千浦 タランティーノは、フェミニズム的なものの、完全に外側にいる人ですよね。だから女の人の感想を聞きたかったんですよ(※編注 本当は女性が1名参加予定でした)。タランティーノは徹頭徹尾、今までのすべての作品を男性目線で作ってるじゃないですか。
佐野 そうですね。ほぼ男ばっかりです。
千浦 僕はどの作品も好きなんですけど、その理由もそこで。カッコいいものが好きなところとか、男の目線による女の人に対する好色な見方とか、でもそれが時には下品にならず『ジャッキー・ブラウン』(97年)みたいにヒロインを、女性を尊敬している感じに出るところとか。あるいは『デス・プルーフ』前半の女の子たちの性的な魅力と、後半の女の子たちの戦うカッコよさとか。でも『ヘイトフル・エイト』(15年)は最後、ジェニファー・ジェイソン・リーが、そんなに酷くする必要あるの?っていうくらいに酷く殺される。黒人と白人の対立は乗り越えられるんだけど、女の人はその黒人と白人の男が協力して引っ張る綱でくびり殺されるという映画で。確実にある種の嗜虐性はありますね。
——今回でいうと、どのへんの描写について、女性の感想を聞きたいですか。
千浦 それはやっぱり、ヒッピー娘のキャラや行動とか、マンソン・ガールズとか。最後のバトルシーンで、女の子たちがズタボロに殺される感じとか。
佐野 一方で、ラストのバトルは女性への暴力やミソジニーというよりは、作劇のカタルシスというか。みんな楽しかったのでは(笑)。
星野 そう、すごくいいですよ。
——あそこでクリフがガンガンやっつけるのは、「女子だから」ではなかったですよね。相手が女子だろうが男子だろうが、タガがはずれちゃってる感じがした。
佐野 あと、ラストバトルで言うと、犬が最高でしたね。
千浦 めちゃめちゃしつけられてる。クリフが家に帰って来るという描写で、テレビがつけっぱなしだったじゃないですか。あれ、犬のために留守中テレビつけてるんだよ、たぶん。
佐野 そのへん、愛がありますよね。
千浦 でも、彼の愛の対象は犬だけだよね。
佐野 そうですね。犬だけですね。
星野 卑屈ではなく、ゆうゆうと生きているけど、ひとり。
千浦 ヤバい人だけど、いいよね。
星野 ディカプリオの家で、出演作を観ながら、2人でオーディオ・コメンタリーを喋り合うじゃないですか。あれもよかったなあ。自分たちが出演した番組に、自分たちでオーディオ・コメンタリーをつけるっていうのが。
千浦 あれ、最高だね。
——その感じは、男の憧れですか。
星野 あれは、憧れますね。すごくいい、2人のあり方。
佐野 タランティーノって男映画ですけど、ああいう関係描写ってそんなになかったですよね。
千浦 でも僕は『レザボア・ドッグス』を最初に観たときに、ハーヴェイ・カイテルがティム・ロスをすごくかばう、あの感じとか、いいなあと思った。まだ「BL」なんていう言葉はなかった頃ですよ。
一同 ああーー。
千浦 ああいう関係って、数々の映画で何度となく描かれてきたことで。ハーヴェイ・カイテルが出てるってことで、スコセッシの『ミーン・ストリート』(73年)を思い出したりもしたんですけど。『ミーン・ストリート』ではハーヴェイ・カイテルがマフィアの後継者というか、アンダーグラウンド社会のエリートみたいな感じなんだけど、つるんでる仲間のひとりにロバート・デ・ニーロがいて。そいつはキレて無茶ばっかりする奴なのね。周りの人間はみんな「あいつを切れ」って言ってるのに、ハーヴェイ・カイテルはデ・ニーロをなかなか見捨てない。
佐野 なるほど。
千浦 上下関係じゃない特定の誰かに対して、絶対的な仲間として見ていくっていうのは、どこか、楽というか、精神的な安定を得られるっていうか。それがたぶん、数々の、男社会を描いた映画の中で、繰り返し描かれてきたことだと思うのね。高倉健と池部良とか。
佐野 ジョニー・トーとかもそうですかね。
千浦 そうそう。
——ツイッターを見てると、女性客たちは、「クリフとリックの初仕事の想像図」とかを漫画に描いてきゃっきゃ言ってるんです。
星野 それは、あれですね。『おっさんずラブ』とかでも見られた現象ですね。
千浦 『荒野の七人』のリメイクの『マグニフィセント・セブン』(16年)でもイーサン・ホークとイ・ビョンホンにそういう思いを重ねる人が多かったみたいですね。
——一方、男子は男子で、あの2人のことを憧れとして観ている。
佐野 ホモソーシャルな部分だからというより、人と人の関係性として、いい感じなんでしょうね。
千浦 でも考えてみると、タランティーノやブラピやディカプリオがお年を召してるせいなのか、あまりモロなセックス描写がなかった気がする。
佐野 それは、僕もなんとなく感じました。フェティッシュへの熱烈さみたいなのは、控えめだった気がします。
千浦 『デス・プルーフ』なんか、フェチでもあり、モロな感じや生々しさがあったじゃないですか。
佐野 ジャンルが違うからと言われればそこまでですけど、どうなんだろう。暴力とセックスは裏表だから、マンソン・ファミリーの撃退に集約させたっていうことなのかもしれないけど。
星野 あの襲撃のところから、急に作風が変わるの、びっくりしましたね(笑)。
佐野 今回はある種、抑制を利かせているのって、ミラマックスと一緒にやっていないからとかもあるんですかね(※編注 長く手を組んでいたプロデューサーのハーヴェイ・ワインスタインが2018年、セクハラや性的暴行容疑で逮捕された)。
千浦 どうなんだろうね。そのへんはね。
——シャロン・テート描写についてはいかがでしたか。
佐野 マーゴット・ロビーは普通に可愛かったです(笑)。
千浦 あの映画館のシーンはほんとに不思議ですよね。マーゴット・ロビーが観ている映画に映っているシャロン・テートは、シャロン・テート本人なんだよね。その姿を、自分たちが観ているっていう不思議な感じがした。シャロン・テートがブルース・リーにアクションを習っているというインサートもあってね。僕は別のところにも書いたんですけど、昔、映画美学校で「クンフーゼミ」っていうのがあったんですよ。
千浦 高橋洋さんと塩田明彦さんが主宰で、アクション・コーディネーターの谷垣健治さんを招いたんですね。銀座京橋の旧校舎で、みんなで受け身の練習したり、キックミットを蹴ったりしたんですけど。
星野 へえーー!
千浦 それだけじゃなくて、座学もあって。そこでね、シャロン・テートが出演した『サイレンサー 破壊部隊』の、まさにあのシーンを観せられたんです。カンフーってものが知られ始めてる頃に、そうじゃない文化圏の人が真似してる映像は数あるんだけど、谷垣さんがそれを選んだ理由は「ブルース・リーが本当に振り付けしてるから」だった。
佐野 すごい。全然知らなかったので、「こっちがシャロン・テート本人なんだ」って思いながら観てました。
千浦 でも、『ワンハリ』全体としては、ブルース・リー的なものをあまり認めてないですよね。
星野 そうですね。うん。
千浦 そのことに関して、2回目に観たときになんとなく思ったのは、タランティーノの持っている映画観とか、『ワンハリ』で描かれたように「映画は集団で作られている」っていう観点からすると、ブルース・リーの「俺がオリジナルのアクションをできる唯一の存在である」っていう主義というか、打ち出し方は相容れないっていうか。あの映画においては、ちょっと貶めざるを得ない存在だったのかなという気がした。
一同 うーーん。
千浦 でも、ブルース・リーもスタントマンを使ってるんですよ。『燃えよドラゴン』(73年)の冒頭のトンボを切ってるのとか宙返りは本人ではない。あと、ブルース・リーの映画で一番異様かつ魅力があるのは『死亡遊戯』(78年)じゃないかと思ってるんだけど、あれは本人が死んじゃったから、いろんな人が継ぎはぎでリーを演じているという。それを踏襲したのが『キル・ビル』で、タランティーノは、おそらくそのスタント性に反応していた。あの黄色地に黒いラインが入った衣装を着ていれば、誰がやっていても、ヘルメットかぶっててもブルース・リーなんだ!というところ。
一同 (笑)
佐野 僕は、タランティーノはそんなにブルース・リーのこと好きじゃなかったんだ!って意外でした。でも今のお話を聞くと納得しますね。
星野 いやー、知らないですこれ。
一同 (笑)
千浦 でもね、アメリカ人が撮ったにしては、最高のブルース・リー伝記映画です。アジア人差別の壁がよく描かれてる。この午後ロー版ではカットされてるんだけど、いいシーンがあってね。ブルース・リーが『ティファニーで朝食を』(61年)を夫婦で観に行くんだけど、ヘップバーンの住んでるマンションの大家が日本人なんだよね。それがものすごく戯画的に描かれてるから、観客はげらげら笑ってるんだけど、ブルース・リーだけニコリともしないっていう。
一同 へえーーー!
千浦 まああと「グリーンホーネット」の撮影の場面とかあるんで、これは完全に『ワンハリ』と同時期の、違う側から描いてる映画だと言えます。
佐野 観ました、観ました。最高じゃないですか。
千浦 『メイク・アップ 狂気の3P』(77年)っていう映画があったんですよ。裕福な家庭にゆうゆうと暮らしている家族持ちの男が、妻と子が出かけて留守番してる雨の晩に、道に迷った美女2人が訪ねてくるのね。で、シャワーを貸して、やってしまうんです。翌朝になったらそいつらが、すごい態度でのさばってるし強請られるという傑作映画なんですけど、それをイーライ・ロスがリメイクしたのが『ノック・ノック』。主演はなんとキアヌ・リーブス。で、訪問者の女性のひとりを演じているのがロレンツァ・イッツォさん。イーライ・ロスの奥さん。『ワンハリ』だとデカプと結婚したイタリア人女優をやってたひと。すいません、それ以外に持ってきた理由はない。でもこの映画ではすごい美人よ。
星野 あ! 僕、この映画知ってます。見逃しちゃったけど。
千浦 じゃあ、今日、ぜひぜひ。
星野 ありがとうございます。イーライ・ロス、いいですよねえ……ちょっと話が逸れますけど、僕、今年一番好きな映画は『チャイルド・プレイ』なんですよ。きちんと、子どもたちの成長物語になってた。そこが素晴らしくて。
佐野 チャッキーがAIになってるんだよね。面白いなと思った。
星野 『アス』もそうですけど、今年はアメリカのホラー映画、当たりが多くないですか。
佐野 『アス』は意外と票が割れてるよね。
星野 だって、話にかなり無理がありますもん(笑)。でもジョーダン・ピール監督は、そこを抜群のセンスで切り抜けている。あとこれ、日本でもこういうのできるな!って思いました。規模を大きくするんじゃなくて、この方法なら成り立つな、って。
佐野 そうか。一軒家だけでできちゃうから。
——『ワンハリ』は、「映画というもの」について描かれた映画でもあったように思うのですが、それは、皆さんも共感するところですか?
星野 描かれていた時代は、タランティーノが5〜6歳の頃なので、おとぎ話感覚ではあったと思うんですよね。
佐野 僕は、映画作りの映画だったりとか、映画を対象にしているというよりは、そこで揉まれた人たちの物語というか。あくまで人間ドラマの中に出てくる描写という感じがしました。そこがよかったなと。
星野 すごい、ヒットしてるんですよね、確か。それは、そこなんじゃないですかね。ものすごく人間ドラマ。リックとクリフとシャロン・テートの。そこがきちんと描かれてるから、共感を得てるってことだと思うんですけどね。
千浦 映画の中に映画が出てくると、なんかちょっと、アガりますよね。理由はわかんないけど。映画の中で映画撮ってるとか、映画の中に映画観てる人がいるとかがあると、自分が観客として観ている映画のリアリティが上がる気がする。それってその映画作品が身近な誰かを「こいつ、映画ですぜ」って密告することによって、自分を守る、自らのリアリティを担保するみたいな感じがあるんですけど。
千浦 あと、『ワンハリ』にはいろんな映画が散りばめられていたじゃないですか。タイトルだけ出てくる、画像だけ出てくる、言及する、なかには架空のものもある……それが、陽動作戦であるかのように感じましたね。もちろん映画業界の話であるという必然性もあるんですけど、嘘と本当の混ぜ方が巧みだったな、そうやって虚実の感覚を揺さぶってるんだなと。僕は1回目を公開初日に、イオンシネマ板橋で観たんです。で、リックがイタリアに行ってからのキャリアが手早く紹介されるじゃない。全部、めっちゃ、ありそうなんですよ。その「ありそう」さ加減の絶妙さにすごいウケてたんだけど、他の誰も、クスリともしてないわけ。
一同 (笑)
千浦 監督の名前とかが、絶妙にありそうなんだよね。あそこに出てきた「カルヴィン・ジャクソン・パジェット」っていうのは、ジョルジオ・フェローニの変名なんです。『生血を吸う女』(63年)を撮った人。
星野 ああ! 『生血を吸う女』!
千浦 そのカルヴィン・ジャクソン・パジェットはマカロニ・ウエスタン史に残る一本、ジュリアーノ・ジェンマの代表作のひとつ『荒野の1ドル銀貨』(65年)を撮ってる。
佐野 へえーー!
千浦 あと何だっけな、最後のほうに語られた映画の監督「ホアキン・ロメロ・マルチェント」っていうのは初期マカロニ・ウエスタンの佳作『墓標には墓標を』(63年)を撮ったことで知られてる監督だけど、『ヘイトフル・エイト』が構造をいただいてる『カットスロート・ナイン』(71年)という映画を撮ってる人です。9人の凶悪犯を護送する話。すごく面白い。このDVDもじゃんけんに勝った方にあげる。
佐野・星野 ありがとうございます!
千浦 で、これも、よそに書いたことだけど(カルチャー&批評記事ウェブ nobody mag)、『ワンハリ』はこれだけいろんな映画の固有名詞を網羅していながら、クリント・イーストウッドのことについてはまったく触れないんだよね。触れても不思議じゃないのに。
佐野 ほんとですね。一切出てこなかった。
千浦 イーストウッドの話をしないために、セルジオ・レオーネもギリギリ出てこない。「セルジオ・コルブッチ、マカロニ・ウェスタンのナンバー2だ」って台詞があるけど、じゃあナンバー1は誰なんだ!と。タランティーノが大好きな、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』の人でしょ、と。
星野 そこはもう、言い出すと収集がつかないから(笑)。
千浦 そう、それを言い出すと、あの世界が崩れてしまうんですよ。イーストウッドは、リック・ダルトンよりも後に出てきて、テレビ界でうまくいって、そのままトントン拍子で成功した人として実在してるんだけど。だからあれは「イーストウッドがいない」というパラレルワールドなんだよね。全力で避けてる。
星野 確実に避けてますね。いろんなインタビューを読んだけど、イーストウッドには触れてないですよ。
千浦 そこに、タランティーノの論理立てた何かがあるのか、本能的に避けたのかはわからないけど。でもカンヌで『パルプ・フィクション』が賞をとったときの審査員がイーストウッドですよね。
星野 そう、審査委員長ですよ。たぶんタランティーノの中で、「ここまでだったら言えるし映画にもできる」っていうラインがありますよね。映画史の作品ではないので。
千浦 そう、それをやると映画史観の表明や映画史論になってしまう。……それはそれで観たい気がしますけど(笑)。
佐野 「タランティーノの映画史」。
千浦 あるいは、「リック・ダルトンの見た世界映画史」。ポランスキーは知ってる。デニス・ホッパーも知ってる。でも、イーストウッドは存在しない。マカロニ・ウェスタンには触れたくもない。でも、行ってみたら結構よかった。……って思ってるんだけどお前はどうだ?ってクリフに聞くと「俺は難しいことはわかんねーよ」って言われるという映画史。
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