始、貫かれていましたよね。登場人物の行為ひとつひとつが、意図が先にあってやってる風には見えなかったんですよね。
兵藤 だから、終盤のエマ・ストーンは、あそこまで意図的にしなくてもよかったのかもね。ナチュラルに行動しているのが、結果として、のし上がりにつながったっていうことのほうが、人間界によくありそうな気がしなくもない。「実はあの人、狙ってるんじゃないの?」って思わせながら、……
朝倉 それが結局ずーーっとわからないのが、人間界ですよね。わかります。それで言うと、エマ・ストーンって最初は、馬車の中で男の人に変なことされて、ぎゃー!ってなっちゃうピュアっ子で。
朝倉 でも頭がいいし、自分は上流階級の出なのだという気概もあるし、のちのちへの伏線はもちろんあるんですけど、もともとは、ただ目の前のことに必死なだけの人で。だからウサギを女王と愛でるシーンも、女王の何かをほめてあげたいっていう気持ちがあって、そこがちょっとラッキーというか。もっと言うと、そこが彼女の才能というか。人間のそういう部分に「あ!」って反応できる才能がある人、という描かれ方ですよね。
——エマ・ストーンは、人たらしだと思います。
兵藤 うん。
朝倉 そうそう。そうですよ。それが「ガンガン行こうぜ!」ってなるから、いいんですよね。「行こうぜ行こうぜ!!」って思うから、こっちも(笑)。
兵藤 そうやって考えていくと、エマ・ストーン「人たらし」説の方が、より、悪質というか。
一同 (笑)
兵藤 彼女が最後まで本心を明かさずに、いい人のままでのし上がって行ったら、……
朝倉 それは、エグみがすごいです(笑)。
兵藤 でも、実世界って、そっちじゃないですか。
朝倉 そうですね。みんなあんなに本心をしゃべってくれないですからね。
兵藤 そのエグさを思うと、この映画には、まだ救いがあるというか。
中川 (笑)
朝倉 そうですね。欲をかくと、辛い日々が続くんだね!っていう教訓がありますからね。可愛げがある終わり方というか。兵藤さんが言ったような映画だと、ただただ人間不信になって終わると思う(笑)。
兵藤 ホラーですよね(笑)。
朝倉 「人間、やだーー!!」ってなりますよね。そういう人がそばに来ちゃったら、もう、アウト。被害者になるしかない。
兵藤 「誰も信じられない!!」ってなっちゃうと思う。
——この映画は、ちゃんとエンタメだったということですね。
兵藤 そうですねえ!
朝倉 ホラー版も、それはそれで面白いかもしれないですけどね(笑)。
【3】
朝倉 オリヴィア・コールマンが「主演」っていうカテゴリーで賞を取ったじゃないですか。でも私、女王は「助演」だと思ってて。だからアカデミーの主演女優賞をエマ・ストーンじゃない人が取ったって聞いたときに、レイチェル・ワイズが取ったんだと思ったんですよ。
——レイチェル・ワイズもエマ・ストーンも「助演」にノミネートされていますよね。
兵藤 まあ、ラストカットが主演っちゃあ主演っぽいのかなあ……
——あの、最後に、ウサギさんたちの画がカブったのは何ですか?
朝倉 カブった!
中川 え、どこどこ??
朝倉 めちゃめちゃ長い尺で、ウサギたちがオーバーラップしてましたね。
——エマ・ストーンと女王様の顔のアップになっていきながら、うごめく無数のウサギたちの画がそこに重なるんですよ。めちゃめちゃざわざわした。
朝倉 正解はないと思うんですけど、ウサギとエマ・ストーンは基本的に、同列じゃないですか。名前がついてるかついてないか、くらいのもんで。
兵藤 うんうん!
朝倉 だけどそこに、女王も重なってるんですよ。そこがやっぱり面白くて。
兵藤 そうか。ふたりとも、ウサギなんだ! あそこにずっと居続ける。
朝倉 そう。エマ・ストーンは、自分では捕食者のつもりだったわけじゃないですか。でも女王にとってエマ・ストーンは、その他大勢、ウサギと同等なわけですよね。でもそこに、女王も加わる。そこが、なかなか、やり手やのう!って思いました。エマ・ストーンとウサギだけでは終わらない。
兵藤 でも、最後は、女王の顔でしたよね。「すん!」ってなってる。
朝倉 いや、その後に、ウサギが重なるんですよ。
兵藤 そうだっけ! ああ、私、捏造しちゃってるわ。女王の顔でカットアウトだと思ってた。
朝倉 いいんです。映画はそれで大丈夫。まじでそう思います。
朝倉 女王が終盤、ものすごい勢いで老いていくじゃないですか。あれって、時間経過がやりたいわけじゃない気がするんですよ。自分では歩けないし、顔も変わっていくし、どんどん醜くなっていく。かつ、とてもめんどくさい人に、どんどんなっていく。愛すべき人ではなくて。凄まじいものを感じますよね。あそこまでやるかーって思って。
兵藤 私も、日本の映画だったら無理だろうなって思いました。女優たちをあんなに、醜く汚く。ああいうふうに作品の世界に存在させることが、日本だったらできないだろうなって。そもそもの、価値観が違うというか。とにかく作品のために!っていう、あの3人の気概が、かっこいいなと思いましたね。
朝倉 普通に考えたら、老けの進行だけだと思うんですよ。でも、あの女王陛下は、それだけじゃないんですよね。あんなことする……?目も見えなくなって。
——食べちゃ、吐いて。
朝倉 そうそうそう。青いケーキ食べて、青いゲロ吐いて(笑)。すごい。さすが。ああいうのが素晴らしいですよね。
——日本では、できないですか。
兵藤 できないんじゃないかな。ジムショ的に(笑)。
朝倉 老け役で、汚れ役が当たり役とされてる女優さんって、日本にはあまりいなくないですか。
——昔は、なりふり構わず汚れ役やってます!っていうことを美徳とする文化があった気がしますけれども。
中川 オリヴィア・コールマンは、また女王役をやるんですよ。Netflixの『ザ・クラウン』っていうシリーズで、今のエリザベス女王を。
一同 へえーー!
中川 クレア・フォイっていう女優が若き日を演じて、中年期以降を彼女がやるんですって。期待大ですよね。本人、生きてるし(笑)。
兵藤 ほんとだね!
朝倉 それは、やばい。
中川 すごい、描くんですよ。不倫の話とか、ガンガン出しちゃう。エリザベス女王も「観てる」って公言してるんです。
兵藤 イギリスって、大人!!
中川 日本だと、ないでしょうね、本当に。
朝倉 でも、オリヴィア・コールマンって若いんですよ。45歳とか。ってことは、撮影当時は43とかじゃないですかね。
——長いこと男女平等がうたわれながら、「若く美しくある」ことが賛美される傾向が、実は強まっている気がしているんです。「昔から変わらない」「その年齢には見えない」ことがもてはやされる感じ。
朝倉 でも、どうだろう。最近は、年配の女優さんとか、普通にシワとか出しません?
兵藤 いや、でも結構、手を入れるって聞きますよ。撮ってからも、いろいろな技術で。
——この前、NHKで『詐欺の子』というドラマを観たんです。オレオレ詐欺に騙される老親役で、桃井かおりさんが出ていらしたんですが、あんなにエイジレスの申し子みたいな方が、ズタボロのおばあちゃんを演じていて。お肌とかも本当にズタボロに見えたんです。
朝倉 それはたぶん、老けに振り切ったメイクをされているんだと思います。メイクを落とせば、普通に、美肌の桃井さんが出てくるんだと思う。
兵藤 クリエイティブですね。
朝倉 桃井さん、日本の作品でおばあちゃん役なんて、そんなにやってらっしゃらないじゃないですか。だから相当、意欲的に取り組まれたんじゃないでしょうか。
——桃井さんがそっちに振ったんだな、ということが衝撃的だったんです。それでお聞きしたいのは、女優たちのエイジング問題について。
兵藤 どうですか、理世ちゃんは。
長尾 え(笑)。目指すところが、人それぞれ、違うんじゃないですかね。でもやっぱり、きれいな人が使われることの方が、多いんですかね。
中川 最近、樹木希林さんのムック本を買ったんですけど。そこに、樹木希林さんと吉永小百合さんの対談が載っていたんです。そこで希林さんが「年齢を重ねて、いい顔になっている女優はいないわ!」みたいな発言をされてて。「でも、あなたはやっぱり違うわね。純粋なまま、主役を背負ってきただけあるわ」って。「老けていい顔になる俳優は、女性のほうが少ない」って言い切っておられました。
朝倉 希林さんは、自分の演技だけでなく、現場の様々なことに対して、自分の意見を主張されていたという話を聞いたことがあります。
兵藤 それは、俳優としては、ちょっといいな、って思っちゃうかも。自分の意見を現場で言って、議論して、作品づくりを進めていくっていうのは。
——女優陣は、こういう年のとり方をしたい、みたいなことはあるんですか。考えながら生きているのか、まるで考えずに生きているのか。
長尾 健康的に年を取りたいです(笑)。
一同 ほんとだよー!
中川 ここ最近、露骨に変化を、それはもうめちゃめちゃ感じますよ。
——どういうときに?
中川 普通に、白髪とか(笑)。同じタイミングで3本も見つけたときとかに、「ついに来た!」って思いました。
——やがてそれに慣れていくんだよー。
兵藤 受け入れてくっていうかね。「こういうふうに年を取りたい」とかっていうイメージは、持ってないかもなあ。でも、少なくとも、過去の自分では絶対にないから。今の自分でやっていくのみですよね。
——昔はどうでしたか。「年をとる」ということについて。
兵藤 40代の人とかが、すごい人だなーって漠然と思ってましたよね。でも自分がそうなってみると、あんまり実感がないんですよ。なにも変わってない気もするし、でも写真とか見ると、5年前の輪郭とは、あからさまに違いを感じて衝撃を受けるみたいな。「しょうがない! この輪郭で、行くしかない!」って思います。ただ、思うのは、アップデートしていけたらいいなっていうことですかね。
——現状維持ではなく。
兵藤 そうですねえ。
——昔って、おばあちゃん女優さんは、ずっとおばあちゃんだった印象があって。それこそ樹木希林さんみたいに。『寺内貫太郎一家』のおばあちゃん役は31歳だったと聞きました。それも、面白い現象だなと思うんです。
兵藤 マドンナ女優さんは、ずっとマドンナでしたよね。
——オリヴィア・コールマンさんは、「女王女優」道をひた走って行かれるんでしょうか。
中川 そんなに女王ものが量産されるわけでもないけど(笑)。でも、定期的に作られますもんね。
——エマ・ストーンさんはどうでしょう。『ラ・ラ・ランド』に続いての『女王陛下〜』ですが。
中川 私、『ラ・ラ・ランド』あんまり派なんですよねえ……。
兵藤 私は好きでした。『ラ・ラ・ランド』。
中川 どういう、あれですか。楽しかった?
兵藤 あの、オーディションで歌うところ。
一同 ああ!
中川 エマ・ストーンが、自分で舞台を作っていくじゃないですか。あそことか、オーディションの場面とか、それこそ共感して、グッ!となったんですけど、全体はなんかちょっと嫌な感じがして。CMの長いやつかよ!みたいな気持ちになって。
一同 あーー。
中川 それでいて、泣くんですけど(笑)。泣くけど、好きって言いたくない!っていう。
朝倉 私は、あそこが好きでした。エマ・ストーンの、スカートのやつ。映画自体は「名作観るぞ!」って期待値高い中で観たら、めちゃくちゃ怒るだろうなと思いましたけど、でも全然期待せずに観たので、普通に楽しく観ちゃいましたね。
長尾 私は、普通に2回観たいと思いました。基本、同録だし、一発撮りだし。そこ、めっちゃ頑張ってる!っていうのがわかって。
兵藤 理世ちゃんは、撮る側のことが、想像ついちゃうからね。
長尾 しょっぱなから、やばい!って思いました。それでいて結局、2回観てないんですけど(笑)。
兵藤 私は、ラストの走馬灯みたいなところ、グッと来ましたけどね。ありえたかもしれない世界を、一気にばーーっと駆けめぐって、「じゃ!」みたいな感じとか。
——私がダメだったのは、互いの思いを確認した瞬間、天文台で2人が宙に浮くじゃないですか。
兵藤 あーー、あれ、ひどかったね!!
一同 (笑)
——恋愛ものアレルギーの私には、あれが「恋愛ばんざーーい!!」っていう飛翔に見えて、どーーーーん!と引いたんです。
兵藤 あれって昔の映画のディスりなのかと思ったけど、本気なのかな。
朝倉 本気だと思う。本気だし、あそこは失敗したと私も思う(笑)。
兵藤 でもやっぱりオーディションのところはすごかったと思うし、よく言われてるあの、ええと、「ハッピーアワー」じゃなくて何だっけ、……
朝倉 「マジックアワー」?
兵藤 マジックアワー! ハッピーアワーは飲み屋さんだ(笑)。あの、マジックアワーの夕暮れをバックに2人が踊るシーンが、やっぱり好きです。スタッフ側のことを想像すると、たまらない気持ちになる。一発撮りですよね。すごいの撮ってるなあ!って、グッと来ちゃう。
朝倉 あれって要は、虚構の中に憧れる人たちの話じゃないですか。あのオープニングシーンのパロディを、実際にゴールデン・グローブ賞のオープニングでやったんですよ。その年の映画やドラマの登場人物が総出演みたいな。それが本当に素晴らしかった。ぜひ、YouTubeで。(https://youtu.be/cJDXmHwmX-c)
兵藤 いっとき、みんなあれをやりたがった時期、ありましたよね。私の周りで結婚披露宴が多くて、みんなやたら『ラ・ラ・ランド』で踊ってました。
朝倉 それはすごい!難しそうなのに。役者さんならではですね。
——今日は、いろいろなお話をありがとうございました。
朝倉 大丈夫ですか、こんなにとりとめもなくて??
——大丈夫です。魔法のまとめをいたしますので。
一同 ありがとうございました!
(2019/03/27)
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