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千浦 セルジオ・レオーネの、かつて『ウエスタン』と呼ばれた『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』がリバイバルされるんですよ。

佐野 そっちが原題なんですよね。

千浦 ビデオやDVDで何度も観てたんだけど、今回試写で観て、大画面大音響で見直せてとても良かったので、『ウエスタン』のことやレオーネのことを調べたりしてた。ヘンリー・フォンダが超悪い、冷酷な悪役で出てるんだけど、彼はこの映画の出演オファーを受けたときレオーネのことを知らなかったから、周りの人間に「セルジオ、Who?」って聞いたら、交流があったイーライ・ウォラック(『続夕陽のガンマン』のメインキャストのひとり)が「絶っっっ対に出た方がいい!!」って言ったらしい。

星野 へえーーー。

千浦 そこからヘンリー・フォンダはいろいろ調べて、イーストウッドが出たレオーネの映画を観た上でイタリアへ行ったという話を知りまして。そんなことしてたタイミングで『ワンハリ』を観たので、レオーネとイーストウッドについて、絶対知っててもおかしくないことをみんな知らないふりしてる!というのを妙に強く感じたんです。イーストウッドの成功というのは、やっぱり破格の出来事なんですよね。宮本武蔵の剣が特殊すぎて誰も真似できないのと同じで、特異なキャリアだと思います。それがモデルケースにはならないというか。むしろ、リックのように、鳴かず飛ばずでイタリアへ行って、ちょっとフィルモグラフィーが特殊に豊かになっただけっていう人がいっぱいいて。例えばジェフリー・ハンターっていう、『捜索者』(56年)でジョン・ウェインと旅する青年を演じ、61年の『キング・オブ・キングス』ではキリストの役をやってる俳優は60年代後半はテレビに出たり、イタリアやスペインへ行って西部劇やアクション映画に数本出るんだけど、それを最後に1969年に亡くなるんですよ。

一同 へえーー!

佐野 そのへん含めて『ワンハリ』は、うまく歴史を回避しながら、おとぎ話にまとめていますよね。スタジオでの描写も、アジア人差別のやりとりも含めて、「スタジオってワイワイしてて楽しいぜ」レベルで抑えてるというか。

星野 ひとつひとつ、踏み込む手前でとどめてる感じがありますよね。

千浦 そうね。踏み込まないようにしている感じ。でも、物足りないわけではない。

星野 ないですね、全然。

——それは、タランティーノが持ち得た何か、なのでしょうか。

星野 だと、思いますね。

千浦 タランティーノの映画の中で、こんなふうに映画撮影の現場が出てくるメタ映画は初めてだよね。そのへんに関してある意味かすっている『デス・プルーフ』について僕が思うのは、“本当はカート・ラッセルはスタントマンではない説”。

佐野 ほう。

千浦 そういう気取りとか、話術とか嘘で人を引っかけている人間じゃないかという気がしているんです。タランティーノ自身が『デス・プルーフ』に出てきてスタントマンの仕事を説明する場面があるけど、「俺もその映画を観たけど顔が確認できないから、ほんとにコイツがどういう仕事をしてるのかわからないんだ」っていう紹介の仕方をする。あれはそういう、偽スタントマンの男が、本物のスタントガールたちに遭遇したことによってやられるという映画だったと僕は思ってるんです。でもそれを今回ひっくり返すみたいな形で、スタントマン組織の中間管理職としてカート・ラッセルが出てきた。

佐野 奥さんの言うことと、同じことしか言わなかったですね(笑)。

一同 (笑)

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千浦 スタントマンというものに対してのタランティーノの気にかけ方が、のちの映画づくりに変質して出てきたっていう感じがする。あと、僕が『デス・プルーフ』で一番びっくりしたのは、エンドクレジット。映画のフィルムリーダーに映ってる、……

佐野 テスト撮影みたいなやつですかね、あれ。

千浦 そう、カウントリーダーの中に入ってたりするんですよ。

星野 ふうーーん!

千浦 きれいに現像できてるかどうかを確かめるために、カラーチャートと女性の顔を映し出したものを「シャーリー・カード」Shirley cardsとかいうらしいんですよ。『デス・プルーフ』の時点でタランティーノはすでに成功していて、自分でフィルムのコレクションを始めたり、自分の家に映写室があったりしてたらしいのね。だから、映画フィルムに実際に触れたり、普通の映画館とは違う映写をたくさん観ていたに違いない。その中で、リーダーに映ったカラーチャートの女の子たちに気づいたらしくて、それを『デス・プルーフ』のエンドクレジットにたくさん入れ込んだ。

星野 そうか、自宅に35mmの映写機があるのか……タランティーノが自分でピント合わせてるのかな。

千浦 専属映写スタッフがいるんじゃないかな。『ワンハリ』のアル・パチーノが演じた映画プロデューサーの日常生活みたいな。あれ、描いてないけど言っていることは自宅に映写室があるし、映写技師もいるってこと。

星野 あ、そうか(笑)。

千浦 で、話を『デス・プルーフ』のエンドクレジットに戻せば、そこに込められているのはフィルムそのものが女性である、ということ。流れ続けるフィルム、走行し続けるフィルムとはすなわち女性である、と。なおかつ、フィルムはどんなに丁寧に扱っても、どんどん損耗していく。傷つくことに耐えている。それが、内容と絶妙にマッチしてるなと思うんですよ。傷つくことを恐れて「耐死仕様」の車で人を傷つけている男と、傷つくことを怖がっていない女の人たちの話。そこに僕は一番感動したんですけど。

佐野 うんうんうん。

千浦 僕が『デス・プルーフ』を最初に観たのは試写で、映画美学校旧校舎の試写室で、自分で映写しながらだったんですよ。あれはほんとに印象深かった。

一同 おおーーー。

星野 そっかあ……いいっすねそれは……!

千浦 六本木でしかやってなかった、USバージョンっていうのも観に行きました。(卓上のDVDを取って)これがそれ。よろしかったら。

佐野 結構違うんですか?

千浦 ええとね、カート・ラッセルの前で女の子がエッチなラップダンスを踊るシーンが、まるまる無いの。そうやって短くなりつつ、存在しない映画の予告編を挟みつつ、ロバート・ロドリゲスの『プラネット・テラー』と続けざまになっている。ドヤ街映画館で休憩なしで二本立てを観てる感じの再現。

星野 へええ!

千浦 ……っていうような、趣味的なことがいっぱい散りばめられていて、そんな話をすることが楽しかったりとか、逆に「ついていけねーや!」っていう人を生んだりもするのがタランティーノ関連な事柄なわけですけど、今回『ワンハリ』を観て気づいたことがあって。タランティーノがいっぱい散りばめていることは、本人もそこそこ楽しんでるんだけど、本当に言いたいことはむしろ言わない、描かない、やらないっていうこと。

佐野 うんうん。

千浦 『ワンハリ』は時代風俗を表現するために、いろんなものがいっぱい映るじゃない。映画のポスターだったり、字だけの看板だったり。タランティーノ作品ではそこが注目されがちなんだけど、でもそれはむしろ、どうでもいいっていうかさ。単にその時代にそれがあり得たっていうだけで。

佐野 実際の事件を扱っていても、回避をしているというか、史実には沿わないですしね。映画史ではなく映画として、うまくまとめている感じですよね。

千浦 タランティーノの中では、「フィクション」とか「嘘」とか「虚構」っていうものが、ずっとテーマとしてあるように思うんですね。『レザボア・ドッグス』でも、ティム・ロスが嘘を小噺として語るくだりがあるでしょう。練習をして、実際にその話をギャング団の前でしていると、嘘であるはずの場面が回想シーンとして映し出されるんだよね。「芝居」とか「演じる」っていうことが昔から、タランティーノにとって重要なポイントになっている。核に「嘘」がある。そういう映画を一貫して作っているのかなあという気がしますよね。

——中でも今回は、ガチで「俳優」を描いているんですね。

千浦 しかも、改めて考えてみたら、リックとブースこそが「嘘」なんだよね。だからさっきの、「リックとブースは今どうしているんですか」って言ったやつがいてエモかった、というツイートは、的確な何かを突いてるんですよ。それこそ、してやったりというか、一番いい観られ方ですよね。本当にいた人のように思っちゃったっていうのはさ。それはごく普通に、多くの映画がお客さんを乗せるために、一生懸命、全面展開でやり続けていることなんだけれども。

佐野 そうですね。

千浦 その「嘘」と「本当」の見極めが、自分は映画を見慣れているから、できてる方だと自分では思っているわけですけど、でも自分の目が本当はどれほどの精度を保っているのかは、誰にもわからないことなので。

——では、そろそろまとめに入りたいと思いますが、言い残したことなどあれば。

星野 『キル・ビル』以降、タランティーノ作品の撮影監督はロバート・リチャードソンという人です。『アビエイター』とかも撮ってたりとか、アカデミー賞撮影賞を3回取ってる人なんですけど。超大味の映画を撮る人なんですけど、それ以降のタランティーノはすごく、なんというか、相まっているんです。『デス・プルーフ』だけ、撮影はタランティーノ自身なんですけど。

佐野 オープニングの、足をずっと追っていくのとか。

千浦 そうそう、僕ね、『デス・プルーフ』ですっげえいいなあ!と思ったのは、最後のカーチェイスで、砂煙があがって、カメラが車を見失うんだよね。

星野 (爆笑)

千浦 で、「あ、見えた!」って瞬間にギリギリ、追っていってフレームにおさめて「OK!」っていうさ。低予算映画だったら、フィルム代もったいないからNGっぽいのをOKにしちゃうっていうのがあるけど、その感じをヘタなために再現してしまい、しかもあえて撮りなおさないで使っているんですね。あれは妙に面白い。

星野 わかります。そうやって、とにかく映画が好きなタランティーノと、大撮影監督であるロバート・リチャードソンが組むと、すごいことになるんですよね。

千浦 昔は、窓の外が白く飛んでたんだよね。

一同 (笑)

千浦 昔は窓の外が白く飛んでいるのを観て、「いつものタランティーノだ」と思ってたんだけど、いつからか白く飛ばなくなったのは、そういうことか。

星野 それですね。

千浦 もちろん、タランティーノもそういうテクニック的なことを考えて研究していると思うんだけど、それ以上に、彼は芝居が大好きですよね。芝居が大好き、役者が大好き。

星野 そうですね。そうなんですよ。

佐野 そこって最初の頃から変わらないですよね。ずーっとだらだら長回ししてたり。レンタルビデオ屋で働いてずっとビデオを観てたっていうわりには、ちゃんと、人に興味があるというか。映画美学校のフィクション生にはなかなかない傾向ですけど(笑)。

星野 そう、一緒にやってるスタッフへの敬意とか、好きな気持ちがすごくあると思うんですね。映画を作ってる人たちへの。それって、すごく大事だと思います。

佐野 コミュニケーションをちゃんと取るとかね。僕はアクターズのTA(ティーチング・アシスタント)をやったことで、とみに感じることですけど。アクターズ生とフィクション生の違いというか。

——どう違うんですか。

佐野 アクターズは、フィクション生から見ると「リア充」だって言われてるんですよね。 

星野 (笑)

 
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佐野 俳優は生身でやりとりしないといけないから、互いの信頼関係がないと成立しないところもあって。互いの距離感が近いんですよ。ちゃんとコミュニケーションを取る。それは別に、恋愛沙汰があるとかないとかそういうことじゃなくて……

千浦 でも、そういうことでしょう! タランティーノも意外とミラ・ソルヴィーノと付き合ってたりとか、そういうことでしょう。やることやってんでしょ。

星野 元カノに腹いせで金獅子賞を出すとかね。(星野注:あくまでゴシップです)

佐野 パーティで出会った女性に「足なめさせてくれ」って言ったことをバラされるとかね。(佐野注:あくまでゴシップです)

星野 そういうのも含めて、タランティーノは人間好きなんですね(笑)。

千浦 あと、つくるものをひとつのスタイルに収斂させようとしないところもありますよね。

佐野 キャリアの中で意図的に、やってる感じがしますよね。

星野 確かに、題材とかもかなりバラバラではある。いろんなの撮ってる。

佐野 タランティーノは、フェティッシュだったり、バイオレンス描写があったりするけど、バランスが取れている人だっていうのがすごく大きいですよね。セルフ・プロデュースというか、「10本しか撮らない」って公言しているのも含めて、かなり計算してやっている。

千浦 しかも、脚本をかなり書き上げていますよね。『トゥルー・ロマンス』(93年)もあれば『ナチュラル・ボーン・キラーズ』(94年)もある。

佐野 他の監督が撮った脚本もいいですよね……!

星野 そうか。作った映画が全部オリジナルって、珍しいですよね。

千浦 チャラチャラしてるようでね。オリジナルシナリオはしっかり書き上げてる。

星野 だからフィクション生には、人間好きも大事だし、脚本作りも大事だと(笑)。

佐野 タランティーノの手腕をフィクション生に最初から求めるのはどうなんだろう(笑)。

(2019/09/20)